和魂要塞的・神怪世界観。


中国の「 神怪世界 」、のヒエラルキーと成り立ちを考える時、

重要になってくるのは、

五行陰陽思想・仙人思想・老荘思想・物神崇拝・精霊崇拝・封建社会・多民族国家

といった「 事実 」である。

この全てがない交ぜになっているのが「 中華思想 」であり同時に「 神怪世界 」といえる。

中華ファンタジーをセメントでやる場合、「 仙人 」という単語ひとつですら、

五行陰陽思想・仙人思想・物品崇拝・精霊崇拝・封建社会・多民族国家としての歩みの

全てを学んでおかない事には一言たりとも語れない。




そこには我々日本人の想像を絶する「 仙人と神 」の概念がある。

まずは東洋思想の根源にある霊性と実性を明確に定義することで、

前回「 神怪世界創世記再編 」に続き。

「 神怪世界観 」の整理を行なう。







① 霊性と実性




全ては陰陽で語られるのが道教であり、神怪ものである。


しかしながら実際の「 神怪世界 」は、

世界の万物は陰陽(太極)起源の霊性と、盤古起源の実性のうち、

霊性のみないし双方からできている。


この「 奇妙なズレ 」が掴めないと中国神怪世界はさっぱり分からないままである。



世界には、

陰陽(太極)起源の「 霊性 」と、

盤古起源の「 実性 」の2つがある。





霊性のみの存在が「 超常の者達 」であり、

霊性と物性の双方を併せ持つのが「 非超常の者達 」である。






○「 超常の者達 」


まず初めに、霊性のみの存在である「 超常の者達 」について述べてみる。



天帝や三清など、最古の超仙たちがこれにあたる。

天帝の孫にあたる泰山に封じられた東岳大帝などのも純粋な霊性のみでできている。

雷の化生である九天応元雷声普化天尊や

星座の化生、北斗真君・南斗真君、

天地に満ちる精気の集まって生まれた東王父や西王母などの

仙王・仙公・仙泊も「 超常の者 」である。



純粋に太極と五気の中から生じた彼ら「 精霊 」に、

陽気から生まれた霊獣と、陰気のみで構成された人界の魔物と幽界の鬼を加え、

更に周天法によって陽気のみで造られた陽神を生成しこれに仙居(タマシイを移す)して

「 真人 」となった人間起源のごく一部の仙人を含めることで

中国神怪世界の「 超常の者たち 」は完成する。




カンタンにいうと、彼らは魂魄だけかそのどちらかだけで構成された者達である。



魂魄とは、タマシイのことであり。タマシイは陽気の魂と陰気の魄から成っている。



その意味において、彼らは「 広義の精 」であるといえる。




肉体のない精は不死であり、存在を静止させるには五気と陰陽に働きかけるしかない。

そのために人を仇なす精(魔物)を調伏する「 方術 」があるわけだ。






○「 非超常の者達 」


次に霊性と実性の双方を備えた「 非超常の者達 」を上げる。


まず初めに、人界にある目に見えるものの精霊以外の全ては、この仲間である。

人間も、人間起源の仙人の殆ども、

獣や器物やそれらを起源の妖仙も、妖物も霊性と実性をもっている。



人間起源の仙人のうち、霊性のみで構成されているのは「 真人 」のみである。

これ以外の仙人と導士は論理的には霊性と実性の双方をもっていることになる。



仙人には、最古の超仙や真人などの霊性のみで構成された者達と、

霊性と実性の両方を備えた一群があるわけだ。

ここが「 仙人 」という概念のキモになってくる。

ここがキモである。








○仙人


仙人という概念は、極めて捉えづらい。

以下に事実を列挙する。



中国では「 仙人 」という言葉が日本における「 神 」と同じ意味でよく使われる。

「 仙人 」には色々な種類がある。

「 仙人 」は元は人間である。

「 仙人 」は元から神である。

「 仙人 」は神ではない。

「 仙人 」は元が物や動物だったりする。

「 仙人 」はたまに妖怪になる。




ということになる。

さっぱり意味が分からない。

なんじゃあそりゃあ。

である。




「 仙人 」って概念を最もカンタンに言うと、

彼らは元始・霊宝・道徳の「 三清 」が書いた、

洞真部(大乗)・洞玄部(中乗)・洞神部(小乗)って経典を信じる信徒のうち、

一定のレベルより上の神性を獲得している「 存在 」を指す「 概念 」なワケだ。

天帝や三清自身も当然これに属する。

よーするに道教の高僧と考えてもらえば分かりやすい。






仙人には、大別して起源が6つある。





陰陽の中から生まれた精霊としての仙人。
(  最古参の仙人たちの尽くがコレである  )

人と仙人の境界が甘かった神話時代の英雄達。
(  伏羲と女娲などの三皇五帝は無条件で神格化。 )

獣や器物が年月を経て化生し、道教に帰依した封神演義などの妖仙たち。
(  してないやつもいる。厳密に言うとしてない奴は妖怪ないし破戒仙である。  )

道士が修練と得を積むことで仙人となった場合。
(  仙人を目指し成功した道教の探求者である。 )

道士が修練と得を積み周天法によって真人となった場合。
(  ある意味ではこれこそが真の仙道といえる。 )

仙人を目指すことなく死んだ偉人達。
(  三国時代の関羽雲長など )






でだ、問題なのは上記の仙人たちがその出自に関係なく、

偉い偉くないの区別をつけられている事である。



道教の仙人にはユダヤ・キリスト教の天使達のように「 階級 」があるのである。



天帝と三清と三皇五帝の12人の超仙は「 別格 」である。

キモとなるのはその下に、上から順に以下の様な32もの階級が存在する点だ。

( ちなみに西洋の天使は12階級である。)



仙王

仙公

仙泊

至仙

霊仙

神仙

真仙

天仙

玄仙

大仙

高仙

上仙

至真

霊真

神真

真真

天真

玄真

大真

高真

上真

至聖

霊聖

神聖

真聖

天聖

玄聖

大聖

高聖

上聖

地仙

尸解仙




おいおいおい。ってな感じであるが、複数の資料にそう書いてあるのだ。

統合すると上記のようなカタチになる。

要約すると、仙王・仙公・仙泊・九仙・九真・九聖・地仙・尸解仙という序列である。


仙王・九仙が玉清境・清微天に、

仙公・九真が上清境・禹余天に、

仙泊・九聖が太清境・大赤天に所属する「 仙官 」であり、ここまでを「 天仙 」という。

「 地仙 」は空を飛べないので天に登れない仙人であり、

「 尸解仙 」は最低辺の仙人を指す。(といっても道士としては大成功である。)





キモになるのはこの「 仙官 」って概念だ。

つまりだ。

仙界ってなあ、世界を管理する「 役所 」なんである。

そして仙人ってなあ「 役人 」なのだ。

ここを抑えておくと、

後で述べる「 中国の神の実態 」と「 仙界の全容 」ってのが理解しやすくなる。

覚えておいてけろ。




とゆーわけで、仙人には階級がある。

で、道教とその源流である神仙道ってのは、

共に「 仙人 」になることを目指しているワケで、

問題はどーやったら「 仙人 」になれるの?って話である。







○ 仙人になるには?

それではそろそろ具体的な「 仙人への成り方 」ってのを書こう。

えーとですな。

まず初めに断っておくと、道教の目指す「 真人(仙人) 」ってなあ、

「 天界の役人 」としての仙人ではない。

「 道 」と合一することで、真の人間を目指すのが道士である。

※<道>   太極(陰陽)のこと。カンタンにいうと「 真理 」である。




導士は<道>を追求したその結果として「 真人(仙人) 」になり、

場合によって「 天界の役人 」として登用され「 神 」になる場合があるのである。

「 ○○の神 」というのは「 ○○の係りの人 」という意味に極めて近い。

道士ではない関羽などが後年地獄の長官などになっているが、

彼の場合は生前の業績が認められ、死後「 地獄の係 」についたワケだ。




まずおさらいである。

人間である道士が、成れる仙人は以下の3種類である。

すなわち、上級から順に天仙・地仙・尸解仙の3つだ。

彼らはいずれも不老不死である。



仙界(三十六天)に登れるのは「 天仙 」のみであり、

必然的に神になれる可能性があるのは原則的には「 天仙 」だけである。



次に「 地仙 」がいる。功徳低く「 天仙 」になれなかった仙人である。

空を飛べないので、当然「 神 」になるのは難しい。



最後にくるのが「 尸解仙 」だ。

文献によって諸説あるが、端的にいうと「 仙骨 」がない道士はこれになる。

生まれる前から仙人になることが決まっていなかったものは、この方法でしか仙人になれないのだ。

尸解仙については記述が不鮮明な部分が多く、後に自説を紹介したい。







とゆーわけで、道士は道との合一(仙人)を目指して修行する。






具体的には「 外丹法 」か「 内丹法 」の何れかの秘術をもって

「 天仙 」に「 成る 」ワケだが

天仙への道は長く険しい。

まずは善行を行い、徳を積まねばならない。

天仙で1200、地仙で300の善行を行い功徳を積まねばならないのだ。

その間に一度でも悪行をなせば振出しである。

ほとんどイジメだ。



それでも皆、頑張って功徳を積み仙人を目指す。

功徳を積むには人助けをするのが早い。

というか、道に従って生きる場合は人助けは当然である。

無能のままでは人助けはできない。

病気になってるヒマはない。

異能の力で魔を駆逐し、医術で人を救わねばならない。

ってゆーか最終的に「 内丹法 」か「 外丹法 」を極めていなければ仙人にはなれない。





結果として「 内丹法 」「 符術 」「 外丹法 」(いわゆる方術)が発達する。






道教と神仙道は実のところ相反する部分が多い。

じつを言えば、

老荘思想を起源とする道教は「 道との合一を目指す 」極めて求道的な宗教である。

これに対して神仙道は「 長生きしたい 」という人間の欲望が具現化した迷信といえる。

もともと動機が180度違うんである。

しかしながら結果的に「 真人(仙人) 」になるという点は同じであり、

「 どんどんいけ 」ということで、今の中国がある。( おそるべし漢人




仙人になるためには、

どっちにしろ道士は外丹法か内丹法のどっちかを極めなければならない。



外丹法とゆーのは、カンタンにゆーと製薬である。

最終的に「 金丹 」という丸薬を造りこれを呑むと仙人になれる。(錬金術である。

天仙・地仙のどちらに成るかは徳次第である。

足りなすぎれば薬は効かない。無駄骨である。



内丹法とゆーのは、体内の気を充実させる方法であり、

究極の奥義である周天法によって陽気からなる自分の分身「 陽神 」をひねり出し、

これに自分のタマシイを移す事で「 真人 」となる方法だ。




前者は「 長生きしてえ系 」の神仙道の色彩が強く、

後者は「 求道的 」な老荘思想の色彩が強い。(ように思う。



中国の奥深さがにじみ出ている。



この両者の隙間を突く、抜け穴的な方法が、第三の「 尸解仙 」への道である。



中国には古くから「 運命思想 」というのがあり、

「 すべては天命次第 」といった達観がある。

しかしながらこの達観を諦観と断じる発想を内包するのが中国4000年であり、

「 気力が運命を変える 」という発想がある。

「 足掻き理論 」である。( 小生の好みである。

仙骨がなくても仙人には成れるんだぜ!ってゆーのが「 尸解仙 」だ。

要は気合である。笑




尸解仙に関する記述は少ない。

方法論として書かれているのは、



筆に「 神丹(金丹の一種) 」を溶かした水をつけ、

剣ないし棒の両面に「 太上太玄影符 」と書いた札を張る。

するとそれが自身の分身になるのでこれを死体に見立てて本人は深山へ去る。


ということだけである。

これでは単なる移せ身の術であり、「 家出 」だ。





キリストの復活によく似たイカガワシサが満々である。





これが仇となり、後年災害や寿命で死んだ宗教家の多くが

尸解仙として奉られることになった。

転じて死去することを尸解と言うようになったほどである。




ここから自説を展開したい。

本来「 尸 」という漢字は、

人の身体に住むといわれる3匹の虫「 三尸 」を指す漢字である。

脳・胴・下半身に住む青姑・白姑・血姑の三匹の虫を三尸という。

彼らは病気の元にもなるが、

何より恐ろしいのは玉帝上皇(天帝)の下僕であり、宿主の悪事を天に告げる点にある。

人間の寿命や健康は天帝の思いのままであり、

例え些細な悪事でも三尸の密告によって人の寿命はちじめられる事になる。

道教の説く人間の寿命の定齢は120歳だ。

現代で限界といわれている年齢に極めて近い。

人がその年齢まで生きられないのは「 三尸 」の密告の為と解釈できる。



仙人への道のハウツー本である「抱朴子」の葛洪も、

仙人になるには「 三尸の虫を除去せよ 」と説いている。



葛洪は仙人実在論を論じた神仙思想の大御所である。

「 長生きしてえ 」と天命に抗い続けた人物だ。



仙人とは、本来天帝の下位に位置する仙界の眷属である。

そして三尸は天帝の下僕である。

つまりだ。

「 三尸の虫を除去する 」という発想自体が、

逆賊と断じられる危険を孕む背徳的な着想なのである。



道教では服餌といわれる食事療法で三尸の虫の活動を抑え、

三尸の密告を阻むことで長生を図ろうとする。

しかしながら、三尸を抑えることはできても完全な駆逐を伝える服餌は存在しない。

数十種類ある金丹の第二に「 神符 」という3錠で三尸をいなくならせるものがあるが、

「 病気が治る 」という記述があるだけで、

三尸の最も恐ろしい機能である「 密告 」に関して何の注釈もないのは不自然だ。

おそらく外丹法では三尸を完全に駆除することは不可能であったと思われる。



しかしながら、である。

「 尸解 」の解の文字は、明らかに「 三尸の駆逐 」を意味するものであり、

天帝の監視からの脱却を指している。

尸解仙の名が意味するのは、限りなく「 創造主からの自由と独立 」である公算が高い。




尸解の具体的な方法は、外丹法で生成した神丹と符術によってしか、説明されていない。

おそらくキーになるのは、欠如している内丹法による気の充実だろう。

尸解仙への第一段階には、隠された内丹法がある。

これによって三尸を完全に駆逐し、

神符と符術で姿をくらまし「 創造主からの独立 」を目指したのが「 尸解仙 」と思われる。








長生を望み「 天仙 」を目指す貪欲な人間像。

道との合一を目指し、「 真人 」への扉を開く求道者の魂。

造物主からの独立を希求する運命への抵抗者「 尸解仙 」。







さすがは中国。

小生は、今、舌を巻いている。

漢人の血が流れていることに、今日、改めて深い感慨を覚える。

しびれた。






とゆーわけで、人は様々な思惑で仙人を目指す。







○ 神怪4000年の奇跡



明代の神怪小説である封神演義に登場する通天教主揮下の截教の仙道(仙人)には、

獣や器物由来の「 妖仙 」が非常に多い。





獣が神格化される事例は洋の東西を問わず世界中にある。






しかしながら器物それ自体が単独で化生して「 動き出す 」という神格は

西洋にはほとんど見られない。

これは物神崇拝が特異な変容を遂げた結果である。

宗教的フェティシズムと言われる物神崇拝は、

人類が手にした最初の「 宗教 」である。

その歴史は8万年前まで遡る。




物神崇拝においては、

物そのものに「 霊力 」があり、

物がそこに存在するだけで「 その霊力が現世に影響 」を及ぼす。

熊の毛皮やライオンの爪が「 持つものに力を与える 」といった具合である。





通常、フェティシズム(物品崇拝)は

「 物それぞれに別個の神格が備わる 」とする第1アニミズム(汎神論)、

「 世界の背後にあるより大きな霊性 」を信仰する第2アニミズム(精霊崇拝)、

「 霊力を持った物(文字) 」を人自らが創造するシンボリズム(象徴崇拝)へと移行する。



北欧では「 ルーン文字 」と「 数多の神々 」へ移行し、汎神論は影を潜めた。

中国ではシンボリズムは「 符術 」に、第2アニミズムは「 雷帝崇拝 」などに移行したが、

物品崇拝自体もまた、特殊な汎神論へカタチを変えて残っていく。

中国では「 霊力を持った器物 」が化生して「 実際に動き出した 」ワケである。

器物由来の妖仙(妖怪)の登場である。



アニミズム(精霊崇拝)の次の段階にはトーテミズム(族霊崇拝)があるが、

漢民族が小数民族を吸収していった中国においては「 族霊 」という概念はない。

モンゴルのような「 蒼き狼の末裔 」とかいう発想はないのでる。

そのかわり「 気 」という独自の呪術体系が発生することになる。

自民族の創世神話の原点に「 陰陽 」の発想もつ中華ならではの

「 特殊族霊崇拝 」である。

この特異なトーテミズムは陰陽思想・八卦・五行へと受け継がれ、やがて内丹法に辿りつく。

五行陰陽思想の成熟であり、族霊回帰の仙人思想がここに開花した。



トーテミズムに続いて発生する、

精霊を操るシャーマニズム(祖霊崇拝)は

道教における方術の中で、雷帝の力を借りる雷法や召鬼法・巫蟲に変化、

方術世界を鮮やかに彩っていく。





大中華において、

フェティシズムは「 物 」に命を吹き込み、妖仙を生んだ。

シンボリズムは「 文字 」に魔力を与え、符術を生む。

アニミズムは「 神々 」に沢山の神格を与え、賑やかな神怪世界を生んだ。

トーテミズムは「 陰陽 」を族霊に、揺ぎ無い仙人思想を生み、

シャーマニズムは「 方術 」へと転じ、ダイナミックな活劇を生む原動力となった。




正直言って、これほど完成された「 世界観 」は他に類をみないと言っていい。

中国(道教)の神怪世界は仏教の影響を非常に強く受けているが、

彼らはそれを遥かに凌駕し圧倒する「 世界観 」を作り上げたと言える。

ばらんばらんの中国神話であるが、

死ぬ気になって16時間PCの前で唸り続けた甲斐があった。

面白すぎるぞ。中国人!



○ 次回予告



 中国の神の実態      ・ 神と仙人の概念的相違について検証します。

 仙界の全容         ・ 神怪世界の全容を簡易におさらい。
 
 方術              ・ 道教の道士たちの用いる方術の詳細です。

 五行陰陽思想と八卦    ・ 中華の核心部分を網羅。
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by 201V1 | 2004-08-25 12:58 | カテゴライズ前・生ログ
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