湘南の空に立ち上る入道雲を仰ぎつつ、
漠然と振り返る今生の味は、
七色だったりする、
28の夏である。
中学校から帰ってきて、
ようやく送られてきた封筒の薄さに、
夢が叶わなかったことを知った夕方。
刺し違えてでも意地を通すと決めるまで、
明け方まで恐怖で眠れなかった幾夜。
微塵の疑いもなく、
自分にはなんでも出来ると信じていた、
南半球の夜明け。
耐えることがただひとつの抵抗と信じていた、
天中殺の厄年のダマ。
焼糞で粉骨した、
雪振る夜。
噛み締める今生は存外に複雑な味をしている。
一見どんなに大味に見えても、
人間のいる瞬間の裏側には、
必ず別の味が潜んでいて、
あっちがわから、
じっとこちらを伺っている。
振り返れば、
当時は自分さえ気がつかなかった、
裏側の味に、
改めて気がつくことが、
今生の面白いところだと、
小生は感じている。
二度三度と懐古するごとに、
べつの味がするのが今生の妙であろう。
刻には味があるのだ。
それぞれがそれぞれの。
昔その存在すら気がつかなかった、
隠された味を、
なぜ人は、
今日には見つけることが出来るのか、
また、
昔は確かにその瞬間にあったはずのものが、
なぜ今日には、
人が確かめる術さえ見つけられないのか。
あれは錯覚であったのか、
それとも今が錯覚なのか、
やはり自分が変わったからか、
どうして世界が姿を変えたからなのか、
小生は、
知らぬ。
重要なのはだ、
感じることである。
てめえの今生をである。
見事に老いるには、
そういう手立てが必ずいるのだ。
小生は、
見事に、
歳を、
重ねたい。
ビバ・老化
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^2006年7月ごろの和魂想念の殴り書き