正しい寝起きの作法。



朝、起きるたびに、想像する。

自分のくたばる映像を。

メチャリアルに想像する。

死の味を舌が感じるくらいにリアルに想像する。















~ ホームに転落した婆さんを救おうとするんだけど、力及ばず電車にぐしゃり ~




 猛スピードで突っ込んで来る電車。

 誰かの悲鳴。

 音の消えた世界。

 うごかねえ身体。

 冗談だろ?

 うお。

 もう、避けれねえ。



















~ なんてことはねえ、通学途中に飲酒運転の軽自動車に跳ねられがくり ~



 ちょっとまて。

 青信号だろ。

 ちょっとまってくれよ。


















~ 竹切ってるとき、スズメバチを怒らせちゃってブスリ。呼吸困難で悶死 ~




 ぜひぜひぜひ。

 変な音だぜ。

 てめえの呼吸じゃねえみたいだ。

 ああ、なんだよ。

 雲がでてきてるじゃねえか。

 お日様が見えねえ。

 暗いぜ。

 昼なのに、暗いじゃないか。














~ コーヒータイムに「 くも膜下出血でぽっくり ~




 お・・

 うお。

 なんだよ。

 カベが下にあるぜ。

 動きゃしねえ。

 なんだあこりゃあ。
 
 夢か。

 変な、夢だ。




















~ 地震で家の下敷きになってぺっちゃんこ ~




 げふ。
  
 気持ちわりい。
  
 なんだよ。このぬめぬめは。

 なんでこんなとこから血が出てるんだよ。

 嘘だろ。

 こんなに血がよ。

 嘘だろうがよ。















~ コンビニで買い物中に強盗乱入。流れ弾を腹に喰らって出血死 ~




 くそったれ。

 くそったれが。

 いてえ。

 ちくしょう。

 こんなトコで死ねるかよ。

 死ねるかよ。

 死ねるものかよ。

















~ サーカスから逃げ出したヒグマから園児を守るために一騎討ち。顔面潰されてオダブツ ~




 くまっころ。

 ぶっころす。

 ぶっころす。

 ぶっこ・・・ろ・・・・・・・す。















 血のニオイがするまで、強く想像する。

 斬られた場所が火箸を押し付けられたみたく熱く感じるほど、強く想像する。

 貫かれた胸から、生ぬるいのが流れているのが疑えないほど、強く想像する。

 寒いぜ。

 ぐるぐる世界が廻っていやがる。













 

 実際に死んだことはないので、

 殴られて気絶した時の体験や、刃物で大怪我した時の感覚や、

 マラリアで死に掛けた夜や、砂漠で脱水症状で意識の飛んだ記憶や

 車に吹っ飛ばされた時の経験を寄せ集めて造った「 死 」のイメージ。

 没入が過ぎると軽い放心状態にすらなる。




























冒頭で「 朝、起きるたびに 」なんて書いたが、

ありゃウソで、実際にはたまにしかやらない。

4ヶ月に一度くらいのスパンで襲ってくる「 鬱 」の前兆を感じた朝に、

景気つけでぶちかます「 特効薬 」である。






小生は、鬱の前兆の「 違和感 」が来た朝に、

この「 儀式 」をかます。

婆様の薬箱からクスねた、どんなドラックよりもこれが効く。

ビックウェーブを吹っ飛ばすにはこれが1番手っ取り早い。







陰気って奴は奇妙な奴で、「 1度死んでみる 」とぽひゅんと消える。







小生の抱える「 鬱 」ってなあ、医者いらずの多分に軽いものだが、

もともと殆ど「 単極性の躁病 」に近い小生にとっては結構な難物だ。







普段の根拠のない自信がぶっ飛んで、

影が元気百倍で内面世界の領土拡大を図り始める。

極めて面倒である。

駆逐するのに手間がかかる。

うぜえ。

胸糞悪い。







腹立たしいのでコイツに出現の機会は与えない。

どうやって?って、話は絶妙にカンタンだ。

1回ガツンと死んでみるんである。








滅茶リアルに、自分を殺す。

いろんなやり方で、執拗に殺す。

何度も何度も立て続けに殺す。

殺しまくる。

凄惨な方法で、幾重も幾重も斬りさいなむ。

布団の中で、汗だくになりながら、なんどもなんども死んでみる。







10回も死んだ頃には陰気な憑き物は見事に落ちる。

信じられないくらい、心も身体も澄んでいる。

前世の記憶をそのまま積んだ、生まれたての赤ん坊みたいな気分だ。

「 さあ、行くぜ 」ってな気分で満載万歳過積載。

細胞全部が「 行くぜ 」と吼える。

命が身体に満ちている。








この「 儀式 」の出典は、

時代小説作家・隆慶一郎の作品群に一貫して流れる「 死人 」の発想である。

小生は、氏の小説から、この「 再生方法 」を学んだ。

不安や怖れを一気に断ち切り、一個の機能として己を純化する方法論のひとつである。







我々は心のどこかで「 生きる今日も 」と考えて朝起きる。

「 さあ死ぬぜ 」って起床する馬鹿はいない。

そこで身体と心に問うのである。

「 ベイビー。今日、おめぇは死ぬんだぜ。覚悟はいいか? 」ってね。

心身にしてみりゃあ不意打ちもいいところである。

衝撃は数倍だ。

「 今起きたんですけど 」ってなモンである。

正に寝耳に水。

だからこそ、絶大な効果を発揮する。

どんな憑き物も一撃で落ちる。








五行陰陽思想を信じている小生にとっては、

人間は存外単純だ。

陰気と陽気でできている。

バランスが崩れると具合が悪い。

崩れたバランスを直すのが漢方やらツボである。

しかしなら小生は医者が嫌いだ。

だから「 再起動 」して無理やり治す。

よーするに、死んでみる。

執拗に死ぬ。

執念をもって自分を叩き殺す。









自殺願望ってなぁ、つきつめると「 やり直し 」の衝動だ。

「 再起動 」を望む心の動きである。

これは正しい。

なぜかってゆーとね、人間て奴は相当の地獄にすら耐える馬力を備えてる。

本来はね。

でもね、たまにゃあそうじゃなくなる。

「 もームリ! 」って状態だ。

それは環境云々がキツイからじゃなくて、

心が最悪の状態までズタボロにくたびれちゃってるからだ。

だから「 直そう 」として心は「 自殺しようぜ 」って言い始める。

自殺ってなあ、一方では「 生き直すぜ 」ってゆー心の動きでもあるのだ。











生き直すには、死ぬに限る。









混乱や鬱や自己不信で情緒が怪しくなってきた時、

奮い立ちたいなら、死んでみるのが1番早い。

布団の中で寝起きに死ぬ。

なんどもなんども自分を殺す。執拗に。愛する人の仇を打つような情熱を持って、殺す。

それこそミンチになるまで微塵にしてみる。

そうやって、自分をもう一度生き返らすのだ。











「 死を想像してみたことがありますか?」
















死んだら家族はどーなるとか、

誰が悲しむとか、

葬式の手順だとか、

そういう浮世の面倒事のことじゃあない。




もっとね、血肉をえぐるリアルな「 死 」だ。

すべからく生き物を襲う「 死 」について、小生は話している。

ダイナマイトで内蔵をぶちまけた光景。

地雷を踏んで粉々になっちまった両足。

肩口からわき腹まで真っ二つにされるその感触のことを話している。

「 死 」とはそういうものなんだ。

血肉で味わう命の終わる瞬間だ。





死ぬってことは、そういうことである。

それをリアルに想像して、

身体を一遍粉微塵にして「 死 」ってのがどんなものか試してみるといい。

壮絶だぜ?

物凄い体験だ。

畳の上の大往生だけが命の終わり方じゃない。

クスリで眠る死なんてのは、かなり特別な死に方だ。

生き物がくたばる時、1番一般的なのは、

肉体を破壊されて無理やり殺されるのが常道なんである。

デフォルトの死ってのは、ナマス斬りにされて死ぬ道だ。







モズがミミズを、

アオダイショウがモズを、

タカがアオダイショウを、

生きたまま食い殺してる。



イワシをアザラシが、

アザラシをシャチが、

シャチをイヌイットが、

食い殺してる。



死んでね、肉体がそのまんまのカタチで残ってるのが異常なんだ。

サメに襲われた人間の亡骸を見たことがあるかい?

あれがデフォルトの死だ。

死ぬってのはああいうことを指す。

壮絶な体験だ。

肉体がもう「 住めないくらい 」ぶっ壊されて訪れるのが「 死 」なんである。

「 死を想像する 」ってなあ、そういうことを言う。

凄惨極まる生き物の最後だ。








映像ってなあシビアである。

想像ってなあ過酷だ。

「 死 」を強引に体験させられた脳味噌が出す結論は一つである。








「 生きるぜ 」









身体って奴は正直で、

「 死ぬんだぜ 」って突きつけられた途端にあわてて全力で働き始める。

「 死 」を体験しちまった心身は、本気で命を燃やし始める。

驚くべき変容だ起きる。

憑き物が落ちて、最後の一日を駆け抜ける尋常ならざる馬力が沸く。





命の力で満たされた人間てのは面白いもので、

「 立派に生きるぜ 」ってわけのわかんねえ使命感に燃え始める。

しめたもんだ。

迷いなんざ吹っ飛んでる。

大事なものがちゃあんと見えるようになってる。

心がちゃんと動き出す。

再起動の成功の証明だ。

死ぬまでに、どうやって生きなきゃいけないか、ちゃんと心が教えてくれる。












俺らはふざけた生き物で、漠然と「 死なない 」って確信しながら目を覚ます。

毎朝ね。

長生きできないだろうって思っている人間でさえ、

自分の死体は綺麗な姿でイメージする。

サメに貪り食われた姿なんて想像しない。

それがデフォルトなのに。









きっとね、正しい寝起きの作法ってのは、

毎朝ちゃんと「 自分を殺す 」ってことを欠かさずやるってことなんだ。

俺は不精が祟ってできないでいるがね。

こんな荒療治で自分を正すことができるのは人間だけだろう。

これはね、特権だよ。

人がまっすぐ生きるために、生来備わってる特殊な能力。






迷ったら、死んでみな。

わけわかんなくなっちまったら、死んでみるといい。

自分のやってることに疑問をもったら、死ぬのが手だ。

自分のやってることに確信があっても、死んでみるのは一興だ。

なにがどうあれ大事なものがホントは何か、ちゃんと心が教えてくれる。





明日死ぬかもしれない。





ホントはね、そうじゃあないのかもしれん。





今日、死ぬってのが本当かもね。





今日中に死ぬってのがスジだろう。





おっかねえぜ。





遣り残したことばっかりだ。





汗だくになって跳ね起きる。






本物の自分に出会おう。





向き合おうぜ、自分の生と。





自分の命に訊いてみるんだ。





「 今日、死ぬが、準備はどう? 」って。





たまげるぜ。






血肉が踊る。





なにくそ。ってね。






修羅場の前に死人になる。





小生の、大事な大事なヒミツの儀式。





和魂要塞からの暑中見舞い。





ちょっと異質な贈り物。




お盆の先取り、してみちゃいかが。
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by 201V1 | 2004-08-08 14:43 | カテゴライズ前・生ログ
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