酒客・和魂要塞
エキブロ病院TB企画第3弾:お酒


小生は、ストレスで呑むタイプである。

いわゆる「 酒好き 」とはちょっと違う。

怨嗟を洗い流す為に呑む。

そういう酒が圧倒的に多い。

企業戦士時代は親の仇を討つように呑んだ。

自殺する勢いで朝まで呑み、2時間だけ寝て、日に16時間とか働いていた。

自分が不死身だと知った2年である。( 巨大な過信





旧来の仲間たちと集まって、大酒を喰らうケースはまずない。

毎回唇を湿らす程度である。

純然たる儀式だ。

彼らといれば酒はいらない。

雰囲気だけで十分酔える。






恋人と2人きりで呑む酒だけが、

「 いい酒 」である。





よーするに、小生が飲んできたアルコールの殆どは、

怨嗟を流す洗浄剤としての液体だった。




普通、この手のストレス発散の位置づけで呑まれた酒は、

人間を「 酔っ払い 」にする。

しかしながら、小生は決して「 酔わない 」。

無様がキライだからである。




小生は、なんだかんだ言って、美学に五月蝿い。

頑固爺である。

「 美しいか否か 」ってのがカナリ重要な選択のファクターになる。

世間でいう「 カッコイイ 」とは感覚が甚大にズレているため、

あまり指摘されたことはないけれど、

間違いなく「 美学の人 」ではある。

とりあえず、ナルシシストであることは天地神明に誓える余談を赦さぬ事実である。




いきつけのショットバーでは、

「 酒に強い 」という評価を必ず貰うが、実際にはてんで弱い。

呑みまくった挙句、酔わなくなっただけである。

限界は結構早めにやってきて吐き気が来る。

実際、マラリアを五回患っている小生の肝臓は、

一時は崩壊の一歩手前まで追い込まれた。

お蔭で20歳から23歳までの3年間は一滴も体が受け付けなかった。

コップ半分のビールで吐いた。

現在の「 強さ 」は莫大な酒量(自棄酒)が培った賜物である。




「 酔わなくなった 」のは、

「 酔ってないように見える 」のは、

自棄酒を煽らねばやれないクソ環境と、

乱れることを赦さないクソ美学の生んだ結果である。





小生は、酔っ払いが嫌いだ。

正確には、勝手にラリって絡んだり潰れたりする手合いが、キライである。

潰れるのは、まあいい。

可愛いもんだ。

不細工だが、可愛い。

無様だが、まあ赦せる。

潰れる一歩手前の酔っ払いなんか大好きである。

フラレて呑んで潰れてる人なんかも好きである。

しかしながら、酔って絡む馬鹿は殺す。

万死に値する。

そういうわけで、歓楽街で小生に絡んできた酔っ払いは、

その尽くが大地から引っこ抜かれて、地べたにアタマから叩き落とされている。

死んだってかまわないつもりで毎度毎度投げている。

全力投人である。( こわすぎる造語

大抵、血が吹き出してるが、当然の帰結だ。

小生は、絡んでくる阿呆には容赦はしない。

年齢を問わず、天運尽きたと諦めてもらう。




酒を呑む自由は万人にある。

酔う自由もしかりである。

しかしながら、

酒を呑むというコトは、

そのまま一顧の酒客として「 酒界の末席 」に名を連ねることだという事実を忘れれば、

そこにいるのは只のラリ公である。




酒はドラックだ。

マリファナなんざメじゃない中毒性をもつ兇悪な薬物である。

酒客となるか、ラリ公になるかは、個人の意識の問題だ。

小生はラリ公が嫌いである。

絡んできたら、必ず地獄へ送っている。

なぜか?

連中は百害合って一利もないからだ。

楽しい気分を台無しにするのが「 ラリ公 」である。





飲酒のスタイルはそれぞれである。

どれを「 よし 」とするかは文化による。

西洋の飲み方はスマートだ。

彼らは「 楽しい雰囲気 」の為にアルコールを使う。

日本の歓楽街の無様な酔っ払いのような溺れ方をするのはホームレスくらいだ。

小生は、多くの日本人が行なっている「 ラリリ酒 」が嫌いだ。




酒を呑むのは個人の勝手である。

日本文化がラリ公を肯定するならすればよかろう。

だがしかし、小生は容認なんかしてやらねえ。

絡んできたら、仕留める。






いい喧嘩をしよう。

ラリ公諸君。

小生は、絡まれたら全力で投げる。







大地にアタマ打ち付けて、酔いを醒ましたまえ。







諸君らは、無様だ。

そんな姿をガキドモに晒す機会は。

一刹那だろうと貴様らには与えん。




「 呑んでも酔っても断じてラリるな。 」




酒客の最低限のマナーである。
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by 201V1 | 2004-08-31 17:33 | カテゴライズ前・生ログ
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