和魂ともだち論
ダチんコ論


小生は、あんまし友達をつくりません。

正確に言うとですね、20過ぎてから知り合った人々の大半と

友達付き合いをまったくせずに来ております。

友人の殆どは学生時代の悪友であり、職場で友人つくらない。

なんでかしら?






第一には、小生が1人が苦じゃない人間てゆーのがあります。

お祭りとかにもまず参加しません。

なんつーか、ドンチャン騒ぎの只中にいると、「 何か違う 」って感じるのよ。

集団で浮かれるのが、生理的にイヤ。

集団でヒャッホーてのが、好きくない。

職場の飲み会とか断固キライ。






人見知りではありませんが、居心地の悪さには敏感です。

安心できない人々と同じ空間にいるのが非常にイヤ。

その上で、酔え、騒げ、楽しめなんて雰囲気に投げ込まれたら、小生は発狂します。

何が悲しくて腹に一物もった連中と飲まなけりゃならねえんだ。

オロすぞ、こんにゃろ。






とゆーわけで、小生は集団で騒ぐのがニガテ。

純然たる同級生からの「 盆正月の飲み会 」のお誘いも尽く蹴って生きてきています。

頻繁に誘われますが、全て拒否して生きてます。

だって居心地悪いから。

「 油断ならない知人 」と飲む酒なんか旨くもねえ。

とゆーわけで、小生は「 未知の油断できる人 」を飲み友達にしている。

よーするに、ショットバーで開拓である。






小生にとって、「 知人 」と「 友人 」の境目は、「 油断できるか否か 」にある。

「 油断できる相手 」という奴は、余計な戯言を言わない。

小生にとって、「 余計な戯言 」を投げてこない人間とゆーのは重要なファクターである。

ここがキモと言ってもいい。( わがまま







「 余計な戯言 」で、小生の神経が逆立つ危険のない人々が「 友人 」である。

元来沸点の異常に低い小生にとって、「 余計な戯言 」をぬかす手合いは、

まったく油断のならない人々と言える。

キレないように、キレないように自分を抑えながら付き合わなければならないからだ。

つまりである。

小生のとっての「 友人 」ってやつは、

小生の肝魂をよくよくわきまえており、感覚的に距離と言葉を選ぶ野性の勘に皆長けている。

打者である小生を不快にさせるような、無体な危険球を投げてこないのだ。

打者たる小生は常に前傾、ストライクゾーンはイビツである。

したがって「 友人 」の尽くはイカしたピッチャーだ。

だから小生は存分に油断できるのである。

小生が求めているのは、

フルスイングできる魂の入った直球・変化球であり、

みだらな危険球は胸クソ悪くて土台ごめんだ。( 殿様バッター








まぁなんつーか、「 油断ならぬ人生観 」そのものに甚大な問題がある気がするが、

この際それはどーでもいいとして、

更なる論点は「 友人 」と「 知己 」の境界である。

実のところ、これが1番難しい。






ショットバーで知り合った「 油断できる友人 」は多い。

しかしながら「 知己 」となるとまた違う。

知己ってなあ、「 友人 」の中の一部の人々を指す言葉である。






「 知己 」って何かなと考える小生。

捉えるのが極めて至難な概念である。






漠然と油断できる飲み友達と、知己の間には甚大な差がある。

こりゃあ何かねと戸惑ってみる。

解決しないので更に考察してみるが、なかなかビタンコな言葉が見つからない。

見つかった。

ビタンコである。

よーするに、ビタンコかどーかだ。

単純な話だ。

それは「 共有 」と言ってもいい。







御存知の通り、小生は少しばかり特殊な思考と嗜好をもって浮世を偲んでいる。

「 ズレてる 」のは承知である。

上等だとすら考えている。

ナメた手合いである。

その場にいるようでいて、いつもそこにいない不届き者。

渦中の只中にいながら別の理由で抜刀してる阿呆である。

「 知己 」は苦笑しながらそれすら共有してくれる。

いつも黙ってやってくれるのだ。

「 しょうがねえな 」って。

すごい連中である。

ズレにビタンコをかましてくるのだ。






彼らは一文の得にもならないのに、

小生と記憶を共有し、

痛みを別ち、

想いと思いを自分の胸に刻んでくれる。

バックアップを取るように。

ウイルス入りを覚悟して。







刻み会う「 友人 」が小生にとっての「 知己 」である。







小生の中で生き続けている連中がいる。

それは終生の友人達だ。




彼らとは、たとえ死んでも友人である。

小生が明日死んでも、連中の中の小生は不滅だろう。

連中が明日死んでも、小生の中の連中は不滅である。

知己とは、想いと思い共有した、不滅の友人のことを言う。





万感の想いを込めて、不滅の友人達の名前を呼ぶ。




万感の想いを込めて、彼らの名前を叫ぶ。
































小生は、死に極めて鈍感だ。

幼いときに友人を亡くして以来、喪失では涙が流れなくなっている。

悲しみの感情を押さえつけるようになっている。







それでもね、きっと俺は泣く。

彼らと2度と会えない現実を突きつけられたとき、

小生はきっと耐えられず、泣くだろう。

身を引き千切られるような苦痛とともに、嗚咽するはずである。





知己ってなあ、そういう人々である。





小生には、素晴らしい知己たちがいる。

彼らは小生の誇りだ。

小生は、彼らあっての小生である。





小生の馬力は、彼らがあって今も健在なのだ。

彼らなしには、この馬力はとっくの昔にクソ世界に蹂躙され葬られていたはずである。

いつだって、ピンチの時には彼らが背中を支えてくれた。





今の自分がいるのは、連中の存在があったからだ。














小生は、「 知己 」を「 ともだち 」と呼ぶ。






ともだちよ。

俺が活きてるのは、お前らの御蔭だぜ。












ピンチの時は呼んでね。







相手がヒグマでも、俺は先頭きって勇ましく戦おう。

君らの為に血を流せることに喜びを感じるぜ。

うぉりああ。ってね。






勝とうが、負けようが、お前らが死地にいるなら、俺の居場所はそこしかないもの。





だから、呼ぶのよ。必ず。






飛んでいくぜ。何処にだってよ。






俺はね、君らとだったら、馬鹿騒ぎしたいんだ。
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by 201V1 | 2004-08-23 02:37 | カテゴライズ前・生ログ
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