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印象払拭戦争。


さて、和魂です。



初対面の印象は人それぞれ。

ちょいと交誼を重ねてみて、得られる印象もまたしかり。

付き合いが10年を越えてようやく中身が見えてくるって話もよく聴く。

というわけで、本日は印象の御話。



和魂は、「アニマルランド」という、

社員を人とも思わぬ悪辣なワンマン社長が経営の足を引っ張る、

古今例を見ないほど兇悪な企業に奉公をしていた時期があるが、

本来は「 夢見がちな男 」であり、

自然、ライフスタイルは渡り中間に近い。

当然、俗に言う、浮き草の如きアルバイターであった時代もある。



飽いては職を変え、向かぬと見ては店を変え、

場合によってはオーナーとソリが合わずに「ざけんな」ってんで止めた場合もある。

しかしながら、異業種を転々としながらも、面接に落ちたことは、いまだかつてない。

生粋のアナーキストなのにである。




人間てな、四半世紀に渡って、

色んな土地や業界の水を飲んでくれば、当然いろんな顔を造れる様になる。




大都会とド田舎の双方を「故郷」にもち、

高校時代は進学クラスに在籍しながらチンピラ相手に暴れ、

北は北海道の競走馬生産牧場から、南は赤道直下のNGOまで、

履歴書を全面的に詐称して流転の渡り奉公を重ね、

ヨーカドー本社に自在に出入りし阿呆な営業を騙したり、

歌舞伎町のホストクラブを総なめにしながら金を引っ張るなんて暮らしを続ければ、

嫌が応にも色んな顔を持てるようになる。




ヤクザに化けろと言われれば、そんあもんは造作もねえコトであり、

ビジネスマンをやれと言われりゃ、ネクタイ締めれば明日にでも出撃できる。(事務はダメだぞ。

ようするに、化けるのは容易い。

人事担当の目玉を抉るのなんざワケもねえ話になる。

しなしながら、奉公する上で最大の問題は、

同僚を化かしきるのはなかなかムズイという点である。




こと「 オツトメ 」に限ると、

「 採用時・直後 」の和魂の印象は毎回もの凄まじく好評である。

でっち上げた履歴書と、生来のクソ度胸とハッタリで人事担当者は朝飯前に欺ける。

しかしながら、一ヶ月を得ぬうちに、俺ぁ必ず「上」での評判を落とすんである。




最初の印象が「 空前の超新星 」なので

「 実物 」が見劣りするのは当たり前と言えば当たり前なんだが、

だいたい何が評判を落とすのかというと、

どうも「 自己流 」が上司の目に余る為らしい。

これぁ毎度のことと言っていい。

和魂はどこにブチ込まれようと「 我流 」で通す。

「 正規の方法 」ってのでは土台結果を出せぬ性分を、自ら知悉しているからである。

したがって、異業種の場合、結果が出てくるのは「 体が慣れてくる 」3ヵ月目くらいになる。

それまではイマイチというか、まったく戦力にはならない。(断言するな




26になった今では、

営業マンも、夜の世界も、飲食も

販売業も、肉体労働も、

ちょこちょことツマミ食いしてきたため、

最早今では、「 学歴不問のものならなんでもきやがれ 」という感じだが、

若い頃は異業種につくたびに、エライ苦労をした。




アルバイトとしては、こいつはいささか出足が遅く、

カタギの正社員としては「 試用期間が切れる頃 」にバシバシ結果がでてくる次第になる。

以前に経験のある職種の場合は、七日もあれば結果を出すのは楽勝だが、

まったくの異業種の場合は、俺ぁ通常、独走状態に入るまでに3ヶ月ほど時間を要する。

もっと早くにブレイクするときもあるが、まぁ大体は3ヶ月である。






全く知らない畑に飛び込む「 業種変え 」にトライすると、

前述のように、俺ぁ最初の三ケ月は完全に「 お荷物くん 」である。

しかしながら、まったく本人は焦らない。(23・4の頃は焦ったぜ。笑

なんでってそれは「 キマリ 」だからである。(焦らないお荷物




これぁ、どこの世界でも一緒だが、

人間て奴は、人の第一印象を「 覇気 」で計る。

「 陰気 」や「 情緒不安定 」って人柄はまずもってマイナス評価に繋がる。

端的にいうと、ほぼ「 覇気だけ 」で渡世している和魂が、

面接に異常な突破力を誇るのは当然といえば当然といえる。

仕事をなかなか覚えねえのは、

「 3ヶ月経てば放っておいても俺は慣れる 」と、

ハナから「 真剣さがゼロ 」の所為もあるかもしれんが、

不思議なことに、このような「 お荷物状態 」でも、

評判が下落するのは「 上層部 」においてのみであり、

「 同僚 」の中の評価は終始一定している。

その評価とは、「 ○○○ 」である。(後述。笑




あくまで「 我流 」で押し通ろうとする和魂は、

大概の上司の怒りを当然喰らう。

そりゃあもう烈火のごとく。

怒り方は様々だが、その時々の上司の半分くらいは「 和魂追い出し 」を画策し、

色々ちょっかいを出してくる。

怒りながらも「 この野郎、まったく動じてねえな。しょうがねえ、ちょっと様子を見てみよう 」

とする種類の人間と、こいつは丁度同じ位の割合だ。

前者は三ヶ月目以降、和魂がメキメキしてくると、大人しくはなるが関係は最悪のまま。

後者は三ヶ月目以降、和魂を片腕として運用し、「 俺が育てたぜ 」みてえな寝言をほざく。





で、こういう前者の様な、

「 <自分の指図を全く訊かず、気の喰わない奴>を追い出そうとする手合い 」ってなあ、

まずもって過去にも「 陰湿な新人イジメ 」を行っており、

組織内部では「 いじめっこ 」として「 問題視 」されているが、

無駄に古株だったり、仕事だけは人並みにこなしやがるので、

誰もおおっぴらに批判できない立場を獲得している。(経営者本人だったりもするしな。





根が陰湿な彼らは、気に入らない新人に対し、けっこう無茶苦茶なことをやってくる。

これまでの被害者が、

「 大人なのに泣いて職場を去ったりする 」よーな非道な真似でいじめる。

小学生の「 無視 」みたいな姑息な手段や、

言い返せないことを前提にした嫌味なことを言ったりやったりする。

物凄いストレス(と思われるもの)が、新人を襲うわけである。

しかしながら、和魂の顔色は、依然として「 ド楽勝 」である。





こーゆー展開に慣れきっている和魂は、

予定調和として、万事の嫌がらせをハナから覚悟して「 我流 」を貫いている。

別段、殺される危険もないのに、いちいち阿呆の嫌がらせで凹むのは馬鹿げている。

態度は終始「 ふっ。下郎め 」てなもんである。

これによって余計に相手が激怒する。





したがって、本人、毎度「 おいでなすったな 」という感じで、

普通は「 いたたまれないような険悪な職場 」で飄々と、へらへら遊んでいる事になる。

あいかわらず、仕事の姿勢には全く危機感はない。

ムードは楽勝・余裕・飄々・淡々と、愉快痛快である。

90日で立場が逆転するのは「 既に決まっていること 」であり、

全ては時間の問題だからだ。






「 和魂め、一日も早く仕事を覚えようと言う姿勢は絶無だな 」というのは

すべての人間の目に明白なんだが、

同僚は

「 何故、あのような陰湿な攻撃を喰らいながら和魂は動じないのだ 」と、

論じるべきピントがズレてくる。

結果、「 和魂さん。もうちょっと危機感もって仕事して 」という印象より、

「 なんでアンタは、この悪環境で平気なのだ?」と畏怖の念を抱くことになる。

同僚からの評価が落ちないのは結構なんだが、

問題はいつのまにか和魂が「 バケモノ扱い 」されるようになる点だ。





「 なんでそんなにタフなの? 」とか

女の子が目をキラキラさせながら訊いてくる。

年下の先輩が「 和魂さん、どうして平気なんですか? 」とか

ありえない低姿勢で訊いてくる。

年上の同僚が「 今度事業起こすんだけどその根性が欲しい 」とか

俺は漫画家志望だっつってんだろ。ってのに誘ってくる。



流石にコイツラに対し、

「 3ヶ月ぼうっとしてればいいから 」なんてフザケキッタ返答はできんので、

俺ぁもう一つの「 本音 」を出さざるを得なくなる。





「 いつでも殺せる相手だもの。彼の耳が繋がっているのは俺が許してるからよ♪ 」

「 彼が生きていられるのは、俺が生かしといてるからよ♪ 」





若い時分から、散々命の取り合いをやってきた和魂には、

「 人が本気で殺す気になったら殺せない人間はいない 」という確信がある。

いつでも人は、人を殺せ、破滅させることができるのだ。

すなわち、誰かを攻撃し、不快な思いをさせるということは、

自分の命を、回避不可能な危険に、全面的に晒すというコトになる。

連中にそんな覚悟は微塵もない。

で、和魂は喧嘩をする時は、毎回命懸けでやる。

生きる覚悟がまるで違う。






ぶっちゃけた話、職場やらなんやらで、他人を罵倒・侮辱する輩ってなあ、

ここのところをまったく分かっちゃいない手合いであり、

夢にも「 自分が殺される 」なんてコトァ考えちゃいない。

そんな発想をカケラももって生きていない「 とことんヌルイ連中 」であり、甘ったれである。

こういう玉のいい加減な連中を「 仕留める 」なんざ、

殺すか殺されるかの修羅場を生きてきた和魂には、赤子の腕を捻り捥ぐようなもんであり、

「 生かしといてやってる 」のが現実なのだ。

したがって、下郎の矛先が一度「 俺の同僚 」に及べば、

その時点で奴の命は終わることになる。

和魂は時と場所をちょびっとだけ考慮し、

一切の容赦をせずに甘ったれを血達磨にする。(実際に何度かやって大変なことになりました。





上の様な「 和魂スタイル 」を断言(のちに断行したりもする)すると、

同僚は「 この人は普通ではない 」という、気がついてはいけない真実に気がつき、

仕事ができるできない以前に、和魂を「 特殊な生き物 」として見る様になり、

なんだかよくわからねえうちに、「 不動の評価と印象 」ができあがる。

とどのつまり「 物差しの外にいる人 」という評価・印象である。

で、これはたとえ「 陰湿上司 」が存在しなくても、

和魂の「 慣れたら死ぬまで働く姿勢 」によって、最後にはやはり定着してしまう。



寝言をほざいた社長の首根っこを捕まえたアニマルランド以来、

同僚の和魂に対する「 印象 」は、

トコロが変わっても常に「 埒外 」で完成している。




結果、極めて面倒くさい事態が発生する。






意味不明な人生相談が舞い込んでくる。

反体制の神輿に担がれる。

あまり好きではないタイプの同性に懐かれる。

何かといえば泣きつかれて頼りにされる。

面倒くさいことこの上なしである。






本来、和魂はあんまし「 人に付き合う 」のが好きではなく、

「 人に付き合う 」コトが煩わしくてたまらん性分なのにである。

俺ぁ独走が好きなんだ。独走が。

一騎駆け・単身丸腰が本分なのだ。

自分自身の人生は「 万事が挑戦・覚悟根性クソ度胸 」で乗り切ってきたものであり、

ぶっちゃけ、人に何かを問われても「 俺になれ 」としか言えねえぜ。(最悪







「 和魂さん、どうしたらいいと思う? 」

「 覚悟を決めろ! 」 で全部終わりである。






正直言って、自分の人生観は極めてシンプルであり、迷った記憶がほとんどない。

相談するにしろ、情報を集めるにしろ、

方向性はハナから決まっており、万事覚悟を決めるだけの話だ。

しかしながら、「 腹くくってドン 」というのは全員が全員できるワケでもなく、

しょうがなく俺ぁ「 親身になって相談にのる。付き合う。」という、

土台性分にあわねえ真似をやらざるを得なくなり、

卓袱台をひっくり返したくなってくる。




恋人や親友と違い、職場の同僚ってなあ、純然たる「同僚」であって、友人ではない。

だいたい、よく知らないし、俄然興味すらない。

にもかかわらず、相手がマジなので、俺も親身になってやらねばならなくなる。

つらい。

つらすぎる。



「 あの人に相談すれば?」とか、

ふざけた話をどっかの馬鹿がし始める。

休憩時間と就業後の「 相談 」に物凄いエネルギーを裂かねばならなくなる。

ぶっちゃけ、仕事より消耗する「 休憩とアフター 」が確定し、それが常となる。

死ぬ。




で、俺ぁあまりにも耐え難い毎日を強いられることになり、

慣れてきた職場を「 同僚の相談 」によって毎度去らざるを得ない状況になってくる。

上司と喧嘩別れとかした過去とはえらい違いである。



「 なんじゃあ、こりゃあ 」と叫ぶ。

まったくもって解決しない。



次回上京する際に、おそらく和魂にとって最大の障害になるのが「 いい同僚 」である。

そのためには、まず本性を隠すのが第一になってくるが、

俺がネコを被れるのは短期間のみであり、長期は不可能である。



おそらく、解決策としては、俺自身が「 苛める側 」になるのが手っ取り早いんだろうが、

如何せん、和魂はそーゆー面倒なことが嫌いである。

誰に対しても、殺す瞬間まで、何も考えず、ヘラヘラしていたい。(いい加減



ぬう。

どうしたものか。



最悪、「 働かない 」という選択もあるが、

俺ぁヒモになるのは断じて嫌なので、

またいつかみたいにバール片手に夜の自販機を襲わざるを得なくなる。(やめろ

保険金詐欺で暮らさざるを得なくなる。(やめなさい




「 きた相談に乗らない 」というのはナニか、

「 腑抜け 」のニオイがする。

嫌だ。



というか同僚の相談に乗るのが嫌で退社している時点で「 腑抜け 」なんだが、

それは忘れろ。

俺ぁ真剣だ。(自分のことだからな




上京までに、いいアイデアを浮かばせねばならない。













この上は、滝を浴びるほか、道はないようである。

山に住んでいて、よかったと痛感する今日であった。
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by 201V1 | 2004-09-29 21:23 | カテゴライズ前・生ログ
生きるの死ぬの・死生観



えー、りりこリクエストの「 出会いと別れ 」ですが、

「 出会い 」については以前やった気がする。

「 知人の中に踏み込んで、再び、三度、人は出会う 」とかなんとか、

言った記憶が薄らある。(いい加減万歳

触れたことのねえ「 別れ」については紙面を別に割くとして、

さしあたって今回は、「 生き死に 」に関して考えてみる。





自身の死生観については、これまでも俺ぁたびたび、小出しにしてきた。

「 明日死ぬかもしれないぜ。 」とか、

「 貪り食われて死ぬ生き物の方が圧倒的に多いんだ。 」とか

「 そんな人生終わりにしちまえ。 」とか

「 永遠に生きるつもりかよ。」とか、折を見ては記事に出刃をぶっ込んでいる。




まぁ、いうなれば、勢い仕掛けてしまった地雷みたいな感じである。

たまに踏んだ人が偉い目にあっているが、

「 言霊ランドマイン 」は和魂要塞の真骨頂といえるので考慮なんてしねえ。

是非覚悟して読んで頂きたい。( どんなブログですか?





で、だ。

まず「 死 」だが、

御存知の通り、俺ぁこれまで何度も死にはぐっている。

「 人生・死にはぐりデパート 」である。(五月蝿い



当人が「 まぁ百太郎がいなかったら死んでいるな 」と思う以前に、

一般的な常識論だと「 普通は死ぬ 」目が何度か出ているが、

持ち前の頑健バディの御蔭か、なぜか入院歴はゼロである。





対向車両にチャリで全速アタックしたり、

走行中のバスから落ちてみたり、

ロータリーを逆走したり、

ブロックで後ろから頭を殴られたり、

猪に跳ねられたり、

教師にリンチにあったり、

裏切りにあって鉄パイプでフクロにされたり、

深夜のアフリカで強盗とランデブーしてしまったり、

マラリアを五回罹患したりと、忙しい身の上だが、どっこい俺ぁ俄然健在である。




鼻が曲がったまんまだったり、

顎がズレたまんまだったり、

股関節がズレたまんまだったり、

顔面の縫い目が累計30を超えていたり、

肝臓がオシャカだったり、

精巣が焼き付いてもう駄目だったりと、

いろいろガタは来ているが、

既に人生の3割くらい終了している点を鑑みると、

こいつは丁度いい按配の壊れ具合といえる。

この調子なら、くたばる頃には上手いこと廃人になってるハズだ。

往生ってなあ、体がぶっ壊れて迎えてナンボの終点である。

死ぬときはポンコツで息が止まるスタイルがいい。




こういう滅茶苦茶な「 憂き目 」が出続けるサイコロを握らされて生まれると、

自然、人間て奴ぁ、矛盾した2つの確信を持つに至る。




「 必ずいつか、免れられぬ死が訪れる 」ってのと、

「 俺ぁ熊に襲われても多分死なぬ 」という2つの相反する想いである。




~ 死神を騙すのは赤子の手を捻るより容易い十八番だが、いつか騙しきれねえ利口な奴がきっと来る。 ~




それは病かも知れぬし、老いかもしれん。

事故かもしれんし、殺しかもしれん。

大抵の「 お迎え 」は片手間で返り討ちにする自信があるが、

中にゃあ、手強い野郎もいるはずだ。

矢継ぎ早に立て続けに強襲されては、

流石の俺も、いつかは必ず、懐に出刃をぶち込まれる。



~ 死神を騙すのは赤子の手を捻るより容易い十八番だが、いつか騙しきれねえ利口な奴がきっと来る。 ~




そういう感慨の中で生きていると、結論的には当然、

~ 生きるの死ぬのしゃらくせえ ~という話になってくる。





「 死 」から出発する時、

俺ぁ、生きてる終わりに「 死 」が来るなどとはカケラも思っていない。

連中は、時と場所を選ばずに、こちらの準備も関係なしに、毎度唐突に襲ってくる。

「 あたしが死です 」と名乗る時もあれば、

「 あたしが死かも知れません 」とかナメた啖呵をきりやがる場合もある。

老衰だろうが事故だろうが同じである。

それはいつも、「 生きてる途中 」でやって来る。

俺達ぁ、毎日、明日かも知れない中に、死ぬ瞬間まで生きている。





「 死 」からスタートする「 死生観 」は、せいぜいがここまでしかたどり着けない。

これぁ、真実にゃあ程遠い。

記事にするのも憚られる、単なるつまんねえ現実である。






「 死生観 」について考える時、焦点を当てるべきなのは「 生 」であり、

「 生きる 」ってなぁ、どういうことか。という発想なのだ。




俺ぁ、散々考えた挙句、生きるってなあ、「 命を振るう 」ことだと思っている。







「 何者 」かに「 必要 」とされるものの全ては、

実はそれが「 必要とされなくなること 」とを「 何者 」かに常に望まれている。




ヤカンは「 水をお湯に変えるため 」に「 必要 」とされいるが、

それは実際には「 お湯が必要 」だからであって、ヤカン自体には意味がない。

また「 お湯 」にしても、「 カップめんが出来上がっている 」ならばいらないんであって、

「 お湯 」自体は必要ではない。

「 カップめん 」も要請されているのは、満腹と味覚の満足であって、

「 カップめん 」自体は必要ない。

そして満腹と味覚も「 飢え 」ていなければ、そもそもいらない。

そして土台「 飢え 」などハナからいらないのである。

全ての「 必要 」とされているものは、「 必要とされなくなること 」を願われている。





これは「 命を振るう 」にしても同じである。

それはいつも、「 必要とされなくなるため 」に振るわれるのだ。





「 世界から悲しみを失くす 」ために「 振るわれる命 」が目指すものは、

「 自身が必要とされなくなる幸福な世界 」である。





人は、死ぬために、命を振るう。

生きることと死ぬことは、同義なのだ。



俺ぁ実のところをいうと、「 生きるの死ぬの 」を別個に考えることを、

ずいぶん前にやめちまってる。

2つは「 同じ 」ものだからだ。






~武士道とは死ぬことと見つけたり。~



この言葉の意味は、

「 人は己が必要とされなくなる世界を勝ち取る為に生きる 」という真実を指す言葉である。




恒久的な平和のために戦う職業軍人の姿が、セメントに「 生きる 」ということなのだ。





人は、死ぬために生まれ、生きる。

必要とされなくなるために、その命を振るう。




そう思う俺ぁ、そうやって、生きて、死ぬ。



世界に足りないパーツになる。
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by 201V1 | 2004-09-27 20:52 | カテゴライズ前・生ログ
投稿お題・小説
お題を募集します。


とりあえず、ナニか巨大な誤解が発生しているが、

俺ぐぁ、若い頃、もそもそ書いてたのは「旅行記」であり、「私小説」である。

ようするに「小説の体」を成していない駄文である。

らも系のエッセイ小説であり、カテゴリ「ダイエット編」と大差のない性質の読み物です。

ようするに、正規の小説を書いたことはにゃい。

純粋な読み手です。

そのうえで書いてみまする。





世の中に、つまらない小説は多い。

正確に言うと、つまらない本が土台多い。

自慢ではないが、本屋に行くたびに鬱になっているのが現状である。

若い頃に無闇に読み倒しすぎたツケで目が肥えすぎている点に加え、

それ以上に本を選ぶのが下手なのが相乗効果を生み、

最近はまったく本を買わなくなってしまった。




というわけで、ここんところの愛読書は「剣客商売」です。(読み直し

エンドレスで池波正太郎地獄ですね。(国内では彼がベストでしょう。

海外の和魂的最高傑作は、ライフログの小説になります。




最低の小説とはなにか?

これはもうどうでもいい。(なげやり

たまに、

「 これは最後まで付き合ったら廃人になるな 」

という小説がありますが、あれがそうです。




では最高の小説とはなにか?(これぁ漫画でも映画でも一緒ですね



1)主人公の「決断」によって物語が進む。(イキオイは大事です。

2)主人公の「個性」によって物語が成立している。(主人公が主人公たる所以という奴ですね

3)「決断」と「個性」をもつ人々の群像劇である。(複雑な相関・展開の必然性・物語の推進力

4)「台詞」「啖呵」に機知と意気がある。(テーマを抉る名台詞って奴ですな

5)描写が読者の心に働きかけ、ムードを作っている。(情景は大事です。

6)ラストがちゃんとしてる。(実は1番ムズイ




これをすべて備えているのが、

「剣客商売」の池波正太郎であり、

「スコッチに~」のデニス・レヘインなわけです。




池波は時代小説ですが、「時代を超えた人間の業」を見事に描いており、

レヘインは探偵小説を通して「現代社会の抱える業」を描いています。

いずれも「人間・社会」に焦点を当てています。



端的に言うと、いい小説ってなあ、

作品の根っこに「 社会の中の人間 」がいるわけです。

まず初めに物語を生む「社会背景」があるわけよ。

で、「背景」から生じる「動機」があって、初めてそこに圧倒的なリアリズムが生まれる。

そして「社会」の中で抗う人間の姿が、「確かな読後感」ってのを生む。



あとは個々の作品によりますが、「思想性」ってのがカナリ重要なファクターになってくる。

これは「死生観」や「恋愛観」などの作者の捉え方が、

作中の登場人物の言葉を借りて表現されるからであり、

端的に言うと「最高」の小説には「娯楽要素」に加えて

「啓発要素」が含まれているといえます。




物語の「完成度」は、「1・2・3・4・5・6」が土台にあり、

物語の「重厚さ」は、「作品の社会性」に左右され、

物語の「啓発性」は、作者の「思想性・感性」に影響を受けるといえます。



「最高の小説」というやつは、どうにもこれを押さえているように思う。



ちなみに、最近のヒットは、佐藤雅美の「物書き同心・居眠り紋蔵シリーズ」です。

ナルコレプシーを患うために出世の道が閉ざされた役所勤めの下級中年侍・紋蔵の、

リアルに切なく、不思議と燃える物語です。

紋蔵は子沢山です。

剣術も昔は遣えました。

頭も切れます。

でもナルコだし下級武士なので終わっています。

でも、がんばるんです。

家族と人情と正義のために。

常に過小評価されながら。





これもまた、「最高の小説」と言えるでしょう。




以上、和魂によるとっちらかった「最高の物語論」でございました。



でわでわ。
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by 201V1 | 2004-09-26 22:08 | カテゴライズ前・生ログ
お題を募集します。


えー、

多分これまで個人ブロガーが、

閲覧者に対して「 テーマ 」を求めるという「 無茶 」を行った事は

古今ないような気もしますが、

あえてやってみます。



「 このテーマについて語ってみろや。和魂。」という挑戦的なテーマを、

コメント欄にどおぞ、ぶちこんでくだされ。



これぞ双方向性の極みです。

テーマを委託する和魂。(無責任

貴方の知りたい和魂イズムが明らかに。(しなくてもいいという事を知らない人



いかなるテーマにおいても和魂は退きません。(うそつけ

とりあえず、各々の「聴きたいテーマ」の和魂節の発注どうぞ。



でわでわ。
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by 201V1 | 2004-09-25 20:34 | カテゴライズ前・生ログ
最近おもうところ



和魂要塞は常に戦時体制であり、

○チャンに喧嘩を売ったり、

某ブログの内部で大暴れしたり、

無駄に最前線で咆哮する「もののふブログ」である。

内でも外でもリアルでも、あまり安全なブログではない。

というか、むしろ自他共に認める、思い切り危険なブログである。



極論すると関わらないほうがいいのだが、

ずっとロムっておいたほうがいいのだが、

「 和魂の心意気やよし 」という破滅的なシンパシーを獲得している常連や、

「 イマイチ危険度が分かっていない 」無垢なブロガーは、

無謀にもカギなしでコメントするなんてゆう無茶をかましたり、

トラックバックの蛮勇を奮う。

見ていて痺れるが、痺れるだけではクラゲである。

シュビビン。シュビビン。シュビビンビンである。(古い




古くからのリアルの友人達は、

「甚大なリスクを負っても、和魂とは付き合う価値がある 」とかつて書いた。

「なんで?」と問うと、

「面白いから」だそうである。

いうなれば、死傷者が続出するジェットコースターのような感じであろうか。

俺は絶対に乗らないぞ。そんなコワイもんには。(薄情






「 武士たるものは妻子に後ろ髪を引かれて己の進退を誤ってはならぬ 」




大切な人間を犠牲にして貫く哲学には、

甚大な破綻のニオイを感じるが、




「 なされるべきことをなすために、人は生まれたのだ 」




という真理の前には、

破綻なんぞ屁玉のようなものであり、

和魂要塞はそんなもんに後ろ髪を引かれて易々とは怯まない。

全存在をかけて、友人を顧みずに、

なされるべきことを、しかるべきときに勝手にやる。(勝手にするな

彼女だけは守る。(←ひどい





とゆースタンスで気ままなブロガー生活を送っている和魂であるからして、

容易に自ブログの記事で友人に関する「 どうこう 」は書けない。

なんつーか、

和魂要塞で名前が「 出る 」のは、それだけで「 晒し 」である。(どんなブログだよ。





したがって伏字ボンバーで紹介したい。

最近、和魂要塞の中で「株価が高騰」しているブロガーたちがいる。

パ○     ○作      ○ビ○    ○こ      の4名である。

ほぼ全員が、コメント常連ではない点にお気づきだろうか?(全然誰だかわからねえ。

まぁ本人は「 あ、俺だ 」と確実に分かるのでよしとする。



この中の大部分は完全なロムラーでり、ロムラーかどうかすら怪しい人もいる。

要するに、殆ど全部の人物は和魂要塞には遊びに来ない。

以前から「 ただもんじゃねえな 」という折り紙のついていた人物もいるが、

殆どは和魂がそのスゴさを「 見抜いていなかった人々 」であり、

これまで親密な交際がなかった人々だ。

しかしながら、色々あって和魂は知る。

彼らの傑出した社会性と人間力にである。




他にも「 この人にはこういう馬力があったのか 」と心底驚かされる人物は

ク○○○  ○に○○  ○エ  ○イ○  ○ー○  ○○こ などがいるが(この6人もすげえ)



和魂の中で、パ○以下の4人が「 傑出した人物 」と評されるのは、

彼らの真骨頂である全体を見渡すその能力が、

コメントによる総括に現れ、

全体の流れを変えていく作用を生む点にある。

そして6人が賞賛されるのは、その執念ともいえる馬力にある。




人間は集団で生活するのが本道であり、人と交わることが本懐である。

人はある目的を持った集団の中に投げ込まれると、

すみやかに着任が要請される空席のポストの存在を感知し、そこに自身の役割を見出す。

そうやって集団が「 ひとりの人間のように 」機能し始める。

各個体が集団の中でしっかりとしたポジションを獲得して十分に機能するのは、

存外難しい仕業である。

機能不全を起こすこともしばしばである。



ク○○○達6名は、これを見事に完遂できる人々だった。

そしてパ○達4名は、個体として機能しながらも常に全体を見ていたように思われる。



1人が倒れれば1人が役割を受け継ぎ、

コンビニばりの可動率が実現されていた。

刻々と変容していく情勢に柔軟に対応し、

分派分裂と志気低下の危機を幾度も乗り越えた。

奇跡みたいな仕業である。
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by 201V1 | 2004-09-24 18:22 | カテゴライズ前・生ログ
和魂健在・馬鹿健在


えー、いろいろありまして、しばらく更新が中断しておりました。

「 どおして? 」という方は、

エキブロ向上委員会ならびにブログ掲示板のページをご覧頂き、

「 ああ、このトラブルに首ぃ突っ込んでたのね。相変わらずね。」ということで、

いろいろ御推察下さい。





ちなみにリアル私生活でも、いらぬ面倒事が起こっており、

そいつをカタす為に12時間くらいかけて文章を書かねばならなかったり、

例のシナリオがコマ割情景設定(ネームの前段階)に入っていたりで、

どの道、終日PCに張り付いてなければいけないみたいな状況であり、

にもかかわらず浜松花博に何故か行かなきゃならなかったりと、

限界バトルの毎日。






ぶっちゃけ彼女が帰ってから、こっち、丸10日間。

「 全体いつ寝るんだよ。いつ。」

という人殺し生活ですが、

皆さん御存知の通り、和魂要塞は不滅です。




尚、さっきジングルが野良猫に狙われてました。(関係ない




ひさしぶりの更新でアレなんですが、

大昔にやった「 関所止め 」の公開うんぬんについて、

更新が遅滞していたお詫びに、

「 常連しかわからねえよ 」というノリで書いてみます。

カナリのすっ飛ばし気味に。( 不親切爆発



当該ブログはここ3ヶ月ほどカテゴライズを完全に放棄している為、

管理人すら「 任意の記事がどこにあるかわかんない 」状態なので、

大昔の「 関所止め記事 」へのリンクも張りません。

各自で「 探して 」ください。( なげやり




えー「 関所止め 」にですが、

これぁ本来は、太極拳の中に流れる房中術の要素から結実した技です。

男の子が「 果てる 」時、己の素股の筋力によって強引に輸精管を押しつぶし、

「 種 」が外にでるのを力ずくで止めるという荒業になります。

原理的にはゴムホースからでる水を、ホースを踏んで止めるって奴ですね。

するとですね、「 感覚的には果て 」ても「 現実には種がでない 」って現象が起きます。

で、この「 関所止め 」をカマすと、なんと「 萎えない 」んですね。

わお。





ハイパーベンチレーションとかいう、(スーパーかも)

「 息を止めても気絶するまで苦しくなくなる方法 」があります。

これは事前に過呼吸を行って体内の二酸化炭素濃度をメチャクチャ下げておき、

いざ息を止めて酸欠状態に陥っても、二酸化炭素濃度が高くならないので、

「 全く苦しむことなく気絶できる 」という技です。

人間が、血中の酸素濃度の低下ではなく、

二酸化炭素濃度の上昇によって「 苦しいと感じる」 システムの裏を抉る、

「 神の意表をつく 」ナイスな発想からきています。




「 関所止め 」も同様ですね。

インポテンツってなあ、「 海綿体への血液の流入を止めっぱなし 」という病気なわけで、

人間がエレクトしてる状態から「 果てた際 」に仮インポテンツになるのは、

「 果てたと言う感覚 」が脳を襲うからではなく、

「 種が出た 」というシグナルが脳に届くからであり、

極論すれば「 種さえでなければ元気満タン 」なわけです。

だから止める。

ググッと。




しかしながら「 素股の筋肉 」で輸精管を圧迫して種の道を塞ぐのは、

素人にはまず無理です。

ですから「 指 」を使って強引に外部から圧迫して行うわけです。通常は。


圧迫部分は陰嚢と菊の座を結ぶラインになります。

このラインの皮膚下ちょっとのところを、

輸精管が走ってます。( 尿道かも知れないが兎に角ココである。 )




「 いまだ! 」というとき、3本指で渾身の力を込めて圧迫してください。

「 果てて 」も「 種が出ず 」、その結果、萎えません。



ちなみにハズミで「 つまる 」ことがありますが、

「 ダマ 」ができるだけなので御心配なく。

命に別状はじぇろ。

問題は、ダマが決してなくならないって点ですね。( おい

まぁ、どうってことねえけど。( リスクは覚悟の上だぜ!←無駄な覚悟





というワケで、「 関所止め 」でございました。

男性諸兄、精進するように。

でわでは。

健闘を祈る。










伊豆半島のカサノバ、和魂要塞より、秘技を貴方に。
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by 201V1 | 2004-09-23 15:36 | カテゴライズ前・生ログ
匿名性


最終的な論点はここにある。

HNすら定からぬ電脳の完全匿名の対極には、

個人情報の尽くを開放した完全な情報開示が行なわれたリアルの地平がある。

リアル・電脳を問わず、我々が位置しているのはこの両極の間のどこかである。





ぶっちゃけた話、リアル・電脳を問わず、完全な情報開示なんて地平はない。

会社の同僚や顧客、

道で擦れ違った見知らぬ人間、

悪戯電話、

袖触れ合う全ての人間に、自身の情報を駄々漏れにする如何なる人間も、

この地上に存在したことはかつてない。




不特定多数の人間へ、自己の生殺与奪権を無条件に委任し続けるなんて真似をすれば、

余程の幸運にでも巡り合わない限り、1年も経たないうちに人は絶命する。

これを踏まえて、匿名性について考察を行なわなければ、

大事な部分は見えてこない。





和魂要塞は、たまに管理人が姿を「 現して 」いる。

実際、殆どの常連は小生の顔を見知っている。

実名も記事上で何度か明かしている。

リアルで親交のある友人の殆どがこのサイトに出入りし、

恋人から親兄弟までがここの記事を全部読んでいる。

ノーガードである。

ようするに、当該ブログは思い切り小生の実生活に抵触しているワケで、

リアルとの接点という意味では、匿名性は殆ど絶無といっていい。

この点では実名を晒そうが何をしようが殆ど関係ないわけである。

にもかかわらず、HNにおいて活動する理由は、

ひとえにここが「 反撃手段のない電脳 」であるからだ。





リアル世界では、原則的に「 敵が見えない 」なんて事はない。

ぶち破らなければならない広義の脅威は、大抵見えるところにいる。

権力や立場で守られているかもしれないが、

実際問題「 捨て身 」で反撃に出て息の根を止められぬ相手は殆どいない。

少なくとも、捨て身でぶち当たれば確実に相手を手痛い目に合わせることができる。

この「 反撃 」が、脅威の行なう暴虐への抑止力となり、社会は機能している。

脅威に関して有利に働く「 情報の封鎖 」によって、我々は自己を常に優位におき、

事前の「 情報の非公開 」と「 法による罰 」によって、

社会に潜伏している悪意あるものたちの動きを抑止している。



これがリアルであり、

我々はリアルにおいても個人情報を容易に世間に明かしたりはしない。

社会に脅威となる悪意ある者達が潜んでいることを知悉しているからだ。




電脳世界がリアルと決定的に異なるのは、

ひとたび脅威となった悪意ある者たちに対する、有効な反撃手段がない点だ。

彼らの活動を抑えるリアルにおける「 反撃 」のような実行力も「 法 」も、

電脳世界にはない。

「 カオのない連中 」の跳梁を抑止する如何なる要素もないわけだ。

そして、リアルと異なり、反撃の抑止力から解き放たれた「 カオのない連中 」は、

水を得た魚のように、なんのリスクに怯えることもなく嬉々として蛮行に及ぶ。

したがって、当然、リアルのそれより、我々の行なう情報開示のリスクは遥かに高くなる。






端的に言うと、WEB上の匿名性に関してセメントで考察するならば、

「 社会には常に悪意が潜伏している 」という点と、

「 電脳には抑止力が働いていない 」という2点を踏まえた上で、

「 匿名性の強弱とは情報開示の程度である 」という事実に焦点を当てねば成らない。





「 私に匿名性はカケラもないだろうか? 」





社会に「 脅威 」がなければ、我々は全ての情報を開示できる。

うちの玄関の鍵は植木鉢の下です。

僕の郵貯の暗証番号は○○○○です。

平和な田舎ではドアを全開にして暮らすことも可能だが、

ブロンクスを水着で歩けば暴漢が襲ってくる。

残念ながら社会には「 悪意 」ってやつが潜伏している。




つまりである。

匿名性って奴は、それが用いられる目的と手段によって、性質を変化させるわけだ。

防御の為の匿名と、加害の為の匿名を、一緒くたに論ずることはできない。

これを同列に論じようとすれば、

人は口座番号をWEB上に垂れ流すか、

全ての匿名の行為について全肯定を迫られる。

そうなりゃ世界は汚泥と腐臭に多い尽くされるか、悪漢どもに蹂躙されるかどっちかだ。




リアルだろうと、電脳だろうと、

我々は常に「 どこまで情報を開示するか 」って選択を行なっている。

その線引きを決めるのは書き手の「 スタンス 」と読む手への「 信頼 」である。

秘密主義の人間もいるし、開けっぴろげな人間もいる。

裏切りを恐れる人間と、裏切られる事もいとわず人を信じる人間がいる。

心の鍵を委ねるに足る人間に、出会えるものと出会えないものがいる。

「 防御のための匿名 」とは、つまるところはそういうことだ。

不特定多数の人間に無条件に発信する情報の中に、

「 悪意ある者たち 」を優位にする如何なる情報も含める理由は微塵もない。

公人ですら、悪戯に住所を明かさないようにね。





で、問題は「 加害の為の匿名 」ってやつになってくる。

「 名指しの誹謗中傷 」ってのを、共有の板で「 娯楽の一環 」としてやる連中がいる。

HNすら明かさずに。

彼らが、「 水を得た魚 」であることは万人が認めるところだろう。

リアルと異なり、カオの見えない電脳では、

反撃もされないしリスクも負わずに「 誹謗中傷 」ができる。

連中がやってることってなあ、本質的には幼児の陰湿なイジメに近い。

大人の世界でもあるがね。

ロッカーの制服にハサミを入れたり、

誰か特定できないようにしていろいろ卑劣な真似をやるわけさ。

安全圏からね。

下卑た笑みを浮かばせながら。

小生の中では、一貫して連中はダニ以下の生き物である。




「 匿名性 」ってなあ、何の為に使われるかで、大きく変容する。

全部をいっしょくたに語るもんじゃない。

こういう手合いに自分が大事にしてるものが陵辱された時、

これに対して「 どう出るか 」ってなあ

リアル・電脳を問わず個人の裁量が決める。

こりゃあもう、生き方だ。





小生は、リアルと変わらぬ対応を電脳でもとる。

なされるべきことをやるだけだ。

やるたびに、巻き添えを忌避する知り人を失うことになる。

そんなもんは、15歳の時から何度も体験している。

で、それでも「 傍にいてやるよ 」ってんで残ってるのがZILであり珍念だ。

連中は小生の「 ダチ 」であった為に結構甚大な被害にあっている。

小生の交わしてきた水盃ってなあ、毎度血桜が混じっている。

因果な生き方だが、変えるつもりは毛頭ない。

友人ってなあ、気兼ねするためにいるもんじゃねえ。

人生を豊かにする為に、脅威に出会うたび、血と汗を流しながら互いの畑を助けあうのだ。

なされるべきことをわかっててしない人生なんざ、小生は御免こうむる。








「 荒らし 」に対して、真っ向から「 下賎共が 」ってレスする人間は少ない。

荒らしや晒しが一過性の「 下郎の遊び 」と皆理解しているからだ。

極短期間、無視してコメントの削除を行なえば大概はそれで済む。

そんなこたぁ、小生もよくよく分かっている。

しかしながら、小生はこの嘲弄に黙してやりすごすのを選ばなかった。

選べるわけがねえだろう。

ここはセメントの砦である。





和魂要塞がキッカケで、ブログを始めた人がいる。

えっらい深く関わってきた人々がリピーターにいる。

絶大な支持者が沢山いる。

1人でも捻じ曲げれねえ意地の上に、いろんな人間の想いが乗っかってる要塞である。

ここで退ける道理はない。

下郎に媚を売るほど根性は腐っていない。

ここを娯楽目的で嘲った卑劣漢を無傷で返すつもりもない。

帳尻は、合わす。




「 ブログを荒らされたくない 」ってなあ、

万人共通の意識だろう。

自分の家屋敷にラクガキされて喜ぶ馬鹿はなかなかいない。

いちいち消すのもメンドクサイこと至極だろう。

被害を拡大しない為にゃあ、黙秘が最良の手段に決まってる。

それでいいのって話である。

俺は断固、塩を撒く。

ナメクジをいわす。






情報封鎖による匿名性ってなあ、

社会に潜む悪意の封じ込めに使われる時、意義を持つ。

悪意がそれを愉悦の為に用いる時、弾劾すべき性質へと変じる。

ここんとこを呑んでおかねば、悪漢の跳梁に対しての抵抗力を世界は失う。





情報の開示をギリギリのところまで拡大するか、

それとも限りなくプライベートには触れないか。

個人情報を晒さずとも、自分のブログへの思い入れが強ければ、

それだけリスクは上がっちまう。

植木鉢の下の鍵の存在をWEB上で垂れ流さない「 匿名 」と、

「 匿名 」を利して愉悦の為に他者を嘲弄する悪意とでは、

その性質は全く異なる。

ごった煮で論じていい種類の差異ではない。



同じだと思うかね?



同じだと論じるならば、我々は悪意への抵抗を放棄しなきゃならなくなる。

2つの匿名を同列に語れば、

下郎の存在を全面的に認めるか、下郎に蹂躙される世界を傍観するしかない。

小生は、どっちも願い下げる。





荒らしってなあ、愚にも付かないくだらん手合いである。

「 そんなサモシイ連中放っておきなよ 」って意見は至極正論である。

しかしながら、見過ごすには悪辣を極める。

連中は微々たる巨悪である。

悪意ってなあ、元来矮小でとるにたらないものだ。

野放しにしておくには腐臭が強すぎるだけである。




「 弾劾しない 」って選択は、

匿名性の両極を「 別物 」と捉え、

もっと荒らされる事を厭わぬ人間にとっちゃ、ちょいと難しい。



笑って済ますにゃ、小生は如何せんまだ若い。

そんなもんは、爺になってからでいいんである。
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by 201V1 | 2004-09-17 14:50 | カテゴライズ前・生ログ
動静


キッカケは、小生の暴走であった。

現在、ヨコの会の掲示板における騒動のカタリストには、

和魂要塞における小生の「 宣戦布告文 」がある。




グラハトちんの「 脱退表明 」のキッカケを作ったのは小生である。

しかしながら、小生の暴走と「グラハトちんの脱退 」には、

直接的な因果関係はない。

両者は彼の言うように全くの別問題である。

小生の暴走は、キッカケに過ぎない。

なぜなら、ヨコの会が活発な活動を見せていた場合、

おそらくこういう事態には発展しなかったからである。



まず初めに、

グラハトちんは、ぶっちゃけ小生の「 身内 」である。

小生とグラハトちんの間には、結構な「 信頼 」がある。

にもかかわらず、彼は「 抜けるぜ、俺ぁ 」と言った。

この意味は非常に大きいと言える。



キッカケが和魂要塞の暴走(A)にあり、

原因がヨコの会の不活発(B)にあり、

グラハトちんが「 Bという背景があったうえでのA 」に「 憤慨 」して抜けた。



現状の把握には、

201V1とグラハトちんとヨコの会について、その相関を整理する必要がある。

でないとおそらく核心部分が見えてこない。

彼の「 考えろ 」とは、このことでもあるものと思われる。

小生は考えてみる。

大前提として、小生の不肖があるが、それは最後に改めて陳謝したい。



初めに、

キッカケとなったのは、小生の「 荒らし殺し 」の布告文である。

2ちゃんねるにおける「 愚行 」に対して小生が「 たわけ 」と激高した例のアレだ。

我ながら、あの記事は「 果てしなく兇悪 」であったと自認している。

埒のない小生は、それを全面的に「 よし 」と考えている。

おそらくこの点において、グラハトちんと小生は見解を異にする。



小生は、いわゆるモラリストではない。

御存知の通り、実際、保険金詐欺から何から、色々非道な仕業を過去にカマしている。

根が「 罪人 」なわけである。

当然、現在も滅茶苦茶な人間であり、

テロリズムを賞賛するなんていう一般には受け入れ難い思想を保持している。

ようするに、「 事情如何 」によって「 是非 」の物差しが変わる度し難い人間なわけで、

背景にある「 事情 」ひとつで、可否のリアクションが両極に振れる。

寛容にもなれば、残忍にもなる。

で、無茶である。

人生丸ごと火の玉だ。

顔や実名をたまにしか晒さないのは、

「 巻き込むのを勘弁しろ 」という家族の手前の苦肉である。

孤児だったらと何度思ったか知れん。

リアルでは何にも縛られずに生きているが、

電脳となると「 敵の息の根を相打ちで止められぬ現実 」が、小生の自由を縛っている。





よーするに「 事情 」を酌量できない「 蛮行 」に対しては、

現実・電脳を問わず小生はすこぶる残酷である。

スイッチの入った小生の見る世界には

拷問の末の公開処刑でも「 足らぬ 」と判じる悪漢が腐るほどいる。

小生は、酌量できない手合いに関しては、容赦がない。

文言で粉砕するなり、肉弾で体の一部をもぎ取るなり、トコトンまでいわす。

「 赦 」の如何が守るか殺すかを分けている。






「 赦 」の基準と、

「 どこまでの蹂躙 」を可とするかが、

彼と小生では違ったのである。




小生が「 皆殺しにする 」と決め、

荒らしの誅殺に褌を締めなおして乗り出した際、

彼は「 いい加減にしないと、俺ぁ怒るぜ。城代 」と書き込んでくれた。




彼にとって、

小生の「 仕様 」は、笑って済まし難いものだったのだ。




仮に、

そもそもヨコの会があろうと、なかろうと、なんだろうと、

彼はやはり小生に「 いい加減にしないと、怒りますよ 」と提言したろう。

そして、ヨコの会が活発な活動を見せていたならば、

彼は「 脱退 」を表明しなかったものと推察される。

つまりは、

「 ヨコの会をほったらかしにして、好き勝手に暴れる小生の勝手加減 」に

彼は憤慨し、「 抜ける 」というコメントを残したのである。

端的に言って、事の全部に小生の不肖がからんでいる。

道理は彼にある。

それゆえに、彼は、小生に「 考える機会 」をくれたのである。

これはいわば、身内から和魂要塞への苦言であるといえる。









その上で、

彼の起こした風に応える形で、

小生はここに「 ヨコの会 」についてハラの中にある悩みを打ち明けてみようと思う。







ぶっちゃけ、 「 ヨコの会 」は「 レジスタンス 」という性質上、

平時にはすこぶるヒマなコミニティだ。

真価を問われるのは「 のるかそるか 」のスクランブル時であり、

突き詰めると「 危機 」において「 働ければいい 」とさえ言える。

「 解放軍 」ではなく「 抵抗組織 」として位置づけられた「 ヨコの会 」に求められるのは、

「 能動的に問題提起する 」ことではなく、

「 危機に際して結束して事に当たる 」ことである。

今までいくつかのトラブルがあったが、

全員が血眼にならねばならぬような細胞の危機はまだない。

よーするに、我々はヒマである。






だったら「 活動しなくていい 」のか?

っていったら、そんなことはねえ。

やれるならやるべきだ。

しかしながら、この方法をまだ誰も見つけていないのである。

平時に行なう「 価値ある活動スタイル 」ってのが発見されていない。

外的の脅威のない抵抗組織の悲しさである。

結構な数の人間が、歯噛みをしつつ、雌伏している現実がある。

責任は多分に小生にあるものと思われる。

記事を書く時間はある。

余力もある。

しかしながら、価値のある「 活動 」ってなあ、難儀であり、

小生も暁分隊の企画立案部もこれで企画をひねれずにいる。





このコミニティは、おそらくどこまでアクセスが減ろうと、

危機に際しては皆が立ち上がり、

「 さて、いよいよ出番だぜ 」って気炎を上げれるものと小生は確信している。

各細胞の「 繋がり 」に関しては、

事実を見据える限り、いくつかのブログが既に「 橋渡しブログ 」として機能しており、

「 ヨコの会 」というブログが殊更その役目を負おうとする必要は絶無である。

ならどうするか?

小生は、いろいろ考えた。

ひとつ、自分の腹の中であっためている「 モノ 」があるが、

これを花火を打ち上げるのにはいくつかのジレンマがある。

グラハトちんが起こしてくれた風に乗せ、

この「 モノ 」の是非について、皆に意見を求めたい。

セキララに。




あっためている「 モノ 」ってなあ、

「 物議 」である。

エキブロ総合病院の「 煙草 」や「 飲酒 」に関する「 意識調査 」と同様、

ヨコの会において、人の「 是非の選択 」に関する「 意識調査 」を行なうという方向だ。

意思表明のトラバ祭りである。

これを行なうことで、いろんな啓発と新たな繋がりが生まれるはずだ。

盛り上がる確度はそれなりに高いが、問題点はいろいろある。

扱うテーマは当然、

人の心臓に出刃を突きつける危ういものや、個人の思想や信条に関わる問題になってくる。

政治色だって当然孕んでくる。

参加する参加しないで細胞の「 意気地 」が証明されてしまう。

書かれた意思表明にはその者の「 意気 」がでる。

準備ができてるものもできてないものもいるだろう。

それゆえの「 物議 」だ。




これは「 価値 」がおおいにある企画だが、いわずもがな、諸刃である。

腰の入った意思表明には、真剣であるほど、「 物議をかもす力 」が宿る。

デリケートな問題ばかりを回避することはできない。

いろんなことを覚悟しなきゃいけない。

それを覚悟しても、もうひとつ大きな問題が残る。





個人ブログである和魂要塞は、「 諸刃 」でいいと考える。

しかしながら、ヨコの会がそれでいいのかと、小生は思うのだ。

和魂要塞が、読み手に出刃を突きつけるのはいい。

その出刃に応えるか応えないかはどこまでも個人の「 勝手 」だからだ。

しかしながら、ヨコの会が「 問い 」によって細胞に出刃をつきつけたなら、

そこには確実に観念的な「 強制力 」がともなう。

本部からの「 問い 」に応えるか沈黙するかという選択によって、

細胞の意気地が試されるって馬鹿が起きるのだ。

瑣末なことに聞こえるかもしれないが、これはカナリでかい問題である。

このことに、小生は非常な抵抗を覚える。







「 死刑制度 」

「 教育制度 」

「 裁判制度 」

「 結婚制度 」

およそ「 制度 」と名の付くすべてのものを、この企画は細胞に問うことができる。



「 テロリズム 」

「 ファンダメンタリズム 」

「 シオニズム 」

政治や宗教についても、それぞれの姿勢を問うことができるだろう。




「 男尊女卑 」

「 婚外恋愛 」

我々に肉薄している問題にも触れざるを得なくなる。





どれもね、物議をかもす難題ばかりだ。

この中のいくつかは、既に和魂要塞が意思表明を様々なカタチで行なっている。

結構な波風が立った。





掲げられる問いは、どれも人の精神に関わる。




グラハトちんの、「 活動はどうなったんですか? 」ってなあ、もっともな道理だ。

しかしながら、今しばらく時間が欲しい。

おそらく、ヨコの会の性質上、容易には平時にとるべきベクトルは見つからない。

小生の中にある企画は諸刃だ。

出される「 お題 」が出刃なので、参加する敷居も低いとは言えない。




結構マジで悩んでいる。

2回目の御題を出した直後からだ。



だがね、俺ぁ思うぜ。

運営サイドが知恵を絞ろうが絞るまいが、

あの檄文を読んで集まった人間は、

だれかが本当の危機にあるときに、決して見過ごしたりはしねえぜ。

皆そのために集まったんだからな。





価値ある、平時の活動は可能だ。

だがね、ディープな「 物議 」をカマす以上は、

「 議論 」を行なう核となる最低4~5名のメンバーが必要だ。

「 作家陣 」の有無が、平時のヨコの会の活動の、加熱と冷却を別けることになる。

名乗りを上げた人間は、

セメントで自身の意思を毎度毎度表明しなきゃならないハメになる。





企画を考えた人間は、結構皆、俺と似たようなことを考え付いたと思うぜ。

そしてそれに必要な人材と、負わなきゃいけないリスクもね。



本来、有事に「 動くこと 」を目的につくられたブログが、

平時に意義のある活動を行なうのは、極めて難しい。

軍隊みたいなもんだ。

盛り上げるには、なにがしかの「 内戦 」が必要になってくる。




ジレンマは多いが、

君のくれた風を、使いたいと思う。



ヨコの会の、平時のベクトル。

各細胞の意見が欲しい。

平時に内戦によって活気を呼び、傷を負いながらも絆を強めるか。

それとも、有事に備え、雌伏するのか。

もしくは、内戦に変わる価値のある企画があるか。



意見を頂ければと思う。



最後に、小生の不徳の招いた今回の「 風 」について、ここで改めて謝罪をしたい。

本来ならば、もっと早くに腹のうちを皆に問うべきであった。

恥じ入るばかりである。





第1小隊・和魂要塞・レッドバルタン
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by 201V1 | 2004-09-17 01:27 | カテゴライズ前・生ログ
最近ふと気づいたこと



テリーマンの入場音楽は、

ミルマスカラスのテーマ・スカイハイに酷似している。
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by 201V1 | 2004-09-15 22:49 | カテゴライズ前・生ログ
戦慄の過去

珍念が語る和魂要塞



いつの間にか無法半島(旧和魂要塞のあった珍念のHP)が更新されてました。

メチャ久しぶりの更新です。

で、あろうことか、なんかあの馬鹿、いろいろ書いてる。




かつての自分の悪態ってなあ、15年も経って訊くもんじゃねえな。と痛感。



珍念、非道なことを言ってごめんね。

いつか仕返しするね。(反省してない
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by 201V1 | 2004-09-15 22:26 | カテゴライズ前・生ログ