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俺が主にゃ不足も不足


上は戦国末期の武士、渡辺勘兵衛の有名な台詞です。

彼は「 俺の主にゃ不足も不足 」というノリで、

何度も主人を変えました。





とゆーわけで、本日のお話は、「 奉公 」についてです。




えー現在、40人に1人は「 社長 」という時代であり、

時代は正に群雄割拠。

戦国です。





不況不況とはいいつつも、

花の大都会・東京の求人広告は百花繚乱。

35歳くらいまでなら職は溢れまくっています。





よーするに、仕事はある。

度胸と根性さえあれば、人は生きていける。




しかしながら、である。

己が一生をかけて、仕えるに足る企業ってな、全体どのくらいあるのだろうか?




答えはいうまでもなく、あんましないのであって、

仕方なしに「 奉公人 」は「 自身の成長の為の場 」として職場を捉えることになる。

「 いつか独立してやるぜ 」とか「 いつか脱出してやるぜ 」とか考えながらである。

おそらくこれが最も健康上・人生設計上ベストなんであろう。




上手な人はそうやって自身を職場で磨き、

次のステップへ登っていく。

ヘッドハンティングやら転職やら独立で。




で、問題なのは、自分はどんな人間であろうか?であるが、

軽輩も、たまーに、セメントでこゆーことを考える。

「 勤め人 」として歩む場合の「 自分 」を、である。




まがりなりにも第一線の社畜としての明け暮れを知っている軽輩は、

自身が「 企業人 」としてどのような心情的形態で奉公するのが

最も心理的に「 腑に落ちる 」のか、身に染みて理解している。



和魂要塞・城代・鰐口某は、「 ご恩と奉公 」のスタンスで、働いていた。

己が「 働き 」によって「 手合て 」と頂戴するという発想である。

まぁここまではいい。

割とフツーである。

しかしながら、父方・母方の双方が生粋の「 軍人 」である軽輩には、

どうしても「 組織 」を「 軍 」として捉える傾向があるようで、

結論的には「 偉きゃ黒でも白くなる。突撃! 」という埒外なことになるんである。

口癖は「 了解しました!突破口を私の心血を持って開いて見せます 」である。

阿呆である。




要するに、直属の上司の命とあらば、俺ぁ火の中水の中、どこにでも飛び込む。

それが歩兵の本懐であり、俺ぁ歩兵である。(馬鹿



とゆーわけで、

自身が心理的に最も「 腑に落ちるスタイル 」で「 企業人 」をやると、

俺ぁ間違いなく「 家庭を顧みぬ社畜 」と化し、

半ば奴隷と化し、

半病人のごたる幽鬼のようなツラで、へろへろになりながらも会社に金を持って帰るという、

「 栄光なき働き蜂 」と相成り、

なんというか、大変不幸になる。




なんとゆーか、「 手柄 」がちゃんと「 反映される組織 」ならば甲斐もあろうが、

実際問題として軽輩が「 強い 」のは悪運であって、

デフォルトの「 運 」は押しなべて低い。

そーゆー次第なので、まったくもって「 殿 」には恵まれたことがなかった。




ぶっちゃけ、コレまで仕えたどの「 殿 」も総じて「 馬鹿殿 」であり、

馬鹿の上に無能でありオマケに鈍という「 鬼の三拍子 」をそろえるパーチクリンばかりで、

間違っても「 この人とともに死んでもいい 」なんていう一級の人物とは

出会えたことがない。

直属の上司に1人だけ「 しょうがないから一肌ぬいだるわい 」というオッサンがいたが、

なんとゆーか心情的にそうなったのではなく、

人情でそうなってしまっていた感が極めて強く、

ため息フルスロットルである。





以外に思われるかもしれないが、

軽輩自身は、ぶっちゃけた話、

「 人の片腕 」としての人生が、己の本道なのだろうなあと考えている。

人のために必死になるタイプの人間だからである。

自分自身のことよりも、はるかに「 他人事 」のほうが燃えるという、

冷静に考えるとろくでもない気性を有しているからだ。







「 俺ぁ本当は、お前のような男に仕えたかったのだ 」






生涯のなかで、いつかこんな台詞が頭に浮かぶ時がくるのだろうなと、

ふと思う。



俺ぁ出会えなかった。

「 この人の手足に 」って思えるだけの主人に。

「 この人の描く世界を見てみたい 」って思えるだけの主人に。

「 この人のために命を尽くしたい 」と思える主人に。



とゆーわけで、俺lぁ主なしの牢人である。






「 何故漫画を? 」





理由は多々ある。

それぞれがにわかには引っぺがしがたい粘着性の一念であり、

最早どうにもならんところまでこんがらがっている。

しかしながら、

なぜ「 牢人に? 」と問われれば、答えは明確であろう。




「 若い頃に出会えなかったからだぜ。 」






俺ぁ、出会えなかった。

主人に。






槍の勘兵衛と謳われた、渡辺勘兵衛の気持ちを想い、空を仰ぐ。

俺ぁあんたのような剛の者じゃあないけれど、

あんたの妙な寂しさは、ちょいとわかるぜ。



俺もあんたも、主人が欲しかった。

命懸けで仕えるに足る主人が。

そうやって命を尽くしてみたかった。



なんとゆーか、

人生ってなあ、わからないもんである。

本道をぶっつぶされて、やむなく選んだわき道に、天命が転がってるって事もあるだろう。



俺達ゃあ、いつの時代にも生き方をおいそれとは選べない。

選べるのはいつも、横たわってる行く手に望む気概だけである。



主を見つけられなかった人間は、

己を己の主人として命を尽くすに足る人間に育てなくちゃならねえ。

でなければ、生涯の一切は灰燼と化しちまう。






手前の中の、主人たる自分を自ら磨くってなあ、いかにも難儀だが、

出会えなかった人間にゃあ、他に選択の余地なんかありゃしねえ。




主人を持たぬ生を選んだならば、己が己の主人とならねばならぬ。

そうやって、手前の命を尽くすしかない。



面倒くさいこと至極だが、

殆どの人間が、そうやって必死に生きるんである。



























楽しきかな、人生。




快なるかな、生涯。




今夜、全ての牢人に、幸のあらんことを願い、筆を置く。




己の中の主人に従い生き抜けることを、この国の全ての浪士に。
by 201V1 | 2004-11-04 23:05 | カテゴライズ前・生ログ
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