「ほっ」と。キャンペーン
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エクスプローラー復旧

雷の直撃(サンダガ級)でPCの一部機能が破損。

エクスプローラー大破。

メッセンジャーも絶ッ不調。

放置すればなんとかなるかもと放っておいたが一向に回復せず。

どういやら当方のPCには自己修復機能は付いていない模様。

しょうがないので自分でやる。



4日ほどかけてようやくなおりました。

てゆーか、雷ガード貫通カヨ。

意味ねえじゃねえかこの商品。




とゆーわけで、復旧完了でございます。

皆様御心配おかけしました。





そういえば、コウダさん、首ちょんぱされましたね。

元バッックパッカーとして言わせていただくと、

ぶっちゃけ、奴はそうとう危機察知能力に問題があるように思う。

貧乏旅行とはいえ、我々ヤドカリ旅行者は、金で安全を買ってます。



インドやアフリカでは現地人の生活レベルを考えれば

一月100ドルもあれば楽勝で暮らせますが、

現実には「 安全を買う 」ために、アフリカでは月500ドル、インドで300ドルは必要です。

カンタンに言うとこの生活水準を保たないとと「 死にます 」。

貧民窟やスラムで寝起きなんてしたら3日もたずにくたばれる。



で、彼がイラク入りした時に持ってた金が100ドル。

正気かよ兄ちゃん。

死ぬぜ?(死んだけどネ)



まぁなんつーか、金うんぬん以前に、コーダちんはちょいとムスリムをナメてる。

彼のパスポートにイスラエルの入国スタンプがあるというくだり。

俺ぁぶっちゃけ、たまげました。

それだけで既に「 殺される仕様のパスポート 」です。

バックパッカーの間では、

イスラエルスタンプはイスラム圏での「 死出の片道スタンプ 」として激有名であり、

「 正常な脳味噌のパッカー 」は断じてイスラエルのスタンプのあるパスポートをもって

イスラム圏なんかに入らない。

ユダヤ・イスラエルが

どれほどムスリムに憎悪されてるかを思えばこりゃあ当然の帰結である。

いいたかないが、無知が生んだ結末だろう。




「 治安 」てやつは、一端崩れ始めると、

一旅行者の「 注意不注意 」なんてレベルではとても回避が不可能な状態になっていく。

老生がアフリカを旅行中も、大陸各地で内戦・クーデターが勃発していた。

どんなに行きたいところでも、

一端治安が「 乱れ始めたら 」諦めるしかないのがパッカー渡世である。

実際俺もザイールのクーデターでザイール川くだりを諦めなきゃならなくなった。

行けば死ぬ公算が高いからである。

逃れられない危機が戦地にはある。

そーゆー意味でも、現在のバクダットは世界有数の危険地帯であろう。

コーダちんが、何故バクダットに行ったのかは、

バックパッカーの「 世界観 」で考えるとカナリ容易に想像がつく。




にわかには信じがたいことかもしれないが、

長期貧乏旅行者の間には、一種異様な雰囲気があり、

「 どれほど危険な場所に行ったか 」

「 どれほど逸脱した行為をしたか 」

というのが、「 ある種のステータス 」として現実に「 尊崇 」される。

バックパッカーって人種は、「 無謀 」の程度で互いを評価する傾向があるんである。



勿論そんな馬鹿ばかりではないんだが、

大体半年以上無帰国で放浪している連中の7割くらいはこの「 ムード 」の中にいる。

コーダちんも、間違いなくこのムードに飲まれ、

バクダットくんだりまで足を伸ばしたのだろう。

段違い馬鹿、バクダットに散るである。




個人的な見解としては、勝手にさらせであり、生きる死ぬのしゃらくせえ。

赤信号でアクセルふかして反対車線に突っ込んだ人間に対して、

俺ぁ、抱きうる如何なる感情も持ち合わせちゃいねえ。

「 馬鹿じゃねえの 」で仕舞いである。



小泉首相は、コーダは放っておいてどうか新潟に注力して欲しい。

まぁ、首ちょんぱされたので一件落着っぽいですが。

今後の捜査は福岡県警が行うそうですが、

「 どうやって? 」とゆーのが、和魂の素朴な疑問です。

とゆーか、俺が福岡県警だったら、

素で「 え? 」って問い返しますよ。



「 えええ? 」って。



でわでわ。


西部警察の時間です。
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by 201V1 | 2004-10-31 21:04 | カテゴライズ前・生ログ
強敵


八畳の自室。

散乱しているお洋服と本の山。

再びコイツラと戦わねばならん。



ついこの間やっつけたと思っていたが、

「 プチ上京 」の前に荷造りをかまして荒れ、

神奈川の婆様の家におきっぱなしにしていた書籍(ダンボール二箱)を搬入するやいなや、

早くも床が見えなくなった。



現在鋭意片づけ中。

泣きたい。
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by 201V1 | 2004-10-20 23:13 | カテゴライズ前・生ログ
人生その3


とゆーわけで帰還。

久々に見るお江戸の空。

仰いでみて思うこと。

「 緑がすくねえなあ。 獣の気配がしねえなあ 」

「 ここじゃ人は生き難いだろうなあ 」

「 窮屈だなあ 」

とゆー身もフタもねえ感慨。




来春から、再びコンクリの森で暮らすのかと思うとかなりメゲルが、

住み慣れた故郷の駅でなら

「 我慢できねえこともねえ 」とか思い直して奮い立ってみる。

なんつったって人生である。

四半世紀しか生きちゃいねえ。

こっからが勝負である。





とゆーわけで、

「 人生その3 」である。





ぶっちゃけた話、

「 手前ごと 」で汗水を流して働くほど、俺ぁどっこい因業じゃあない。

だいたいにして労働という労働が嫌いである。

銭をもうけて虚飾にふけるなんて遊びは知らん。

一生フーテンでいい。

ひとりぼっちなら。

独り法師ならば、浮世で手前がやらにゃあいけねえことなど

微塵もねえといっていい。

のたれ死に上等である。

しかしながら、そうそう死んでもいられない。

俺ぁひとりじゃねえんである。





浮世の要は眷属である。











「 眷属 」ってなあ、

どこまでを「 自分の一部 」とするかって感覚である。

「 私の人生 」ってのが、「 どこまでか 」は、その感覚が決めていく。






自分を心から愛してくれた人間すら「 道具 」みてえにあつかう奴もいれば、

見も知らぬ人間の窮地に「 ほらよ 」って手を貸す奇特な奴もいる。

人間てのは外道から酔狂人まで色々で、

「 どこまでを自分ごと 」にしちまうかも人それぞれが決めていい。

手前で決めた自分ごとの境界までが「 あんたの人生 」である。





俺ぁ正直、どこまでが手前か、計りかねながら、今日まで生きてきている。

一言でいやぁ、それぁ無様の二文字に尽きる。

連戦連敗の、負け戦のドミノ倒しといっていい。

手前の器を見極めきれず、受け止めきれない鉄砲水に立ちはだかって、

度胸一つで勝てるもんだとタカをくくって挑んできた始末がそれである。

黒星のしし座流星群みてえな空だ。







手前自身の人間力と、自由になる銭っこの両方が、毎度決まって致命的に足りなかった。

背伸びしたって追いつきゃしねえ。

ろくろ首でもなけりゃあ到底届かない場所に、なんとかしてえもんがある。

肝も弾もなく、それで喧嘩に勝てるほど、世の中は甘く出来ちゃあいねえのだ。

神かがりな力もねえ、石を投げりゃあ当たるような洟垂れ小僧の一騎駆けで

どうにかなる世界なんてねえ。

ただ毎度、手前の無力と馬鹿に嗚咽して終わりである。

なにも景色はかわらねえ。







それでもワルシャワ労働歌は言う。

「 砦の上に我らが世界を築け 」と。




そして、その言葉どおり、「 つくるもの 」ってのが現われる。

時空を越え、海を越えて。

なにくそ。ってね。





維新までの吉原は、

幕府の創った士農工商の外にあるエタ非人(不可触民)に分類され、

「 人間 」を剥奪された傀儡子・山人が築いた「 砦 」であった。

この砦によって「 身分を消された非人たち 」は市井に帰る基地を得た。

それはユダヤにとってのイスラエルによく似る。

※平安期の奴隷階級・奴と、江戸期以降の部落差別者との間に血統上の関係はない。江戸期以降の「非人」の源流は、漂泊の中で芸によって暮らしを立てた戦国期の和製ジプシーである。現代の古典芸能関係者と部落差別者は元来は同一の祖先を持つ。




駆け込み寺は、

マムシのような亭主の魔手から女たちを逃れさせる為に

社会が生んだ施設であり、城である。









赤い旗の下に集った義勇兵にとっての同胞(私たち)は、

圧政に苦しむ労働者だった。

ユダヤや吉原者にとっての同胞は、

差別と迫害に苦しむ一族だった。

比丘尼にとっての同胞は、

同じ女たちだった。






要は眷属である。

手前の命の時間ってなあ、そのために使うもんだ。

じゃなきゃあ、どのつらさげて、くたばれる。

人生は、冗談ごとではすまされない。

四半世紀生きてきて、ようやく気がついた自分にとっての「 生きる 」である。




人はそれぞれ。

「 どこまでが自分ごと 」か、「 眷属 」かは、それぞれが決めていいなら、

俺、手の届く限りやるまでである。

どこまでもくそもねえ。

力と銭の続く限りやりゃあ済むだけの単純な話である。









先人たちが残してくれた、眷族を守る仕様が、今の時代にゃ残っている。

足りないのは、人間力と銭である。

まずはそいつを捥ぎとるにゃあならない。

ものの順序ってなあ、それである。





若い頃、それがわからなくて足掻いてた。

よくわからねえ青春だった。




ちょいと早い気もするが、駆け足で壮年へと走りたい。

急がば回れとよく言うが、

街頭に群がるガガンボじゃあるまいし、そうそう油も売っていられん。




一足お先にオッサンへ。




















青春よ、さらば。
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by 201V1 | 2004-10-20 01:58 | カテゴライズ前・生ログ
一週間おやすま



ちょいと出張してきまする。

東京へな!

というわけで、和魂フリーク諸兄はその間、下記のURL先にて

いろいろ勉強しておきましょう。(なんの?




老生は、だいたいここいらと、池波小説世界に常駐してます。

ようするに、「 愚劣漢 」です。

でわでわ。


http://www.asahi-net.or.jp/~gr4t-yhr/zenkyoto.htm
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by 201V1 | 2004-10-12 07:30 | カテゴライズ前・生ログ
人生その2


うい、和魂です。

ちょいと本業に注力しすぎて更新がおくれ、突っ込まれた和魂です。



16時間ほど机にへばりついて作画してました。

自分のほとばしる才能が怖い。



ということで、「 人生・その2 」である。



まず前回のおさらいだが、

うろ覚えだが、「 人生は七面倒だった 」と思う。



で、いま書こうと思っているんだが、(続きを

脳味噌が完全に作画モードに入っており、

なにも浮かばん。


プライベートで絶好調だとブログライフは成立しねえ。



とゆーわけで、今日は筆をおります。

コメントレスは後日。




で、なにやらヘビーなタイトルと

かつてない「 なまはげな文章 」が一部読者の心配の下になっている模様ですが、

和魂は絶好調です。

来週はデートですし。(それかよ




とゆーわけで、落ち着き次第「 人生その3 」書き上げます。

無論、落としトコロは「 紅蓮人生 」です。(毎回同じ




でわでわ。
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by 201V1 | 2004-10-09 01:19 | カテゴライズ前・生ログ
人生かね。


うい。和魂です。

えー、先週まで「 ランニング姿 」で暮らしていた老生。(※今回から一人称は老生になりました。)

いい加減「 寒いな 」と夏ルックの限界を感じ、

ようやく本日コロモガエを行いました。




露出狂である老生は、大体5月くらいから「 タンクトップ一枚 」という馬鹿を始め、

10月くらいまではそのまま頑張るんですが、流石にそろそろ限界です。

このままでは純粋に風邪を引く。

寝込む。

とゆーわけで、倉庫から冬服を引っ張り出し、衣装チェンジを行いました。

ちなみにこういう「 無駄のないコロモガエ 」をしている和魂は、

異常な量の衣装持ちですが、春服と秋服をほとんどもってません。

タンクトップ→フライトジャケット→タンクトップという馬鹿をやってます。(あほ



必然的に「 開かずのタンス 」にも手入れを行わなければならなくなり、

そのためにはとりあえず「 見えない床 」を見えるようにせねばならず、

イヤイヤ片付けに着手。

気分は正にソウッジ・ブルー。

冗談ぬきにして欝です。





何度か「 不貞寝 」しながらようやく「 なんとかなりかけている我が城 」。

「 ふひぃ。とりあえずなんとかなりそうじゃのう 」ってな事でPCを起動。





わお。

祝・30000ヒット突破。

ほう。

まる5ヶ月かかりました。

これが早いのかどうかは比較材料がないのでサッパリです。

まぁなんとゆーか、

近海やサポセンとは、如何に「 車種 」が違うといえども、

速度的にはF1と馬車馬くらいの差がありそうですが、

うちは「 色物 」なのでそこらへんを考慮すると「 まあまあ健闘した 」と言えるでしょう。

まぁなんとゆーか、

「 がんばったなあ 」という感じですね。(頑張るブログライフ



ぶっちゃけ5回くらい、

「 ブログやめようかなあ 」とか投げやりになりまくってますが、

「 継続とは力なり! 」とか普段微塵も使わない標語を持ち出して、

ヤオラしのいでまいりました。

皆様の応援のおかげであります。

感謝です。








とゆーわけで、今回のお題は「 人生 」です。

まぁ、なんとゆーか個人的には「 人生白昼夢 」の老生ですが、

今日は「 リアルに人生を考えて 」みます。





「 リアルに!?」





おっかなすぎて泣けてきますが、

言い出したものは完遂せねばなりません。

とゆーワケで、

本日のテーマは「 人生 」。





まぁなんとゆーか、

曲がりなりにも四半世紀もの間、

終始「 やさぐれどぐされ毎日 」をしのいでいると、

いっかな夢見がち小僧といえども、流石にいろいろ見えてくるものがあります。

カンタンに言うと、「 人生!?」とか、思うわけです。

思い切り「 素 」で。





和魂は自他共に認める活字中毒者でありますが、

読む本の中には、

エッセイとか自叙伝のような「 書き手の血肉が通ってしまった文言 」てのが結構あり、

そういうのを読み倒していると、

否が応にも「 のぼせてばかり 」ではいられなくなる瞬間がある。




ここ十年ほど「 逆上したまま生きている 」老生が、

一瞬「 正気に戻る 」ワケですな、

余人の「 地に足のついた人生 」を垣間見ることによって。

ようするに、

「 現実に引き戻されるワケ 」です。




まいっちんぐ。




まぁなんとゆーか、

当たり前の話なんですが、人間てな「 労働 」してナンボです。

しかしながら老生は、

土台「 漫画描き 」なんてゆう、

「 あってもなくてもどうでもいい・いらないもの 」に人生を投げ出そうとしている馬鹿なので、

生まれたこのかた金輪際、「 労働 」が大の字でキライであります。

ぶっちゃけると、俺ぁ一生ぶらぶらしていたい。( 馬鹿者





古い読者は御存知の通り、

和魂はイザ「 勤め人 」となると、

旧日本陸軍の歩兵クラスの獄労にも耐え、

キチガイ犬のようにガブガブ働きます。

営業の数字取りゲームとかには異常に燃える性質ですし、

新規開拓でシェアを拡大し、同業者を蹴落としたりするに喜びを感じる手合いです。

吐血しながら働くのが売りでした。

営業成績で自分が誰かの下につくなら死んだほうがマシだとすら信じ込めます。

まぁなんとゆーか、「 香車 」としての運用性は、

「 馬鹿 」という点では神風を越える突破力があります。

よそから見ると一見「 営業マン・接客販売業向き 」に見えるでしょう。

しかしながら、実際には本人、物凄い「 苦痛 」を感じながらやってるわけです。





~ 生きがいを感じられん。やってられん。 ~





会社員時代、上司とこういう会話がありました。


上司 「 鰐口ぃ、早いトコ会社をデカクして、左団扇で暮らしたいなぁ 」

鰐口 「 あんまし興味ないですね 」

上司 「 都内にでかい家、欲しいだろう?」

鰐口 「 まったくいりません。雨風しのげればいい 」

上司 「 お前何がほしいの? 」

鰐口 「 自由が欲しい 」

上司 「 自由ってなんだよ 」

鰐口 「 しがらみのねえ暮らしです 」

上司 「 で、その暮らしの中でどうしたいの?」

鰐口 「 気ままに暮らす。ふらふらと。犬とかと山の中で本と一緒に。 」

上司 「 家族は?」

鰐口 「 好きな人といられりゃいいです。 」




和魂は、俗に言う「 地位や名声 」とかどうでもいい人間であり、

もっというと「 豪邸 」とか「 高級車 」とかにまったく興味のない人間であり、

人を顎で使うのもハナから土台キライな人間であり、

だいたいにして「 競争・共存 」とかが両方死ぬほど面倒くさい。(無茶苦茶

俺ぁ、そこらへんが至極うっとおしい。

好き勝手に生きたい。(ダメ人間万歳



老生は確かに「 極度の負けず嫌い 」ではありますが、

そもそも「 比較対象 」としての「 他人 」には全く興味はナッシング。

「 負けたかないが、そもそも他人なんざどうでもいい 」というのが本性です。




「 本と犬と酒と煙草とチョコと大麻と彼女 」がいれば、

人生は「 まるごと満足 」します。




ぶっちゃけるとですね、

「 金が無いとどうにも成立しない夢 」ってのがないのよベイビー。

自然、「 金持ちになるぜ 」という気概はゼロ。

したがって「 お金を稼ぐ為の仕事 」というのに「 熱中 」はしても、

そこに「 生き甲斐 」なんざ微塵もないわけです。

ここらへんが、

「 高級車や豪邸やブランド品 」に対する走行性が高い人種と決定的に異なるワケです。

つまり「 根のモチベーション 」もねえし、

「 金でもぎとりたい地位や愉悦 」もまるでねえ。




じゃあ、スッパリ浮世の栄達をお捨てて、

フーテンやヒモでもするか?

というと、

意外に魂の気位が高いので、「 人に奢られたりする 」のが極めて嫌いです。

店の奢りとかだと素直に喜べますが、

友人に「 奢ってもらう 」とすこぶる「 みじめな気持ち 」になります。

だからこれまで数えるほどしか他人の財布にすがったことがありません。

とゆーか、そもそも自分の財布の紐は全力でユルユルであり、

自分で稼ぎ、自分のために使った「 金 」と、

自分で稼ぎ、自分以外の誰かに使った「 金 」では、圧倒的に後者のほうが多い。

ようするに、収入まるごと散財であり、その大部分は死に金です。(馬鹿すぎる





それでもタカリは嫌だ。俺ぁ奢る。奢りまくる。(天竜源一郎的勢い





散々親の脛を削りまくってきて、

「 なにをこの馬鹿は言っていやがる 」という感じですが、

老生は、原則的にタカリはド嫌です。

尊厳が著しく傷つき、気分が落ち込むからです。

だから働く。

イヤイヤながら。




ぶっちゃけると、

老生は車とかブランド品とか特に欲しいものがないので、

1人暮らしの場合、人に奢らなければ、月に20万もあれば楽勝で人生を謳歌できます。

身体も丈夫なので医者いらずですし、

視力も両目ともに2.0なのでコンタクト代とかもいらない。

「 純粋食費 」さえ賄えれば健康は維持できる。

ギャンブルもまったくしたいと思わない。

服はそれこそ腐るほどある。

よーするに大人しくしてりゃあ、雑費がほぼかからない金のかからない体です。



酒にしても「 極度のストレス 」から自棄くそで呑むタイプなので、

暮らしさえマトモなら、1グレーンもアルコールはいりません。

下手をすると家賃光熱費を除けば、食費と雑費・月6万でのうのうと生きていける。

月給20万で月々5万とか貯金できる。

しかも欲しいものがない。

さあ、どうする?





以上の点を踏まえたうえで、

いろいろ考えてみると、

仕事として「 やり甲斐 」を見出せそうなものは結構限られてきます。

もっとも単純なのは直接的に「 人のためになる仕事 」です。




まぁ、なんというか、つき詰めると世の中の全ての「 仕事 」ってなあ

「 人のため 」になっているわけですが、

人間てなあ、それほど「 奥行きをもってものを見える生き物 」はないので、

「 ボイラー整備 」をしながら、

「 俺は人のためになっているぜい! 」とはナカナカ確信できません。

もろ単純に「 人助け 」に直結していないと、

なかなか「 人を助ける甲斐 」ってなあ、感じられない。





この点、お医者さんとかは、モロ「 人助け 」が感じられそうですが、

俺ぁ土台学問がキライなのでなれません。

NGOにしても、手前のタツキがそのまま「 人道援助 」に繋がると、

いずれは「 俺が援助されてるのかしてるのか微妙 」な状況になる公算が高く、

そんな未来はごめんだぜ。



そーゆーわけで、いろいろ面倒なことになる。

さて、どうしたもんかね、坊ちゃん嬢ちゃん。

どうしてくれるのかね?( 尻の持っていく場所が違う





結論すると、老生はイマイチ資本主義社会にマッチしておらず、

適正が高そうなのはやはり「 素浪人 」である。

町家のガキにいろはとか教える寺子屋とか開いて、暮らす。

しかしながらそんないい加減な始末では、とても喰えそうにない。

大体現代には「 義務教育 」がある。

うぜえ。



とはいえ、オレオレ詐欺をやるには、

いかんせん魂が高潔すぎてできん。



理想像をのべると、

一月ぼけっとしていても20万くらい金が入り、

山で彼女と犬を弄りながら読書とかして、

たまに海外旅行にバックパック背負っていくのがベストである。(だれだってそれがいい



しかしながら、

如何になんでもそんな「 遊び人全開人生 」でやりすごすには人生は長すぎる。

必ず途中で「 遊び人 」に飽きが来る。

どこかに「 生き甲斐 」はねえものか?



老生がリアルに人生を考える時、

己の性分などを色々考慮したうえで帰結するのはやはり「 甲斐 」である。



ぶちまけてしまうと、

俺ぁ多分に「 生まれる時代を間違えた感 」がでかい。

明治維新や太平洋戦争や全共闘といった「 混乱 」のなかで、

「 死んでたまるか。お前らの好きにはさせねえ。」と、

足掻きまくることに「 甲斐 」を見出すタイプだろうと考える。

実際、身の危険が高かった高校時代が

もっともシンプルに「 生きる甲斐 」を感じていたように思う。

難儀である。

リアルな人生、面倒至極。





自分に必要なのは何かなと考える。

答えはきっとそこにある。




そこにあるんである。








>>>>>次回に続く
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by 201V1 | 2004-10-07 06:50 | カテゴライズ前・生ログ
珍念の過去



うい。和魂です。



放置プレイしてきた珍念に対する精神攻撃ですが、

このまま放置し続けると、

あの馬鹿は「 和魂要塞へのコバンザメ方式 」で

我がコミニティへの侵食を確実に進行しやがるので、

この辺で珍念の「 危険度 」を改めて公開しておきます。



えーぶっちゃけるとですね、

「 世界の中心で愛を叫ぶ妙な高校出身 」の我々は、

10年以上の腐れ縁でありまして、

互いに互いの恥に知悉しております。

その情報量は文字通り半端ではないワケです。



しかしながら、イザ晒すとなるとネタに詰まります。

なぜか?




それは「 旅の恥はかき捨て。俺達、旅人・無宿者 」という埒外な思想の下、

「 どちらも恥を恥とも思っていない 」からです。




ようするに「 恥の概念 」が土台欠落しているワケですね。

その上で、「 相手のをコテンパンにしよう 」とすると、

問題になってくるのは敵に与えられる実際的なダメージなワケですが、

互いにどのような「 暴露 」をされても多分に丈夫です。

無恥だからな。

容易には潰せません。( 真剣勝負




だいたい「 晒す側 」が「 どっから恥なのか 」、

線引きがまったく出来ないので、

ぶっちゃけ非常に難儀です。




例えばですね、

「 珍念といえば鋼鉄郎 」と言うぐらい、

奴の実父は「 その兇悪の程度 」が和魂の200倍くらい至悪なんですが、

どのくらい至悪かというと、

伊豆半島中の観光ホテルで「 暴れる板前 」として悪名を馳せており、

なぜか4年間ぐらいまるごと行方不明になったり、(しかも4年ぶりに帰ってきたり

珍念の家に遊びに言った和魂を怒鳴りつけて追い返したりと、

端的にいうと「 一般人ではない 」んですが、

珍念は「 この実父さえネタ 」にするというゴン太な神経を獲得しており、

容易には潰せません。




また、和魂の得意な「 家庭崩壊の術 」を使うにしても、

既にあの馬鹿(珍)は

10年位前に「 弟を体重を利したフットスタンプ10連発で半殺し 」にして以来、

「 実弟と完全な絶縁状態 」にあり、

ハナから崩壊してます。




では実母はどうか?

珍念の母上といえば、

「 珍念に似ずに美人 」であることで有名ですが、

この女性は「 和魂の恋人 」に対し、

「 和魂ちゃんは危ういからもう少し様子を見てから決めなさい 」とか

いらないことを平然と言うコワイ人であり、

実子の珍念にすら、

「 珍ちゃん、あなたまだHしたことないの?」とか

触れてはいけないところに直球を放る人間核弾頭であり、

俺ぁ、ぶっちゃけこの人だけは敵に回したくねえ。





ようするに、

外堀から粉砕するという「 反則ワザ 」すら、

珍念の無体な半生の前では効果を発揮しないわけです。



普段、珍念は太っているので周囲からかなり侮られていますが、

実際、潰そうとすると容易には粉砕できない頑健な雄といえます。

和魂がどうこうする以前に、

既に落城してます。

奴は城跡で元気です。(どかん





珍念には、

18禁パソコンエロゲーム「 家族計画 」をプレイし、

「 感動して泣く 」とかいう変態的な快楽傾向がありますが、

奴はそれさえも既にネタとして世間に発表しており、

隙のないダメっぷりです。

今更俺がどうこうする余地の無いほど荒廃しているワケですね。爆



また、和魂要塞の「 部屋の汚さ 」は、

「 砂場 」と称されるほど非道なことで有名ですが、( 土足で上がるから )

流し台が残飯山と化している珍念の部屋は、

「 菌糸類の苗床 」と渾名される程であり、( キノコが自生 )

1人暮らし時代の全盛期は「 胞子の濃度が半端ではない 」ことで勇名を馳せましたが、

その当時の「 現場写真 」すら、珍念はHPで公開してます。

なお、たまに和魂要塞にくるZILも我々の同輩ですが、

奴の部屋もまた、

1人暮らしの時代は「 床にホコリの地層が出来る 」くらい凄まじかったです。(不意打ち



全員、死角のないダメ加減といえます。




尚、システム屋であった珍念には、

「 みずほ銀行のシステムを壊れるように作った 」という前科がありますが、

奴はこの点に関しても、

「 俺の所為じゃぁ、ねえぜ。」と開き直っていやがり、

最早打つ出がありません。




長年付き合ってきて、

珍念がどうやら「 己の実弟すら半殺しにする暴力性 」を

恐れていることはわかっておりますが、

これにしたって珍念は、怒った際には容赦なく和魂をぶん殴っています。

グーでな。

ゲンコツでな。

俺ぁ何度、奴の筆箱にデカイ蜘蛛を仕掛けて半殺しの目に合わされたか知りません。

しかも奴ぁは全然反省してねえ。




ちなみに、

読者諸兄の中には、

「 和魂は凶暴 」というイメージがあるっぽいので念のため言っておきますが、

普通にZILや珍念の方が「 危ない 」です。



暴力プログラマーのZILなんか、

「 上司を鉄拳で血達磨にして始末書 」を書かされてますし、

「 自分の会社にハッキングして始末書 」を書かされていますし、

「 寝起きに和魂をぶん殴って 」それを起きたら忘れていますし、

300キロを隔てた和魂のPCにハッキングして、

「 デスクトップの壁紙変えろよ 」とか言ってくる真性の無法者です。

そのくせ俺にはハッキング技術を決して教えてくれません。

ケチです。




珍念に至っては、

体重が0.1トンという、我々とは「 単位の違う世界 」に生きていますし、

激怒するとガラス窓を蹴っ飛ばして「 自分の足ごと粉砕 」したり、無茶苦茶です。

スクーターを自重で「 壊した 」こともあります。

最近では軽自動車も自重で「 オシャカ 」にしました。

正に「 歩く災害 」です。

人間地盤沈下です。



これに対して和魂は、

車に轢かれた狸を獣医に連れて行って実家で保護して「 噛まれ 」たり、

巣から落ちたカケスの雛を拾って育て、途中で死なせてしまい「 泣いた 」り、

とてもいい奴です。





とゆーわけで、

もうすぐエキサイトが「 特定IDのカキコミ制限機能を追加 」するので、

和魂要塞常連諸兄は、

和魂要塞の身内であるZILと珍念からのカキコミが「 こわい場合 」、

追加機能を駆使して各自自衛手段を講ずることをオススメします。





以上、和魂要塞による業務連絡でございました。(趣旨が変わってる




※尚、最近御無沙汰の「 じんぐる 」ですが、

先週2段ベットの上段で散歩させていたところ落下し、

前歯が折れました。

「 あがあが 」って身体をいぞって悶えていましたが、今は元気です。

御心配なく。

でわでわ。
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by 201V1 | 2004-10-05 17:57 | カテゴライズ前・生ログ
もっと光を



えらい人の最後の言葉である。

昔買った「遺言大全」に載っていた言葉である。

誰が言ったかは覚えちゃいねえが、フレーズだけは覚えている。

業の深え脳味噌である。



まぁなんとゆーか、

人間て奴ぁ、五穀や菜っ葉や畜肉だけ食べて生きているわけではない。

霞だけ食って生きていられるのは隠遁腐れた仙人だけであり、

俺達ぁ、ちゃんと浮世で生きている。

浮世には、幸福に暮らすにゃ光がいる。



今回のお話は、「 光 」である。

「 灯火 」といってもいい。

俺達生身の人間は、灯りなしでは生きられない。



なんつーか、

何を「灯り」にするかは

それぞれの勝手である。

宗教やイデオロギーでもいいだろう。

それが代用品てのがわかってりゃあ、それぞれの好きにすりゃあいい。

けれどもモノホンの「灯り」ってなあ、

宗教でもイデオロギーでもなく、人間である。





友人に、何を求めるかね?

恋人に、何を求めるかね?

家族に、何を求めるかね?

兄弟に、何を求めるかね?

両親に、何を求めるかね?

全体、何が欲しいのかね?




人間てな、面白い。

傍にいるだけで、エネルギーをくれる人間と、エネルギーを奪う人間がいる。

俺達の周りには、傍にいるだけで、ただ傍にいるだけで、

生きる活力をくれる人間と、

生きる活力を奪う人間がいる。



片方には、無条件でエネルギーをくれる人間がいて、

片方には、無条件でエネルギーを奪う人間がいる。



それぞれが、無条件で与え、無条件で奪うのに、カッコたる理屈なんて実はない。

俺達は、肥大した脳味噌で、

「 何故、彼が与えてくれるのか?」

「 何故、彼が奪っていくのか? 」と、

いろいろ理屈を考えるけど、

実は難しい理由などないのだ。



彼らはただ、自身のエネルギーを維持するために、

人に力を与え、

人から力を奪うのである。




人は、与えることでも、奪うことでも、自分のエネルギーを増やす事ができる。

どちらを選ぶかを、それぞれの魂が決するだけである。





俺達の周りには、2種類の人間がいる。

力と愛を、与えてくれる人々と、

力と愛を、奪っていく人々だ。




一目でわかる。明確な違いだ。

傍にいるだけで、片方は力をくれ、片方は力を奪う。





にもかかわらず、

俺達はどういうわけか、

生きる力を奪っていく人々に、

関わり続けようとする時がある。



関われば関わるだけ、力を奪われ、自分の命が尽きていくのに、

残り時間と活力が削られていくのに、

なおも関わり続けようとする。



生きる力を奪う人が、

生きる力をくれる人に変わるんじゃないかって幻想を抱きながら。

かなわぬ夢を、欲しかったものを、追いかける。




奪う人は、ずっと奪う人のままなのに。




人は決して変わらない。

与える人が奪う人に変わることはあっても、その逆はない。

貴方から力を奪う人は、

貴方以外の人に力を与えることはあっても、

貴方に力を与えることはない。

だからこそ、貴方に力を与えてくれる人は、

他の何よりも尊いのだ。





「 幸せ 」ってのが、

生きる活力と愛に満ちた暮らしならば、

俺達が、

僕達が求めるべきものは、

俺達に、

僕達に、

生きる活力と愛を、

無条件で与えてくれる「 人間 」である。





俺達の肥大化した脳味噌は、

物事を、

時代を重ねるごとに複雑にしていく。

そうやってどんどん本質から遠ざかる。

答えはずっと単純で、足し算と、引き算なのに。




与えてくれる人を「 足し 」、

奪う人を「 引く 」。

これだけで、人生はずっと幸せな方向に進んでいく。




俺ぁ昔、

ずっとずっと昔のことだが、

この足し算と引き算を、肥大化した脳味噌の隅に追いやって、

わけのわからねえ「 でっちあげた方程式 」で、

幸せと不幸に挑んだことがある。

ズタボロになるだけだぜ。

生還出来ても、得られるものは、「 タフ 」の一言だけだ。

でけえ傷の下にある、「 タフ 」って一言だけだったぜ。

ベイビー。




もっと人生てな、カンタンだった。

力をくれる人を大切にし、

力を奪う人から離れるだけで、

人はどんどん、生きる活力に満たされていく。

面妖な話しだが、

人生にゃ面倒な方程式なんぞいらねえ。

ただ、

力をくれる人を大切にし、

力を奪う人を遠ざけるだけで、

ずっと世界は光に満ちる。




友人にせよ、

恋人にせよ、

家族にせよ、

兄弟にせよ、

両親にせよ、



彼らが大切なのは、「 力をくれるから 」です。




友人や恋人や家族や兄弟や両親は、

僕らのセコンドでありトレーナーであるけれど、

何にでも、良し悪しってのがある。

「 力をくれるセコンド 」と「 力を奪うセコンド 」がいる。



今、貴方が傍らにおいているセコンドは、「 力をくれるセコンド 」ですか?

違うなら、それは貴方の勝利を阻む、獅子身中の虫です。

ファイターの身体を内部から食い荒らし、

2度とマットから立ち上がれないようにするために、

味方のフリをしながら、貴方を敗北させようとする、見まごうことのない、敵です。




僕たちに必要なのは、

「 力をくれるセコンド 」です。




もしも今、貴方のコーナーにいるセコンドが、「 力を奪うもの 」ならば、

貴方がそれを「 認める必要 」はありません。

解任し、

新たなパートナーを探せばいい。

その「 力を奪うもの 」の肩書きが、

友人であれ、

恋人であれ、

家族であれ、

兄弟であれ、

両親であれ、

貴方は解任することが出来る。

「 君は私に力を与えてくれる、勝利へ導くセコンドではない 」という一言で。






足し算と引き算さえできれば、

人生はずっと上手くいく。

与えてくれる者を傍に。

奪っていく人々を遠ざける。





他者の理解どうこうなんてのは、

肥大化した脳味噌が強引に作り上げた「 方程式 」です。

その方程式は、全ての人が、全ての人に使えるような代物ではありません。

両者の間に信頼なくして、他者理解なんてもはありえない。

信頼関係のない土壌での「 他者理解 」なんてのは、

心理学者のでっちあげた欺瞞です。

人間てな、そんなに都合よくできちゃいない。





人の人生の明るさは、

どれだけ多くの与えてくれる人に出会い、

どれだけ奪う人と交わる時間を削れるかで決まる。




僕たちは選択している。

与える人と、奪う人と交わる時間を。




俺ぁ、俺からエネルギーを奪うことでエネルギーを得ようとする手合いに、

一秒たりとも時間をさく気はない。

だから、親族だろうがなんだろうが、奪う奴らは切っていく。

傍にいて欲しいのは、「 力をくれるセコンド 」だからだ。

俺の勝ちたい喧嘩にゃ、そういう本物のセコンドが必要だ。




貴方のセコンドに、

友人に、

恋人に、

家族に、

兄弟に、

両親に、

貴方からエネルギーを奪うことでエネルギーを得、維持しようとする人々がいますか?

いるのならば、

彼らはあなたの勝利を阻む者です。





足し算と引き算だけでいい。




貴方がエネルギーを奪われているのは、貴方の所為ではなく、

彼らがそうすることで自身のエネルギーを確保しようとしているからです。

そこに道理の通る理屈なんてないんだぜ。

彼らはただ、自分のエネルギーの確保のために、貴方から活力を奪っている。





足し算と、

引き算でいい。




傍に与えてくれる人々を置き、彼らにも自身の愛を注ぐ。

奪う人々を遠ざけ、縁を切る。



これだけで、

人生はずっとずっと、

明るくなる。



光を。

貴方の人生に。




もっと光を。
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by 201V1 | 2004-10-05 05:47 | カテゴライズ前・生ログ
他者の自己像
「他人から見た自分」

久方ぶりに「 寝つきが悪い夜 」ってのがやってきたので、

情婦のりりこに無断でトラバってみる。



お題は自己像。

自己像ってのにも色々あり、

心理学を少しかじると

1)自己の中の自己像

2)他人の中の自己像

3)自己が想像する他者の中の自己像

4)他者が想像する自己の中の自己像

5)自己が想像する他者が想像しているであろう自己の中の自己像。

と、なんというかまぁ、認識ってなあ、如何に七面倒くさいモノかと痛感する。



端的に言うと、認識・概念ってなあ、土台面倒なもんであり、

つきつめてくとキリがねえとすら言える。



人間が「 概念 」について、

互いに「 あーだこーだ論じ合う 」場合、

議論自体は「 概念の底なし沼 」での素潜りが強い奴に軍配が上がるが、

そんな泥試合に勝ったところで、ハラぼての妻は何も生まぬ。

なぜって概念てやつでは一向に腹が膨らまないからだ。

現実世界では、ドロ沼の素潜りに強い奴の理屈は、イマイチ役に立たん。

泥沼ってなあ深ければ深いほど「 論理的には正しい 」が、

これに反比例して現実世界への汎用性はどんどん低下していく。

ようするに、無駄である。

しかしながら、ドロ沼の底で拾ってきた真理は、ちょこっとだけ役に立つ。

真理を掴んだ人間てな、生き方の姿勢に芯が出てくるのである。




自己像もまたしかりであり、

セメントで概念ドロ沼をダイブして帰ってくると、

1)も2)も3)も4)も5)も、どれがどう違おうがどうでもいいことに人は気づく。

どれも根拠なんざねえからだ。




1)ってなあ当然、身贔屓やら自嘲やらで歪む。

2)は評価する人間の眼力と脳味噌の程度でコロコロ変わる。

3)は、上に加えて手前の相手への評価が結果を左右する。

4)は、相手が手前にもってる印象次第だろう。

5)に至っては、最早どうにでも転ぶいい加減な「 像 」である。




ようするに、どれも怪しい。





ぶっちゃけた話、

俺ぁこれまで生きてきて、

常に悪名を、たまに勇名を、周囲に轟かせて来たが、

10代の中頃には既に、

「 他者評価 」なんぞ、「 どうでもいい境地 」に逝ってしまっている。

あまりにも世間の風評がバラバラなので、

どれもどうでもよくなってしまったんである。

人物評ほど、見る者の立場と魂魄によって千変万化の豹変を見せるものはない。







ちょいと実例を挙げてみよう。







「 201V1はいい男かどうか 」

異性としての話である。

ぶっちゃけた話、

俺ぁ26年生きてきて、まぁなんというか、終始もてていた。(馬鹿

年上・同級・年下と、常にどっかから熱烈なラブコールがあった気がするが、

その一方では平行して「 不可触民扱い 」や「 卑劣漢呼ばわり 」もされている。

ようするに、一方ではアイドルであり、一方ではゴキブリだったワケだ。

モテモテ大臣の慢心も、逆風の辛さも、身に染みて知っている。

ちなみに、どっちのセクトに対しても、

俺がとっていた姿勢は終始一貫して、

「 気のみ気のまま殴りこみ 」である。

にもかかわらず、

一方ではアイドルであり、一方ではゴキブリであった。

黄色い声援と罵詈雑言がBGMである。(どんな人生ですか





しかも、この集団の間には互いに「 移動 」まであるわけで、

誰も手前の中のイメージなんぞにカケラも責任など持っちゃいねえ。

「 印象 」なんざ、一夜にして転がる。

人間てな、実にいい加減な生き物である。

そのくせ一端根が張った「 悪印象 」ってなあ、

場合によっちゃあ、どう転んでも覆らなかったりする。

こうなると、最早なにが真実でなにが思い込みかなんぞワケがわからねえ話になる。

馬鹿くせえ話だぜ。




とゆーわけで、

俺ぁ、自分の中の「 自己像 」と、他のよくわからねえ「 自己像 」が

どれほどズレようと「 どうでもいい 」と考えている。

他人の顔色なんざ、宇宙の果てよりどうだっていい。

アウト・オブ・眼中である。

俺ぁ、誰が何を喚こうが、終始勝手にやらせてもらう。( 社会性の放棄



問題なのは、

他人の「 予測 」を「 こっちが読めるかどうか 」である。

基本的に「 相手がどう俺を評価しようが全くしらねえ感知しねえ和魂 」が、

今日まで鬼だらけのクソ世間を、

どうにか生きながらえてこれたワケは、ここにある。





他人の中の自己像なんざハナから知ったことではないが、

相手が「 この次に和魂がどうすると予測しているか 」を読むってなあ重要なトコである。

これが読めない・見込みが立てられないなんてコトになると、人生は面倒である。

で、「 この次に俺がこうしたら連中はどう反応するか 」ってのを読めないと、

これまた人生が滅茶苦茶になる。

不測の事態にパニくってる手合いってなぁ、

大概ここらへんの「 読み 」がグデングデンに甘い。(相変わらず偉そうな和魂

甘ちゃんである。




人の顔色を窺っても、何一つとしてイイコトなんざ起きやしねえ。

人間てなあ、それほどカンタンにゃできてねえ。

奴隷の根性で浮世が上手く渡れるならば、

世界のカタチは今とは全然違うものになる。




相手の顔色を真っ青にしたくて、

自分で出刃を抜いたはいいけれど、

予測と違った反応が巻き起こって潰れれば、

そいつはただの身の程知らずのボケで終わる。





大事なのは、「 読み 」である。

最悪の展開を読みきってハラをくくれれば、大概のピンチは粉砕できる。

俺ぁ楽天家に見えて、その実性根が相当暗いので、

頭の中には常に最悪の展開をブチ込んである。

実際人生は挫折と徒労のデパートであり、

この程度の覚悟がなければ、俺ぁ一夜にしてハゲるに相違ない。

生き残るには「 読み 」がいる。




人生にゃあ、「 読み 」が必要なのだ。




で、こーゆーことぉ書くとだな。

「 恋人や友人にも<読み>を使って接してるの? 」なんてゆう、

タワケた質問が来るわけだ。

来るわけだよ諸君!




馬鹿を言え。

そんな面倒臭いことがイチイチできるわけがねえだろう。



和魂は知己には無防備である。

彼らが知己と呼ばれるのは、

俺がどういう時にどんな気持ちでどうするか、弁えていやがるからである。

そこには読みもクソも遠慮斟酌も微塵もいらない。



俺ぁただ、毎度全力で生きりゃいいんである。

それが友という奴だ。




そういえば、17年来の友人の珍念が、生意気にもブログを始めた模様である。

面倒なのでアドレスは張らないが、

「 無法半島Ⅱ 」とかいう、しょうがねえブログらしい。

見かけたら読んでやってくだされ。



えー、業務連絡。

2チャンネルの性根が腐った下郎の皆さん、

コイツは俺のリアル身内です。

暇な方は荒らしに行ってください。

コメント欄が賑やかになったら奴はきっと喜びます。




というわけで、首尾よく珍念も「 巻き込めた 」ので、

そろそろ筆を置くことにする。

目的は達した。



ようは「 読み 」である。

流れが読めれば世界に怖いもんなんぞない。

他人の顔色なんざ、俺ぁ徹頭徹尾、蹴たぐりカマしてクソ喰らえである。



※ 段々本性が駄々漏れになってきた和魂要塞。我ながら潔くて好きである。
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by 201V1 | 2004-10-02 01:39 | カテゴライズ前・生ログ
生者は生者の領分で


上の文句は、

当該ブログの管理人たる鰐口某が日頃「 常用 」している文言である。

いわずもがな、これは「 我、終生神仏に依らず 」の精神を込めた言霊だ。



よーするに、「 浮世は生きてる人間の始末で決まる 」という、

艶のねえスタンスで、

鰐口某は、神仏に中指をつき立てて、生きる死ぬの生きている。




ピンチの時に口からでるのは、

「 神よ! 」でも「 仏様! 」でもなく、

常に「  野郎! 」である。



しかしながら、もう片方でこの馬鹿は

先祖崇拝に極めて近い思想も獲得しており、

相変わらず、度し難い阿呆といえる。






分別のない鰐口某は、

「 この世は誰のものですか? 」と問われた時、

間隙をおかず、

「 この世は死者のもんでもある。生きてる人間の自由にはさせねえ 」

と、

やはり果てしなく喧嘩腰で応えるのだ。






鰐口某はいう。

俺ぁ思うんだが、

この世界ってなあ、先人が血達磨になりながら、ようやく築いた世界であって、

昨日今日生まれた人間が、

手前の裁量で好き勝手に切り刻んでいいもんだとは、微塵も考えられん。

ふざけるんじゃあねえぜ。

この世界ってなあ、死んだ人間のものでもあるんだぜ。

我が者顔が過ぎると、閻魔に代わって首捥ぐぜ?




人が、何者かの暴虐に対して「 そこまでだ、バカヤロウ 」と叫び、

かかわるとロクでもねえことになるのが、

火を見るより明らかな修羅場に、

「 くそったれが 」って欲も得もなく、四の五の言わず、身を躍らせる時、

それを最後まで完遂させる原動力になるのは、

それぞれ、人様々である。




しかしながら、

現代の政に携わる連中には、

どうもここら辺の「 死者の国でもあるんだぜ 」という発想が、

余りにまるでねえような気がする。




口を開けば「 未来の為 」「 将来の為 」「 国民のため 」。

現実には「 てめえは利権が欲しいだけだろうが 」と突っ込みたくなる手合いさえ、

「 国民の未来の為 」とか、まるで興味もねえクセに、お為ごかしを吼えやがる。




八百屋の親父のお客様が「 町の人 」なら、

政治屋のお客さんは「 国民 」であり、

教師のお客は「 ガキ 」である。

大工の客は「 その家のヌシ 」であり、

漫画家の客は「 読み手 」だ。




「 お客様は神様です 」なんて台詞ひとつで、

てめえの稼業が「 大義を得る 」ような風潮を、

俺ぁ「 うつけどもが、何をぬかしやがる 」と断じよう。

そんあもんは当たり前の話であって、

さかしらに「 振り回す 」ような気概じゃあねえ。




その「 稼業 」を作り上げた先人の人生を、

鑑みねえゴタクなんざ、俺ぁたくさん、耳ダコである。

「 お客様 」しか眼中にないような連中を、俺ぁどうにも信用できん。

「 お客様の為 」とぬかしけつかる手合いには、

どうにも身代を預ける気にゃあなれないんである。

俺が選挙にいかねえのは、一重にこのためである。




「 この国をここまで作り上げた先人に、顔向けできるのかよ。このままで。」



そういう気概で政治に参加している奴ぁ、

政治家にも官僚にも多分1人もいねえだろう。

どいつもこいつも、

「 この世は生者のためにある。未来を作ろう 」なんて薄っぺらい寝言をほざきやがり、

「 死んだ人間 」のことなんざ歯牙にもかけやがらねえ。

だれがこの国を作ったと思っていやがるんだ。

昨日今日生まれた人間の顔色を窺って、

天下百年の政ができるわけがねえだろうがバカヤロウ共。




ぶっちゃけると、

俺ぁ現行の「 20過ぎたら誰でも選挙権獲得 」って制度を、

「 馬鹿の水増し 」と考えている。

「 生きてる 」って一事で国政への参加を許し、

「 死んでる 」って一事で国政への一切の参加を経つこのシステムを「 悪法 」と断じる。

土建屋政治で票を稼ぐ<クソ自民党>を易々とのさばり続けさせる、

この愚劣極まるくそったれな選挙制度を唾棄すべきものと断じる。

どいつもこいつも「 生きてる人間の幸せ 」しか考えず、

「 死んだ人間の人生 」を丸ごと馬鹿にして生きていやがる。

多少なりとも、「 この世界は死んだ人間のものでもある 」って発想があれば、

「 生きてる人間の苦労 」なんぞ省みず、

世論を無視してガシガシ建て直しをやれるはずだろうが。





この世界は、生きてる人間が好きにしていいもんじゃねえぜ。




「 お客様 」のことを大事にするのはいい。

やりゃあいい。好きに。

だがね、「 死んだもの 」にだって「 この世に口を出す権利 」ってなあ、あるんだぜ。



「 今は亡きお客様 」の声を、耳かっぽじって聴きやがれ。

「 今は亡き、手前の稼業の先人 」の声を脳味噌ほじくりなおして聞きやがれ。



会いにいけるのかよ先人に。

そんな「 生者の顔色ばっかり窺い続けるしみったれた面構え 」で。



俺達しかいねえんだぜ。

この世界にゃ、くたばっちまった人間は意見できねえ。

生きてる人間の両肩には、死んだ人間の何世代分もの人生がかかってるんだ。

生きてる人間の命には、何千世代もの人間の人生がかかってる。

「 生クセエ連中 」の顔色なんざ知ったことかよ。

この世界が誰のものか、もう一辺、膿み爛れた脳味噌で考えてみやがれ。




クソッタレの政治家どもへ。

手前らは、選挙権を持ってる、生臭い連中の顔色を窺って生きればいい。

だがな、

俺ぁ、断じて貴様らとは同じ泉の水は飲まん。

チカラを蓄え、

直に死者の国の威をもって、手前らのノド笛に出刃ぁ突っ込んでやる。




生きてる人間が、どれほど偉いんだよ。

笑わせるんじゃねえや。




死者は口をきけねえ。

だからって、調子こいていられるのも今のうちだぜ。

俺が必ず手前らのどてっ腹に風穴を開けてやる。




必ずだ。

必ずチカラを蓄えて、その腐れた度肝を根こそぎ引っこ抜いてやる。



まっていやがれ。

逃がしゃあしねえ。

生者は生者の領分で、必ず帳尻を合わせてやる。




手前らの好きには、断じてさせん。

この世は死者のもんでもある。
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by 201V1 | 2004-10-01 14:53 | カテゴライズ前・生ログ