人が理論武装をする理由

 
 小生は、

 15歳くらいで、

 突如として、

 理論武装に目覚めた。



 理由は単純であり、

 買った喧嘩に、

 刺し違えても勝ちたかったからである。

 



 「 負けるわけにはいかねえ 」

 それが初めの理由なのだ。




 理屈をひねるのに、

 初めにあったのは、

 煮えるような熱い手前の感情だったというのが、

 小生にとっては救いになった。




 お陰様で、

 世にはびこる糞のような理屈に関しては、

 いまもって従順性が絶無のまま、

 反骨の出刃の切れ味を、

 磨き続ける事が出来ている。





 人は、

 往々にして、

 糞のような理屈によって、

 へこたれる。

 どっかの誰かが勝手に決めた、

 論理的に不可能って結論に、

 気概が折られて、

 人は負けるのだ。



 理論とは、

 論理力とは、

 既存の理屈をぶち壊すためのものであり、

 判例を覆すために、

 人が世界に挑む時、

 磨き始めるものだ。




 最高裁の判例に、

 挑む気概がないならば、

 理論なんぞ、

 手前でひねる必要は無い。

 世界の理屈に従って、

 奴隷みたいに生きりゃいい。

 


 






 俺ぁ、

 そんなのは御免だ。






 なにがどうあっても、

 裁くのは俺である。

 




 





 判例を木っ端微塵にするだけの、

 コトワリを、

 ひねり出す力が欲しかった。

 それが始まりである。
















 理論てなあ、

 点と点を、

 繋いで造った一本の鉄線をより合わせた、

 鉄の織物でこしらえた、

 攻性のある鎧である。

 この鎧を着て、

 人は、

 世界の理屈に挑むのだ。

 



 屈しないためにである。


















 小生は、

 人に、

 物を読み理論のつむぎ方を学ぶ事と、

 物を書いて理論を現に紡ぐ事を、

 よく薦める。



 鎧さえあれば、

 押し通ることの出来る突破口が、

 人生の局面に無数にあることを知っているからである。




 若い時分にしか、

 てめえの中の熱で、

 鉄線を鍛える事はできない。

 

 てめえの熱で、

 鍛えられた事の無い鉄線でできた鎧は、

 世間の風にまじる瘴気ですぐに駄目になる。




















 鍛えるのは今。

 


 最も激しい炎でしか、

 鍛えられない芯の部分が、

 鉄線にはある。

 若い時分にしか、

 火を通せない場所がある。









 アルデンテの鎧なんて、

 洒落にもならねえんだぜ。






 皿の上に盛り付けられてからでも、

 味付けを誤魔化す術はある。

 だがね、

 二度とは茹でられん。




 











 今を。


 ただ今を。










 屈せぬ大人になるために。

  
[PR]
by 201V1 | 2005-10-05 04:02 | カテゴライズ前・生ログ
<< 基礎 チャーリーとチョコレート工場の... >>