いつからかね、ベイベー。


 10代の男の子や、

 20代前半の男の子にとって、

 和魂要塞的選択と判断は、

 すこぶる新鮮に移るらしい。




 中越に来て、驚くほどに、慕ってくれる年下に出会った。

 


 俺ぁなんつーか、

 「 後輩 」ってのをあんまし持ったことがない。

 厳密に言うと「 先輩 」って概念すら、

 勤め人をやってから初めて刻んだ感覚である。



 そんな具合なので、

 半生を通じ、

 後輩に(しかも同姓の)慕われた経験は中越に飛ぶまで絶無である。



 自分は、中越に来て、確かに変わった。

 その時々に、必要なパーツになれるように。

 必要なパーツを、いつでも探すように。

 いつでも識っていられるようになった。

 腰が据わったって奴である。



 周りを見ると、

 結構な数の人間が、時勢の変動や、外部の反応に動じているシーンが多く、

 揺らぎの中にいる人々と、自分の住んでいる世界とのギャップを感じる。



 若者たちは、

 和魂が「 堂々としていること 」に舌を巻き、

 その理由を尋ね、

 答えを聞いて、「 やられた 」と思う模様である。



 俺にゃあ、その手の記憶がない。

 若い時分、

 出会ったことごとくの大人は、ふらふらしていた。

 だから俺ぁ、堂々と生きようとしたのだ。




 堂々と。

 胸を張って。

 どうだ今畜生。

 そうやって生きてきた。

 


 どうやら、自分の最大の武器は、

 根性でも気迫でも忍耐でも度量でもなく、

 堂々とした性根であるらしい。



 
 堂々と生きよう。

 誰のものでもない、自分の生涯だ。

 小細工を弄するのも、謀略を練るのも人は自由だ。

 それでも堂々と生きるのに、何の支障も命にはない。




 俺たちゃ、どっこい、生きている。

 高らかに歌え。

 


 命はもっと雄大だ。



 

 

 



 
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by 201V1 | 2005-04-02 01:09 | カテゴライズ前・生ログ
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