もっと光を



えらい人の最後の言葉である。

昔買った「遺言大全」に載っていた言葉である。

誰が言ったかは覚えちゃいねえが、フレーズだけは覚えている。

業の深え脳味噌である。



まぁなんとゆーか、

人間て奴ぁ、五穀や菜っ葉や畜肉だけ食べて生きているわけではない。

霞だけ食って生きていられるのは隠遁腐れた仙人だけであり、

俺達ぁ、ちゃんと浮世で生きている。

浮世には、幸福に暮らすにゃ光がいる。



今回のお話は、「 光 」である。

「 灯火 」といってもいい。

俺達生身の人間は、灯りなしでは生きられない。



なんつーか、

何を「灯り」にするかは

それぞれの勝手である。

宗教やイデオロギーでもいいだろう。

それが代用品てのがわかってりゃあ、それぞれの好きにすりゃあいい。

けれどもモノホンの「灯り」ってなあ、

宗教でもイデオロギーでもなく、人間である。





友人に、何を求めるかね?

恋人に、何を求めるかね?

家族に、何を求めるかね?

兄弟に、何を求めるかね?

両親に、何を求めるかね?

全体、何が欲しいのかね?




人間てな、面白い。

傍にいるだけで、エネルギーをくれる人間と、エネルギーを奪う人間がいる。

俺達の周りには、傍にいるだけで、ただ傍にいるだけで、

生きる活力をくれる人間と、

生きる活力を奪う人間がいる。



片方には、無条件でエネルギーをくれる人間がいて、

片方には、無条件でエネルギーを奪う人間がいる。



それぞれが、無条件で与え、無条件で奪うのに、カッコたる理屈なんて実はない。

俺達は、肥大した脳味噌で、

「 何故、彼が与えてくれるのか?」

「 何故、彼が奪っていくのか? 」と、

いろいろ理屈を考えるけど、

実は難しい理由などないのだ。



彼らはただ、自身のエネルギーを維持するために、

人に力を与え、

人から力を奪うのである。




人は、与えることでも、奪うことでも、自分のエネルギーを増やす事ができる。

どちらを選ぶかを、それぞれの魂が決するだけである。





俺達の周りには、2種類の人間がいる。

力と愛を、与えてくれる人々と、

力と愛を、奪っていく人々だ。




一目でわかる。明確な違いだ。

傍にいるだけで、片方は力をくれ、片方は力を奪う。





にもかかわらず、

俺達はどういうわけか、

生きる力を奪っていく人々に、

関わり続けようとする時がある。



関われば関わるだけ、力を奪われ、自分の命が尽きていくのに、

残り時間と活力が削られていくのに、

なおも関わり続けようとする。



生きる力を奪う人が、

生きる力をくれる人に変わるんじゃないかって幻想を抱きながら。

かなわぬ夢を、欲しかったものを、追いかける。




奪う人は、ずっと奪う人のままなのに。




人は決して変わらない。

与える人が奪う人に変わることはあっても、その逆はない。

貴方から力を奪う人は、

貴方以外の人に力を与えることはあっても、

貴方に力を与えることはない。

だからこそ、貴方に力を与えてくれる人は、

他の何よりも尊いのだ。





「 幸せ 」ってのが、

生きる活力と愛に満ちた暮らしならば、

俺達が、

僕達が求めるべきものは、

俺達に、

僕達に、

生きる活力と愛を、

無条件で与えてくれる「 人間 」である。





俺達の肥大化した脳味噌は、

物事を、

時代を重ねるごとに複雑にしていく。

そうやってどんどん本質から遠ざかる。

答えはずっと単純で、足し算と、引き算なのに。




与えてくれる人を「 足し 」、

奪う人を「 引く 」。

これだけで、人生はずっと幸せな方向に進んでいく。




俺ぁ昔、

ずっとずっと昔のことだが、

この足し算と引き算を、肥大化した脳味噌の隅に追いやって、

わけのわからねえ「 でっちあげた方程式 」で、

幸せと不幸に挑んだことがある。

ズタボロになるだけだぜ。

生還出来ても、得られるものは、「 タフ 」の一言だけだ。

でけえ傷の下にある、「 タフ 」って一言だけだったぜ。

ベイビー。




もっと人生てな、カンタンだった。

力をくれる人を大切にし、

力を奪う人から離れるだけで、

人はどんどん、生きる活力に満たされていく。

面妖な話しだが、

人生にゃ面倒な方程式なんぞいらねえ。

ただ、

力をくれる人を大切にし、

力を奪う人を遠ざけるだけで、

ずっと世界は光に満ちる。




友人にせよ、

恋人にせよ、

家族にせよ、

兄弟にせよ、

両親にせよ、



彼らが大切なのは、「 力をくれるから 」です。




友人や恋人や家族や兄弟や両親は、

僕らのセコンドでありトレーナーであるけれど、

何にでも、良し悪しってのがある。

「 力をくれるセコンド 」と「 力を奪うセコンド 」がいる。



今、貴方が傍らにおいているセコンドは、「 力をくれるセコンド 」ですか?

違うなら、それは貴方の勝利を阻む、獅子身中の虫です。

ファイターの身体を内部から食い荒らし、

2度とマットから立ち上がれないようにするために、

味方のフリをしながら、貴方を敗北させようとする、見まごうことのない、敵です。




僕たちに必要なのは、

「 力をくれるセコンド 」です。




もしも今、貴方のコーナーにいるセコンドが、「 力を奪うもの 」ならば、

貴方がそれを「 認める必要 」はありません。

解任し、

新たなパートナーを探せばいい。

その「 力を奪うもの 」の肩書きが、

友人であれ、

恋人であれ、

家族であれ、

兄弟であれ、

両親であれ、

貴方は解任することが出来る。

「 君は私に力を与えてくれる、勝利へ導くセコンドではない 」という一言で。






足し算と引き算さえできれば、

人生はずっと上手くいく。

与えてくれる者を傍に。

奪っていく人々を遠ざける。





他者の理解どうこうなんてのは、

肥大化した脳味噌が強引に作り上げた「 方程式 」です。

その方程式は、全ての人が、全ての人に使えるような代物ではありません。

両者の間に信頼なくして、他者理解なんてもはありえない。

信頼関係のない土壌での「 他者理解 」なんてのは、

心理学者のでっちあげた欺瞞です。

人間てな、そんなに都合よくできちゃいない。





人の人生の明るさは、

どれだけ多くの与えてくれる人に出会い、

どれだけ奪う人と交わる時間を削れるかで決まる。




僕たちは選択している。

与える人と、奪う人と交わる時間を。




俺ぁ、俺からエネルギーを奪うことでエネルギーを得ようとする手合いに、

一秒たりとも時間をさく気はない。

だから、親族だろうがなんだろうが、奪う奴らは切っていく。

傍にいて欲しいのは、「 力をくれるセコンド 」だからだ。

俺の勝ちたい喧嘩にゃ、そういう本物のセコンドが必要だ。




貴方のセコンドに、

友人に、

恋人に、

家族に、

兄弟に、

両親に、

貴方からエネルギーを奪うことでエネルギーを得、維持しようとする人々がいますか?

いるのならば、

彼らはあなたの勝利を阻む者です。





足し算と引き算だけでいい。




貴方がエネルギーを奪われているのは、貴方の所為ではなく、

彼らがそうすることで自身のエネルギーを確保しようとしているからです。

そこに道理の通る理屈なんてないんだぜ。

彼らはただ、自分のエネルギーの確保のために、貴方から活力を奪っている。





足し算と、

引き算でいい。




傍に与えてくれる人々を置き、彼らにも自身の愛を注ぐ。

奪う人々を遠ざけ、縁を切る。



これだけで、

人生はずっとずっと、

明るくなる。



光を。

貴方の人生に。




もっと光を。
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by 201V1 | 2004-10-05 05:47 | カテゴライズ前・生ログ
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