カテゴリ:カテゴライズ前・生ログ( 296 )
車・車・車

 というわけで、

 いい加減、

 様々な点を考慮した結果、

 運転免許が要るだろう、

 人生にはたぶん。

 ということになり、

 小生は、
 
 教習所に通ったわけだ。

 てくてくな。







 なんというか、

 貴様、

 手前、

 野郎、

 ふざけろと、

 何度、

 声を荒げ、

 血管をびぐびぐさせ、

 教官(指導員)の胸ぐら掴み、

 もうこの際、

 なんでもいいから、

 臭い飯を食らってやろうと、

 傷害致死を考えたか、

 記憶を掘り尽くしても尽くしても、

 尽き果てぬ、

 殺意満々たる暗鬱の日々であった。

 げっそりだぜ。ベイベー。





 まぁ、

 とりあえず教官連中の接遇態度とかが、

 漲るくらい駄目なのは、

 古今東西の常識だので、

 全局面的に放っておくことにして、

 話を進める。





 ご存知のとおり、

 小生は、

 ケニアの有効期限切れした四輪免許を持っている。

 そればかりか、

 有効期限の切れた国際四輪免許すら持っているのだ。

 10代のとき、賄賂で買ったのだ。(どかん




 あれから10年。

 ナイロビの教習所では、

 どだい10時間しか乗っちゃいないし、

 だいたいにして、

 いきなり路上教習だったし、

 まずもって信号の見当たらない国だし、

 教官本人に制限速度の遵守とかいう意識がまるでない状況下だし、

 での、

 賄賂に物を言わせて取得した、

 アナーキーな免許なので、

 小生の実際的な運転技術の程度は、

 10代の当時ですら

 危険という要素において、

 そこいらの30年ペーパードライバーを遥かに凌いでいた。




 というわけで、

 元免許もちといえども、

 あれから10年もたってしまった時点では、

 小生は、

 エンジンのかけ方すら忘れていた。(忘れずぎ





 というわけで、

 まぁ、

 人間50年なので、

 小生はもはや下り坂の年齢だので、

 当然、

 記憶力は、

 著しく減退・衰退・劣化しているわけで、

 運転への順応には、

 相当の苦労があった。




 
 最短34時間の実技教習は、

 2段階の半ばでやった縦列と転換を、

 卒業試験前の見極めにおいてすっかり忘れており、

 それが祟って3時間オーバー。(思い出すのに3時間かかった勘定←ばか





 球技全般がまるで駄目である小生は、

 ようするに、

 自分の体以外は巧みに操作が適わん性質なので、

 無論車とかは論外であり、

 ぶっちゃけよくぞ3時間のオーバーでクリアしたと感心する。




 まぁ、

 なんつうか、

 我ながら、

 適正は果てしなくなかった。




 1段階では、

 終始パニック。

 「 右折?」

 「 針路変更! 」

 「 ウインカー? 」

 「 ・・・・・・その前に鏡見て安全確認しなきゃ! 」

 「 えーと右側見て後ろ見て・・・・・? 」

 「 うお。車両通行帯はみ出た!」
 
 「 ウインカー!ウインカー! 」

 「 うおおおお。もうカーブかよ!(減速できてない)」

 「 お・・・・おりゃああ( 4速で90度カーブに突入←ブレーキ踏めない←パニック ) 」




 大忙し。





















 2段階では、

 醜態のバーゲンセールみてえな状況であったが、

 一番最悪だったのは、

 交差点の手前に違駐してた大型トラックの後ろで、

 「 信号が青になるのをずっと待ってた 」という失態であり、

 教官は、

 「 君は前見てるのか?」と、

 ラジカルなことを言われたりした。





 










 屈辱の日々であったが、

 このキカイを逃すと、

 とうとう無免許のまま生きる羽目になりかねないので、

 小生はガンガッタんである。






 ちなみに、

 先代の鰐口である小生の親父は、

 学生時代、

 教習所で案の定ブチ切れ、

 自主退学しており、

 さらに社会人になってからも

 途中で免許取得を投げ出しており、

 血統的に小生が無事に免許を取得できたのは、

 ロバがG1を完走したくらい奇異な始末といえ、

 もっというと、

 珍念も、

 うちの親父と同じようなことをやっていた。(どかーん





 珍念は、

 2度、

 入学しているはずだ。( どっかん

 

 
 

 
 ざまあみろ、珍念。






 

 






 
 というわけで、

 小生は、

 なんとか免許をとった。



 将来、

 これで、

 出雲大社に、

 家族を乗せていくのである。































 とても天気のいい日に。

 ロックを聴きながら。
 
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by 201V1 | 2006-02-25 00:05 | カテゴライズ前・生ログ
スリリング・スリーピング・カッケ


 小生は、

 イツの頃からだか、

 睡眠中、

 大騒ぎしてしまう。( 頭おかしい人みてえ





 蹴りに酷似した、

 カッケ(下段かかと蹴り)が、

 睡眠中に無意識に繰り出され、

 蹴った本人、

 魂消ること、

 必然。

 毎度、

 何が起きたかと愕然とする。




 ビグッ!



 

 うぎゃあ。






 蹴っ飛ばしが起きるたび、

 心筋が梗塞しかける。

 俺が爺さんなら、

 筋肉が弾けた衝撃で、

 勢い死ぬ。



 そのぐらい、

 急速な蹴りであり、

 蹴った本人はともかく、

 仮に誰かに当たろうものなら、

 痛いの痛くないのって痛いに決まっており、

 小動物なら、

 たぶん死ぬ。





 昨日、

 この表題のカッケを、

 またやった。



 
 身重の妻に、

 そのことを告げると、

 「 よくある 」んだそうで、

 俺ぁお腹に子供の入っている妻の身を思い、

 やおら戦慄したが、

 カッケは決まって、

 小生が単独で睡眠に入っているときらしく、

 彼女いわく、

 小生は彼女と一緒に寝てるときは、

 無意識にキックを押さえ込んでいるとのことで、

 小生は、

 殊勝じゃん、おれ、

 とか思ったのだが、

 「 でも、エルボーは喰らったことがある 」とか妻が付けたしたので、

 へこんだ。





 






 
 




 

 






 
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by 201V1 | 2006-02-19 23:00 | カテゴライズ前・生ログ
お腹が空く匂い

 小生には、

 秘密がある。


 

 生ゴミ

 オナラ

 下水



 の匂いを嗅ぐと、

 本能的な空腹を覚えるという、

 性癖である。



 とにかく、

 生ゴミの腐敗臭(うすめ)、

 メタン(硫黄含む)のスメル、

 下水(及び汚水)の香りを嗅ぐと、

 お腹が空くんである。



 「 いいにおいだなあ 」とか、

 「 おいしそうなニオイ! 」とかは、

 ぜんぜん思わないのだが、

 兎にも角にも、

 上記のニオイを嗅覚が探知すると、

 発作的に飢餓感に襲われ、

 食欲が爆発。

 満腹中枢が麻痺する。






 まぁ、

 正直なところをいうと、

 小生は、

 ごくごく最近まで、

 全人類が、

 「 そう 」なんだと思っていた。




 が、

 妻に、

 「 そんななのは、多分、貴方だけ 」と言われ、

 「 まじかよ??? 」ってんで、

 今日、

 ブログに書いている。






 「 誰か、ほかに、オナラ・下水・腐敗臭を嗅ぐとお腹が空く人、いませんか? 」





 これが趣旨だ。

 この記事の。(前代未聞の趣旨





 というわけで、

 これについて、

 諸君の協力を求むることに、

 小生が決めたので、

 皆は全員、

 協力するように。




 「 だれかほかにいませんか?」






 ウオンテッドである。






 見つけた人には、

 2マラウイクワッチャ進呈する。

 マラウイクワッチャはマラウイの通貨の単位だ。

 マラウイは、

 モザンビークの隣国だ。(どこ?







 

 




 
 




 じゃあな。(ぞんざい万歳
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by 201V1 | 2006-02-13 21:56 | カテゴライズ前・生ログ
ばとん
『』穴埋めバトンというのが回ってきたかなり前にな。





1. PCもしくは本棚に入っている『ブログ』

まぁ、いろいろ入っちゃいるが、
当該ブログはいろいろな意味で、
良しにつけ悪しにつけ波及効果のあるブログだので、
危険なのでリンク先は公開していない。
なんでって、
小生は2ちゃんとかと抗争するからである。(馬鹿

そんな中、
小生が最近ハマッているのは、、
工房時代にバナーを製作したブログの相当数が、
事実上すでに活動を停止ないし休眠しているという香ばしい事実に対し、
俺の所為か?呪いか??とか一瞬脳裏をよぎる想いに、
やおら蓋をすること。

諸行無常のしょじょじの庭。

ぶんぶくちゃがま。

まいちんぐ、まちこ先生。(たまにブワッて脳内TVに映るの。誰のって俺の!





2. 今妄想している『ブログ』

  >般若賃貸・明王不動産<

 落ち着いたら、追って沙汰するので放っておけ。
 


3. 最初に出会った『ブログ』

 >低空飛行テンション<

 小生は、最古参の読者であった。
 まぁ、
 なんつうか、
 黎明期のあそこは、
 間合い地獄の様相を呈しており、
 切羽詰ったいい感じであった。
 その距離の詰め方保ち方には冷や汗を握るものがあり、
 下手なサスペンスなんかより、
 まったくハラハラしたもんである。
 


 
4. 特別な思い入れのある『ブログ』

 今は亡き災害復興支援団体のブログですね。

 小生が抜けたあと、
 外部の馬鹿(特定済み)がパスワードこじ開けて不当に消しやがったんだが、
 復旧の方法があったのに、
 それを団体に残ったメンバーが「めんどくせえ」ってんで放置したので、
 結果ロストしたままになっちゃったってのが顛末のブログですな。

 いろんな意味で極めて遺憾としか書きようがねえラストだが、
 まぁ、
 思い入れはヒトシオです。
 消されたと聞いたときには、
 自失した。
 記憶を奪われたみたいな気がした。
 さらに復旧がされないと聞いたとき、
 すげえ頭にきたのを覚えている。
 なんで手間さえかければできるものを復旧しねえんだと沸騰した。
 
 和魂要塞より、
 ある意味では、
 小生が想いを注いだブログであった。
 
 今は、小生の記憶の中に生きている。


 

 
 バトンは読んだ人たちに。

 誰とは言わぬ。

 我が先を行け。



 お題は、>特別な思い入れのある『 齢 』<DE!


 でわ。



 
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by 201V1 | 2006-02-06 21:27 | カテゴライズ前・生ログ
尻の持って行き場

 和魂である。

 ライブドアが圧壊した。

 本日は、それについてのお話である。




























 「 裏切り者の堀江は株主に謝れ!」











 世間様、毎度のように勝手なことを放言している。

 




 小生は、

 買った経験はないが、

 「株」とゆーものを、

 「 事業の運転資金 」として捉え、

 成長企業に対し

 一般の人間が出資するための

 ツール

 と

 捉えてきた。






 したがって、

 「 株 」そのものの高騰に期待し、

 買い、

 売り抜けることで、

 利益を得ようというマネーゲームに関しては、

 ハナからケツまで、

 「 てめえら覚悟はあるんだろうな 」

 という、

 態度でしか望めぬ。

 








 

 自己の責任で買ったんじゃねえの?








 覚悟はなかったの??











 




 個人法人を問わず、

 ライブドアと手を結ぶことを一度選んだからには、

 堀江その人が、

 何をやろうが、

 手前の火のついた尻を、

 「 どうすんだコレ!」と、

 堀江その人に持っていくのは、

 筋が相当に違うはずだ。







 まぁ、

 なんつうか、

 法律に抵触するか否かは、

 どうでもいい話であり、

 その点においては、

 堀江その人は、

 悪くもない。

 よくもねえがな。





 なぜなら、

 法律ってなあ、

 メタ的に、

 無意味だからである。(理解できなければ、できないでよい



























 「 賭ける 」





















 人は、

 いろんなものに、

 賭けて、

 生きているのだ。










 それぞれが、

 自ら、

 なにかに、

 自らを、

 賭けて、

 生きるんである。











 泣き言なんざ、

 犬も喰わねえ。










 


















 マネーゲームという、

 ギャンブルに興じる、

 ギャンブラーの魂を持たない人々へ。











 

 男が一度賭けたことに、

 ぎゃあぎゃあ喚くんじゃあ、

 ねえ。












 イカサマの無いギャンブルは、

 ない。






 ギャンブルってなあ、

 イカサマも含めて、

 ギャンブルなんである。




 

 



 



 賭けるってなあ、

 そういう、

 ことなのだ。












 堀衛門が、

 旨く、

 世間を出し抜くことに、

 テメエらは、

 賭け、

 負けた。








 


 尻の持って行き場を間違えるなんてのは、

 勝負師のするこっちゃねえんだぜ。








 









 



 



  
 
 
 損がいやなら、

 株転がしなんかで、

 遊ぶんじゃあ、

 ねえぜ。





 馬鹿か手前ら。





 賭けるなら、

 丸ごと賭けろ。









 恨み節ってなあ、

 意気地のねえ、

 田舎者のやることだ。
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by 201V1 | 2006-01-22 18:42 | カテゴライズ前・生ログ
ワレ禁煙ニ成功セリ

 という次第で、

 小生は、

 禁煙に成功した。



 さよなら、エコーである。



 18で煙草を覚え、

 21歳で禁煙し、

 23歳で再開し、

 28目前の先日まで、

 通産で8年ぐらい、

 毎日50本ほど、

 国内最重量級の煙草たちを、

 思い切り肺まで入れてきた。





 朝の一服と、

 食後の一服が、

 好きだった。





 最初に覚えたのは、

 ケニアに留学し、

 ナイロビでの暮らしを始めた頃で、

 「クラウン」という、

 オレンジ色のパッケージに、

 変な冠の鳥のイラストが書かれた煙草が、

 18才の穀潰しの、

 フェイバレットシガーだった。





 放浪という、

 ライフスタイル上、

 国も変われば、

 煙草も変わり、

 20歳で帰国する頃には、

 親しんだ煙草の銘柄は、

 旅した国を上回る数に上っていて、

 15をゆうに超えていた。

 そのうちのいくつかの銘柄は、

 名前とデザインと味を、

 今も覚えている。




 帰国して、

 日本で使い始めた銘柄は、

 ラッキーストライク、

 ピース、

 ハイライトを経て、

 最後にエコーに落ち着いた。





 値段はピンきりだが、

 そのいずれもが、

 タール・ニコチン共に、

 楽勝で2桁に乗るヘビー級の猛者たちだった。






 止める為に、

 ニコパッチの導入を採用したが、

 どういうわけか、

 張った場所がカユイだけで、

 あまり「 禁煙に伴う苦痛の緩和 」に効果があるように感じれず、

 結局5日ほど使った後は、

 「 しゃらくせえ 」ってんで、

 意志力のみでの禁煙に移った。






 既にその時期は去ったが、

 まぁ、

 物凄い、

 禁断症状であった。




 
 サーカスに、

 球状の金網の内部を、

 数台のバイクが走り回る、

 馬鹿無双のスタントがあるが、

 禁煙初期、

 小生の頭蓋の内部はまさにそれで、

 脳味噌が幻のバイクたちに蹂躙され、

 騒音が木霊し、

 思考は纏まらず、

 そのベクトルはネガティブな方へと引っ張られ、

 手前味噌ながら、

 ナカナカの地獄だったと言える。





 
 1日40~50本、

 肺まで思い切り送り込んできた、

 ヘビー級のスモッグ達への、

 小生の依存度は、

 初めて禁煙した23の時とは、

 比較にならないくらい、

 重くなっていたのである。

 






 依存性の人間が、

 任意の科学物質の供給を断たれた場合、

 離脱症状として現れるもろもろの、

 まいっちんぐな次第、

 一般でいう「 禁断症状 」は、

 「 愛する者を失った時、強襲してくる錯乱 」に、

 良く似る。






 正確をきすために言い換えると、

 愛する者を失った時、

 我々が襲われる「 ある種のパニック 」は、

 生理学的に観ると、

 多幸感を与える物質の供給が断たれた結果による、

 禁断症状なんである。

 

 
 その意味で、

 酒や、

 煙草や、

 麻薬や、

 買い物や、

 仕事など、

 依存性が高いすべてを、

 我々は、

 「好き」を通り越して、

 「愛」しているわけだ。

 化学的に。






 ケミカルなラブである。

 だので、

 薬物依存との戦いに勝利するには、

 やはり、

 相当の苦痛が伴う。





 まじで、きつかった。




 
 煙草を吸うのを我慢するのは、

 それほど苦痛を伴わずとも、

 混乱と鬱の大波が過ぎるのを、

 錯乱という名の嵐の中で耐えるのに、

 相当に気力を消耗した。







 今はもう、

 他人の吸う煙の匂いを嗅ぐのも嫌だし、

 衣服についた煙の匂いも駄目だし、

 とにかく煙草が嫌という、

 素敵な状態まで漕ぎ着けたが、

 まあ、

 なんつうか、

 よくここまで至ったと、

 我が事ながら、

 信じられん。







 














 ナチュラルラブが、

 ケミカルラブを駆逐した、

 ちょっといい、

 体験であった。








 どっこい、

 人は、

 化学なんぞに、

 負けたりしない。






 脳は、

 化学に屈しても、

 心は、

 魂のものである。





 
 






 

 

 錯乱との戦いは、

 実は、

 かなり好きな種類の戦闘なんだが、

 今回はナカナカの強敵であった。




 なにせ、

 都合8年もかけて育ててきた敵である。



 
 
 いい試合であった。





 またいつか、

 来世で。




 さらばだ。

 エコー。









































  今まで、

  いつも、

  ありがとう。
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by 201V1 | 2006-01-20 23:16 | カテゴライズ前・生ログ
あけましておめでとう
 
 さて、新年である。

 昨年の暮れ、

 入籍とかをし、

 やおらオットになった小生。

 



 今日、

 役所に行ってきた。

 滞納していた17年度分の健康保険を払うためである。(おい





 17年度分(17年4月~18年3月)の

 国民健康保険料に反映されるのは、

 16年度分(1月~12月)の収入であり、(つまり1年ズレる)

 何を隠そう小生は、

 16年度は書類上、

 無収入上等のプータロであり、

 実際上も、

 沖縄で逃亡生活を送っていたり、

 伊豆山中で漫画描いていたり、

 年末からは被災地で垢だらけになってたりで、

 労働というものに縁がなかった。(恥を知れ





 しかしながら、

 平成15年の段階では、

 小生は、

 アニマルランドの優秀な社畜であったので、

 プータロであった16年にきた健康保険の請求金額は、

 恐ろしいことに、

 年間で20万を超えており、

 収入がねえのに払えるわけがねえだろうが馬鹿もの。





 
 よおするにだ。

 普通に会社員をやっていて、

 馬鹿臭えぜってんで、

 さしあたって野に下った場合、

 その翌年、

 まったくの無収入でも、

 20万とか、

 30万とか、

 前年の収入によってはもっと巨大な金額が、

 国民健康保険から、

 請求という擬態(?)で、

 ギャルンとくきて、

 進退が窮まる。(よく窮まるひと

 


 あちょお!

 無収入なのに!





 今年は、

 頭に来たので、

 その借りを返した。

 前年が書類上無収入だので、

 まぁ実際もそれに近いんだが、

 それを盾に役所の窓口で駄々をこねると、

 健康保険料は、

 何故か下がるのだ。(実は昔一度やっている




 結果、

 小生の、

 17年度分の健康保険料は、

 年間で、

 1万6000円ちょっとになり、

 16年度分のそれと比べ、

 20万近く安くなった。

 事実上の90パーセントオフである。

 

 





 
 ちなみに、

 小生、

 病院は、

 去年、糞つまりで内科に駆け込み、

 中年肥満の看護婦に、

 巨大な浣腸を打たれたのを除くと、

 丸2年、

 世話になっていない。

 親知らずを抉る為に行った歯医者を除けば、

 小生は丸4年、

 医者に行っておらず、

 もっというと、成人してから病院に行ってない。






 ようするに、

 浣腸1発で、

 30万超である。(どかーん




 高い。

 下剤としては空前の金額である。

 程度の中古車と同じくらいの値段であり、

 新卒の初任給を超え、

 ジングルが新品で20匹は購入できる。

 ツガイでちょうど10組だ。





 そうやって考えると、

 なにか、

 ジングルが、

 無駄に高い事実が浮き彫りになってくるが、

 今日の問題は30万の浣腸であり、

 国保である。




 

 まぁ、

 このように、

 国保という奴は、

 病気嫌いの人間にとっては、

 なんというか、

 吸血鬼みたいな印象になるが、

 病院を上手く活用する人々にとっては、

 非常にありがたいシステムといえる。





 途上国の殆どには、

 こんなシステムはない。

 共産主義の場合は、

 かなり開発が遅れていても、

 内戦とかが勃発していないかぎり、

 国保に似たシステムがあるが、

 途上国で資本主義なんて状態だと、

 医療なんてのは蜃気楼みたいなことになる。




 ちなみに、

 先進国でも医療費の云々は、

 国によって大きな違いがあり、

 記憶が確かなら、

 英国は旅行者も含めて医療費が全部タダだ。

 尚有名すぎる話だが、

 米国には国保が無い為、

 原則、

 貧乏人は医療を受けるのに大変な苦労をする。





 時代小説とかを読んでいると、

 病気の父の薬代で、

 一家が極貧に喘ぐなんてのが、

 茶飯事であり、

 国保が整備されるまでは、

 実際、

 人間は、

 金の不足から、

 病で死なねばならなかった。




 
 現代でも、

 くそったれの厚生省が、

 手前らの権益を守る為、

 認可をなかなか下ろさない所為で、

 非認可の新薬の投薬で、

 死を免れる可能性を持つものが、

 家族にもつ人々が、

 その財産を投げうち、

 病に挑んでいる現実がある。





 ようするに、

 過去にも、

 現代でも、

 病気という奴は、

 1家族を簡単に経済破綻に追い込む、

 恐ろしいものであるわけなのだが、

 国保ひとつで、

 相当の不幸が、

 水面下で食い止められている実態があるわけである。








 国保を支えているのは、

 病院嫌いの人々と、

 病院へ行かなくとも薬が買えるというシステム(マツキヨ)であり、

 国保を食い物にしているのが、

 井戸端会議を目的に病院に行く高齢者と、

 点数目的で無駄な検査をしまくる下種医者であり、

 国保を本当に必要としているのは、

 愛する家族をもっている人々といえる。

 




 小生の、

 一本30万円の浣腸には、

 そういう始末があるわけだ。

 


 

 







 小生は、

 つい、

 5日ほど前、

 今年の9月だか、

 10月だかに、

 お父さんになることが、

 判った。





 10代のとき、

 5回に渡って罹患したマラリアによって、

 全滅必至と思われていた生殖細胞が、

 どうやら生きながらえていてくれた模様である。





 嬉しくて、飛び跳ねた。






 





 みんな、

 あけまして、

 おめでとう。
 




 今年も、どうぞ、よろしく。




 秋には、

 家族が一人増え、

 人間3・鼠1・亀1の、5人家族にあいなりまする。





 PS 妻はツワリと悪戦苦闘。現在8週目。和魂ジュニアは只今1センチくらいです。
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by 201V1 | 2006-01-14 01:42 | カテゴライズ前・生ログ
死ぬの生きるのしゃらくせえ

 後日談になりますが、

 講演、

 ブチ上げて参った。




 動員数500.

 ひゃっほう。

 相当の数である。



 
 稼業柄、

 見知らぬ人々の前で、

 好き勝手な寝言を並べるのは、

 まぁ、

 慣れているとはいえ、

 500という、

 軍隊で言えば中隊規模の聴衆を前に、

 一発ブチ上げるのは、

 生涯実に2度目であり、

 滅多なことではないんである。









 前回の、

 生涯初であった中隊規模を相手のパフォーマンスは、

 災害復興支援時代のコンサートにおける、

 舞台監督兼MCというポジションでの、

 火事場のような混雑の中での業務であり、

 ようするに、

 作業に近かった。

 





 如何にして、

 ミュージシャン連中が演奏準備を整えるまでの「 間 」を、

 もたせるかに注力し、

 それに力を尽くす業であり、

 問われたのは、

 小生の「 芸人 」としての資質と根性であり、

 エンターテイナーとしての機能と、

 アジテーターとしての求心力を発揮する

 装置としての役割であった。




 

 今回の講演は、

 それとは完全に性質を異にするものであった。



 

 学生への鼓舞を要請されての静岡入りであったのだ。




 講演の手配師である学校サイドの意図は、

 学生への「 生き方 」の指南であったが、

 小生はこれに関して完全な門外漢である。





 生き方を、

 夢だと、

 仮定するならば、

 小生のそれは、

 自らを検体にした人体実験の途中にあるもので、

 結果はもちろん、

 断定的に語るに耐えるこうだという確証は、

 半生丸ごとをひっくり返しても、

 微塵も発見ができないのが実態であり、

 それをどうこう抜かすのは、

 俺が死んでから、

 どっかの他人が片手間でやる仕事である。

 





 夢を語れというならば、

 高らかに生き方を謳うが、

 先方の要請は、

 生き方そのものについて言及し、

 学生達に活力を与えせしめることであった。

 

 

 生き方を語る。

 不遜だと、

 小生は感じる。





 学校サイドを非難するつもりは毛頭ないが、

 小生の認識では、

 高校生という15歳から18歳くらいの年代は、

 世の大人が思うほど、

 馬鹿ではない。

 様々な任務を課した場合、

 遂行する能力には著しく欠けるのが一般だが、

 経験は浅くとも、

 無駄に年を重ねた大人より、

 余程骨のある手合いは珍しくも無い存在だろう。





 小生は、

 自身が彼らと同じくらいの時に、

 考えていた様々な事柄と、

 向き合っていた世界と、

 感じていた気持ちを、

 今尚、

 鮮やかに思い出すことができる。




 
 世界は、

 醜く、

 汚泥に満ち、

 常に腐臭を放っていて、

 淀んだ空気に満ちていた。

 希望は自分の中にしかなく、

 魂は、

 憎悪で破裂寸前まで膨張しながら、

 赤く赤く燃えていた。

 刺し違えることができるという可能性が、

 自分の全てだった。





 小生が今日、

 世の中を、

 希望的に見られるようになったのは、

 世界が美しいからでも、

 腐敗をやめたからでもない。

 単純に、

 汚泥の海を、

 自らが上手に泳げるようになったからであり、

 泳ぎ続けるに足る価値を、

 存在することに見出している結果に過ぎない。






 その意味で、

 程度の差こそあれ、

 彼ら若者のいる世界は、

 当時小生が棲んでいた世界と、

 その景色は極めて似るに違いないのだ。






 大人よりも遥かに、

 力なき若者達は、

 世界の、

 ありのままの姿を、
 
 その目に焼き付けながら、

 日々を暮らし、

 青春を、

 終わりに向かって、

 つき進んでいる。





 若いということは、

 地獄に等しい。







 大人になるということは、

 地獄との、

 付き合うことを学び、

 地獄で尚、

 笑う術を身に着けることに似るが、

 小生は、

 そんなことは、

 話したくなかった。

 



 

 

 



 話したかぁ、ねえだろう。

 そんな悪夢みてえな話。












 生き方なんぞ、

 そもそもが、

 選べるような代物じゃあねえのだ。







 思い通りに生きることなんぞ、

 誰にもできはしねえ。






 人間は、

 思い通りにならない人生を、

 生きていくのだ。

 奥歯を削りながら。




 生き方なんぞ、

 選べるものか。





















 頭に来たまま、

 講演をするべく、

 静岡に向かった。






 「 生き方の講演を・・・・・ 」

 人の良さそうな先生の言った台詞が、

 耳から離れず、

 苛立ちが頭蓋の中を反射する。






 「 何様のつもりだテメエ 」





 先方に、

 悪意が微塵も無いことを、

 十分に理解しながら、

 腸は、
 
 煮えくり返っていた。





 餓鬼をなめるんじゃあねえ。





 



















 余暇に、

 仕事の合間に、

 静岡への列車の中で、

 何を自分が話せるか、

 語るべきは何なのか、

 考えたが、

 どうにも結論がでなかった。





 答えが出たのは土壇場であり、

 講演15分前の、

 一服の煙草である。
































 「 在り方について話そう。」

 小生は、

 そう、

 思った。



















 小生は、

 断言できる。

 人間は、

 生き方を選べやしねえ。

 それでも、

 在り方は、

 選ぶことができると。

 












 
 





 生涯の中で、

 自分が向き合わねばならない現実の全ては、

 その始まりを、

 我々の手の届かない場所を起点にする。

 不可避の現実・出来事に対し、

 我々は、

 それを起こるか否かという意味において、

 選択する能力を、

 完全に奪われて誕生し、

 生きて死ぬ運命にある。

 すべからくだ。

 




 その意味で我々は、

 運命の奴隷であり、

 更には、

 状態を希求する自我に翻弄されるに至っては、

 魂は恐怖の傀儡に等しい。







 運命に囚われている限りは、

 自我の抱く恐怖に支配されている限りは、

 魂はその真価を発揮し得ないままに、

 霧散する。

 






 鎖を断ち切るには、

 傀儡の糸を断ち切るには、

 生き方という、

 状態への一切の希求を放棄し、

 在り方という、

 その存在の性質に、

 成すべきことを成す為に、

 己の魂魄をかけて、

 全霊を注ぐ意外に手段は無い。






 






 我々はただ、

 成されるべきことが、

 成される為に存在し、

 成すべく事と成す為に、

 ここにいる。








 その意味で、生死ごときは、もはや問うところではない。








 生きるの死ぬのはしゃらくせえ。













 人は、

 生き方を選ぶことも、

 未来を選ぶこともできやしねえ。

 成すべきことを成す為に生まれるからだ











 




















 
 
 

 

 

 

 

 
 












 小生は、そういうことを、1時間に渡り話した。

 これから、

 クソみたいな現実と戦う運命にある、

 10代の連中に。

 

















 講演が終わったあと、

 多くの質問があった。

 まぁ、

 考えられねえことではある。

 一人なんぞは、

 講演が終わったあと、

 応接室にまで乗り込んできて、

 カチコチに緊張しながら、

 将来の助言を求めに来てくれた。













 果たして、

 話してよかったと思う。









 己の、

 魂魄にかけて、

 人が、

 成されるべきことを、

 成すがために、

 存在することを選ぶとき、

 その
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by 201V1 | 2005-12-28 02:54 | カテゴライズ前・生ログ
引力商店


 夫婦で買い物に行くと、

 それぞれが必ず足を止める商店がある。





 小生の場合、

 それは、

 古物店(非実用的なものがたくさん)であり、
 
 刃物店(ご禁制サイズが並ぶ)であり、

 軍放出品店(復刻含む)であるんだが、

 嫁さんの場合、

 それは乾物屋である。





 衣料や家電に関しては、

 我が家は、

 プロパーの製品の粗利率の高さに

 夫婦双方が知悉しているが故、

 その殆どをネットを介し、

 価格コムやオークションを効率的に運用して

 現物をゲットしているが、

 食い物に関しては流石にプロパーで買っている。

 


 
 

 

 

 
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by 201V1 | 2005-12-27 00:24 | カテゴライズ前・生ログ
記憶に残る映画

 なんつーか、

 小生は、

 映画には、

 相当に甘い。






 生半可なストーリーと、

 適当な設定と、

 いいころ加減な展開で、

 これまで幾度も号泣してきた。






 しかしながらである。

 「 らくだの涙 」

 こいつにゃ全体、

 戦慄した。

 





 滅茶苦茶である。





 物語のあらすじは、

 モンゴルの荒野で暮らす4世帯同居型遊牧民の所有する、

 数多くのラクダのうち、

 一匹のメスラクダが、

 難産の末白い子ラクダを産み落とすものの、

 なんだかどうした、

 子育てを放棄、

 乳をあげない。

 さあ困った。

 のこったのこった。

 ここが起点であり、

 四世帯家族は、

 母ラクダを縄で拘束して、

 授乳を強制させたりするんだが、

 うまくいかない。(これが承である。

 で、

 それとは全く脈絡なしに、

 全ての作戦が失敗に終わったのと同時期に、

 唯一の家電製品であるラジオの電池が切れたため、

 数十キロ離れた市場のある県庁所在地へ

 電池を買わせに、

 子供二人をお使いに出すんだが、

 この際、
 
 家長であるヒイ爺さんが、

 母ラクダの育児放棄を打破する「 切り札 」に、

 SOSを告げる手紙を、

 お使いの子供二人に委ねるんである。(転だ

 で、

 問題の「 切り札 」なんだが、

 これが街の音楽の先生で、

 変な弦楽器の達人であり、

 依頼を受けて四世帯遊牧民のもとにやってきた達人は、

 遊牧民の望みに応え、

 母ラクダと子ラクダの前でメロディを奏でる。

 すると、

 何故か母ラクダは号泣し、

 育児拒否をやめ、

 子ラクダにオッパイをあげ、

 起承転結が完成。

 大団円になっちゃった。(我々夫婦が呆然とする眼前で)

 で、

 エピローグでは、

 何の説明もなしに、

 パラボナアンテナに直結させた、

 太陽電池を動力にするテレビを、

 四世帯遊牧民がゲットし、

 めでたしめでたしみたいな雰囲気を、

 「 感じろ! 」的な映像が垂れ流され、

 強引にスパーに以降。

 





 

 

 







 
 まじかよモンゴル人。








 まぁ、

 なんつうか、

 この作品、

 ドイツの映画学校の、

 卒業記念のそれだそうなので、

 モンゴル人の頭の具合よりむしろ、

 作品の分裂症的ケレン味に関しては、

 はっきりいって、

 撮ったゲルマン民族の膿んだ脳によるところが大なんであろう。







 ドキュメンタリー映画を撮ろうとしてモンゴルに行ったのはいいんだが、

 育児拒否の母ラクダに遭遇した為、

 途中でそれを題材にしたストーリー物に作品の性質が変容したと、

 制作秘話にあるが、

 出来上がった作品の実際は、

 やらせだらけでドキュメンタリーのもつ報道性は絶無でsり、

 ノンフィクションとしては題材自体がしょっぱく求心力が脆弱で、

 フィクションを完遂するには作り手の力量が圧倒的に足りない、

 「 反吐のもんじゃ焼き 」みたいな感じに落ち着いたといえる。

 
 
 



 小生は、

 概して動物全般を愛玩目的で認知するが、

 これを機に、

 やおらラクダが大嫌いになりそうである。

 少なくとも、

 しばらくはラクダを連想するものを、

 視界に入れたくないのは確かであり、

 これはそういう気分に人をさせる映画であった。








 ドイツ人は、

 まぁ、

 そういう民族である。





 革新的な飛行機や、

 新時代のロケットを作り上げる一方で、

 ナチスとか、

 らくだの涙とかを、

 世に出す。






 まったくもって最悪の映画であり、

 2005年度中にこの地雷を処理できたことを、

 幸運と捉えることに努めんと思う。





 こんなもんを1月1日に観た年にゃあ、

 1年は終わりだ。






 










 12月26日。

 「 ラクダの涙 」を観た後、

 ネットで、

 この映画に関する、

 好意的なレビューの氾濫を目の当たりにして、

 筆を執った。

 反吐のもんじゃ焼きも、

 食う人間によっては、

 美味に感じるものらしく、

 いよいよ世間が信じられねえ。





 
 ※ この映画は、

   プロパガンダによく用いられる手法によって、

   製作されたものと、

   和魂要塞は判断する。

   明らかに「 感動 」をさせようとして、

   恣意的に事実を歪曲・誇張している箇所が随所に見られ、

   醜かった。

   製作者サイドの魂がである。



   出演しているジモッチーの演技は、

   見事に大根でその点ではリアリティがあったが、

   演技や台詞が用意されているドキュメンタリーという実態は、

   断じて容認すべきスタイルではなかろう。



   ネット上のレビューでは、

   結構な絶賛を受けている「 らくなみ 」だが、

   この映画を、

   ある種のプロパガンダ映画と捉えた場合、

   日本における常民が、

   60年前のあのころと、

   本質的に同じであることが伺われ、

   まぁ、

   さらに胸糞が悪くなった。




   2段重ね、

   3段重ねで胸糞の悪くなる点において、

   この、

   らくだの涙なる映画は、

   流石はドイツ製だけあり、

   ナチスのホロコーストに通じるものがある。




   
   モンゴルの景色がどんなに美しくても、

   この作品には、

   価値は無い。
   

   

   
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by 201V1 | 2005-12-26 23:32 | カテゴライズ前・生ログ