果ては社畜か過労死か  (その3)

アルバイトは会社に金を運んでくる便利な「駒」である。

とてもナイスな「駒」だ。

募集を打てば際限なく手に入る「歩」である。

これはバイトをすれば否応なく知ることができる真実である。

だからことさら教える必要もない。

スタッフ達に伝えなければならないのは

社員である小生もまた、金を運ぶ便利な「駒」に過ぎないという真実である。





両者は双方ともに経営者の懐を肥やすための「駒」に過ぎない。社員もアルバイトも一緒である。それ以下でも以上でもない。ただの便利な「駒」である。どんなに頑張って働こうが、プライベートを犠牲にしようが、我々は所詮「駒」でしかない。替えが効こうが効くまいが、能力が高かろうが低かろうが、「駒」である我々はそれ以上の存在にはなれない。自分の中でどう仕事を位置つけようが、所詮は社長の懐を肥やす悲しい「駒」である。







「駒」の仕事は単純である。それは「駒」に徹することだ。

優先されるのは個人の都合ではなく、盤上の勝負である。

それを飲み込むことができれば、人は飛車・角を圧倒する「 社畜 」として縦横無尽に活躍できる。





「駒」に不平不満はない。ストレスもない。

「駒」になりきれている間は、人は全てを忘れ、仕事の鬼でいられる。

企業が求めるのは、そういう種類の人間である。

けれども人は人である。

「駒」で納得できるほど、人間は簡単には出来ていない。

「社畜」であることを意識し続けながら稼動できる人間は少ない。

激務を強要されるアニマルランドの社員の出入りが激しいのはこの為である。

この種の人間は極めて稀有といえる。





それでも尚、企業は「駒」を求める。

「駒」になれる人間を企業は必要としている。

人材ビジネスならば尚更である。






人を使うということは、人を如何に「駒」として使うかだ。

七情をもった人間に微塵も用はないのである。

問題は用兵である。

人は人だ。

「駒」ではない。

「駒」として扱えば、必ず反発が起きる。

しかしながら「駒」以外に用はない。






巨大な強制力を発動できない現代の企業において、

人の反発を未然に防ぎ、問題を解決するには手段は一つしかない。

それは「支配者のいない将棋」をやることである。

「駒」しかいない空間をでっちあげるのだ。

それで全ては解決する。







小生は思う。

アルバイトと社員の溝を埋める方法は、「上下の概念」を完全にとっぱらうしかない。

その上で支持系統の維持をはかるのが「全員が駒」の発想である。

社員を「踏ん反り返った嫌な司令」ではなく、「自分と同じ駒」としてアルバイトに認識させるのだ。




これは「真実」である。

だからすべからく万人が納得する。






雇われ社員の身で「人を使う」には、この方法が最も軋轢を生まぬ方法だ。

そして、団結を促すのにはこれしかないと言っていい。

就労意欲の乏しい弱卒の群れである「カード契約部隊」が、それでもなんとか意思を一つにして、全ての現場で好成績を挙げ得たのはこの「発想」で小生とすべてのスタッフが一丸となっていたからである。





小生は、いつもスタッフと一緒だった。いつも彼等と一緒にいた。





人を使う立場の人間としては、小生は非常に好かれていたと言っていい。無茶苦茶な要求ばかりする阿呆な指揮官ではあったが、スタッフの評価は「すき」であった。理由は簡単である。共に戦う仲間を非難する馬鹿は、余程の下郎以外にいないのである。

いつも最前線にいる指揮官を、悪く言う兵卒はいない。これはどの組織でも一緒である。突撃の際に先頭をきって走る小隊長は、あらゆる軍人の敬慕の対象になる。兵卒は「駒」である。しかし小隊長もまた「駒」なのだ。この真実を掴めれば、必ずチームは機能する。






雛形がスタッフから嫌われていたのに対し、いい加減な小生が過剰に人望を集め得た理由はこのムードを作ろうとしたかどうかの違いと言っていい。




雛形は社員という権力で「君臨」しスタッフを操ろうとしていた。

小生は自分が「同じ駒」であることをスタッフに伝えた。





実際には、雛形は小生以上にプライベートを捨て、全力で仕事に当たっていた。それは評価するに値する犠牲的な行為だった。だがしかし、「駒」はそんなことは考えない。考えもしない。雛形は彼等にとって、どこまでも「偉そうに安全地帯から命令してくる嫌な奴」でしかないのだ。それはどんどん労役を科してくる役人でり、民衆はこの手の搾取者を親の敵のように嫌う。

多分、雛形を「同じ駒」と認識していたのは、第二営業部で小生だけだったと思われる。だから小生は雛形が好きだったし評価していた。偉いおっさんだと思っていた。しかしながら、やはりどこかで彼の「君臨志向」に関してはしっくりこない心情があった。スタッフにとっては尚更だったと思う。




雛形も小生もよく現場に出た。

そしてこの時ほど2人の用兵術が「全く違うこと」が露呈する場面もなかった。

小生に益々人気が集まり、雛形は益々評判を落とした。







雛形は、現場では原則的に受付デスクから動かない。

ま、殆ど何もしないと言っていい。

「あれやれ」「これやれ」と口喧しく指示するだけである。

役割的には当たり前の光景だが、これでは人心は掴めない。






小生は、現場に出ると、スタッフになにもさせない。

文字通りなんにもやらせない。

「休んどけ。サボっていいぞ」という。

実際休憩にどんどん行かせてしまう。

勿論契約違反である。甚大な違反である。

下手すると訴えられる不履行である。




でもそんなもんは知らない。

現場が全てである。

紙っぺらなんざ歯牙にかけてるヒマはない。

そんなもんは犬に食わせてしまえばいい。

スタッフはばんばん休ませる。

で、全力で自分が頑張る。

持てるチカラの全てを出し尽くしてやる。

実際に吐血しながら猛り立ち咆哮し叫び騒ぐ。

ばしばし契約をとる。






残ったスタッフはそれを目の当たりにする。

休憩から帰ってきたスタッフは獲得された契約数を見て愕然とする。

気骨のあるスタッフは自然と小生の模倣を始める。

「負けたくない」と思う奴しか成長はしないのだ。

気骨のない人種に何を与えても無駄だ。

伸びる奴は背中を見て伸びる。

ボロボロの小生の奮闘をみて触発されない人間に期待するのは土台不毛である。






我々指揮官は、ムードを作ることは自在にできる。

だがしかし、モチベーションは個人のものだ。

モチベーションに直接働きかけることなんて離れ業はエサもないのに出来っこない。

大切なのは、ムードを作ってモチベーションを生来持っている人間を発掘することだ。

ない奴はない。ある奴はある。

金ずくの一時のアルバイトなら尚更この差は強く反映してくる。

人の精神の健全さが、モロに出るのが金ずくの汚れ仕事だ。

だから小生は単純に死ぬほど頑張ればいいんである。

血反吐を吐けばいいんである。

明快である。






当然、既に満身創痍の状態で8時間頑張ればあとに残るのは、幽鬼に様に憔悴した小生の姿である。実際ボロボロなので演技なんかいらない。現場が終わる7時。「お疲れさま」とか何とか言って解散する。電車に乗るとき、それぞれ行き先が違う。そこで一言。「小生会社戻るから逆方向だ」。スタッフ愕然。この人はまだこの上働くのか?小生も愕然である。毎日こんなである。現場が終わって会社に戻り、正規の仕事を初めて始めるのだ。だいたい深夜までかかる。スタッフは、ボロボロの小生の背中を見送る。で、明日から自分も頑張らねばと思う。


ぶっちゃけると、ここまで小生が頑張って何も感じない人間だって沢山いる。

ま、そーゆー人はいらない。

頭数合わせの人間である。

で、この手合いに何かを期待するのはハナっから無駄である。

どうしようもない人間は実際にいるのだ。だから相手にしなくていい。

あらゆる指導も無用である。

価値があるのは、小生の頑張りで埋もれた「戦力」が発芽するという一理である。

そーゆーワケで、小生の頑張りでなんとか「カード契約部隊」は機能していた。






ま、冷静に振り返って見ると小生がスタッフに人気があったのは、「 単純に鰐口が現場に来ると休めるから 」という理由が1番妥当な気がするがそれは忘れる。


また、仮に雛形がおらなんだら、誰も締め付ける人間がいなくなって、スタッフはサボりまくり、あたら戦線が崩壊していただろうコトも忘れる。


また、小生が音頭をとった現場でマトモに育ったスタッフがいないことも闇に葬る。

都合の悪いことは、とりあえず忘れる。


しかしながら、忘れてはならないのは、その2・3の文章を見ると、












まるで小生が真面目に働いていたみたい

だが















なめるんじゃねえ!















毎日、限界ギリギリまでサボってたっ!









当たり前だ。

誰が真面目に働いてなるものか。

けたくそ悪い。

勤労?

馬鹿を言え。馬鹿を。

殴るぜ?しまいにゃ?

殴っちゃうぜ?

俺は伊賀忍者だぜ?(関係ねえ





とゆーわけで、次回。

実際如何に小生がダメな社会人であったかが全面的に披露されます。

期待して待て!
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by 201V1 | 2004-05-29 21:40 | ■営業地獄
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