なかま

 小生のドタマの中では、

 ともだち と、

 なかま と、

 この2つのコトバは、

 まったく違うもんである。








 ともだち<なかま

 でも、

 ともだち>なかま

 でもない。












 






 






 


 

 前者は、

 いつか、

 空が落ちてきて、

 海の底が抜けても、

 変わらない想い人であり、

 たとえ彼らに背後から撃たれても、

 それをひっくるんで尚、

 世界を祝福できる、

 そんな、

 自分の生涯に価値を与えてくれる、

 魂の持ち主を指し、












 そして後者は、

 かつて同じ空の下、

 世界に抗おうとした、

 同輩のことを指す。
















 今日は、

 その、

 なかま たちの、

 話をしよう。






























 小生は思うに、

 世の中というのは、

 まず、

 まぁ、

 非人情の大海原みてえな代物であり、

 世間はどう取り繕おうが鬼ヶ島であり、

 渡世は奥歯を削ってナンボのもんであり、

 やってられず、

 端的にいって、

 浮世はセメントで碌なもんじゃねえ訳で、

 今現在の小生の目ェ一杯の幸福とはまったく別個に、

 世は世でやはり、

 ド腐れて久しく、

 一向にむかつくのが変わらぬ実態である。









 認めようが、

 認めまいが、

 飲み込もうが、

 吐き出そうが、

 なにがどうあろうが容赦なく、

 目を開ければ、

 地面に打ち上げられた鯨の骸のような世界が、

 眼前にそびえる。






 




 ようこそ。

 ここが、

 世界だ。












 なされるべきことはなされず、

 なすべきことを人がなすには、

 それこそ、

 尻の穴に茄でも突っ込んで往生せねば、

 飛び降りられん清水のソデが、

 我々の人生の舞台であり、

 背中に翼はナッシングである。











 

 
 我々は、

 まぁ、

 どこで生まれようが育とうが、

 とりあえず、

 おんなじ世界にいる。









 暗黒大陸の途上国はどうだとか、

 ジャングルのヤノマミ族はどうだとか、

 利権がらみの戦火の下にいる人はどうだとか、

 小賢しい連中のくだらねえ比較論で、

 「 彼らに比べたら幸せ 」なんて軽薄な理屈で、

 人の人生が幸せになるんなら、

 神棚の世話も犬の世話も金輪際必要ねえわけで、

 たとえそいつが大富豪だろうが、

 たまたま飢餓状態にあろうが、

 まぁ、

 世間は基本的に人権なんてのは認めてはくれないので、

 自分の血筋が折り目正しかろうが、

 馬の骨同然だろうが、

 油断すれば不幸はダマになって襲ってくるから大丈夫。

 人はいつだって、

 たいした理由もなく、

 ある日突然、

 全てといえる何かを喪って、

 希望を失って、

 はじめて世界の全貌を知ることになる。













 絶望というやつが、

 この世界の本当の名前であることを、

 そのときに僕たちは思い知るのだ。
















 我々は、

 絶望の中を、

 生きている。
















 ほとんど全てのひとが、

 知っていて、

 目をそむけている真実。


 







 世界自体には、

 命を削って生きる価値など、

 微塵もない。













 しかしながら、

 希望なき世界が、

 本当に、

 絶望に満ちているならば、

 それが世界の真実の姿であるならば、

 希望の正体は、

 人の正体そのものでもあるはずだ。

 

 

 

 





 希望とは、

 絶望に満ちた世界に、

 抵抗する人の心を指す。








 希望とは、

 闇の中を行く、

 船の先を照らす、

 暗黒を切り裂く光のことである。










 希望そのものである人は、

 希望そのものたりえる。













 人生が希望に満ちているのは、

 人そのものが希望であるからだ。










 小生の言う、

 なかま とは、

 意識 無意識を問わず、

 世界という名の絶望と、

 自らという希望を武器に、

 勝敗を問わず戦おうとした連中のことである。
















 なかま というのは、

 そんな、

 ほとんど馬鹿の手前というか、

 先というか、

 まぁ、

 碌な修飾のつかない聖戦に、

 手前の前途の考慮を忘れて、

 参戦した手合いを指す。

 

 









 

 どっかのだれかの、

 希望が、

 絶望に飲み込まれるのを、

 せき止めるダムの人柱に、

 はからずもなってしまった連中のことである。














 許せねえ なかま もいれば、

 尊敬してやまぬ なかま もいる。









 侮蔑の感情と共に思い出される顔もあれば、

 感嘆とともに思い出される顔もある。






 

 








 どれもがみな、

 たしかに、

 なかま であった。




















 小生にとって、

 なかま とは、

 そういう妙なものであり、

 知人とは、

 かなり趣が異なるものである。


















 知人は、

 脳の記憶の片隅に。

















 なかま は

 あの日の気持ちの内側にいる。







 




















 ろくすっぽ、

 風呂にも入ってねえ顔で。





















 狂っていないふりをして。
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by 201V1 | 2007-02-10 00:08 | カテゴライズ前・生ログ
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