「ほっ」と。キャンペーン
トモダチ
皆さんこんばんわ。

和魂要塞です。

かつては、201V1とも名乗りました。

当時から親しい人は、城代とも呼びます。

このブログを始めたころ、私は26歳でした。

あれから12年と8ヶ月が経過し、まもなく39歳になります。

頭髪には白髪が混じり、生え際は戦略なき撤退を続けています。

つまりは、平等に、時が流れたのです。

2004年にブログが日本に上陸し、
エキサイトブログがベータ版のユーザーを募ったころ
本サイト=和魂要塞は始まりました。

その実際的な更新期間は、わずかに7ヶ月間に過ぎません。

しかしながら、その間、日数にして200日程度の間に出会った人々は、常ならず多様でした。




このブログを立ち上げなければ、二度と再び出会うことができなかったであろう人。

このブログを立ち上げなければ、その心に触れる機会は終生なかってであろう人。

このブログを立ち上げなけば、互いのその後の人生が大いに異なっていたであろう人。




これは私に限ったことではないようです。




その意味で、我々は、それが故に、等しく < 変わった > と言えます。

それは、より厳密には、< 等しく変わった >と表記したほうが正しいでしょう。



あれから流れた12年が、< 等しく僕たちを変えた >のと同じように。


いつか、尋ねたい事は山ほどあるけど。
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# by 201V1 | 2016-12-29 03:53 | カテゴライズ前・生ログ
10年ぶりFBにて同窓会
開催中。っていっても普段の面子なんだけど。
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# by 201V1 | 2014-06-05 22:18 | @ぷち妄言集
デスマなう
こちらサポセン管理人とデスマなう。

3年間、ずっとこんな感じ。

いつ寝てるのか怪しい感じは
10年前から10年間、
まるで変わってねえ。

この程度のハゲ加速度で
済んでいるのが不思議すぐる。
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# by 201V1 | 2013-12-26 04:41 | カテゴライズ前・生ログ
浦島ショックの解決
~ 久しぶりのスキン編集 ~

で、困った。

素材画像のアップロード(投稿ではない)が、
無料版ユーザーだとできなくなってる!!!!!

まじですかー!!!
10年前はできたのに!!!!!


ヘッダデザインを編集してて気がついた。

というわけで、クラック。


ステップ1>
非公開記事の画像つき記事という方式で、
とりあえず画像をアップする。

ステップ2>
アップした記事内の画像URLをコピペ

ステップ3>
1の記事を目障りなので削除

ステップ4>
スキンのCSS編集で2のURLを使う。


黎明期から復帰組にとっては、
「あれ?素材アップロードできなくね?」な現状を
上記方式で
各個打開していただければ幸いです!!!!!!!!!!
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# by 201V1 | 2013-12-25 23:16 | カテゴライズ前・生ログ
触媒としての何か
触媒としての作用の宿る文章に
出会った事があるかないかは、
他の様々な巡り合わせ以上の
目覚めを与えてくれる。

私には、ある。

そんな経験が。

訪れた幸運によって開いた目で
かつての自分が埋め立てて
慌てて隠し込んだ
真っ暗い井戸の蓋をこじ開けて
中身をちゃんと確かめようとするかどうかは
それぞれの選択だけど
どちらを選ぶかのこのそれぞれは
当人の意思や心じゃなくて
ただ時による
人の理の外で起きる出来事だと思う。

つまりはそれは、
触媒としての作用が一度働いた時、
蓋を開ける開けないは
本人の意思とは関係なくやってくるという事だ。

蓋を開ける機会が
永遠に訪れない人もいるし
望まないのに開けざるを得ない局面に
度々出会う人もいるだろう。

幾度か蓋を開けて
中身を確かめる体験を経て思うのは
穴の中から引っ張り出した後の始末は
実のところはさして重要ではなくて
片付けようとする意思にこそ
別の価値あるものを掴んで帰ってくる
機会が隠されているという事実に
実は大きな意味があるという大事だったりする。

蓋を開けて穴の中身に手を伸ばし
その結果得られる「穴の底」を見たという経験によって
「その底には何もなかった」とことを
知って送る10年と
知らずに送る10年とでは
見える世界の
過去と今と未来の解像感は
確かに変わる。


「なにもない底」が
それにタッチして帰ってきた者に
なんの祝いか授けてくれるものは
きっと人に応じて千差万別なんだろうけど
私が貰ったお土産は
人の手の届く世界と
人の手で包める世界は
目で見えるよりずっと狭く
ずっと深いという
この先を生きる道標だった。

道標は静かに告げる。

手から零れ落ちるものを
選択し続けるのが人生で
手の中に掴むことを選ばなかったものが
失われることを嘆くのは
今その手の中にあるものを
握り潰したいならやればいい。

全能とはかけ離れた不完全性を本質として
この世に生を受ける僕たちには
全てを手の中に包み
生きていくことは出来ないわけで
仮にそれを行えると信じるとき
人は足元では誰を踏みにじりながら
歩くことになる。

道標は、
それぞれの囚われから
その人を放つ為に在り
それが故にその標識は
見るもの望むものによって姿を変える。

道標すら符合しないまま、
僕たちは同じ道を行く。

なればこそ、足掻くだけの価値はある。


触媒を通じて、10年間そう信じて続けることができた。


触媒としての何かの正体は、
10年を経た今もはっきりしない。

ただ1つ確かなことは
人は10年を経て尚不確かなものでさえ
確かに信じることができるということで
それは時に文章との出会いによって始まる。

人が筆をとる価値は、
文章そのものではなく
それが果たす触媒としての作用が
その人にもたらす
道標を介した継続的効果にこそあるのだ。




筆跡は、残る。

それを読んだ人の心より、その読んだ人の歩みにこそ。

それを書いた人の歩みより、その書いた人の心にこそ。
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# by 201V1 | 2013-12-24 02:23
10周年・前夜祭

エキサイトブログβ版、
つまりは遡ること10年前、
日本のブログ文化黎明期に
この電子文壇にデビューした
古参ブロガーとして
エキブロへの恩返し宜しく
暫くの間
ブログを再開してみようと思う。

エキサイトブログとの出会いは
比喩でも誇張でもなく
小生のその後の人生を
決定付けた出来事だったと言える。

仕事のパートナーも
生涯の伴侶も
忘れえぬ友人も
このエキブロを通じて得たからだ。

アクティブなブロガーであった期間は
実質的には半年くらいしかない。

にもかかわらず、
それによって得たものは
それ以前と以後の全部を合わせても
釣り合いがとれるかどうかという
形容しがたい「何か」の凝縮だった。

当時の「ブログ」は、
文字通り「これから」始まる文字媒体で
無限の可能性を秘めていて
それまで自分との折り合いをなんとかつけながら
声にならない悲鳴をあげていた
我々にとっては
正に「憑代」みたいに遣われた。

恐らくはこの先、
当時のように
気力を尽くして一文字を書くことや
赤心を投じて文章を紡ぐ事や
泣きながら筆をとる事は
たとえ望んでも
叶えられないと思う。

自分を知りたいなら
まず自分を
知られなければならないなんて事は
それまでの道程のどこでも知る機会がない災難だったし
書き続けて思い知るその時までは、
それはいつも
予測できない不意打ち同然の気づきだった。

自分を知る以前の世界と
自分を知る以後の世界の間で
苦悩の内に振るわれる筆の切っ先には
書き手と読み手の文才の有無すらを問わず
その人の人生とそれ以外の人の人生に
関与を許すだけの力が宿る。

その意味で、
あの半年間は、
人生で2度と訪れることのない
奇跡の時間だった。

狭間で何故を叫んだあの頃から
10年を経た今
魔法の解けた手で握る筆には
自らの人生を変える力は残っておらず
ここから先は
自前の筆力で文を紡ぐしかない。

つまりは果たして、状況は最悪。

けれどもきっと
これはこれで、
10年後に控える息子との決戦の
模擬戦としては
なかなか意味のある戦いだと思う。



和魂×要塞 第三部 集中連載

[ 馬力×本願 ~ 老いたる馬は道を忘れず  ~ ]


今度は、神がかりなしでキーボードに向かう。
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# by 201V1 | 2013-12-23 09:55
やあやあ
この10年で変わったこと。

結婚して父になった。(息子7歳)
脱サラして独立した(年が明ければ起業5年目)

されど、性格も信条も変わらず。

世間の荒波は、
10代のころの方がシビアだったなあ。笑
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# by 201V1 | 2013-12-19 06:14 | @ぷち妄言集
なんか懐くかしくなったので
ちょっとの間、
全記事フルオープンしておきます。

ノスタルジックな年末年始を。

でわでわ。

・・・・
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皆様おひさしぶりですな。
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# by 201V1 | 2012-12-21 22:35 | ◎一行日記
お知らせ
FACEBOOKで実名にて活動しております。

でわでわ。
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# by 201V1 | 2012-04-15 05:11 | カテゴライズ前・生ログ
12年干支一回り
寝牛とLOVE ♪
勃つME ♪
馬執事!
サルトル犬イク!??

※NHK お義母さんと一緒より











ひゃっほー。

みゆき(中島)しか
iphoneに入っていない、和魂です。(みゆきのイメージ大ダウン)

ファイトォ!(俺たちのみゆき)








いやぁ、今年も末期ですね。(縁起でもねえ言いぐさ)



速いもんですナァ。



年月は。




12年前の今頃、
手前が何をしてたのか
思い返すも一興と
やおらプレイバックを試みる小生。


そういやぁ
この前の虎の暮れには
小生は、
まだ日本にいなかったデス。


記憶がすでにアヤフヤになってきているが
おそらく北インドあたりにいたように・・・思う。(葉っぱで記憶がバカになっ)


あの頃の小生は
全体
どんな20歳だったろう・・・・。



実際のところ
あんまし変わってねぇ気がするが
余所から見ると、どうなんだろうね。


錆びたかどうか、どうなんだろうね。

必死に砥いできたつもりだが、

一体ちゃんと、俺ぁ生きてこれたんだろうか。

大陸でコテンパンに負けて、

この国に逃げ帰ってきた、あの日から。
















当時の私から見た当時の私の印象。

当時の私から見た現在の私の印象。

現在の私から見た当時の私の印象。

現在の私から見た現在の私の印象。

当時の私に対し当時の他人が抱く印象。

当時の私に対し現在の他人が抱く印象。

現在の私に対し当時の他人が抱く印象。

現在の私に対し現在の他人が抱く印象。

当時の私が想像する、当時の私に当時の他人が抱くであろう印象。

当時の私が想像する、当時の私に現在の他人が抱くであろう印象。

当時の私が想像する、現在の私に当時の他人が抱くであろう印象。

当時の私が想像する、現在の私に現在の他人が抱くであろう印象。

現在の私が想像する、当時の私に当時の他人が抱くであろう印象。

現在の私が想像する、当時の私に現在の他人が抱くであろう印象。

現在の私が想像する、現在の私に当時の他人が抱くであろう印象。

現在の私が想像する、現在の私に現在の他人が抱くであろう印象。

当時の他人が感じる、当時の私が想像する、当時の私に当時の他人が抱くであろう印象。

当時の他人が感じる、当時の私が想像する、当時の私に現在の他人が抱くであろう印象。

当時の他人が感じる、当時の私が想像する、現在の私に当時の他人が抱くであろう印象。

当時の他人が感じる、当時の私が想像する、現在の私に現在の他人が抱くであろう印象。

当時の他人が感じる、現在の私が想像する、当時の私に当時の他人が抱くであろう印象。

当時の他人が感じる、現在の私が想像する、当時の私に現在の他人が抱くであろう印象。

当時の他人が感じる、現在の私が想像する、現在の私に当時の他人が抱くであろう印象。

当時の他人が感じる、現在の私が想像する、現在の私に現在の他人が抱くであろう印象。

現在の他人が感じる、当時の私が想像する、当時の私に当時の他人が抱くであろう印象。

現在の他人が感じる、当時の私が想像する、当時の私に現在の他人が抱くであろう印象。

現在の他人が感じる、当時の私が想像する、現在の私に当時の他人が抱くであろう印象。

現在の他人が感じる、当時の私が想像する、現在の私に現在の他人が抱くであろう印象。

現在の他人が感じる、現在の私が想像する、当時の私に当時の他人が抱くであろう印象。

現在の他人が感じる、現在の私が想像する、当時の私に現在の他人が抱くであろう印象。

現在の他人が感じる、現在の私が想像する、現在の私に当時の他人が抱くであろう印象。

現在の他人が感じる、現在の私が想像する、現在の私に現在の他人が抱くであろう印象。






秤にかけて比べるには、あまりに不確かな「私」たちの群れ。





他人と手前の期待に埋もれていく手前の実像と、

手前の力と世界と間にあるの埋められぬ溝と、

埋まることのない喪失感が呼ぶ虚無の声が

俺たちの演じる20代のステージとバックコーラスだった。





実際のところ、

思い出の悉くは

大抵において暗く切なく

反吐を催す敗北感で満載だ。



でもきっとそれは

30代でも40代でも

多分同じなのである。


その理由は本質的に世界がクソだからだが

感じ方が年を食らって変わるのは

人が理不尽な運命と手前の無力に対して

どんどん鈍感になっていくからである。

※反面、大衆の悉くが蜜の味(他人の不幸)には貪欲になる。




その意味で、

20代の苦悩を忘れぬ限りは、

俺たちは

10代最後の自分を

裏切ることなく生きていることになる。




12年前求めていたのは、

不確かな何かではなかった。

確かな何かだった。



それが愛なのか、

別の何かなのか、

やっぱり金なのか、

どっかの神なのか、

決めるのは俺たちで、

決めないのすら

俺たちによる。




12年かけて小生にわかったのは

このあたりまでである。




ここまででいいのだ。




俺に今、知れるのは。





この先は、あと12年かけて、また答えを探しに行こう。






俺が探しているのはなんだったのか。

思い出すのではなく、

確かめるために。





だってそうだろ、ベイビー。





俺たちには、確かめる自由だけはあるんだから。








いざ、次の12年へ。














それではみなさん、12年後に会いましょう!(スケールだけ大物
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# by 201V1 | 2010-12-09 00:24 | カテゴライズ前・生ログ