総論・ファッキン古本屋


総括にはいりまする。



えー、まずですね、混乱の収拾を行ないましょう。

大事なことを見落とさないよーに気をつけながら。

実際のところ「 ことの始末 」には、

それぞれの哲学が反映され、それがおのおのの帰結点を決めます。

だから万人が同じ結論じゃなくていい。

それぞれが、それぞれの答えを背負って生きるのが人生です。

それでいい。




だがね、同じじゃなくてもいいのですが、「論質」ってのは大事です。

熱波にはためかない旗なんざ、織る価値はありません。

腰の決まった哲学をもって旗をあげませう。

旗ってなあ、そういうモンです。
















「リサイクル」と「骨董」。

これね、~ファッキン古本屋~を論じ、評する上で、すんごく大事な概念です。

ちょっとここに焦点をあてて論じめてみませう。









まず「古本」。

いわゆる中古本です。

これに対して「新本」というのがあります。

「新本」は、正規の販売ルートを経由して消費者の手元に届く出版物です。

書籍に関わらず、家電製品やCDなどおよそ全ての生産物は

以下の経路で消費者の手元に届きます。






創作者(生産者)>出版人(製造加工)>流通>小売 です。






品物が「 世に出る 」際には、必ず上記の人々の尽力があるわけで、

「 新本 」も「 古本 」も、

それの「 ものの価値 」は、彼等の努力が生み出したものです。(ココ大事)

彼らをここで「 一次生産ライン者 」と呼びましょう。




「 一次生産ライン者 」は、当然、

自身が生み出した価値を「 横からかすめとって利ザヤを稼ぐ手合い 」を天敵とします。

「 価値の発生段階 」において小指1本関与しなかった人々が、

「 価値を生み出した人々 」の利を、無断で削り取って旨みを吸う。

「 一次生産ライン者 」にとってこの現象は死活問題に直結します。






古本屋ってなあ、そういう盗人商売です。

本質的にそーゆー性質をはらんでる。

極めて形而上学的な観点から言い切ってしまえば、

「 作り変えないリサイクル 」ってなあ、必ずこの盗人の性質をはらむのです。

ここが、「 作りかえるリサイクル 」と「 作り変えないリサイクル 」の

形而上学的な差異になります。




アルミ缶から自動車をつくる。

「 作りかえるリサイクル 」ってのは、

「 もののもつ価値と機能をぶっ壊し、新に価値を生み出す行為 」です。

それは、「 いらなくなったものから、新に価値を造る 」ってこと。




不要の本を買い取ってそれを売る。

エンドユーザーに渡った品を安価に買取りこれを売る。

「 作り変えないリサイクル 」ってのは、形而上学的観点から見りゃあ、盗人です。

連中は、才知と機転で「 一次生産ライン者 」の生み出した価値を利用し、

彼らと同じ市場で利ザヤを稼ぐ。

自身はその「 価値を生み出す過程 」においてなんの労力も払わずに、

他者の成果で口を糊するのが彼らです。

ビジネス的な観点から見たら「 常道 」であっても、

形而上学的観点から言えば、彼らは夜盗の類と変わりません。




これと似て異なるものに「 骨董稼業 」があります。

世に言う「 プレミア 」という類の品を扱う商いです。

これはね、「 道楽稼業 」といってもいい。

実際的な機能より「 希少 」であったり「 有名 」であることで値がつりあがる。

「 初版 」とか「 限定 」とか「 希少 」とかっていう機能面以外のトコでつりあがる値。

「 一次生産ライン者 」の労苦とは全く離れて生まれた「 2次的な価値 」で

商いをするのが「 骨董稼業 」です。

彼らは「 時間 」と 「 ファン 」が育んだ価値で商いをする。

そこは「 一時生産ライン者 」との市場の重複はありえない。

「 骨董稼業 」は保存し、発掘することで価値を自ら生んでいる。

利益追求型の「 古本稼業 」と同列に扱っちゃあいけません。

ふたつは全然違うものです。







ぶっちゃけちゃうとね、、

生産するってことは、突き詰めちまえば、それ自体が「 ゴミを生む 」って作業です。

日本のショーケースに飾られてる殆どの「 商品 」は百年後にはゴミになってる。

9割9部9厘はゴミになる。

溢れかえったゴミになる。

生産するってことはそういうことです。

だからね、このスパンを伸ばす「 作り変えないリサイクル 」ってのが持て囃される。

阿呆な大衆は、「 リサイクル 」って聞いただけで「 いいこと 」だと勘違いする。

ばかっちょだ。

盗人を戦士のように崇め奉る。

衆上、救いがたしである。





「 便利 」「 エコ 」「 再利用 」「 不用品に命を 」。




結構なことです。

素晴らしいことです。

もののゴミ化を遅らせるってのは素晴らしい。

使い捨て社会に対抗する機構です。




でもね、忘れちゃならないことがある。





「 もの 」ってなあ、「 一次生産ライン者 」がいて初めてこの世に現れるんだ。

彼らの努力をないがしろにしていいなんて話はない。

彼等の生んだ価値で、関係ねえ野郎が旨い汁を吸い、

生みの親が赤貧に喘ぐなんて間違ってるぜ。

間違ってるんだぜ。

たとえ「 エコ 」だろうが「 便利 」だろうが。






「 作り変えないリサイクル 」をやるんなら、

売値を上げてでも彼らへの還元を行なうのがスジである。

その意味で、それを踏まえねえ中古屋稼業ってなあ、すべからく下郎の商いなのだ。




ベストの道はね、「 スジの通ったリサイクルが行なわれる 」って世界。

ブックオフや中古ゲーム屋はね、法で拘束しない限り絶対シノギなんて供出しないよ。

商人ってなあ、そういう風にできてるからだ。

逆に言えば、その必要がないから連中はこの商いを始めたともいえる。

商人ってなあ、阿漕で何ぼの世界だからね。

本当は、出版業界が一丸となって「 古本ギルド 」を経営すりゃあいいのである。

出版業界の衰退を抑止するならそれが1番手っ取り早い。

どのみち適正価格はユーザーが決めることになる。

まっとうなのはそーゆー世界だ。

それがあるべき人の世のカタチである。





で、あとはなんだっけ?



革命家とアーチストね。



ムズイね。ここは。



俺は思うんだが、革命家じゃなくていい人間て、世界のどっかにいるのかねってコト。



違いはきっとここです。



意見の相違の元はココ。



小生は、人間は「 この世界を変えるために 」生まれるんだと考えてます。

「 たのしいねえ 」では人生は済まされない。

甘ったれたことを言ったらぶっ飛ばされるのが小生の人間観です。



考え方はそれぞれ。

掲げる旗もそれぞれ。



ただ小生の上げる旗には、

「 感動でOK 」なんて文字は描けない。




筆一本で世界が改造できるなら、誰も血なんか流さない。




アートは「 代償行為 」です。



それに変わるものがあってしかるべき「 余興 」です。

本来ならば、俺らは狩や農業に明け暮れているのが当然であって、

この意味から断固アートなんてのは「 余興 」で「 代償行為 」なんです。

えばれるもんじゃあ、ないのです。










革命家ってなあ、人間のことです。





生業でも姿勢のことでもない。




人間そのものを指す概念です。




人はすべからく革命家です。




余興に過ぎない代償行為で満足なんかしてる奴は贋物です。




力を得たら、「 行くぜ 」とモノホンの働きを開始するのが人間です。





この点、小生は頑固です。

頑迷です。

優しい眼差しとは無縁です。

出刃突きつけて生きてます。







非寛容。

たまに大事な姿勢です。

甘さが戦士を腑抜けにする。




厳しく行きましょう。




余興やるなら覚悟を持ってやるのが人間です。

そうじゃなきゃあ、お百姓さんにどんな申し開きができるのか。




1番偉いのはお百姓。




彼らに胸を張れる人生を。




「貴方のつくったお米。無駄にはしませんでした。」




くたばるときに、微塵の疑いもなくそんな啖呵を言い切るにゃ、甘ったれたことは許されない。




小生は、ぬかしたいので、甘言ヌキで生きていく。



お百姓さん、ありがとう。




小生は、トコトンがんがります。
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by 201V1 | 2004-08-02 20:58 | カテゴライズ前・生ログ
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