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激情の不発弾
a0013690_141222.jpg占い師に手相を見てもらった事が2度ある。

 1人目は新宿の易者。この駄法螺は「あなたは終生、金に困るでしょう」なんて無駄にリアルな事を抜かしやがった為、なかったことにする。で、問題は2人目の駆け出しの手相見。いつだか彼は仕事先の南の方で声をかけてきたんである。(過剰に漠然とした記憶)

 「ちょっとすいません。僕、手相を勉強しているんですけど」

 「ほう。下郎が関心な。よかろう、褒めてつかわす」

 「もしよかったら拝見させていただけませんか?」

 「ふっ。苦しゅうない。朕も丁度無聊を慰めておったトコロじゃ。近こうよれ」(再現性ねえ)


 とゆーわけで、手相を見てもらいましたとさ。(何が「とさ」だ。馬鹿野郎が)
 で、結論であるが、まず初めに





 「生命線が2本あった」(どーん←効果音)






 あったんだが、この異常事態はもぉこの際、スッパリ忘れることにして話を本題に移す。今回焦点を当てるべきなのは主題であり、「感情線」である。彼曰く、どうやら「非常識に彫が深い異相である」とのこと。つまりは「規格外の激情の持ち主」という「占い」なんだが、知人の多くはこれを真っ向から否定するに違いない。

 小生は、「へらへらぼっちゃん」として三国に勇名を馳せる古今無双のボケナスである。たいてい忘我していて会話が成立しないか、意味不明の妄言をだだ漏れしている気の振れたラジオであり、おもに宇宙意識イデアからの指令で毒を吐く「電波系BC兵器」として海外への輸出を禁止されている次第だ。(政府は実際に小生に対し、金の凍結という因果律を適用し、呪術的にこれを実践している)

 とゆーわけで(なにが?)、一部の知己を除く、知人の多くは、小生を「何をやっても怒らない人」として認識している。

 で、飲みかけの缶ジュースの中に「生きたアブ」を入れておいて「誤飲」させたり、「針抜きスズメバチ」を背中に突っ込んだり、破傷風必死の「錆びた画鋲」を「ダース単位」でイスに仕掛けたり無法の限りを尽くしてくるわけだが、シャレが分かる小生は怒るには怒るが怒り狂ったりはせず、2階から突き落としたりといったお返ししかしない。よーするに、激高したりプンプンしている小生を見たことのある人間は殆どいないのである。だから連中の中での小生の評価は「温和な人」ということになる。


 しかしながら、こんな悠長な認識は、実際小生の「お叱り」を受けた人間には断じてなく、その事実を知る知己の認識も被害者(不良と教師とアフリカ人と都内の痴漢)と同様、「201V1を怒らせてはならない」という賢明な評価に落ち着く。「奴の血には日本海が流れている」というのが彼らの共通の認識で、実は小生、あらぶる激情家なんである。そして普段の「温和」は仮の姿、平時はこの「生きにくすぎる本性」を押さえ込んでいるんである。





 ご存知の通り、個人の感情の激しさの程度は、「ロマンチストとニヒリスト」という両極をもつX軸と、「短気と気長」という両極のY軸、「熱血と冷血」のZ軸、で構成される三次元の立方体内の「揺らぐ点」で表現することができるが、実際にはこれに「心と体」の分化度が加わる。

 「分化度」とは、簡単にいうと「怒り」や「興奮」や「悲しみ」「寂しさ」「緊張」「ストレス」などの心理的な起伏が、体に影響を及ぼす度合いを言う。これは通俗的には「繊細・鈍磨」ないし「強靭・脆弱」といった言葉で表現される。(意志の強い弱いとは別ね。)

 例えばウサピョンなんかは「寂しい」と「糞つまり」で死んでしまう「繊細で脆弱な生き物」であり、「分化度が低い」。逆に「分化度が高い」場合、「最悪の精神状態」で世界の終わりまで「肉体的には絶好調」でいられる。(別の病気の疑いはある)

 そしてこれが結構重要なんだが、この「分化度」強弱は資質により、長ずるにつれて一応は促進されるものの、強か弱かは既に決定されており、単純な成長ではどうにもならないという点にある。

 で、小生はというと、これがまた、とんでもなく「未分化」な生まれであった。

 

 病名「憤怒痙攣」



 冗談みたいな病名だが、実話である。

 小生は、生まれながらに天中殺。見まごう事なき病人であった。

|||||||||||||||||||||とう・びい・こんてにゅ。以下明日更新。








 という次第で更新である。

 コメントにて、「漢字が無駄に多い」との指摘を「ファン」にうけた我らが「見放されブログ」であるが、まぁうちの「漢字」は「感じ」であり、「こんな感じ」とゆー「漢字」なのでイメージで流していただけると幸である。「それならヒラガナで書け。ぼけ。」という駑馬を喰らいそうだが、実際問題として小生のイメージ世界は「漢字で氾濫」している為、「ひらがな変換」は不能であり、テキストアプリケーションとして甚大な欠陥がある。トラブルの事例は様々で、読み手のOSによってはフリーズを起こして最後まで読んでいただけなかったり、拡張子が認識されず文字通り「読めなかったり」、なぜか「実行ファイルが勝手に起動して暴走」と色々非道が起こる。その上で、ユーザーサポートはない。自分で書いててどーかと思うが、まぁフリーソフトだし、DL元が「病気」なのでお許しいただこう。(反省の色なし←成長性ゼロ)で、「病気」である。


 で、「憤怒痙攣」だが、これはいわゆる「死にうる病」であり、「死病」である。具体的には「怒りの爆発的な発作」といえるだろう。怒りが頂点に達すると泡吹いて失神。呼吸不全と痙攣でやおら全身麻痺。という、「ジステンバーのカニ」のよーな業病である。


 「ベロベロバー。いい子ちゃんでちゅねー」

 「ぎゃあああああああ」

 「ほらほら仮面ライダーさんですよー」

 「ふぎゃあああああああああああああ」

 <コテッ。←ライダー人形がこけた>


 「ふんぎゃああああああああ。・・・・ブクブクブクブクブク」


 とゆー業病であり、死病である。

 

 「ほらほらドライブはたのしいでちゅねー。景色が横に滑っていまちゅよ?」

 「だあ、だあ」

 <ビタッ。←渋滞に巻き込まれた。>

 「ふんぎゃああああああああ。・・・・・・・・・ブクブクブク」




 まーこうゆー経緯であり、当時の我が家では自立心のない全ての仮面ライダーがセロテープで机上に固定され、渋滞の度に晴れにも関わらずワイパーが無駄に作動し、夜動くものが見えなくなったあとは「焼肉屋の換気扇」の下に母が201V1を連れて行くという地獄絵図が展開されていた。ようするに赤ん坊の姿をした「激情の不発弾」が小生だったわけである。

 感情の爆発による身体機能への異常は、「怒り」のみに留まらず「悔しさ」にもおよび、「家族すごろく」で弟に負けた小生は、胃痙攣で嘔吐を繰り返すなどという愚行を飽くことなく続けていた。



 つまるところ、ぶっちゃけ「健常な人」ではなかったんだが、親の目の届かない「学校」での社会性生活をおくる上で、この上この病を抱えたままでは「やおら死ぬ」。誰も人工呼吸してくれぬ。生きてはいけぬ。仕方がないので小生は、段々と「怒らぬ子供」になっていった。感情の激発が及ぼす身体への影響を抑制できぬ以上、その前段階である「感情の発露」を食い止める必要があったからである。


 で、長ずるにつれて「私憤」を失っていった小生であったが、それでは流石に精神の均衡が取れぬ。とれぬので「義憤」という代償行為によってこれを補う術を身につけるにいたり、餓鬼の頃から事あるごとに尋常ならざる「前略・正義感」を発揮、我が身の調律のために他人事で血達磨になるという荒療治にとり憑かれることになる。

 こういった背景もあっての「死線編突入」であったんだが、人間はナマモノである。そうそう義憤によって何もかもを誤魔化せるわけでもない。特に「まごころ」での付き合いが強制される「まごころラブ」においては、ナカナカ「私憤の義憤へのすり替え」が困難なので、長じたとはいえ若き小生にとって「まごころラブ」はワンダフルにデンジャラスな空間であった。いうなればそれは、「火薬庫での火遊び」である。



 「てめえ、いいかげんにしやがれ(どっかーん)」




 10代の終わりに、初めて「私憤」で女にキレた。ちょっと度を越した我侭に辛抱がたまらなくなったんである。


 彼女曰く  「何でも許してくれると思った」んだそうで、そんなわけねえだろ。怒


 とゆーわけで、ここ10年ほど抑圧に抑圧を繰り返し、溜めに溜められ、メガトン級に圧縮されてた「殺意」を秘めた私憤爆弾は爆発した。しかしながら、小生のカラダは至って平静である。妙である。これだけエネルギーが蓄積された「私事の憤怒」が小生のカラダになんの影響も及ぼさない道理がない。軽くても総白髪、悪けりゃ手足の1本2本増えてもおかしくない計算である。(どんな計算ですか)


 世の中にはエネルギー保存の法則がある。熱波は必ずどっかを焦がし、爆風はなにかを直撃する。エントロピーである。(全然関係ねえ)



 今回の被爆者は女性であった。彼女である。



 症状は「全身ジンマシン」であり、瞬く間に彼女の体は重度のミミズ腫れを起こし、全身にいたる疾患は、ものの数分で「マタンゴ」のような不細工な様相へと彼女を変貌をさせるに至る。しかも全然直らない。現象的には殆ど古代の呪法に近い。


 科学的な解法としては、「彼女自身の心理的動揺が、彼女自身の肉体に作用した」と言えるが、果たしてそうか?科学は仮学である。それは往々にして「分かっているコト」で「未知」を説明するものであり、「仮の回答」だ。などと難しいことを考えていたワケでは全然ないが、小生はこれをストレートに自分の「怒り」の所為だと思った。



 「俺の所為だ」



 「血系編」でも述べたが、当家には「超常」の血が混じっている。それは「神降ろし」の「異能の血」であり、母方の本家では「瓦割り」に代表されるダイナミックなポルターガイストなどの過激な心霊現象すら「日常」に過ぎない。それは「生きた霊媒」として「魂魄と常時接続」されている「霊界ブロードバンド」であり、「テプコ闇」である。
 いずれ「超常編」でも述べるが、筆者には「霊能」の資質はカケラも遺伝しなかったものの、「異能の血」が「気功」という形で20代になって発現し「手かざし人間」という怪しさ満点の属性を獲得するに至っている。「気功」は「心気と身気で構成される魂魄」を五行陰陽思想に基づき「整え」、結果として「治療」するものである。そしてその逆に「呪術」は、「乱し」て「発病」させる邪法である。



 「これは血の業だ。背負うしかねえ。」


 幾度かの苦い経験を通して小生はそう結論するに至った。「怒り」とは、「私憤」とは、こっちの意図に関係なく、発露をきっかけに否応なく他人を襲う「禁呪」である。この断定を心の中で否定するには、あまりにも現実の苦い実例が多すぎた。小生は、再び感情の抑制に取りくみ始める。いつか私憤が爆発した時、なるべく被害が大きくならない方法で、そのつど感情の発露を食い止める必要があった。



 それは「結晶化」である。怒りを怒りのまま「溜める」のではなく、「結晶化」するんである。これなら密度と圧力が増大する可能性がない。したっがって「メガトン級の爆弾」の生じる余地は微塵もなくなる。


 「結晶化」された「怒り」で満ちた空間は、ちょっぴり寂しげな佇まいではあるけれど、森々とした落ち着きに満ちた空間である。しーんとした静かさがあって「廃墟」によく似合う。だから家主はここの居心地が気に入っている。

 けれども同居人は全然これが気に入らない。「結晶」をみると「さみしい」んだそうだ。





「どうして、正直に怒らないの?どうしていつも優しい顔でいるの?本当は怒っているくせに」







・・・・・またか。また、そんなこと言うのかおめえらは。これには、ふかーーーーい理由があってね。イワクがあってね。どうぢてもそうする必要があるの。






「なんで?納得いかない。私が信用できないの?」






 というわけで、同居人がまったく全然納得しないので、小生は「結晶化」の作業を禁止されるに至る。で、たびたび「小規模の禁呪」の発動と相成る。



 流石に「小出し爆弾」は威力が低く、いきなり「マタンゴ」に彼女が変身。なんてことにはならないが、それはボディーブローのように段々と、彼女の心身を破壊していく。小さくても「呪術」であり「呪い」である。彼女達はだんだんと壊れていくが、向精神薬なんてまったく効かない。なんたって呪術だからね。科学のお呼びじゃないんである。




 幾人もの女性が小生に「結晶化」を禁止し、自ら「呪術的空襲」を望み、そのたびに関係が破壊され、物語が終わる。




 こんなのは、もーゴメンである。金輪際いやだ。だから今後小生は、なにがどうあっても「結晶職人」を貫く。「激情」に翻弄される生涯なんてまっぴらだからだ。「血」に支配される人生なんて冗談じゃねえ。この生は俺のものだ。





「正直に生きて。素直に怒って。私を信じて」







 これからも、何度も聞かなければならないフレーズ。悲劇の開幕のファンファーレ。どうか見逃してはくれまいか。どうかその物語の結末を、予感してはくれないか。


 かなわぬ望みが尽きない夜、無駄と知りつつ流れ星に祈る。
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by 201V1 | 2004-05-12 21:44 | ■感情