僕達が守りたいもの。



守りたいものが何かを考える時、

キーになるのは

それが奪われた時の喪失感より、

むしろ

それが脅かされた時の怒りにある。










大切なものの突然の喪失がもたらす、

人に心の動きの範疇を越えた激しい動揺は、

麻薬のキレた中毒者が味わう地獄の苦しみに酷似する。






この身を引き裂かれるよう苦痛の正体が、

カンタンに言うと、

恒常的に人の脳内に満たされている「 幸せ物質 」が一時的に喪失することによる、

一種の禁断症状であることは既によく知られている事実である。








極めてケミカルな理由から、人は喪失感に苦しむ。








この意味において

「 失うことの苦痛 」に焦点を当てている限りは、

僕達は、本当に守りたいものが何なのか、

きっと永久に掴むことはできないだろう。







失うことの苦痛と悲しみと恐怖は、

僕達に、本当に「 守りたいもの 」が何なのか、決して語ってくれはしない。

語られるのはいつも「 大切だったもの 」だ。













キーは、「 怒り 」にある。














脅かされ、人は怒る。

奪おうとするものに、人は怒る。

暴虐に対して、人は怒るのだ。








「 喪失による悲しみ 」は一時的なものに過ぎない。

それは時によって風化してしまう。

思い出の彼方に埋もれてしまう。

残るのは、在りし日の懐かしき記憶と、後悔だけだ。







けれども「 奪われた怒り 」は違う。

それは世代を超え、時に海を越えて伝播する。

時は人から「 怒り 」すら毟り取っていくけれど、

「 怒り 」はそれでも時を越えて蘇る。






悲しみは、その人が「 何に愛されたかった 」を教えてくれる。

愛をくれるものが失われた時に。





怒りは、その人が「 何を愛しているか 」、教えてくれる。

それが脅かされた時に。







僕達は、怒る。

愛するものが脅かされた時に。




















その意味で、

悲しみと愛は同義です。

怒りと愛は同義です。

けれども怒りと悲しみは同じものではありません。


















怒りと悲しみを。

重ねられる生涯を。










大切なものと、守りたいものの両方を。

皆が。
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by 201V1 | 2004-08-16 17:21 | カテゴライズ前・生ログ
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