オクトーバー

さて、

小生は、

まぁ、

なんつうか、

ミナマデ言うな的な、

スチャラカ人生をこれまで、

捨て鉢万歳的な無策のもと、

ヘラヘラやっつけてきた訳なんだが、

ここんとこは割かし、

なんつーか、

女房子供に容赦せず、

国替え(引越し)・主替え(転職)とかを、

躊躇なく連打してる分際で我ながらどうかとも思うが、

それは置いとくとして、

ここ数年は、

まんざら真面目であったと思う。(死ね
































何より働いてた。(だいたいは←どかん



















というわけで、

この間、

女房に、

「 振り返らないのが男だと小生は解っちゃった遂に! 」とか、

ギャバンの影響で、

OP見て泣いた直後に宣誓した矢先に、

全体どうかとも思うが、

土台これまでの生き様がどうかってのが全体的に破綻全開なので、

まぁもうこの際、

そういうことを振り返るのは抜きに、

ここ数年の総括が行われつつある当該ブログ。







はっはっは。

読者諸君。

油断するなよ。

もう始まってるんだぞ。

許可とか、もぉ、全部無視で!(いつも

振り返るんだよ人生を!( ギャバン教・脱退

男なんだろ!?

ぐずぐずとか、

いうな!









というわけでだ。

もういいからついて来い。(無理矢理

大事な話なんだから。(嘘をつけ







で、

まぁ、

平たく言うと、

小生は、

ぶっちゃけちゃうと、

中越における、

ビバ・人柱!

猫、火柱!的、

青春の大噴火を満喫し、

燃え尽きちゃってた。(2005年夏)


















魂を灼熱に焦がす、

最深部の火種が、

やるだけ全部やって、

2005年の春に、

霧散したんであり、

見事消えたんである。

















15歳から実に、

27歳まで、

12年間ずっと、

身を焦がしてきた、

「 火達磨になって炸裂したい 」という、

防性の自殺衝動が、

ようやく消えたわけで、

小生はつまるところ、

やっと自由になったんであった。





それは、

まさに、

恐怖からの解放そのものといえる、

本当の意味での自由といえた。











振り返れば、

小生の、

「 燃え尽きるんだ絶対に! 」という衝動および行動は、

自殺をも辞さぬ「 同化 」への断固たる拒絶であり、

実に少年らしい自衛の一手段であったわけだが、

文字通り、

火事場同然の戦場で、

目的を同じにする仲間達と、

最後(小生にとっての)までやった挙句の果てに待っていたのが、

やっぱり「 小生 」であったことで、

最早、

自衛の意味がない自身に気がついたというのが、

小生の中で起きた変化の実態で、

つまるところは、

小生は、

12年をかけ、

どうやら、

メッキの狂気がムクの狂気になってた模様で、

要するにもう、

同化の余地がナッシングな地平まで、

まるごと和魂要塞その人であったんである。











賢明というか、

無駄にコアな読者諸兄は、

死ぬほどご存知の事と思うが、

小生の夢は、

15歳の頃から、

少年の頃に憧れた、

物語の中のヒーローそのまんまの、

魂の色で自らが染まることであり、

ただそれだけが、

望みだった。








で、

全体どうしたかといえば、

小生は、

物凄い怖がりだったくせに、

ヒーローとしての振る舞いを演じ、

信じた偶像ならば選ぶであろう道のことごとくを、

遮二無二に突き進み、

どんどん歳を重ね、

12年間そのままいっちゃったわけで、

馬鹿を通り越してテスラ馬鹿の領域に達するに至るんである。





すなわち、

歴史上の英雄が手にしていた気概であり、

成されるべき事の為に命を投げ出す、

算段を度外視したムクの闘士の精神である。






現場が、

被災地(災禍がすぎた場所)であったのが、

生還の主たる要因だが、

小生はぶっちゃけ、

生きて中越から戻るつもりが、

まるでなかった。





まぁ実際、

最初の任務からして、

余震が続く中で倒壊家屋の深部に潜るなんていう、

自殺志願まるだしの離れ業を繰り出してるので、

あとの7ヶ月とかはオマケみたいなもんなんだが、

あの期間、

小生は、

自分の命の使い場所は、

ここでいいと、

納得していたのであった。










で、

春が来て、

自分の戦場は、

雪溶けとともになくなった。









死に損ねるまでやった自分が、

2005年の春の小生がいた、

境涯である。







見渡せば、

1億2000万の人間が住むこの島で、

そんな気持ちで中越の春を迎える人は、

仲間達の中にさえいなかったんである。











小生は、

まさしく、

このとき、

同化の余地の残っていない自分を発見し、

自衛の妄執から解放されたといえる。








メッキで臨んだ戦いが終わったとき、

立っていた自分はムクで、

削られようが、

割られようが、

砕かれようが、

恐れ知らずの和魂要塞であり、

メッキの下にいたはずの、

14歳の臆病者は、

どこかにいってしまっていた。








いざというとき、

真っ先に同化を始めるはずの、

弱点が、

いつのまにやらなくなっていたんである。






 「 どうやら小生には、

   『 奴等 』のようにはなる余地は、

   最早微塵もないらしい。 」






 

中越が終わったとき、

小生には、

守るべきものがなく、

恐れるものもなかった。






春が、

自由を運び、

風が、

火を消した。














その意味で小生は、

2005年の春以降、

守らなければならないものがない。








あるのは、

守りたいものであり、

どうでもよかった手前の身の上は、

守りたいものを守りきるための、

たった一つの武器であり盾になった。




















































































人生には、

自分はこのために生まれ、

遣わされたのだと、

信じるに足る瞬間がある。






そのどれもがきっと正しくて、

どれもが間違っているのだろうが、

その判断があってるか否かは、

生涯においては瑣末なことであり、

問題は、

信じられる瞬間そのものに、

価値があるのかという問いだと思う。






小生は、

そこには確かに価値があると信ずる。






手前が、

何の為に生まれたのか、

何のために遣わされたのか、

信じられる瞬間は、

人を確信へと導く。







たとえ裏切られても、

間違いだったとしても、

人は信じた分だけ、

確信へと進むのだ。








自分が自分であることへの確信に。

























僕達だけの生涯が。
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by 201v1 | 2007-10-01 01:43 | カテゴライズ前・生ログ
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