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201V1式痩身術その2
あまりにも構成が長くなりすぎたため、=長すぎます。送れません=なんてエキサイトのボケがぬかしやがり、あえなく「分割」を余儀なくされました「ダイエット編」。


こんなブログって他にあんのか?(怒


エキサイト、ぶっ殺す。(すべて他人の所為






で、「食客」である。小生はNGOの「食客」になりたかった。

「食客」という響きには、「食べさせてもらっているお客」という、一種の「ミヤビさ」さえ漂っており、世の中をおちょくった感がある。すげえいい身分であり、これは「人でなし」なら必ず憧れるポジショニングである。言い換えればそれは、バレーで言うところの「玉を拾わなくていいリベロ」であり、ムエタイでいう「戦車に乗ったムエタイ戦士」である。(ドンナ選手デスカ?

兎に角、小生は、食客になりたかったんである。




ここにきて、よもや「NGOの予習をしていなかった読者」はいないと思われるが、たぶん全員予習してねえので、NGOの説明を少しだけやってやらんでもない。

NGOとは、「Nな、Gの、O」であり、・・・・・・・「ノン・ガバメント・奥様」の約である。(うそこけ

・・・・・・大味にいうと、NGOとは「非政府援助団体」であり、今日の「NPO」と似て非なる意味合いをもつ。当時の「NGO」は「金儲けとは無縁」の団体であり、活動を支えるのは主に「義援金」であった。コレに対し、「NPO」は「自分で稼ぐ」。やってることはともに「なんらかの援助ないし活動」である。なかにはタワケた団体も多いが、真性の援助プロもちゃんといる。で、小生の転がり込んだ団体「ミグー・ジャパン仮」は、極めて健全なプロのNGOであった。・・・・転がり込む団体を間違えた。(爆



「ミグー」の中核を担うのは、「スワヒリ語バリバリの土建のプロ」であり、脇を固めるのは「英語バリバリの野戦看護婦団」と「鍛冶屋も兼ねるエンジニア」である。そして末端の手足となる若者達は、若者特有の短慮と馬力と兼ね備えた「どんぶり人間」であり、「肉体で勝負できる資質」があったり、「疲れを知らなかったり」と使い勝手に関しては「グンバツ」な個体群であった。


その中で、小生はどうか?


いっちゃなんだが、小生は「物書き」であり「絵描き」であり「漫画かき」である。ってゆーか「その途上」にあるボケナスである。無論体力もない。
一般に、「作家」という奴は、実社会ではまずもって「鈍」であり、ありていに言えば「愚図」の部類に入る。なぜなら「絵空事」に特化した能力で「食べてる」ないし「食べよう」としている輩であるからで、発展の途上で「実務的な能力」の尽くは必然的に退化しているからだ。もっと穿った見方をすると、人によっては「実務能力がゼロ」な為、必然的に「絵空事」を偏愛し、「妄言野郎」としての人生を強要されている「幸の薄いタコ」もいるわけで、小生なんかはこの最右翼として、一部上場できる気配が濃厚だ。(※この株を買え


車の免許はあった。語学学生時代に、役人からワイロで買った免許である。したがって教習所で習った技術も手伝い、「運転」はできる。しかしながら全然「安全運転」ではない。むしろ「危険」である。よって「運転手」なんていう「職能」はない。

スワヒリ語はどうか?たしかに小生のスワヒリ語は「達者」だが、所属するセクトである「どんぶり隊」の仕事は、たいてい「レンガの学校建設」や「井戸掘り」「給水」などという複雑性絶無な単純作業であって、難しい会話が要求される局面は「じぇろ」である。加えて「どんぶり隊」は若者ばかりなので、現地人と「呼吸」で会話しやがり、意思疎通に全然不便が生じておらず、小生の出番はナッシング。だいたい適当極まる文法で、「通訳」なんて「職能欄」に記入したら、先祖が全力で祟る。



よーするに「無能」である。端的に「お味噌」である。専門職は、「でっち」である。


しかる背景があって、小生の「食客」という夢はやぶれ、生涯初の「丁稚奉公」がスタートした。



仕事といえば、「給水」と「井戸掘り」と「植林」と「炭焼き」に尽きた。

「給水」は、濁った川にポンプ車で向かい、水を溜めて近隣の井戸に溜める作業である。「水が湧かない」という点で、厳密に言うとそれは「井戸」ではなく、「穴」なんだが、それについては誰も触れなかった。

朝、「どんぶり隊」に混じってポンプ車で川にいく。「隊」といっても小生も含めて4人しかいないため、いかな「丁稚」といえども戦力としては極めて大きくなる。小生の責任は重大と言っていい。

そんな小生に任された使命は、「ポンプ車の上に乗っている仕事」であり、論理的に考えて「信楽焼のタヌキ」でも勤まる任務だったが、終日余暇みてえな安穏とした日常が個人的に非常に気に入っていた。

仕事自体は「猿」でもできた。中古の「バキュームカー」を「給水車」と断じ、川の水を汲むだけだからだ。しかし川には「でかいワニ」がおり、やつらは終日、中州でゴロゴロしていやがる。で、たまに人を食べる。

年に何人かはワニに食べられるという危険な川であり、そこでの作業は一種のアドベンチャーと言っていい。川に着いたら、30メートル先の中洲にいる「8匹ワニ」を投石でびびらせる。あまり意味はないんだが、それが慣習となっていた。意味がない理由は、それでも奴らが頻繁にポンプのホースに「喰いつく」からである。たまに本当に「でけえワニ」が釣れた。究極の「外道」である。・・・いろいろあるが、ぶっちゃけ、人生の中で1番楽しい仕事だった。



「井戸掘り」は、旧式の重機を使い、巨大なドリルで縦穴を掘る仕事である。だいたい30メートルくらいで水が噴出するが、「井戸的」には倍以上の深さが要求される。しかしながら、土が水と混ざってドリルが詰まり、エンジンが回転をやめず、しょっちゅうドリルが「ひん曲がる」。そーすると、異常な重さのドリルを「人力」で地下から引っこ抜かなければならなくなり大騒ぎになるが、正直ずぅーと大騒ぎしていた。

可働率は1割未満であり、一日中ドリルを抜いていた記憶がある。その反面、ドリルが動いていた記憶は絶無である点が極めてむなしい。・・・・目的を抜きにして実情だけを見ると、あれは間違いなく「ドリル抜き」であった。



「植林」は苗木に水をあげるという究極の単純作業であったが、ガリッサでは「防人」としての自覚が必要になる。苗木は「ガリッサ緑化作戦」の根幹であり、ミグーのライフワークの要である。しかしながらガリッサは、悪名名高い「ソマリ族」の村であり、彼らのための苗木は、頻繁に「ソマリのヤギの群れ」に食い散らかされた。しかも「ソマリの牧童つき」という確信犯である。

恐るべきことに敵は、200匹とか300匹というヤギの大群を引き連れ、物量で作戦を蹂躙する傾向が強く、当方が苗木に水をやってるそばから、自分のヤギに「食え」などと「棒」で合図してくる始末である。まさに文字通りの「獅子身中の虫」がソマリ族であった。全仕事中、1番人気のない作業であり、毎日必ずやらねばならぬ恐ろしい任務だった。




「炭焼き」は文字通り「炭をつくる。焼いて。」という作業だが、「開けてはならんフタ」を、深夜徘徊するソマリが開けるため、頻繁に失敗に終わった。そうなると大変である。作業の途中で「だいなし」になった「炭のまがいもの」を「カマ」から取り出さなくてはならなくなるが、「丁度いい温度」の「カマ」のなかには大抵「サソリ」がいるんである。「どんぶり隊」は皆「サソリがいる」ことを知っており「刺されると死ぬ」ことも知ってはいるが、人命より炭のほうが大事なので、しょうがなく「カマ」に入る。そうやって虎穴にはいり「腐れた炭」を除くんである。


「おい、今そっちで何か動かなかった?」

「いんや。しらない」

「うそ。よくみろよ」

「ここかね?」

=パカっ=

「ぎゃあああああ」

「おおおおお」

「馬鹿野郎。こっちに投げるんじゃねえ。」

「踏め。踏め。」

「俺、サンダルだって。」

「ふざけんな。いいから踏め。」

「おめえが踏め」

「だからこっちに投げんなって言ってるじゃねえか」

「いいから踏め。」

「うおおおお。こっちにもいる」


という感じで中は「地獄のカマ」と化し、外にいる奴は大抵面白がって出入り口を石でふさぐ。だから「地獄のフタ」は開かない。



どれも興奮とスリルに満ちた仕事であったが、そうこうやっている間にも、小生の体重はぐんぐん落ちていった。


ずうっと凄まじい下痢が続いていたのである。



|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||以下次号。明日の更新を待て。



けっこういい飯は食べていた。

たぶん2年に及ぶ海外放浪のなかで、「1番良い飯」をかっ喰らっていたのが「ミグー時代」であろう。久しくお目にかかっていない「銀シャリ」と「白菜の浅漬け」が、朝昼晩と食卓に並んだし、週末は毎回「ヤギの丸焼き」という豪勢な暮らしである。

流石の「どんぶり隊」も、「ヤギの屠殺と解体作業」に対しては「嫌だ」の一点張りだったため、このときばかりは「なんでもやる」小生が重宝されたが、血生臭い局面に慣れている小生にとって、「ヤギ分解」はプラモデルの逆手間に近く、5頭目あたりからは目を閉じても楽勝であり、楽勝過ぎて解体中に胃袋を傷つけてしまい、全身ヤギのゲロまみれになったりして悶絶していた。

アクシデントは多々あったが、なんにしても「いい暮らし」だったのは間違いない。

途中で2度、マラリアに罹患したが、すでにザンジバルにおいて「2連コンボ」でマラリアを罹患している小生にとっては、こんなもんは「どこふく風」である。


・・・ところで、よもや、よもや「マラリア」の「予習」をしていない痴れ者はいないと思われるが、確実に全員予習してねえ気配がただならぬ。ただならぬので以下に「マラリアのなんたるか」を説明してくれるわ。(怒


マラリアとは、熱帯地方の「死ぬる風土病」として、全てのバックパッカーに畏怖の念を抱かせる恐ろしい「伝染病」である。この病気はハマダラ蚊という「羽がマダラ柄の蚊」によって媒介される。感染者の血を飲んだハマダラ蚊に刺されると、「痒い物質」でできている「蚊の唾液」に混じって、「マラリア原虫」が血中に侵入、これによって感染、罹患後数日後に発病、たまに死ぬる。

「原虫」とは無脊椎動物の一門であり、顕微鏡レベルの「こまい生き物」である。爆発的な増殖力を有する単細胞生物だが、鞭毛などの器官が発達している為、単細胞の分際で恐ろしい機動性を獲得している「手に負えぬ生き物」である。

ものの本には、「ハマダラ蚊は夜行性なので、夜9時以降に刺されなければ大丈夫」などと書かれているが「出鱈目」であり、実際には昼間刺されても余裕で発病する。鎌形赤血球保持者が「感染しない」のは本当で、このためにマラリア汚染地域では長い年月によって「淘汰」が行われ「鎌形人間」の構成比率が他地域に比較して非常に高くなっている。しかしながら「鎌形人間」は「貧血もち」なので、総じてアフリカ人は朝に弱く、彼らが約束の時間に確実に遅れるのはこれが原因との説があるが、昼夜に関わらず連中は時間を守らないので、別の「脳の不具合」があるものと推論される。アフリカン、「たいがい」である。

で、発病すると、「どうなるのか?」だが、「熱帯熱マラリア」「卵型マラリア」など原虫のタイプによって多少症状は変わるものの、発症すれば、総じて「体温が42度くらい」まで上昇する。加えて嘔吐、下痢、腹痛、悪寒、など諸々の苦痛が「芋ずる式」に襲ってくる為、本格的な原虫の増殖を許してしまうと「治療うんぬん」抜きにして「殺してくれ」という状況に行き着く。

一般的な治療法としては「キニーネを飲む」という手段が挙げられるが、この「キニーネ」なる液体は劇薬であり、飲むと「原虫も死ぬ」が「人間も、まま死ぬ」という危険物質である。一命を取り止めたとしても「副作用」が極悪であり、ぶっちゃけマラリアより凶悪な「頭痛・吐き気」が襲ってくることは必定である。だから普通は誰も飲まない。

しかしながらそれは「裕福な白人の世界」の話であり、世間で言う「ド貧」である現地人とバックパッカーは「劇薬キニーネ」である。なんたって「安い」からだ。この「毒薬」以外の治療法では「西洋の薬」と「中国の特効薬」があるが、前者は「大麻・レンガ一個分」と同じ価格であり、後者は「大麻・冷蔵庫一個分」という法外な値段である。現地人にそんな金はなく、バックパッカーは余程の根性なし以外は無条件で「大麻」を選ぶ。私見を述べれば、「西洋の薬」なんぞという「伴天連の情け」にすがる奴は「羞恥」を知らぬ「玉なし」であろう。男なら喜んでキニーネを飲むべきだ。

で、無論、ザンジバルで罹患した小生は、1も2なく「西洋の薬」に命運を託した。恥辱である。

ガリッサで、通算3度目のマラリアに感染した時も、小生に「恐慌」はなかった。なんたって3度目である。流石に馬鹿でも3度目にもなれば「体が重い」のは「発症が近い」からだと推測できる。だから原虫の増殖が進む前に薬を飲み、発病を抑えた。

「ふっ。楽勝だぜ。マラリアなんぼのもんじゃい。」

あまりにも楽勝なので、通常5日間飲み続けなければならない「伴天連の情け」を、小生は2日目で止めた。で、案の上、発病。42度の発熱。ぶっ倒れた。

この回復後、一ケ月を待たずに再び小生は4度目のマラリアに感染し、再び「情け」に泣きつくが、生来の学習能力の欠如は拭いがたく、やはり2日目で投薬を止め、隠れてドブに捨て、大麻を吸い、勿論発病し、42度の発熱。嘔吐。下痢。ぶっ倒れた。


こうしてみると、「ぶっ倒れ」の連続であり、こんな状況でよく働けたと思うが、当たり前である。なめてもらっては困る。小生は「生粋の下男」と恐れられる当世最高の丁稚であり、「昭和最後の飯炊き坊主」である。(飯などぜんぜん炊いていない。


まぁ、贔屓目に見ても、2ヶ月の滞在中、1ヵ月は寝込んでいた。寝たきりである。老人である。で、老人なので深夜徘徊はする。しなければならぬ。ってんで夜になると大麻を吸い、町に繰り出し、例によっておどり、昼間は倒れていた。よーするに「ノン・ガバメント・お殿様」である。(うるさい

しかしながら、そんな暮らしを続ければ、当然追い出されるのが世間であり、渡る世間は鬼ばかり。神仏も念仏もねえ人情砂漠が浮世である。しょうがないので働く。働くふりをする。「ドリル掘り」に行くと見せかけて、フレッシュジュース屋に通う。足しげく日参する。うまいんである。




これが仇となった。




小生は毎日必ず「フレッシュジュース屋」に通い、クーラーボックスに「そのまま」蓄えられている「果物汁」を吸っていたワケだが、後に判明したところによると、この「甘露」には「赤痢菌」などの「あぶにゃい生き物」が満載であり、それ以前に「痛んで」もおり、まぁなんというか「毒液」だったらしい。

NGOに参加して一週間がたった頃から、「水便」がダダ漏れとなる。


「どうせ、でるもんだしなあ」


小生は悠長である。貯金はしないが、悠長だ。(それは郵貯

おまけに遺伝的に気風もいいときている。あるうちは、ばんばん使う。そこに計画性はない。宵越しの金はまるで持たない。あったらあるだけ飲んでしまう。したがって「毒液」も、毎日、腹がぱんぱんになるまで飲んだ。目指すは1日1ガロン。正に、鬼の首を討ったように飲みに飲んだ。(用法がちがう


しばらくすると、水便が治った。


かわりに、年柄年中「変な粘液」がケツから漏れるようになった。


「出たいんだなぁ」


基本的に「出るものは追わない」気質の小生は、この期に及んでも「気にしなかった」。実際問題として「液漏れ」は難題であったが、これに対しては「ティッシュで栓」という物理的な手段で強引に解決し、「尻に詰め物」をしながら、日夜ドリルと戦い、ソマリを追っ払い、大麻を吸い、毒液を吸い、清濁合わせ飲み、おどった。楽しかった。



ガリッサ滞在が2ヶ月を経過し、そろそろ保険金が降りる時期が近づいた頃、「変な粘液」は「コシ」というあらたな性質を獲得し、「コシの強い粘った白液」という「R指定」な物質に変容していた。おまけに量も多い。もう、なんといか土石流である。


体重が減っている気配は全開である。血色のよかった顔は蒼白となり、頬は死神にビンタを喰らったようにコケていた。アバラも干物みたいである。しかしながら小生は、肌の色を気にする「偏見の持ち主」ではないし、ビンタには慣れている。乾物は大好きだ。

「人生は変化である。」

したがって「まぁいいや」である。どおってことはねえ。なんか容貌が幽鬼みてえな按配だが、「鏡がおかしい」と思えば済む。だいたい体が軽くなって身軽になった。なんかフラフラするが、たぶん月に行くとこんな感じなんだろう。(そんなわけがねえ

とゆーわけで、小生の身体は、この時既に、「明らかにおかしい兆候」が満開だったんだが、花より団子の小生は、あまり気にすることもなく、「保険金」をゲットするべくガリッサを後にし、ナイロビに戻り、友人宅で脱糞するに至るのである。(どかん




\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\とう・びい・こんてにゅ。
by 201V1 | 2004-05-26 21:53 | ■ダイエット
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