反日・和魂要塞


TVタックルで国旗・国歌についてタワケた議論が飛び交っている。

愛国心だの法律だの、しゃらくさい腐れた言葉が飛び交っている。

聞くに堪えない無知蒙昧の愚論の数々。

これがこの国の識者の意見かと眩暈を覚える。

太平洋戦争を持ち出す馬鹿がいる。

民族愛を持ち出すド阿呆がいる。

こんな連中に、国家天下を語られてたまるか。




俺があのスタジオにいれば、机をひっくり返して叫ぶだろう。

「 わが民族の将来に、天子はいらん! 」と。



いいかね。

君が代・日の丸問題ってなあ、要するにだ。

「 王朝 」への敬・不敬を問う「 踏み絵 」である。

ただそれだけのことだ。

民族愛も国家愛も全く関係ねえ。

「 天皇家 」という「 王朝 」を、自らの仕える対象と見るか否かの差異それだけだ。

その意味において、

右翼団体を除く全ての日本人は、

日の丸を踏もうが踏むまいが、君が代を歌おうが歌うまいが、

侫臣か逆賊でしかない。





君が代をヘラヘラと歌い、

日の丸を掲げながら、

「 天皇家のためには命を使えない 」なんてノリは、

土台ふざけきった態度であり、

それは自らが奉ずるべき天子をないがしろにする、侫臣の生き方である。

歌を歌い、旗を振ることによる「 一体感 」に溺れるだけの、

最も忌むべき上っ面だけの王朝への敬意である。

その意味において、平成の皇族は国内最大の被害者であり、

愛国を騙る腐れ人間共の傀儡でしかない。





君が代の斉唱を拒み、

日の丸に対する敬礼を拒否するという姿勢は、

「 王朝 」を認めないという個人の選択である。

「 命を投げ出すに足る存在ではない 」という個人の判断が、

偽りの国旗国歌への不認の姿勢をとらせるだけだ。





マトモに考えれば、民主主義の名の下に、

王朝なんてものが「 本来あるべき姿 」のまま存在なんて、できやしねえのだ。

いいかね。

貴族ってなあ、民主主義の中でも存在できる。

王族ってのも、貴族の延長で存在は可能である。

しかしながら、天子は存在できない。

天子ってなあ、人を越えた現人神だからである。





イギリスの王族と日本の皇族を同列に語る馬鹿がたまにいるが、

両者はまったくの別物である。

方や人間。方や神の子孫である。





「 神の子孫の為に自身の命はここにあるのか? 」

君が代と日の丸の是非を分けるのは、

この問いに対する個人の答えが決めることだ。

民族愛や国歌愛とはまったく次元の異なる話である。




小生は、天皇家を神の子孫と位置つけ、無条件に尊ぶなんて真似はできない。

「 ウソだ 」と全身の細胞が告げるからである。

小生の命は、天皇家に捧げる為にここにあるのではない。

そんなちっぽけな形骸の為に、この命はあるのではない。

したがって、

小生は、日の丸にも、君が代にも、「 国旗国歌 」の号を与えない。

ありゃあ「 民謡 」である。

小生は、歌わないことを選択する。









日本民族に天子は必要ない。

そんな象徴はだれも望んじゃいない。




日本民族の誰も心の底から皇室になんて敬意をもっちゃいない。

本来民衆が天子に向けるべき愛情など、この国に生きる誰もがすでにもっちゃいない。

天皇家の為に「 死ねない 」なんて敬意は、

「 天子への敬意 」とは完全に異なる出鱈目な理屈である。









蒼天すでに死す。








人間宣言と民主主義によって、蒼天は完全に生き場を奪われた。







日の丸?

君が代?





天子の為に死ぬ覚悟もねえような奴らが、寝言をほざく日本。

極右団体だけが、国旗国歌を奉ずる資格を有する極東の島国、日本。

我が祖国。

恥を知れ。







小生は、逆賊である。

終生の反権力主義を掲げる。

しかしながらである。

しかしながら言わせて貰う。





小生は、

1億の侫臣の偽りの敬意に奉られ、

傀儡としての人生を生きねばならぬ今日の皇室には、

一顧の人間として同情の念を禁じえない。







今更ながら、凡愚という連中の忌まわしさを呪う。






凡愚よ。

世の愚昧共よ。

貴様らに語りうる如何なる国家も、この地上には存在せん。




願わくば、諸君らが永久に口を閉ざすことを祈る。





天下万民、国旗国歌のなんたるかを、今一度、

全身全霊をもって己の魂に問え。




お前は天子の為に死ねるのか?
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by 201V1 | 2004-09-06 22:24 | カテゴライズ前・生ログ
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