謹賀新年

やあやあ2009年である。



昨年は恐慌の予感すら漂う

不穏極まる1年であったが

今年は果たしてどんな1年が待っているのか

100年前の世界を振り返ってみる。




1909年最大のニュースといえば

何を置いても

「韓国併合」の方針が閣議決定された事であり

これによって朝鮮半島は

翌1910年から

WW2日本敗戦までの35年間に渡り

大日本帝国の植民地として

実質的支配下に置かれることになる。



この35年という年月と

「併合」の2文字によって積み重ねられた

人々が歴史と呼ぶ時代に

何が行われ何が起きたかは

それぞれが考査して

各々が信じたい結論に勝手に至ればいい。




1910年から35年後の1945年以降、

2009年までの64年間を

日本と大韓民国と北朝鮮に住む人々が

どんな暮らしを営んできたかは

それぞれが信じたい情報を選別し

ニワカ右翼はニワカ右翼の

カタカナ左翼はカタカナ左翼の

噴飯物の安っぽい持論を手にすればいいだろう。




命もかけずに

得られる情報と

至れる真実なんぞ

所詮個人の

生臭い願望の煮こごりだ。




あの時代に立ち返り

信じたい側に立って剣をとれとは言わない。




死ぬ理由の正当性が欲しいなんて寝言では

戦争が回避できないことは

ガチの神軍や赤軍なら知っている。



すべての出来事は理不尽でそれは前提だ。



いったい何が起きたかは

議論すべき事柄ではなく

各々が命がけで信じ

同胞に伝えるべき歴史の側面だろう。




重要なのは

わずか100年前

我々のアジアが取り巻かれていた状況は

喰うか喰われるかの弱肉強食の修羅場であり

依然として白んぼ列強による侵略の瀬戸際にあったということであり

この土壇場の時点をもってスタートしたこの100年は

日本列島と朝鮮半島南北の人民にとって

決して「同じ100年」ではなかったという一点であろう。






100年の歴史が無言で教えてくれるのは

人は自分の生まれを

血統も時代も選べねえのは勿論

教育も宗教も選べず

賢愚美醜も選べねえが

先代からのツケとオトシマエだけは

手前の手で

次の世代に直接渡せる仕組みの存在であり

どうやらチャンスはあるという事である。




いつだって希望は残されるのが

驚くべき世界の本質ということか。







100年前。







僕たちの曽祖父・玄祖父とその妻たちは

想像していただろうか。




100年後の子孫の僕たちが

希望はいつだって残されると信じることを。




100年後の子孫の僕たちが

もう100年先の曾孫と玄孫も同じように

希望はいつだって残されると信じることを

願うこの日を。








たった3万6500日で

人は5つの世代を超え、

たった7万3000日で

時は10の時代を超える。





これからの100年に、謹賀新年。





次の100年に希望を繋げる100年を。
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by 201V1 | 2009-01-03 03:00 | カテゴライズ前・生ログ
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