加齢


学生を脱してから、8年。

早かったね。

18からこっち。

イナズマみたいに春夏秋冬が過ぎていく。

気がつけば正月。

驚いてるうちにクリスマス。

まいっちんぐな特急年月。






学生のころはね、

小学校4年生、中学2年生、高校3年生って感じで、

生きてるだけで「 成長 」してる気になれた。




身体もでかくなるしね。

環境は勝手に変わってく。

知らないうちに推移してく。

楽だった。





学生を脱するとそーわいかない。

○年生なんて「 縦割り階級 」はなくなっちまう。

社会人○年目なんてのは、ホントのところありゃしねえ。

実社会では「 駒としての使い勝手 」が全部になる。

企業人なら当たり前のお話。

社会人なら当然の覚悟。

クソみたいなシステム。




まぁなんつーか、

自分にお鉢の廻ってくる仕事のデカさで、自分のポジションを計ることはできる。

自分の認められ加減と、帰属組織の層のふざけた薄さ、

出遅れてるか、人より先に進んでいるかってトコはね。

自分の中に蓄えられてる馬力を自分で計れる奴は、これからの可能性も読めてくる。

夜明けが近いか遠いかは、心に問えばおのずと分かる。




だがね、それってあんまし大したコトじゃあねーのよ。

問題はよ。

「 どうよ俺? 」って話なのさ。




いつの間にかね、

「 家族 」の中の「 自分 」って歳でもなくなって、

自分が「 家長 」になる歳になってる。

そのうち知らない間に「 長老 」にだってならなきゃいけない。

つまりは、手前はガキのまんまでも、社会は見合ったポストを用意しやがるわけよ。

驚くべきことにさ。





人生50年。

人間、20過ぎて、パパ・ママ言ってる場合じゃない。

血肉を別けた相手でも、他人と断じて自分の命を使って生きなきゃいけない歳だ。

いっぱしの大人の歳。

旦那を支え、女房子供を養って「 当たり前 」の歳である。

まぁ、なんつーか普通はそおだ。

だけども人生ってなあ小癪なもので、早々上手くはいってくれない。





小生は思う。

「 大人ってなんぞや? 」ってね。



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発達心理学者の言葉を鵜呑みにすりゃあ、

人間の精神的な成熟ってのは、35歳で早々に到達するものだという。

うそん。もうすぐじゃん。

その先、更に「 伸びる 」ってのは至難なんだという。




そうかな?と思う。

よくよく考えてみて、ぬう、そうだな。と思う小生。





35歳。

かなり現実味のある数字だ。

そーいわれてみれば、

「 流石に年の功が違うぜ 」

って感慨に焦点を当ててみる限り、

70の古老の金言と、40の壮年の金言の間に大きな落差はない。

人間てなあ、普通は35歳で成熟する。

そういう見方は可能だろう。






「 格が違う 」

そーいう人物ってなあ、確かに世の中にゃいる。

小生はそーゆー人間を知っている。

確かに「 別格 」だ。

年齢を問わず、こういう人間はいる。

彼らってなあ、どんな生き物なのかと思う。

なにが普通と違うのか?

たぶん、キーになるのは、「 どうよ、俺? 」だ。










「 どうよ、俺? 」

ってなあ、つまるところ、研鑽の意気地である。





「 研鑽の意気地 」

ってなあ、世界への気構えを練り続ける気迫である。




「 別格 」

って奴らは、その気迫で、35度線って限界を越えちまった連中だ。

奴らの言葉は重くて深い。




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大人ってなにかね?

子供じゃダメなのかね?





小生は、

人間て奴はみんな心の中に「 子供の自分 」をそのまま飼いながら

大きくなるものだと思っている。




それでいいと思っている。




問題は、そうありながら、ちゃんと「 大人 」になるには全体どうすりゃいいのかだ。






多分ね、「 大人 」ってのは、35度線を越えて初めて「 冠せる号 」なんだ。

世間は二十歳過ぎれば「 もう大人だろお前は 」っていうがね。

あれは「 だから甘えるな 」って意味の言葉だ。

号じゃねえ。



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年月ってなあ、待ってくれない。

泣こうが喚こうが歳はとる。

しのごの喚いてどうにかなるもんでもない。

泣き言は受け付けてもらえない。





俺らにはね、否が応でも、役割がまわってくる。

「 大人 」の役割って奴が。




世界が狂ってるのは、

ガキが大人のツラを被って政をやり、組織の指揮をとり、教鞭を振るっていやがるからである。




狂ってる世界は、

俺らがまだ準備もできていないのに、子供でいる権利を取り上げて、

「 大人の役 」をやらせる。


無茶苦茶である。








だがしかし、やらにゃあ、ならない。

時が止まろうがなんだろうが、

人ってなあ、

「 大人 」になる為に生まれるんである。







心理学者はね、「 35歳で頭打ち 」ってぬかしてる。

まぁ、それはいい。

小生は反論しない。

問題はそこじゃねえから。





20だって、30だって、40だっていい。

35度線を越えたところに、モノホンの人間の凄味ってのがあるなら、

そこを目指すまでである。




「 別格 」の人間に、追いつく。

掲げるなら目標はここしかない。




そのためには研鑽だ。



世界への気構えを練らなきゃいけない。



35度線を越える為に。















エイジング?

寝ぼけろ。

そんな概念は邪魔だ。

人間をダメにするエセ哲学だ。







35度線を突破して、俺は断固として、連中のいる土俵に行く。

なにがなんでもだ。

じゃなきゃ立派に生きられん。

前のめりに死ねん。

次代の礎になれん。

そんな人生は、まるごと全部願い下げである。








加齢ってなあ、助走である。

35度線を飛び越える為に、人間は走るのだ。





歳をとるとはそういうことを言う。



















そういう気概を指すんだぜ。
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by 201V1 | 2004-08-20 23:03 | カテゴライズ前・生ログ
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