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カテゴリ:■軍隊 ( 1 )
暴と武のケジメ
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人類史は「暴と武」の歴史である。

時に大義のために、時に独善を振りかざし、時に生き残りをかけて、それぞれの時代の権力者が、民族の総意なく戦争の引き金を引く。稀に反権力の名の下に戦いの火蓋が切られる例もあるが、それは「侵略に対する抵抗」であって厳密な意味での「戦争行為」とは言えない。前者は「暴」であり、後者は「武」である。

自国の要求を、暴力によってこれを押し通そうとする外交の一手段が「戦争行為」であり「侵略」である。これに対し、侵略に抗う行為を「抵抗運動」と位置つけるならば、「軍隊」とは何か?

「軍隊」とは「侵略」と「抵抗」の双方を可能にする道具であり、「軍人」とは暴力と武力のシンボルである。

暴力と武力のケジメがつかぬまま、「反戦」と「非武装」を謳うケースほど、「アブハチ取らず」な議論はない。侵略15年戦争から60年。長きに渡って平和を貪ったこの国の大多数の人間は、このケジメをつけぬまま議論を展開している。今日のこの国の礎をなした大戦の英霊達に対し、これほどの侮辱的な態度を取りつづけてきた民族は、この星の歴史を振り返ってみても他に例をみないであろう。



その意味において、今日の日本国民は「人類史上空前の愚民」と断言できる。




念のため、小生は、いわゆる「右翼」ではない。「宗教編」を読んでいただければ一目瞭然だが、「現人神」を全否定する「怖いもの知らず」である。親はバリバリの全共闘世代だが、「共産思想」なんていう「人間を知らぬ幻想」も「与太である」と一蹴してきた。よーするに「右も左もねえ」のであり、「右翼・左翼がなんぼのもんじゃい」である。


で、暴力と武力のケジメだが、暴力が「尊厳を踏みにじる」ものであるならば、武力とは「尊厳を守り、勝ち取る」ものといえるだろう。


この考えに、「ピン」とこない人々の多くは、えてして「暴力によって尊厳を奪われたことのない人」である。そしてこの種の人間は、逆説的にいえば「武力によって尊厳を勝ち取ったことのない人」であるといえる。つまり極めてラッキーな人々であり、彼らの所有する「尊厳」は「自ら勝ち取ったもの」ではなく、「運良く転がり込んでいる」だけなのである。それは試されたことのない「尊厳」だ。いうなればそれは「裏口入学」で紛れ込んだ「ナベヤカン」に近い。

で、ナベヤカンは言う。




「軍隊なんていらないや」



この人は、モノホンの暴力の凄まじさを知らない。「尊厳の保持」に時としてどれほどの犠牲を伴わなければならないか知らない。「尊厳を奪われた」その時、どんな結末が待ち受けているかも知らない。そして確実に「知ろうとしていない」。勿論想像するという努力もしない。ただ自分の「呑気極まる物差し」でムーディな発言に及んでいる。



「僕ちんの人生では、武力が必要になったことは、にゃかった」




そりゃ、おめえ、モノホンの暴力にさらされてねえんだから当たり前じゃん。(呆然
大体きみっち、暴と武のケジメついてんの?怒



よーするに彼らは、「暴と武」の歴史で盛られた「人類の土俵」に上がっていないんである。それはフンドシの締め方も知らない坊ちゃんが、大相撲の土俵に上がるのによく似ている。世の中をなめている。





「暴と武の土俵際の魔術師」としての立場から、恐縮しつつ言わせてもらえば、大音声で「笑止」である。お百度で「千万」である。洗顔して「おとつい死ね」である。「尊厳」の何たるかを知らぬ「坊ちゃん嬢ちゃん」に、血で血を洗う人類史の土俵に上がられたんでは、血反吐はいて死んだ英霊に申し訳がたたねえ。怒

とゆーわけで、「裏口尊厳丸儲け組」は世の中をなめているのでリサイクル不能であり、そのまま「夢の島」で未来永劫よれよれ遊んでいてもらう。


で、議題は本稿の趣旨である「この国の未来」について前進を開始することになった。(強行軍すぎて、最早だれもついてきていない←そのうえ途中で民間人に奇襲をかける始末)




まず始めに、「安保粉砕」である。(血か?これは血なのか?)

現在の世界情勢を眺めた時、日本と韓国ほどアメリカに隷属している国家はない。すでに全ヨーロッパはアメリカとの蜜月を取りやめている。韓国の場合、北鮮との関係上「米帝」との癒着は仕方がないとして、我が国の場合、今後「米帝傘下」にあり続けなければならない政治的理由はないのである。我が国が「西側諸国」の一員として、東側への「不沈空母」であらねばならなかった時代は過去のものである。既に冷戦は終わり、事実上の社会主義国家は絶滅している。(残りは独裁か、心は国民党)
我が国は、今こそ真の「独立国家」として「米帝」との「植民地条約」を破棄し、自立の道を選択しなければならない。独善に満ちた「戦争で経済をまわすアメリカ」と「手切れ」をしなければならんのだ。それが民族自決である。


第2に「憲法を変えてはならん」

有権者は阿呆である。有権者の殆どは「土俵」に上がっておらず、人類史の恐ろしさを知らない。米帝との癒着のお陰で、連中は半世紀以上に渡って「砂被りの席」にすらついていない。世界情勢が差し迫り、日本の経済が絶望的になった時、国民の誰もが現状に嫌気が指した時、話術のたくみな政治家に「戦争景気」を謳われたら「乗る公算」は大いにある。また有権者の選んだ空前の支持率を誇る総理が「ショーザフラッグ」などという妄言に誑かされるような「国民性」をもつ民族は、断じて現行の憲法を変えたりしてはいけないのである。変えれば、いつかこの国は、絶対にまた暴走する。だからクサビを打て。

第3に「自衛隊を整備せよ」

安保粉砕前に自衛隊の強化が急がれる。現在の世界情勢は極めて安定しているといえる。やばいのは旧共産圏内部とアフリカとイスラムと南アメリカであり、西側の内部での戦争は起こり得ない。つまり大仰にいっても軍隊が必要になる可能性のある仮想敵国は「北鮮」くらいなんである。で、しかも奴等は弱い。となれば、仮想敵国のない「自衛軍」としての姿が望まれるわけであり、逆説的に言えばそれは「全国家が侮りがたい自衛力の保持」という次第になる。現在、日本の国防費は世界屈指である。兵器の国内生産などという馬鹿をやめ、安価で高性能な東側の兵器を配備し、劇的な自衛力の増強をはかり、あらゆる国家からの侵略を抑制せよ。西欧列強と無法者国家をびびらせよ。


最後に「特殊部隊を設立せよ」

米帝との癒着を断ち、独立国家としての歩みをスタートさせたならば、いよいよ特殊部隊の設立である。ぶっちゃけ、現在の中国などに対するODAは全廃していい。役人の保養地と化しつつあるジャイカの殆ども潰していい。非武装の「人道援助」に特化した組織を編成せよ。アメリカの一州としての日本ではなく、自我によって活動する国家たれ。さすれば如何なる重税にも国民は耐えよう。プロフェッショナルで構成されたチームを派遣し、各地域の大小の勢力全てに「人道援助容認」の約束をとりつけ、非武装でことに当れ。スタッフには「重衛生兵」として防具を配備し、移動は草稿車両をもって行え。あらゆる施設にパニックルームを設置し、「平時にキャンプから出ない自衛軍」とのホットラインを結べ。それでも人命の危険がある無法地帯からは速やかに撤退せよ。そこまで危険をおかす義理はない。(断定




暴力とは、「人が健やかに生きることを阻害する力」である。

武力とは、「人が健やかに生きる世界を勝ち取る力」である。



世界には、歴然と「暴力」が存在する。話し合いの余地がない抜き差しならない状況がある。だからこそ「武力」があるのである。


侵略15年戦争は紛れもなく「暴力」であった。しかしながら、末端の戦士たちは「郷土をまもろう」と「武」のために生き、死んだのである。その意味において、我々の父祖達は「英霊」である。


「侵略」と「抵抗」によって物語が紡がれる時、「戦争」という状況下においては、必ず人間性を無視した非道が行われる。その「土俵」には「武」の戦士達と「暴」の狂人達が放たれるからである。


その土俵は、戦争とは、英雄達の血で染められるから尊いのであり、狂人達の楽園と化すから唾棄すべきものなのである。


決して「侵略」に加担してはならぬ。我が国は、未来永劫、自衛に徹せよ。そして悪の帝国に自由を許すな。抑止するよう勤めよ。そしてそれがかなわず、帝国が世界を蹂躙するなら、今日と同様に血税を投じて尻拭いにはげめ。それが人の道である。


「武」に殉じる、光の軍属たれ。
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by 201V1 | 2004-05-14 18:46 | ■軍隊