ケンケンといふ男


いわずもがな、「 こちらサポセン 」の管理人である。

小生は、彼が好きである。

同年代じゃ滅多に見られない「 識 」のカオリがするのがその所以の一。








完成された人間特有の「 中庸 」が彼にはある。

それは小生が遂に手にすることなく

生涯を終えることになるであろう稀有な「 資質 」である。





「 中庸 」とは、「 どっちつかず 」を指す言葉ではない。

天に唾吐く無法が「 勢 」であり、

国家文化に隷属する順法が「 静 」ならば、

中庸とは能動的な世界に対する「 制 」の姿勢を意味する言葉である。







果たしてどんな人間なのかと、いつかグラスを間に置いて顔をあわせる未来を思う。







彼は自己のブログで「 自己 」を展開することを選んでいない。

その行間からは否応なく、彼特有の「 識者 」としての香りが溢れているが、

それでも彼は沈黙を守っている。

言霊使いとして、稀代の手錬れであるにも関わらず、その力を振るわずにいる。

その選択の背景にある何かに、小生は強く感じ入る。

何かとは、彼の人殻に住む想念だ。





二言論の好きな日本には「 タカ派 」「 ハト派 」という概念はあっても、

「 リベラル 」という概念はない。

なぜか?

それは「 リベラル 」という姿勢が、

複雑極まる世界に対抗するものとして生まれたものだからである。

リベラリズムを生むのは、人の捉える「 世界 」の複雑性である。

多くの人々は、複雑な世界を捉えることを志半ばで「 放棄 」し、

生き方を「 勢 」か「 静 」に転換する。

この意味において、

「 制なる人々」とは、

複雑性に対抗することを諦めなかった人間が獲得する、

「 人の階層 」と定義することができるだろう。





リベラリズムを邦訳すれば「 自由主義 」になる。

あまり上手な訳ではない。

小生が訳すなら「 制御主義 」と訳す。

その心は、「 導く為の制御 」である。




モノホンのリベラリストの根底には、

世界をよりよき姿に導くんだという姿勢がある。

つまり「 制 」であり、「 中庸 」だ。

それは言うならば「 侠 」の変種といえる。





ケンケンは、識者で義侠である。

非常にメズイ生き物だ。

たまにエキサイトしたときなんか最高である。

中庸をかなぐり捨てて、抜き身で切り込みをかましてくる。

ノーガードで突進だ。

もう、なんというか痺れる。

小生は、識者からはみ出してしまう義侠のケンケンがスキだ。

リベラリズムに収まりきらない彼の義侠心に胸がすく。





彼は面白い。

ちゃんと怒るべき時に怒ることを覚えている。

和魂要塞のテキストに、

「 城代、ねぼけるな 」とアンチテーゼをたまにぶち込んでくるケンケン。

それはいつも、誰かがそこで叫ばねばならないテーゼだ。

小生は安心する。

その度に、とても安心するのである。





小生は、物を断じる時、

作為的に立場と視点を切り替えながら、ナマス斬りを開始するアザトイ手法をとる。

無意識に片手落ちになるのがイヤだからだ。

あえて語らないのと、語るのを避けるのと、語るのを忘れるのは、

小生の中では結構大きな意味を持つ。

語るべきことを小生が語らないとき、

ケンケンは切り込んでくる。

見事としか言いようがない。





一顧の人間の中には、

「 善悪論の通じない超然たる絶対支持者 」と

「 相関の中の人間の振る舞いを評価する裁定者 」と

「 世界に一人向き合う己 」としての自分がいる。

カンタンに言えば「 万人の味方 」と「 私達 」と「 私 」である。




小生は、テキストを書くとき、全部をごった煮にして書く。

和魂要塞の出鱈目加減の所以は多分にここにあるものと思われる。

これは実際に小生がそういう混沌とした思考の中に棲む手合いだからだが、

題材によって意図的に3つのうちのどれかを省く時がある。

「 複雑な事柄 」を断じようとするとき、小生はよくこの手のズルをする。

扇動者としてプロパガンダをかます時、三見のどれかを意識的に削るのだ。

それはとてもアンフェアな書き様である。





ケンケンは、こーゆー小生のズルを許さない。

「 城代、ねぼけろや 」って、夜討ちをかけてくる。

小生の省いた3見の何れかを補完しに毎度コメントにやってくる。

お蔭で安心して小生はズルを続ける。

歯車が廻る。

不完全なテキストがコメントで補完され、「 制 」される。

そのつど小生は、

「 いやぁん 」て痺れることになる。

ブログをやめられぬ理由である。






弁論って奴は、

安易に組み難い厄介な読み物である。

「 正論 」とゆーやつは、どんな局面でもひねり出せるからだ。

いいかね。

「 正論 」って奴は、まるで信用ならない。

三見の使い方にさえ知悉してれば、自説の正当性を「 立証 」するのは容易いからだ。

その意味で、和魂要塞を含むすべての「 正論 」ってなあ、尽く怪しい。

「 弁論 」ってのは常に、

理性が導き出すものではなく、感性が示した答えを立証する為に紡がれるからである。

小生が、気炎にこだわる理由はここだ。

不確かなものを描くのならば、

核になる元記事に気炎がなければ全ての文字は無為と化す。




ケンケンは、この事実を知っている。

で、小生が全部承知で気炎の為に、ズルしてるのにも気がついている。

だから彼は、切り込んでくる。

「 城代、まかせろ 」ってね。





xiaoxia嬢や、アイスデイ氏もまた、

小生のズルを見抜き、コメント欄に出刃を突っ込んでくる。

小生に「 本音 」を求めてくる。

「 てめえ、削ったところを書け 」ってね。

とても楽しく怖い人たちだ。

手加減を知らぬグッドコメンテーターである。




ケンケンは、黙って長大なアンチテーゼを放り込む。

彼の気合の入ったコメントを読むたびに、

「 信頼されていること 」をビシビシと感じる小生。

「 こんな漢がいるのだなあ 」とそのつど痺れる。




どんな男かと思う。



識者でありながら義侠でもあるこの面妖。

駄法螺ばかりの要塞を、腹の底から信じられるこの奇特。

その殊勝なる識と侠。




どんな男かと、いつかボトルを開ける夜を思う。




けんけん。さんくす。




貴兄のコメントを読むたびに、

小生は自身の役割を再認識する。

要塞の気炎は、

貴兄の起こす義侠の想念という追い風の中で、益々高ぶり熱気を帯びる。



俺ぁ歌うぜ。

なりふり構わずズルをしながら。


さんくす。けんけん。


俺ぁいつか貴兄と呑みたい。
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by 201V1 | 2004-09-02 13:19 | カテゴライズ前・生ログ
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