才能と才覚と

 世の中に、

 天才ってのは、

 確かにいる。



 毛色はふたつ。



 偶然か、

 必然か、

 兎にも角にも、

 滅法、

 手前の血に向いた、

 具合のすこぶるいい世界で、

 戦うことになり、

 20馬身のアドバンテージで、

 ゴールまで突っ走るもの。

 人様ってなあ、
 
 そういう、

 宝くじを握り締めた人間を指して、

 天才という。





 もう一種類は、

 方々で、

 無駄骨を折りながら、

 血を流し、

 手前の血と骨肉の造りを身体で知り、

 手前の体が活きる蹄鉄を履き、

 命を懸けた末足で、

 横に誰も並ばせないもの。

 そういう、

 血まみれのプラチナチケットを手にしている奴のことも、

 人様は、

 天才という。




 天才ってなあ、

 実力に対してしか、

 使われない。





 その意味では、

 確かに天才ってなぁ、

 一種類だが、

 毛色はちゃぁんと、

 二つある。

 

 
 才能がグンバツな野郎と、

 才覚を伸ばしてきた野郎だ。




 餓鬼の時分は、

 才能のある奴にゃあ、

 滅多なことでは敵わない。

 決定的な資質における差が、

 あらゆる分野で幅を利かせるからである。

 才覚が入り込む余地は、

 そこにはない。

 その意味で、

 若い頃の努力は、

 若い頃には、

 実り難くて然るべきものと言える。

 

 



 これを覆すものが、

 年月って奴である。

 猛火の中の栗みてえな酷暑の夏と、

 氷柱が脳天に突き刺さるかのような極寒の冬を、

 いくつも越えることで磨かれ続けてきた才覚が、

 才能を、

 いつしか、

 凌駕する。




 努力を知る人間は、

 若年の頃、

 眩いばかりの才能を前にして、

 絶望的な隔たりを実感し、

 心をくじく。

 それでいいのだ。



 そこからが、

 才覚を武器に挑む人間の闘いなんである。



 
 

   


 才覚は、

 才能を凌駕する。







 才に目覚める才覚ってなあ、

 平たく言えば、

 世の中の仕組みを解き明かし、

 鍵となるもんを、

 いっこずつ、

 手前のもんにしていくって仕事である。

 

 


 歳を得るごとに、

 才能はどんどん錆びつき、

 才覚が頭角を現し始める。

 


 努の一文字が、

 人生の表舞台に躍り出る。

 


 序盤だけさ、才能なんてな。

 中盤からは、そんなもんは黒子にすぎん。






 


















 だから人生ってなあ、面白い。

 





 正しく努力した人間に、

 勝利の女神は微笑む。

 たとえ死神が隣で鎌を振り上げていても、

 勝利の女神は微笑んでくれる。






 よくぞ、生きたと。




 
















































 





 
 

 よくぞ、生き切ったと。






 







 才能と、才覚のお話。















 天才にゃ、どっこい毛色が二つある。
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by 201V1 | 2005-10-24 07:11 | カテゴライズ前・生ログ
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