動静


キッカケは、小生の暴走であった。

現在、ヨコの会の掲示板における騒動のカタリストには、

和魂要塞における小生の「 宣戦布告文 」がある。




グラハトちんの「 脱退表明 」のキッカケを作ったのは小生である。

しかしながら、小生の暴走と「グラハトちんの脱退 」には、

直接的な因果関係はない。

両者は彼の言うように全くの別問題である。

小生の暴走は、キッカケに過ぎない。

なぜなら、ヨコの会が活発な活動を見せていた場合、

おそらくこういう事態には発展しなかったからである。



まず初めに、

グラハトちんは、ぶっちゃけ小生の「 身内 」である。

小生とグラハトちんの間には、結構な「 信頼 」がある。

にもかかわらず、彼は「 抜けるぜ、俺ぁ 」と言った。

この意味は非常に大きいと言える。



キッカケが和魂要塞の暴走(A)にあり、

原因がヨコの会の不活発(B)にあり、

グラハトちんが「 Bという背景があったうえでのA 」に「 憤慨 」して抜けた。



現状の把握には、

201V1とグラハトちんとヨコの会について、その相関を整理する必要がある。

でないとおそらく核心部分が見えてこない。

彼の「 考えろ 」とは、このことでもあるものと思われる。

小生は考えてみる。

大前提として、小生の不肖があるが、それは最後に改めて陳謝したい。



初めに、

キッカケとなったのは、小生の「 荒らし殺し 」の布告文である。

2ちゃんねるにおける「 愚行 」に対して小生が「 たわけ 」と激高した例のアレだ。

我ながら、あの記事は「 果てしなく兇悪 」であったと自認している。

埒のない小生は、それを全面的に「 よし 」と考えている。

おそらくこの点において、グラハトちんと小生は見解を異にする。



小生は、いわゆるモラリストではない。

御存知の通り、実際、保険金詐欺から何から、色々非道な仕業を過去にカマしている。

根が「 罪人 」なわけである。

当然、現在も滅茶苦茶な人間であり、

テロリズムを賞賛するなんていう一般には受け入れ難い思想を保持している。

ようするに、「 事情如何 」によって「 是非 」の物差しが変わる度し難い人間なわけで、

背景にある「 事情 」ひとつで、可否のリアクションが両極に振れる。

寛容にもなれば、残忍にもなる。

で、無茶である。

人生丸ごと火の玉だ。

顔や実名をたまにしか晒さないのは、

「 巻き込むのを勘弁しろ 」という家族の手前の苦肉である。

孤児だったらと何度思ったか知れん。

リアルでは何にも縛られずに生きているが、

電脳となると「 敵の息の根を相打ちで止められぬ現実 」が、小生の自由を縛っている。





よーするに「 事情 」を酌量できない「 蛮行 」に対しては、

現実・電脳を問わず小生はすこぶる残酷である。

スイッチの入った小生の見る世界には

拷問の末の公開処刑でも「 足らぬ 」と判じる悪漢が腐るほどいる。

小生は、酌量できない手合いに関しては、容赦がない。

文言で粉砕するなり、肉弾で体の一部をもぎ取るなり、トコトンまでいわす。

「 赦 」の如何が守るか殺すかを分けている。






「 赦 」の基準と、

「 どこまでの蹂躙 」を可とするかが、

彼と小生では違ったのである。




小生が「 皆殺しにする 」と決め、

荒らしの誅殺に褌を締めなおして乗り出した際、

彼は「 いい加減にしないと、俺ぁ怒るぜ。城代 」と書き込んでくれた。




彼にとって、

小生の「 仕様 」は、笑って済まし難いものだったのだ。




仮に、

そもそもヨコの会があろうと、なかろうと、なんだろうと、

彼はやはり小生に「 いい加減にしないと、怒りますよ 」と提言したろう。

そして、ヨコの会が活発な活動を見せていたならば、

彼は「 脱退 」を表明しなかったものと推察される。

つまりは、

「 ヨコの会をほったらかしにして、好き勝手に暴れる小生の勝手加減 」に

彼は憤慨し、「 抜ける 」というコメントを残したのである。

端的に言って、事の全部に小生の不肖がからんでいる。

道理は彼にある。

それゆえに、彼は、小生に「 考える機会 」をくれたのである。

これはいわば、身内から和魂要塞への苦言であるといえる。









その上で、

彼の起こした風に応える形で、

小生はここに「 ヨコの会 」についてハラの中にある悩みを打ち明けてみようと思う。







ぶっちゃけ、 「 ヨコの会 」は「 レジスタンス 」という性質上、

平時にはすこぶるヒマなコミニティだ。

真価を問われるのは「 のるかそるか 」のスクランブル時であり、

突き詰めると「 危機 」において「 働ければいい 」とさえ言える。

「 解放軍 」ではなく「 抵抗組織 」として位置づけられた「 ヨコの会 」に求められるのは、

「 能動的に問題提起する 」ことではなく、

「 危機に際して結束して事に当たる 」ことである。

今までいくつかのトラブルがあったが、

全員が血眼にならねばならぬような細胞の危機はまだない。

よーするに、我々はヒマである。






だったら「 活動しなくていい 」のか?

っていったら、そんなことはねえ。

やれるならやるべきだ。

しかしながら、この方法をまだ誰も見つけていないのである。

平時に行なう「 価値ある活動スタイル 」ってのが発見されていない。

外的の脅威のない抵抗組織の悲しさである。

結構な数の人間が、歯噛みをしつつ、雌伏している現実がある。

責任は多分に小生にあるものと思われる。

記事を書く時間はある。

余力もある。

しかしながら、価値のある「 活動 」ってなあ、難儀であり、

小生も暁分隊の企画立案部もこれで企画をひねれずにいる。





このコミニティは、おそらくどこまでアクセスが減ろうと、

危機に際しては皆が立ち上がり、

「 さて、いよいよ出番だぜ 」って気炎を上げれるものと小生は確信している。

各細胞の「 繋がり 」に関しては、

事実を見据える限り、いくつかのブログが既に「 橋渡しブログ 」として機能しており、

「 ヨコの会 」というブログが殊更その役目を負おうとする必要は絶無である。

ならどうするか?

小生は、いろいろ考えた。

ひとつ、自分の腹の中であっためている「 モノ 」があるが、

これを花火を打ち上げるのにはいくつかのジレンマがある。

グラハトちんが起こしてくれた風に乗せ、

この「 モノ 」の是非について、皆に意見を求めたい。

セキララに。




あっためている「 モノ 」ってなあ、

「 物議 」である。

エキブロ総合病院の「 煙草 」や「 飲酒 」に関する「 意識調査 」と同様、

ヨコの会において、人の「 是非の選択 」に関する「 意識調査 」を行なうという方向だ。

意思表明のトラバ祭りである。

これを行なうことで、いろんな啓発と新たな繋がりが生まれるはずだ。

盛り上がる確度はそれなりに高いが、問題点はいろいろある。

扱うテーマは当然、

人の心臓に出刃を突きつける危ういものや、個人の思想や信条に関わる問題になってくる。

政治色だって当然孕んでくる。

参加する参加しないで細胞の「 意気地 」が証明されてしまう。

書かれた意思表明にはその者の「 意気 」がでる。

準備ができてるものもできてないものもいるだろう。

それゆえの「 物議 」だ。




これは「 価値 」がおおいにある企画だが、いわずもがな、諸刃である。

腰の入った意思表明には、真剣であるほど、「 物議をかもす力 」が宿る。

デリケートな問題ばかりを回避することはできない。

いろんなことを覚悟しなきゃいけない。

それを覚悟しても、もうひとつ大きな問題が残る。





個人ブログである和魂要塞は、「 諸刃 」でいいと考える。

しかしながら、ヨコの会がそれでいいのかと、小生は思うのだ。

和魂要塞が、読み手に出刃を突きつけるのはいい。

その出刃に応えるか応えないかはどこまでも個人の「 勝手 」だからだ。

しかしながら、ヨコの会が「 問い 」によって細胞に出刃をつきつけたなら、

そこには確実に観念的な「 強制力 」がともなう。

本部からの「 問い 」に応えるか沈黙するかという選択によって、

細胞の意気地が試されるって馬鹿が起きるのだ。

瑣末なことに聞こえるかもしれないが、これはカナリでかい問題である。

このことに、小生は非常な抵抗を覚える。







「 死刑制度 」

「 教育制度 」

「 裁判制度 」

「 結婚制度 」

およそ「 制度 」と名の付くすべてのものを、この企画は細胞に問うことができる。



「 テロリズム 」

「 ファンダメンタリズム 」

「 シオニズム 」

政治や宗教についても、それぞれの姿勢を問うことができるだろう。




「 男尊女卑 」

「 婚外恋愛 」

我々に肉薄している問題にも触れざるを得なくなる。





どれもね、物議をかもす難題ばかりだ。

この中のいくつかは、既に和魂要塞が意思表明を様々なカタチで行なっている。

結構な波風が立った。





掲げられる問いは、どれも人の精神に関わる。




グラハトちんの、「 活動はどうなったんですか? 」ってなあ、もっともな道理だ。

しかしながら、今しばらく時間が欲しい。

おそらく、ヨコの会の性質上、容易には平時にとるべきベクトルは見つからない。

小生の中にある企画は諸刃だ。

出される「 お題 」が出刃なので、参加する敷居も低いとは言えない。




結構マジで悩んでいる。

2回目の御題を出した直後からだ。



だがね、俺ぁ思うぜ。

運営サイドが知恵を絞ろうが絞るまいが、

あの檄文を読んで集まった人間は、

だれかが本当の危機にあるときに、決して見過ごしたりはしねえぜ。

皆そのために集まったんだからな。





価値ある、平時の活動は可能だ。

だがね、ディープな「 物議 」をカマす以上は、

「 議論 」を行なう核となる最低4~5名のメンバーが必要だ。

「 作家陣 」の有無が、平時のヨコの会の活動の、加熱と冷却を別けることになる。

名乗りを上げた人間は、

セメントで自身の意思を毎度毎度表明しなきゃならないハメになる。





企画を考えた人間は、結構皆、俺と似たようなことを考え付いたと思うぜ。

そしてそれに必要な人材と、負わなきゃいけないリスクもね。



本来、有事に「 動くこと 」を目的につくられたブログが、

平時に意義のある活動を行なうのは、極めて難しい。

軍隊みたいなもんだ。

盛り上げるには、なにがしかの「 内戦 」が必要になってくる。




ジレンマは多いが、

君のくれた風を、使いたいと思う。



ヨコの会の、平時のベクトル。

各細胞の意見が欲しい。

平時に内戦によって活気を呼び、傷を負いながらも絆を強めるか。

それとも、有事に備え、雌伏するのか。

もしくは、内戦に変わる価値のある企画があるか。



意見を頂ければと思う。



最後に、小生の不徳の招いた今回の「 風 」について、ここで改めて謝罪をしたい。

本来ならば、もっと早くに腹のうちを皆に問うべきであった。

恥じ入るばかりである。





第1小隊・和魂要塞・レッドバルタン
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by 201V1 | 2004-09-17 01:27 | カテゴライズ前・生ログ
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