軍鶏への便り

 ご存知の通り、

 当該ブログは、

 「 なしのつぶて 」がアタリキの、

 ブログらしからぬ、

 ブログである。




 小生は、

 滅多やたらに、

 返信をしない。




 さしたる理由も信条もなく、

 気がつけば、

 ここはそういうブログになっていた。




 しかしながら、

 小生は、

 どこかで、

 これがデフォルトの形態なのだと、

 考えている。












 自分が、

 物言わぬ書物と向かい合い、

 人生の指針を、

 必死で模索していた頃、

 自身が抱いた多くの疑問や迷いに、

 すべて書物は、

 ただ黙するのみであり、

 決して返事をしてはくれなかったが、

 突きつけられた文章と、

 反吐を撒き散らしながら戦う日々には、

 確かな意味が、

 あったからだ。




 文章それ自体には、

 答えは無い。





 他人の書いた文章に、

 答えを求めるのは、

 経典の中に、

 真理を見つけ出そうとする事と、

 本質的に同じである。




 読み手に要求されるのは、

 その文章によって、

 自らの中に生じた波紋が、

 実は文字というひとつの意思によって生まれたのではなく、

 自らの心という水自体に、

 石によって波紋が生まれる性質があったことに気づき、

 手前の心と向き合い、

 掴み、

 戦う事にある。




 でなければ、

 文字なんぞを読むことで、

 真に得られるものなど皆無だ。





 すべては付け焼刃で終わっちまう。

 まがい物の刃は、

 実戦では役に立たない事は勿論、

 根元からヘシ折れて、

 使い手の喉笛に切っ先を向ける。





 

 苛烈な精神によって紡がれた、

 数多くの書物が、

 世界には歴然と存在し、

 その発行部数が如何に天文学的な数字を誇ろうとも、

 人類の大多数が依然として腑抜けなのには、

 こういう道理がある。





 書物や、

 文章は、

 それ自体には、

 意味がない。




 それがどんな意味を持つかは、

 捉える側の心が決めることだ。





 答えは、

 結論は、

 読み手が、

 己の魂魄に賭けて、

 ひねりだすもんである。



 
 俺がいちいち答えていいような問いではないのだ。




 魂魄は、

 誰のものでもない。

 そいつのもんである。




 


























 にもかかわらず、

 俺ぁ、

 たまに、

 返事をする。

 





 それは、

 そいつの魂魄に、

 触れたいと、

 思うからだ。









 返信を、

 まともに書くのは、

 だからだ。





 絶縁状を叩きつけるのは、

 二度と再び、

 その魂魄に、

 触れたくないからである。













 


 だから小生は、

 軍鶏に返信をする。

 ただ、

 触りたいからだ。














 















































 さて、

 どこから話そうか。

 




 まずだな、

 筆を取った貴兄に、

 心からの敬意を表そう。

 鐙があったら外したいくらいだぜ。





 だがね、

 貴兄は、

 巨大な勘違いをしている。





 人間てな、

 手前の食い扶持を手前で稼いでいるとか、

 愛するものを守ろうとしているだとか、

 していないだとか、

 そんな瑣末な違いで、

 資格が奪われたり、

 与えられるもんじゃねえんだよ。




 資格なんて概念は、

 失ってから吐くもんだ。

 若い身空で何を寝言をほざいてやがる。

 資格ってのは、

 何かをやり遂げられなかった奴が、

 「 ない 」と、

 涙を流しながら、

 天を仰いで叫ぶもんだ。

 



 俺達に、

 問われるのは、

 断じて資格なんかじゃねえ。

 気概があるかどうかなんだ。






 貴兄には、

 今、

 その気概があるだろうが。




 若輩のぬかす「 資格がない 」なんてのは、

 俺に言わせりゃ、

 乳歯の生え変わらねえ赤ん坊の言い草だ。

 失った事の無い人間が、

 「 資格 」なんぞを持ち出して、

 手前を縛ってなんとするんだ馬鹿ったれ。






 そんなハートで、

 これから先を、

 戦い抜けると思ってんのか。




 なめるんじゃあ、

 ねえぜ。




 俺が歩いてきた道は、

 そんな思いで分け入れるほど、

 簡単に入り口が開けるほど、

 甘いつくりにゃ出来てなかった。




 あの時も、

 どの時も、

 必要なのは、

 資格でも理屈でもなく、

 全部を背負う覚悟と気概だったぜ。





 貴兄にゃ、

 それがあるんだろう。





 見てみぬ振りをしちまえば、

 どうでもいいやと納得しちまえば、

 それで済む出来事を、

 果てのねえ悪夢に変えてでも、

 貫きたい道が、

 想いが、

 あるんだろうがよ。 




 

 




 今はただ、

 突っ走っていい頃だ。

 そうじゃなきゃ駄目かも知れねえ。

 モノホンの迷惑が、

 どれほど贖いきれないものかを知るまでは、

 人は、

 突っ走らなきゃ始まらねえ。

 皮の剥けようがねえからだ。

 




 だがね、

 まぁ、

 なんつうか、

 このブログを読んでいる奴の大半は、

 俺がどれだけ書いても、

 和魂要塞って人間が、

 「 己の一念を貫くためにはもとより生死は問うところではない 」

 ってのを地でやりやがり、

 その煽りがどんな理不尽な形で周囲の友人達に及んだか、

 知り様もないだろうが、

 実際爆発の余波を喰らいまくってたジルなんかは、

 俺の言わんとしていることも、

 俺が負う訳にはいかないリスクも、

 知悉している。




 その意味で、

 俺の言う「 迷惑 」ってのが、

 どんな意味か、

 貴兄はおそらくわかっちゃいねえ。



 出していい、

 友の犠牲なんか、

 この世にあるわけが、

 ねえだろうが。





 でなければ、

 ここまで気概ひとつで生きてきた俺が、

 今更、

 リスクなんぞを考慮する道理があるわけはねえだろう。




 
 自分にコントロール可能な事柄に注力し、

 自分にはコントロール不可能な事柄を切り捨てることでしか、

 「 己の一念を貫きながら周囲への被害をゼロで抑える 」

 なんて離れ業は、

 人間にゃあ、

 できやしねえんだ。




 
 貴兄は、

 まだ、

 身体で味わっていないんだろう。

 コントロール可能な事柄とそうでないものってのは、

 確かに流動的なもんに過ぎねえ側面がある。

 だがね、

 そんなもんは、

 あくまでも長期的に見た場合に限定した話だ。

 地道に勢力を拡大し、

 コントロール可能な版図を広げる努力は、

 机上でもできる。

 戦略なんては、

 銃火をしらねえ連中が暖炉の前でやる仕事であり、

 俺達にゃ、

 手前の都合で配属を選べる自由は無い。

 いつか必ず、

 砲弾の飛び交うところで剣を抜かなきゃならねえ。

 

 

 わかるか。

 危機ってなあ、

 突如として現れるんだよ。

 抜き差しなら無い状況が、

 人生には、

 何の前触れもなくやってくる。



 そういうときに、

 コントロール不可能な事柄に執着して、

 コントロール可能な事柄に注力する事を怠ればどうなるか。

 人の一人や二人は簡単にくたばる。

 首をくくらにゃならなくなる。

 俺が先に上げた記事は、

 そういう犠牲を未然に防ぐための、

 戦術クラスの肝の命じ方だ。




 待っちゃあくれないんだぜ。

 時間は。

 賽が振られたら、

 どんな馬鹿な敵も、

 こっちの版図が広がるまで待ってはくれん。






 実戦には、

 時間軸はない。








 あるのは、

 まっちゃぁくれない、

 今だけだ。



 

 世の中の、

 おっさん達は知っているぜ。

 命のやり取りの瞬間に必要なのが、

 勢力拡大の為の戦略ではなく、

 生存のための戦術であることを。










 白黒のどこで戦がおきるかなんざ、

 俺達には選べない。

 いずれにせよ、

 大切なものを守るために、

 命を尽くすんだ。

 大切なものを守る事が可能か不可能かなんて議論は、

 歴戦の猛者どもにしてみれば、

 もとより問うような問題じゃねえ。




 俺ぁ、

 自ら選んで黒いところで、

 戦争をおっぱじめたコタァ、

 ただの一度もねえぜ。

 ただ戦わねばならない場所が、

 たまたま他人から見て黒く見え、

 俺にとっちゃ問うところではなかっただけだ。







 成すべき事を成し、

 成されるべき事が成されない世の中に挑むのに、

 理由はいらねえ。

 今も昔も、

 俺ぁ火の玉になるだけだ。





















 
 




 人の心を打つのは、

 それが頑張ったからだとか、

 無駄な事だったからとかじゃあ、

 断じてねえ。






 そんなものは戦う理由にはならん。






 わかるか小僧。







 成されるべき事を成そうとする人の心に、

 人の心は打たれるんだ。





 

 そのための闘争を、

 時に人は、

 誇りをもって戦いと呼び、

 時に俺は、

 世界と喧嘩だと吼えるんである。












 そうでなければ、

 嘘だろ。

 







 












 戦え。

 成されるべき事が、

 成される世界に変えるために。








 それがお前の夢ならば。
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by 201V1 | 2005-10-04 02:28 | カテゴライズ前・生ログ
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