記憶箱

 時を問わず、

 夜、眠る前とか、

 仕事の合間だとか、

 脳味噌の左奥が、

 ちょいと空になったとき、

 溢れてくる記憶がある。


























 正確には、

 溢れてくる、
 
 他人の記憶だ。

 















 他人が過去に体験した、

 いろんな気持ちが、

 断片的な映像と一緒に、

 雪崩こんでくる。

















 知人達が、

 それぞれの人生で、

 通ってきた場面と、

 感情の渦が、

 脳味噌の、

 左奥に溢れる。
















 
 


 小生は、

 自分が、

 他人に、

 特別に変な人生を生きてきた馬鹿と、

 写るのを知っているが、

 知己の生きてきた人生の、

 決定的な場面を、

 どういうことか、

 脳味噌の左奥で見て来た自分には、

 どの人間の人生も、

 総じて、

 当の本人ですら解釈が不能なほど大変であり、

 およそ理解を超え、

 どれも似たように胸が痛む。


















 



 雪崩こんでくる場面と、

 感情は、

 ほとんどの場合、

 混乱に満ちていて、

 その中で、

 それぞれが決断をしようと足掻いている。















 恐れと、

 勇気が、

 ないまぜになった、

 生身の人の感情だ。

 














 なんて多くの、

 世界があるのだろうと、

 見る度に思う。
















 相当な苦労と、

 経験を積んでもなお、

 人の正は計り知れない。














 60億の世界が、

 この世界にはある。















 誰もが別の記憶を持って、

 別の世界に暮らしている。













 多分、

 我々は、

 それぞれが、

 それぞれの世界に暮らしているのだ。

 






 記憶と言う名の、

 全く別の世界に、

 それぞれが暮らしながら、

 ひとつひとつの瞳を通して、

 天の川銀河を見ている。













 









 小生は、

 他人の記憶を、

 垣間見て、

 思う。















 



 痛みなしでは生きられやしねえのだと。












 








 生きることは、

 痛む。











 心と体は、

 痛みを引きずりながら、

 行くためにあるのだ。












 心と、

 体は、

 痛みを知るために、

 あるのだ。













 違う世界に暮らしながら、

 異なる記憶を持ちながら、

 なお、

 僕達はともに生きるため、

 痛みを知るんである。















 記憶の箱が、

 脳味噌の、

 左奥でひっくり返るたびに、

 思う。














 知己たちの幸福と、

 いつかの夜明けを。

 
[PR]
by 201V1 | 2005-12-04 05:54 | カテゴライズ前・生ログ
<< 戦争と兵 高校における講演あれこれ >>