バイアス

 バイアスという言葉の概念に、

 初めて触れたとき、

 結構な衝撃を受けた。




 直訳すると「 性向・志向性 」という、

 なんとも色気のないものになっていしまうこの単語がもつ、

 本来の意味は、

 詩的な表現が許されるなら、

 「 魂の向かう先 」

 という事ができる。




 個体の志向性や性向については、

 20世紀のはじめから、

 幼少期の体験がそれを決定するという仮定の下、

 多くの研究が心理学者たちによって成されてきた。

 そのなかで生まれたのが、
 
 交流分析におけるコントロールドラマ観や、

 自己実現といった、

 新たな宗教ともいえる、

 「 見方 」である。




 若い頃、

 この主の文献を貪っていた時期がある。

 


 「 囚われ 」というものの正体を、

 知りたかったからだ。





 要するに小生は、

 手前の中の様々なリビドーの影響から、

 自らを自由にしたかったのである。

 そうすることで、

 別の宇宙が開かれるような期待があった。




 そうじゃあ、ないのにである。




 人は、バイアスから自由になる必要はない。

 バイアスは、

 ただの行き先であり、

 ただの道である。



 
 新大陸への進出を目指すもの。

 人の心の闇を解き明かそうとするもの。

 宇宙へでることを望むもの。




 人はそれを

 夢と言ったり、

 生き方といったりもする。




 そうではないのだ。






 バイアスはバイアスに過ぎない。





 行き先や道は、

 行き先と道でしかなく、

 大切なのは、

 旅を続けることにある。





 僕たちは、

 それぞれのバイアスに従い、

 あるものは空を目指し、

 あるものは地を行くことを選ぶけれど、

 それは行き先と道の違いでしかない。

 


 大切なのは、旅人としての様にある。




 




 バイアスは人それぞれだ。

 それぞれのバイアスに因果を問うのは、

 得るものはあっても、

 実りのない選択だ。

 バイアスは、

 バイアスのままでいい。






 バイアスに、理屈はいらぬ。





 旅人に求められるのは、

 手前のバイアスに、

 向き合うことだ。





 血反吐を吐きながら歩み続けることを選ぶのも、

 途中で現実の世界と折り合いをつけるのも、

 すべて旅人の自由だ。




 そのどちらでも、

 旅は旅人を祝福する。





 何か大きなものを諦めた人間にも、

 戦い続けている人間にも、

 旅は祝福する。




 一生懸命だったなら。

 必ず。








































 バイアスは、

 問うところでない。

 ただの行き先だ。

 

 届こうが届くまいが、

 死ぬまで人は旅を続ける。




 





 億千万の旅情とともに。
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by 201V1 | 2005-11-15 23:51 | カテゴライズ前・生ログ
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