匿名性


最終的な論点はここにある。

HNすら定からぬ電脳の完全匿名の対極には、

個人情報の尽くを開放した完全な情報開示が行なわれたリアルの地平がある。

リアル・電脳を問わず、我々が位置しているのはこの両極の間のどこかである。





ぶっちゃけた話、リアル・電脳を問わず、完全な情報開示なんて地平はない。

会社の同僚や顧客、

道で擦れ違った見知らぬ人間、

悪戯電話、

袖触れ合う全ての人間に、自身の情報を駄々漏れにする如何なる人間も、

この地上に存在したことはかつてない。




不特定多数の人間へ、自己の生殺与奪権を無条件に委任し続けるなんて真似をすれば、

余程の幸運にでも巡り合わない限り、1年も経たないうちに人は絶命する。

これを踏まえて、匿名性について考察を行なわなければ、

大事な部分は見えてこない。





和魂要塞は、たまに管理人が姿を「 現して 」いる。

実際、殆どの常連は小生の顔を見知っている。

実名も記事上で何度か明かしている。

リアルで親交のある友人の殆どがこのサイトに出入りし、

恋人から親兄弟までがここの記事を全部読んでいる。

ノーガードである。

ようするに、当該ブログは思い切り小生の実生活に抵触しているワケで、

リアルとの接点という意味では、匿名性は殆ど絶無といっていい。

この点では実名を晒そうが何をしようが殆ど関係ないわけである。

にもかかわらず、HNにおいて活動する理由は、

ひとえにここが「 反撃手段のない電脳 」であるからだ。





リアル世界では、原則的に「 敵が見えない 」なんて事はない。

ぶち破らなければならない広義の脅威は、大抵見えるところにいる。

権力や立場で守られているかもしれないが、

実際問題「 捨て身 」で反撃に出て息の根を止められぬ相手は殆どいない。

少なくとも、捨て身でぶち当たれば確実に相手を手痛い目に合わせることができる。

この「 反撃 」が、脅威の行なう暴虐への抑止力となり、社会は機能している。

脅威に関して有利に働く「 情報の封鎖 」によって、我々は自己を常に優位におき、

事前の「 情報の非公開 」と「 法による罰 」によって、

社会に潜伏している悪意あるものたちの動きを抑止している。



これがリアルであり、

我々はリアルにおいても個人情報を容易に世間に明かしたりはしない。

社会に脅威となる悪意ある者達が潜んでいることを知悉しているからだ。




電脳世界がリアルと決定的に異なるのは、

ひとたび脅威となった悪意ある者たちに対する、有効な反撃手段がない点だ。

彼らの活動を抑えるリアルにおける「 反撃 」のような実行力も「 法 」も、

電脳世界にはない。

「 カオのない連中 」の跳梁を抑止する如何なる要素もないわけだ。

そして、リアルと異なり、反撃の抑止力から解き放たれた「 カオのない連中 」は、

水を得た魚のように、なんのリスクに怯えることもなく嬉々として蛮行に及ぶ。

したがって、当然、リアルのそれより、我々の行なう情報開示のリスクは遥かに高くなる。






端的に言うと、WEB上の匿名性に関してセメントで考察するならば、

「 社会には常に悪意が潜伏している 」という点と、

「 電脳には抑止力が働いていない 」という2点を踏まえた上で、

「 匿名性の強弱とは情報開示の程度である 」という事実に焦点を当てねば成らない。





「 私に匿名性はカケラもないだろうか? 」





社会に「 脅威 」がなければ、我々は全ての情報を開示できる。

うちの玄関の鍵は植木鉢の下です。

僕の郵貯の暗証番号は○○○○です。

平和な田舎ではドアを全開にして暮らすことも可能だが、

ブロンクスを水着で歩けば暴漢が襲ってくる。

残念ながら社会には「 悪意 」ってやつが潜伏している。




つまりである。

匿名性って奴は、それが用いられる目的と手段によって、性質を変化させるわけだ。

防御の為の匿名と、加害の為の匿名を、一緒くたに論ずることはできない。

これを同列に論じようとすれば、

人は口座番号をWEB上に垂れ流すか、

全ての匿名の行為について全肯定を迫られる。

そうなりゃ世界は汚泥と腐臭に多い尽くされるか、悪漢どもに蹂躙されるかどっちかだ。




リアルだろうと、電脳だろうと、

我々は常に「 どこまで情報を開示するか 」って選択を行なっている。

その線引きを決めるのは書き手の「 スタンス 」と読む手への「 信頼 」である。

秘密主義の人間もいるし、開けっぴろげな人間もいる。

裏切りを恐れる人間と、裏切られる事もいとわず人を信じる人間がいる。

心の鍵を委ねるに足る人間に、出会えるものと出会えないものがいる。

「 防御のための匿名 」とは、つまるところはそういうことだ。

不特定多数の人間に無条件に発信する情報の中に、

「 悪意ある者たち 」を優位にする如何なる情報も含める理由は微塵もない。

公人ですら、悪戯に住所を明かさないようにね。





で、問題は「 加害の為の匿名 」ってやつになってくる。

「 名指しの誹謗中傷 」ってのを、共有の板で「 娯楽の一環 」としてやる連中がいる。

HNすら明かさずに。

彼らが、「 水を得た魚 」であることは万人が認めるところだろう。

リアルと異なり、カオの見えない電脳では、

反撃もされないしリスクも負わずに「 誹謗中傷 」ができる。

連中がやってることってなあ、本質的には幼児の陰湿なイジメに近い。

大人の世界でもあるがね。

ロッカーの制服にハサミを入れたり、

誰か特定できないようにしていろいろ卑劣な真似をやるわけさ。

安全圏からね。

下卑た笑みを浮かばせながら。

小生の中では、一貫して連中はダニ以下の生き物である。




「 匿名性 」ってなあ、何の為に使われるかで、大きく変容する。

全部をいっしょくたに語るもんじゃない。

こういう手合いに自分が大事にしてるものが陵辱された時、

これに対して「 どう出るか 」ってなあ

リアル・電脳を問わず個人の裁量が決める。

こりゃあもう、生き方だ。





小生は、リアルと変わらぬ対応を電脳でもとる。

なされるべきことをやるだけだ。

やるたびに、巻き添えを忌避する知り人を失うことになる。

そんなもんは、15歳の時から何度も体験している。

で、それでも「 傍にいてやるよ 」ってんで残ってるのがZILであり珍念だ。

連中は小生の「 ダチ 」であった為に結構甚大な被害にあっている。

小生の交わしてきた水盃ってなあ、毎度血桜が混じっている。

因果な生き方だが、変えるつもりは毛頭ない。

友人ってなあ、気兼ねするためにいるもんじゃねえ。

人生を豊かにする為に、脅威に出会うたび、血と汗を流しながら互いの畑を助けあうのだ。

なされるべきことをわかっててしない人生なんざ、小生は御免こうむる。








「 荒らし 」に対して、真っ向から「 下賎共が 」ってレスする人間は少ない。

荒らしや晒しが一過性の「 下郎の遊び 」と皆理解しているからだ。

極短期間、無視してコメントの削除を行なえば大概はそれで済む。

そんなこたぁ、小生もよくよく分かっている。

しかしながら、小生はこの嘲弄に黙してやりすごすのを選ばなかった。

選べるわけがねえだろう。

ここはセメントの砦である。





和魂要塞がキッカケで、ブログを始めた人がいる。

えっらい深く関わってきた人々がリピーターにいる。

絶大な支持者が沢山いる。

1人でも捻じ曲げれねえ意地の上に、いろんな人間の想いが乗っかってる要塞である。

ここで退ける道理はない。

下郎に媚を売るほど根性は腐っていない。

ここを娯楽目的で嘲った卑劣漢を無傷で返すつもりもない。

帳尻は、合わす。




「 ブログを荒らされたくない 」ってなあ、

万人共通の意識だろう。

自分の家屋敷にラクガキされて喜ぶ馬鹿はなかなかいない。

いちいち消すのもメンドクサイこと至極だろう。

被害を拡大しない為にゃあ、黙秘が最良の手段に決まってる。

それでいいのって話である。

俺は断固、塩を撒く。

ナメクジをいわす。






情報封鎖による匿名性ってなあ、

社会に潜む悪意の封じ込めに使われる時、意義を持つ。

悪意がそれを愉悦の為に用いる時、弾劾すべき性質へと変じる。

ここんとこを呑んでおかねば、悪漢の跳梁に対しての抵抗力を世界は失う。





情報の開示をギリギリのところまで拡大するか、

それとも限りなくプライベートには触れないか。

個人情報を晒さずとも、自分のブログへの思い入れが強ければ、

それだけリスクは上がっちまう。

植木鉢の下の鍵の存在をWEB上で垂れ流さない「 匿名 」と、

「 匿名 」を利して愉悦の為に他者を嘲弄する悪意とでは、

その性質は全く異なる。

ごった煮で論じていい種類の差異ではない。



同じだと思うかね?



同じだと論じるならば、我々は悪意への抵抗を放棄しなきゃならなくなる。

2つの匿名を同列に語れば、

下郎の存在を全面的に認めるか、下郎に蹂躙される世界を傍観するしかない。

小生は、どっちも願い下げる。





荒らしってなあ、愚にも付かないくだらん手合いである。

「 そんなサモシイ連中放っておきなよ 」って意見は至極正論である。

しかしながら、見過ごすには悪辣を極める。

連中は微々たる巨悪である。

悪意ってなあ、元来矮小でとるにたらないものだ。

野放しにしておくには腐臭が強すぎるだけである。




「 弾劾しない 」って選択は、

匿名性の両極を「 別物 」と捉え、

もっと荒らされる事を厭わぬ人間にとっちゃ、ちょいと難しい。



笑って済ますにゃ、小生は如何せんまだ若い。

そんなもんは、爺になってからでいいんである。
[PR]
by 201V1 | 2004-09-17 14:50 | カテゴライズ前・生ログ
<< 和魂健在・馬鹿健在 動静 >>