法とはなにか?


著作権がらみで、「 法 」とガチったついでにブチ上げ。

議論編「 法律 」である。






法を絶対視することで、

自己の同一性の安定をはかる手合いに、

目覚ましの一撃を食らわせるのがこのテキストの趣旨である。





小生は、広義のアナーキストにカテゴライズされるかもしれない。

順法意識がまるでないからだ。

よーするに、法を足蹴にして、あつらえもんの倫理で生きている。

世間一般じゃ無法者呼ばわりされる渡世人である。

子供と非難するかい?




だがね、俺はどこの誰だか顔も生き方も主義主張も定からぬ怪しげな連中の

テキトーにでっちあげた「 ルール 」なんかに腹を見せて服従するのはゴメンなんだよ。

手前の人生をスジ立てる「 イッコの道理 」を、誰かに預けるなんて馬鹿は終生できねえ。




生涯、自前の倫理でぶっこ抜かせて貫かせて頂く。




仮物の道徳じゃ、土壇場でヒグマと殴りあう気概なんか支えられりゃしねえんだ。

俺はそんな人間になるのは願い下げだよ。

へちゃびれた順法意識なんざ、ハナッからクソくらえだ。





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世の中のルールには大別して2種類の規範がある。

弱きものを守るための「 律 」と

強者が弱者を自由に扱う為の「 鎖 」である。





律は、

人が健やかに成熟できるように、病原から引き離し、病根を絶つための

「 民衆の法 」である。

それは相互扶助の精神であり、生を慈しむ心である。

人の可能性を拡大し、クソみたいな世界と対決し、

記憶の中にある理想郷をいつか顕在化するための「 意思 」だ。

律はただ、社会を豊にする為にだけ存在している。





コレに対し、「 鎖 」は、

力強きものが、自身の力をさらに強大にするために整備した

「権力者の無法」である。

そこには相互扶助の精神も慈しみの心もなく、

エゴだけが厳然と存在する。

さらなる利をもとめ、民衆から自由を毟り取る暴君の道だ。

それはすべからく、人の成長の可能性を奪い取ろうと画策する。

鎖の18番は「 制限 」であり、それは人類の敵だ。







そしてこの人の成長を阻み続ける鎖への抵抗が、人の闘争の歴史そのものなのである。









家庭内のルールや

村の暗黙の了解や

町の掟や

団体の規約や

国家の法律には、

常に「 律 」と「 鎖 」がある。





我々に選べる道は2つ。

それに屈服するか抗うかだ。





「 律 」と「 鎖 」にまるまる同化すれば、

人はそのまま帰属する集団の「 規範 」がもつ拘束力を武器に、

「 犬 」となってそれに抗うものを糾弾するチカラを得る。

自己を放棄し、規範に埋没することで、自身の「 正当性 」を確保し、

安心して暴と一体化できる。

それは、権力の犬特有の、浅ましき精神の奔流だ。

この手合いは嬉々として法を無闇に振りかざす。

恐るべきことに、連中は正義のヒーロー気取りで権力の犬に身を沈めるのである。






正義とは、「 法の守護者 」たらんとする姿勢を指す言葉ではない。

正義とは、「 律の代行者 」として生きようと足掻く気概を指すのだ。

「 鎖の断罪人 」は権力の犬でしかない。

それは人類の敵だ。





著作権法の本来の目的はクリエイターの保護である。

しかしながら、

クソッタレの役人共の手にかかって明文化される際、大きく捻じ曲げられちまった。

法律の定める「 著作権法 」には微塵の侠気もない。

あるのは一抹の正義と、際限のないエゴと支配欲だ。

そしてこの傾向はおよそ全ての「 規範 」にみられる。

小生が、「 法 」はクソだと断言する理由はここにある。




奨励すべきは「 律 」であって、「 鎖 」ではないのだ。






校則にも社則にも、一抹の正義と際限なきエゴと支配欲がある。

曇りのない瞳でみれば、

世の中のルールが如何にくだらない情念で彩られているかは一目瞭然だ。

それに埋没するなんて仕業は、およそ義侠の作法じゃない。

そしてそれは、言い換えれば人の仕業じゃないってことだ。






小生は、「 侠 」の生き方を選ぶ。

「 律 」とともに生きる。

「 鎖 」を受け入れ、「 法 」に従属する気は更々ない。






すべての規範に対し、懐疑的に接触することができないならば

その人は永久に人間にはなれない。

それは犬の人生だ。

規範を疑え。

嘘を見抜け。

帰属する集団に埋没するな。






小生は、順法意識がない。

だから生涯叩かれ続けることになるだろう。

犬との戦闘は不可避である。





しかしながら、戦う相手に選ぶには、動機の格が違いすぎる。

向こうは「 悦 」が目的で寝言を吼えてる。

こっちは命懸けで喧嘩をしてるんである。



ノーガードで打ち合う価値のある敵は、世界であって犬じゃねえ。




だからね、四つ足の生き物には相応の打撃を食らわさせてもらう。

片手間で足蹴にしてくれる。

俺はね、ながーいこと帰属する集団に叩かれてきたおかげで、

自分への助言が「 律 」から発せられたものか「 鎖 」から来たものかよくわかる。





見も知らぬワンちゃんよ。

君の首には赤錆びたババッチイ鎖が巻き付いてるぜ?





小生は法を守らん。

糾弾するがよい。

軌道はそのつど修正してやる。

そのかわり、ベクトルを変える際の勢いは、

手前の顔面に蹴りを叩き込んでゲットさせてもらう。

俺は辛辣だぜ?

容赦なんかしねえ。

覚悟して噛み付いてこい。






鎖を武器に、俺に殴りかかったツケはキッチリ払ってもらわにゃならん。

帳尻のあわない蛮行なんざ、俺の目の黒いうちは断じて許してなんかやらねえ。






反論はあるかね?

受けて立つぜ?

法律?

そんなもんは犬同士もぐもぐしてくんな。





自分のブログで盛大に和魂批判をブチあげてみろよ。

犬にも覚悟があるんだろう。

何度だって、1分のチカラで足蹴にしてやるぜ。




きなよ。

ほら。





寝巻きのままぶっちめてやるぜ。

権力の犬。
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by 201V1 | 2004-07-20 17:23 | カテゴライズ前・生ログ
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