他者の自己像
「他人から見た自分」

久方ぶりに「 寝つきが悪い夜 」ってのがやってきたので、

情婦のりりこに無断でトラバってみる。



お題は自己像。

自己像ってのにも色々あり、

心理学を少しかじると

1)自己の中の自己像

2)他人の中の自己像

3)自己が想像する他者の中の自己像

4)他者が想像する自己の中の自己像

5)自己が想像する他者が想像しているであろう自己の中の自己像。

と、なんというかまぁ、認識ってなあ、如何に七面倒くさいモノかと痛感する。



端的に言うと、認識・概念ってなあ、土台面倒なもんであり、

つきつめてくとキリがねえとすら言える。



人間が「 概念 」について、

互いに「 あーだこーだ論じ合う 」場合、

議論自体は「 概念の底なし沼 」での素潜りが強い奴に軍配が上がるが、

そんな泥試合に勝ったところで、ハラぼての妻は何も生まぬ。

なぜって概念てやつでは一向に腹が膨らまないからだ。

現実世界では、ドロ沼の素潜りに強い奴の理屈は、イマイチ役に立たん。

泥沼ってなあ深ければ深いほど「 論理的には正しい 」が、

これに反比例して現実世界への汎用性はどんどん低下していく。

ようするに、無駄である。

しかしながら、ドロ沼の底で拾ってきた真理は、ちょこっとだけ役に立つ。

真理を掴んだ人間てな、生き方の姿勢に芯が出てくるのである。




自己像もまたしかりであり、

セメントで概念ドロ沼をダイブして帰ってくると、

1)も2)も3)も4)も5)も、どれがどう違おうがどうでもいいことに人は気づく。

どれも根拠なんざねえからだ。




1)ってなあ当然、身贔屓やら自嘲やらで歪む。

2)は評価する人間の眼力と脳味噌の程度でコロコロ変わる。

3)は、上に加えて手前の相手への評価が結果を左右する。

4)は、相手が手前にもってる印象次第だろう。

5)に至っては、最早どうにでも転ぶいい加減な「 像 」である。




ようするに、どれも怪しい。





ぶっちゃけた話、

俺ぁこれまで生きてきて、

常に悪名を、たまに勇名を、周囲に轟かせて来たが、

10代の中頃には既に、

「 他者評価 」なんぞ、「 どうでもいい境地 」に逝ってしまっている。

あまりにも世間の風評がバラバラなので、

どれもどうでもよくなってしまったんである。

人物評ほど、見る者の立場と魂魄によって千変万化の豹変を見せるものはない。







ちょいと実例を挙げてみよう。







「 201V1はいい男かどうか 」

異性としての話である。

ぶっちゃけた話、

俺ぁ26年生きてきて、まぁなんというか、終始もてていた。(馬鹿

年上・同級・年下と、常にどっかから熱烈なラブコールがあった気がするが、

その一方では平行して「 不可触民扱い 」や「 卑劣漢呼ばわり 」もされている。

ようするに、一方ではアイドルであり、一方ではゴキブリだったワケだ。

モテモテ大臣の慢心も、逆風の辛さも、身に染みて知っている。

ちなみに、どっちのセクトに対しても、

俺がとっていた姿勢は終始一貫して、

「 気のみ気のまま殴りこみ 」である。

にもかかわらず、

一方ではアイドルであり、一方ではゴキブリであった。

黄色い声援と罵詈雑言がBGMである。(どんな人生ですか





しかも、この集団の間には互いに「 移動 」まであるわけで、

誰も手前の中のイメージなんぞにカケラも責任など持っちゃいねえ。

「 印象 」なんざ、一夜にして転がる。

人間てな、実にいい加減な生き物である。

そのくせ一端根が張った「 悪印象 」ってなあ、

場合によっちゃあ、どう転んでも覆らなかったりする。

こうなると、最早なにが真実でなにが思い込みかなんぞワケがわからねえ話になる。

馬鹿くせえ話だぜ。




とゆーわけで、

俺ぁ、自分の中の「 自己像 」と、他のよくわからねえ「 自己像 」が

どれほどズレようと「 どうでもいい 」と考えている。

他人の顔色なんざ、宇宙の果てよりどうだっていい。

アウト・オブ・眼中である。

俺ぁ、誰が何を喚こうが、終始勝手にやらせてもらう。( 社会性の放棄



問題なのは、

他人の「 予測 」を「 こっちが読めるかどうか 」である。

基本的に「 相手がどう俺を評価しようが全くしらねえ感知しねえ和魂 」が、

今日まで鬼だらけのクソ世間を、

どうにか生きながらえてこれたワケは、ここにある。





他人の中の自己像なんざハナから知ったことではないが、

相手が「 この次に和魂がどうすると予測しているか 」を読むってなあ重要なトコである。

これが読めない・見込みが立てられないなんてコトになると、人生は面倒である。

で、「 この次に俺がこうしたら連中はどう反応するか 」ってのを読めないと、

これまた人生が滅茶苦茶になる。

不測の事態にパニくってる手合いってなぁ、

大概ここらへんの「 読み 」がグデングデンに甘い。(相変わらず偉そうな和魂

甘ちゃんである。




人の顔色を窺っても、何一つとしてイイコトなんざ起きやしねえ。

人間てなあ、それほどカンタンにゃできてねえ。

奴隷の根性で浮世が上手く渡れるならば、

世界のカタチは今とは全然違うものになる。




相手の顔色を真っ青にしたくて、

自分で出刃を抜いたはいいけれど、

予測と違った反応が巻き起こって潰れれば、

そいつはただの身の程知らずのボケで終わる。





大事なのは、「 読み 」である。

最悪の展開を読みきってハラをくくれれば、大概のピンチは粉砕できる。

俺ぁ楽天家に見えて、その実性根が相当暗いので、

頭の中には常に最悪の展開をブチ込んである。

実際人生は挫折と徒労のデパートであり、

この程度の覚悟がなければ、俺ぁ一夜にしてハゲるに相違ない。

生き残るには「 読み 」がいる。




人生にゃあ、「 読み 」が必要なのだ。




で、こーゆーことぉ書くとだな。

「 恋人や友人にも<読み>を使って接してるの? 」なんてゆう、

タワケた質問が来るわけだ。

来るわけだよ諸君!




馬鹿を言え。

そんな面倒臭いことがイチイチできるわけがねえだろう。



和魂は知己には無防備である。

彼らが知己と呼ばれるのは、

俺がどういう時にどんな気持ちでどうするか、弁えていやがるからである。

そこには読みもクソも遠慮斟酌も微塵もいらない。



俺ぁただ、毎度全力で生きりゃいいんである。

それが友という奴だ。




そういえば、17年来の友人の珍念が、生意気にもブログを始めた模様である。

面倒なのでアドレスは張らないが、

「 無法半島Ⅱ 」とかいう、しょうがねえブログらしい。

見かけたら読んでやってくだされ。



えー、業務連絡。

2チャンネルの性根が腐った下郎の皆さん、

コイツは俺のリアル身内です。

暇な方は荒らしに行ってください。

コメント欄が賑やかになったら奴はきっと喜びます。




というわけで、首尾よく珍念も「 巻き込めた 」ので、

そろそろ筆を置くことにする。

目的は達した。



ようは「 読み 」である。

流れが読めれば世界に怖いもんなんぞない。

他人の顔色なんざ、俺ぁ徹頭徹尾、蹴たぐりカマしてクソ喰らえである。



※ 段々本性が駄々漏れになってきた和魂要塞。我ながら潔くて好きである。
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by 201V1 | 2004-10-02 01:39 | カテゴライズ前・生ログ
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