軍人の家

 我が家は、軍人の家系であった。

 まぁ厳密に言うと「 家系 」ってほどでもねえ。

 単純に両方の爺が、「 プロの戦争屋 」だっただけである。

 


 父方の爺さんは、先の侵略十五年戦争に丸10年参加した。

 たたき上げの歩兵であり、

 終戦時には大尉だった。

 師団が丸ごと全滅したときも強引に生還し、自身の率いる中隊を救った。

 部下を決して無駄死にさせない、立派な男であったことが戦記からわかる。

 細身ではったけれど、歳をとっても筋肉はビキビキ。酒豪であった。

 戦前、剣道で関東八傑までいった凄みをお骨になったときも見せてくれた。

 餓鬼の頃、火葬場で見た爺の頭蓋骨は、まんまドクロであった。

 親父が箸で爺のドクロをサクサク割っていたのが、ちょいと悲しかった。

 ちなみに俺ぁ本来はこの爺に剣道を教わる予定だったんだが、

 爺がマッハで死んだため、柔道に転向した次第である。
 

 死ぬまでに、たった一度だけ、爺が怒った姿を、父は見たという。

 父が餓鬼の頃、婆の作った生カレーを「 まずい 」といったとき、

 その時タダ一度だけ、爺は怒ったそうである。

 それ以外、爺は家族に怒った姿を見せなかった。

 





 母方の爺さんは、

 関東大震災で実父がなくなった煽りで家が衰退し、

 学費のかからない進学先に、海軍士官学校を選んだ。

 当時のエリートコースに割り込んだわけだ。

 晩年アルツハイマーの末期状態にもかかわらず、

 医者の前でだけは「 まったく正常にテストをクリアしやがった 」だけあって、

 虚弱体質だった半面、頭は相当に切れたようである。

 港々にお小遣いをくれるお姉さんがおり、

 戦争話を痛快によく話してくれた。

 陸軍で地獄を見てきた父方の爺とはえらい違いである。

 戦後は散々苦労した後、会社をのっとり悠々自適。

 海外旅行とゴルフ三昧で人生を終えた。下戸。

 俺は物心ついたときから、一度も爺が働いているトコを見たことがねえ。

 横浜っ子特有の軽口がイナセだったが、妙に品のいいお洒落な爺だった。

 絵に描いたような海軍士官のまま、先ごろ逝った。




 今日、以前から懇意にしてる、小千谷の婆さんを病院に送迎しに行った。

 5年前に99歳で旦那を亡くしている86歳のばあ様だ。

 

 古い歌を歌ってくれた。



 好きだった夫が、戦地から帰るのを待ちながら、

 それが適わなかった妻が歌った歌である。

 その歌は、婆さんの人生と重なっていた。

 婆さんも、好きな男を戦争で失っていた。



 涙が出た。



 なんでこんなことを書いたのか、よくわからんが、

 とにかく書いておく。



 英霊たちへの感謝を込めて。













 この国を守らねば。

 

 

 

 



 

 





 




 
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by 201V1 | 2005-04-01 05:11 | カテゴライズ前・生ログ
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