「ほっ」と。キャンペーン
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お勉強

 まぁ、

 なんつーか、

 そろそろ頃合ですな。




 ふっ。



 なにがって、

 苦学の。



 










 人間てな、

 10代には10代の、

 20代には20代の、

 30代には30代の、

 それぞれの年代で始末をつけるべきことを、

 それぞれやっつけ、

 次の年代へ繋いでいくわけで、

 必然、

 それぞれの年代のツケと蓄えが、

 次の年代に反映されます。








 ひとによっては、

 このツケと蓄えを、

 「 貯金 」と呼んだり、

 「 アドバンテージ 」という言葉で捉えますが、

 小生の中では、

 「 引き出し 」という概念で、

 考えます。







 小生の世界では、

 人間は箪笥なワケです。






 まぁ、

 なんつーか、

 我が家には製作から150年の経過した、

 アンティークな桐箪笥が、

 中越の解体家屋より救出され、

 元気に実働していますが、

 人間は、

 この、

 箪笥に極めてよく似ているのでございます。






 箪笥自体は将器であり、

 引き出しは技能や感性と捉えれます。





 で、

 問題はなにかというと、

 小生は現在、

 20代で要請される「 中身 」は持っているけれど、

 30代・40代の自分が要請されるであろう、

 「 中身 」は、

 未だ持ち合わせていないのでございます。





 だので、

 勉強せねばなりませぬ。





 
























 もっと、

 自在にならんがために。
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by 201V1 | 2005-09-27 19:56 | カテゴライズ前・生ログ
戦国コピーペースト

 あんまし、

 こーゆーのは、
 
 しないのだが、

 度々偽書のそしりを受けながらも、

 今尚日本史上に燦然と輝く、

 時の権力者に向けられた、

 一振りの出刃の美しさを、

 紹介したい。







 力無きものたちに代わり、

 ひとりの男が、

 遠い昔、

 筆を取った。




 
 こういう男が、

 かつて、

 この国にはいたのである。










000000000000000000000000000000000000000000000000000000000



                          「 直江状 」



 今朔日の尊書、昨十三日に下着す。具に拝見、多幸多幸。

一、当国の儀、その元において種々雑説申すについて、内府様 (家康) ご不審の由、もっとも余儀なく候。さりながら、京・伏見の間にてさえ、色々雑説止まる時なく候。いわんや遠国と云い、景勝若輩と云い、似合いたる雑説と存じ候。苦しからざる儀に候の条、尊意安かるべく候。定めて連々聞こえしめし届けらるべく候こと。

一、景勝 (の)上洛延引につき、何かと申し廻り候由、不審に候。去々年に国替し、程なく上洛す。去年九月に下国し、当年正月時分に上洛申され候ては、いつの間に国の仕置を申し付くべく候や。なかんずく当国は雪国にて、十月より二月までは何事も罷りならず候。当国の案内者のお尋ねあるべく候。しからば正月より雑説全く上洛延引、景勝逆心、何者が具に存じ申し成り候やと、推測あたわず候こと。

一、景勝、別心なきにおいては、誓詞をもってなりとも申し上すべき由、去々年以来数通の起請文、反故に罷り成り候うえは、重ねては要らざる御事に候。

一、太閤様以来、景勝律儀の仁と思いめし候わば、今もって別儀あるべからず候。世上の朝変暮化には、相違候こと。

一、景勝心中、毛頭別心これなく候えども、讒人の申し成し御糺明なく、逆心とおぼしめすところ、是非に及ばず候。かねてまた御等閑なきしるしに候わば、讒人と御引き合わせ、是非をお尋ねしかるべく候。さようにこれなく候わば、内府様 (の) 表裏と存ずべきこと。

一、北国の肥後殿 (前田利長) の儀、おぼしめしのままに仰せ付けらるる由、御威光浅からず存じ候こと。

一、増右 (増田長盛)・大刑少 (大谷吉継) 御出頭の由、珍重に候。用所の儀、申し越すべく候。榊式太 (榊原康政) は景勝 (の) 表向きの取次ぎにて候。しからば景勝の逆心歴然に候とも、一応異見に及び候てこそ侍の筋目、または内府様の御為にもまかりなるべきのところ、讒人の堀監物(が)奏者を仕られ、種々の才覚をもって申し妨げらるべき儀にては、これなく候。忠臣か佞人か、ご分別次第、重ねて頼み入るべきこと。

一、第一に雑説、上洛延引に及び候。御断り、右に申しのぶるがごとく候こと。

一、第二に武具集め候こと、上方の武士は、今焼茶碗、炭取瓢以下の人たらし道具をご所持候。田舎武士は、鑓・鉄砲・弓箭の道具を支度申し候。その国々の風俗とおぼしめし、ご不審あるまじく候。たとい世上にこれなき支度申し候て、似合わざる道具を用意申され候とも、景勝の分限、いか程のことこれあり候や。天下に似合わざるご沙汰と存ぜしめ候こと。

一、第三に道作り、舟橋申し付けられ、往還の煩いこれなきようにと仕られ候は、国を抱えられ候役儀にて候条、かくのごとく候。越後においても、舟橋・道作り候。しかれば端々残り候てこれあるべく候。淵底、堀監物 (が) 存ずべく候。当国へ罷り移られとき、仕置もこれなきことに候。本国といい、久太郎 (堀直政) 踏みつぶし候に、何の手間入るべく候や。道作るまでに行きたらず候。景勝の領分、越後は申すに及ばず、上野・下野・岩城・相馬・政宗 (伊達) 領・最上・由利・仙北へ相堺い、道作り何れも同前に候。自余の衆は何れとも申されずに候に、堀監物ばかり道作りに懼れ候て、色々の儀、申し成し候。よくよく弓箭を知らざる分別なき者と思しめさるべく候。景勝に天下に対し逆心の企てこれあり候わば、諸堺目、堀切、道を塞ぎ、防戦の支度をこそ仕らるべく候へ。十方へ道を作り付けて逆心のうえ、自然人数を向かわせられ候わば、一方の防ぎさえ罷りなるまじく候。いわんや十方を防ぎ候こと罷りなるものにて候や。たとい他国に取り出で候とも、一方へこそ景勝相当の出勢罷りなるべく候。二口ともいかんとして罷りなるべく候や。なかなか是非に及ばず、うつけ者と存じ候。景勝、領分に道・橋を申し付け候体、江戸より切々の御使者、白川口の体、御見分けあるべく候。そのほか奥州筋へも、御使者上下致され候条、お尋ねもっともに候。なおご不審に候わば、御使者を下され、所々堺目の体を見なされ候て、御合点参るべく候こと。

一、御等閑なき間とても、以来、虚言になる様の儀は、自他をして仰せられまじき由に候えども、高麗降参申さず候えば、来年か来々年は御人数遣わすとこれあらば、誠に虚説たるべきか。一笑々々。

一、景勝、当年三月は謙信追善に相当たり候条、左様の暇を明けられ、夏中にはお見舞いとして上洛仕るべき内存ゆえ、人数武具以下、国の覚・仕置のために候条、在国中にきっと相調え候様にと用意申すところに、増右・大刑少より使者申し越され候わば、景勝逆心の沙汰、穏便ならず候条、別心なきにおいては上洛もっともの由、内府様ご内証の由に候。とても御等閑なく候わば、讒人の申し成しを有様に仰せ聞かされ、きっと御糺明候てこそ、ご懇切の印たるべき処に、意趣なく逆心と申し触れ候条、別心なくば上洛候へなどと、乳呑子あいしらい是非に及ばず候。昨日まで逆心を企て候者も、その儀はずれ候えば、知らぬ顔にて上洛仕り、あるいは縁者、あるいは新知行を取り、恥不足をもかえりみぬ人の交わりをなし候。当世風は、景勝身上に不相応に候。心中別儀なく候えども、逆心天下にその隠れなく候を、無左と上洛せば、累代律儀の名弓箭の覚を失い候条、讒人と引き合わされ、御糺明これなくば、上洛罷りなるまじく候。右の趣、景勝理か非か尊慮に過ぐベからず候。なかんずく景勝家中、藤田能登(信吉)と申す者、去年半ば当国を引ききり、江戸へ罷り越し、それより上洛仕る由に候条、万事、知り申すべく候。景勝まかり違い候か、内府様ご表裏か、世上の沙汰次第に候こと。

一、千言万句も入らず候。景勝毛頭、別心これなく候。上洛の儀は罷りならず候様に御しかけ候条、是非に及ばず候。この上は、内府様ご分別次第に上洛申さるべく候。たといこのまま在国申され候とも、太閤様御置目に相背き、数通の起請文を反故になし、ご幼少の秀頼様を見放し申され、内府様へ不首尾を仕られ、こなたより手出し致して候て、天下の主になられ候とも、悪人の名遁れず候条、末代の恥辱たるべく候。このところ (を) 遠慮なく、何しに逆心仕らるべく候や。お心安かるべく候。ただし讒人の申し成しを実義と思しめし、不儀の御拵えにおいては、是非に及ばず。誓紙も堅約もいるまじく候こと。

一、そこ元において景勝逆心と申しなし候ごとく、隣国においても会津働きとて触れ廻し候。あるいは城に人質を入れ、兵糧を支度し、あるいは堺目人質を取り、所々口留めを仕られ、様々の雑説ともに候えども、分別なき者の仕ることに候条、聞くも入らず候こと。

一、内々に内府様へ使者をもってなりと申しのぶべく候えども、隣国より讒人打ち詰め、種々申しなし、家中より藤田引ききり候の条、逆心歴然に思しめさるべきところ、ご音信などと申し上され候わば、表裏ものの第一とご沙汰これあるべく候条、右の条々、御糺明なきうちは申し上されまじき由に候。全く疎意これなき通り、せっかくのお取り成し我らにおいても畏み入るべく候こと。

一、何事も遠国ながら校量仕る儀候条、有様に仰せ聞かさるべく候。当世様に余情がましきこと候えば、自然誠のことも嘘の様に罷り成り候。申すまでもなく候えども、御目にかけらると云い、天下黒白をご存知の儀に候条、書付け参らせ候。慮外少なからず候えども、愚意を申しのべ候。尊意を得べく、その憚りをかえりみず候。侍者奏達。恐惺敬白。

直江山城守兼続

四月十四日

 




0000000000000000000000000000000000000000000000000













こんな男が、

この国には、

いたのである。
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by 201V1 | 2005-09-27 17:34 | カテゴライズ前・生ログ
和魂出刃・ビジネスモデル

 というわけで、抜いた。

 何をって、出刃を。(どかん






 まぁ、

 なんというか、

 ホットビズという奴である。(ちがう





 ご存知の通り、

 小生は、

 生来、

 沸点が異常に低い。






 が、

 普段は存外温和である。

 



 怒る労力が惜しい。




 しかしながら、

 出刃は抜くぜ。

 隙あらば。(嫌な社会人




 というわけでだな、

 抜いてみたワケよ。

 久々に。(久々ってのは3ヶ月スパンで用いるものではないぞ。和魂。





 















 詳しい経緯はこの際、

 やおらすっとばし、

 有体に全体を話すと、

 小生は今現在、

 ブルーカラーの頂点にいるわけだが、

 更に上にホワイトカラーの群れがいるわけであり、

 こいつらが俺の逆鱗に触れた。





 で、

 俺が一筆書いた。

 和魂節でビジネス文書を。(やめろ





 財界のトップへ出刃爆弾投下。(今の仕事は結構でかいんである。





 結果が非常に面白い。























 小生にとっては、

 和魂節は、
 
 別段、

 どうということもない、

 魂をブッつけた殴り書きでしかなく、

 日常である。






 しかしながら、

 世の大企業・財界人にとっては、

 「 とんでもねえ宣戦布告文 」に映るらしく、

 片っ端から奇襲を喰らったテナガザルのように狼狽し、

 慌てふためき大騒ぎである。






 まぁ、

 派遣元は呼び出しを喰らうわ、

 派遣先は固まるわ、

 クライアントは戦慄するわ、

 大混乱はなはだしく、

 うすら無様な様相を呈す。





 結局は、

 小生が自ら出張り、

 「 やんのか、てめえ 」と啖呵を切り、(無茶苦茶

 あっさり解決したんだが、

 この国のビジネスマンの体たらくは、

 なんとまぁ、

 不細工なんであろ。





 こいつらは、

 人が出刃を抜く光景を、

 見た事がないんである。

 


 



 でなければ、

 若干27歳の小僧が抜いた出刃を見て、

 あれほどの狼狽を示す道理は、

 絶無であろう。

 







 ビジネス文書ってなあ、いつから、魂が込められなくなったんだろうね。








 戦国の頃、

 一国の経営を預かる武将達は、

 それぁ見事な文章で、

 外交を行い、

 国を守り、

 家を守り、

 部下を守り、

 生きて死んでいったが、

 果たしてそれと同じ気概で、

 現代の企業戦士たちは、

 生きて死んでいるのだろうか。





 彼らは、

 「 直江状 」ってのを、

 果たして、

 知っているんだろうか。






 











 高校の時を思い出す。

 17の小僧が抜き放った出刃に、

 戦慄の余り硬直する大人たち。




 いみじくも今、

 27の小生が抜いた出刃に、

 大企業が震撼する。









 どうかと思うぜ。

 おっさん達。

 






 上の顔色ばかりに気を使い、

 下が出刃を抜いた途端に狼狽するような気概で、

 人間の指揮ができるとは、

 よもや考えちゃいねぇだろうな。






 

 何度でも、抜かせてもらうぜ。

 おのれらみてえのが、

 くたばらねえ限りは。






 率いるってのは、

 負うことだ。

 どのポジションにつこうが、

 どんなちっぽけな群れだろうが、

 統率したなら、

 人は責めを負わねばならんのだ。

 部下を守らねばならんのだ。

 そのための出刃を呑んでいなければならんのだ。

 それが人間の流儀だろう。





 










 




 たまにゃあ、

 出刃でも喰らって、

 腐れた命を洗濯しろ。










 直江状ひとつ書けねえで、

 直江状ひとつ読めねえで、

 企業戦士たぁ、

 片腹痛え。






 





 「 鰐口君、な・・・なにか不満でもあるのかね? 」





 寝ぼけろボケナス。

 俺ぁ、

 手前らがナメた態度で指揮をとるから、

 焼きを入れたっただけだぜオッサン。

 お上に訴えて金引っ張ろうなんて、

 下卑た考えは微塵もねえよ。

 邪推もたいがいにしやがれ。

 お前等のような上官が、

 勲章ほしさに兵士を無駄死にさせんだよ。

 そんな奴等に、

 この俺が拳を叩きこまねえ道理がねえだろうが。

 殴られた理由もわからねえほど、

 それほど脳がふやけてんのか。










 





 殴るぜ。何度でも。






 さてさて、

 世の腑抜けたビジネスマンたちよ。

 覚悟はいいかね。

 俺ぁこのまま切り込むぜ。




 

 




 金ずくの世界でも、

 出刃はしっかり抜かせてもらう。

 




 理解できないままでいいぜ。

 



 俺ぁそれで満足だ。

 








 満足なんだぜ。おっさんたち。
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by 201V1 | 2005-09-27 02:12 | カテゴライズ前・生ログ
化身の代償

 とゆーわけで、更新です。

 連日の激務で罹病し、

 それでも職務の性質上バックレることも叶わず、

 半病人というか、

 もろ病人のテェで仕事をやっつけ、

 よろよろネット世界に帰還を果たした次第。




 これより返信に入ります。(シェアッ













 で、お題です。

 「 被災して、もとい、被災地にて、小生がなくしたもの 」

 について、

 問いがあったので、

 いっちょう紙面を割きます。

 





 内実、
 
 相当に悩みました。






 

 「 再び戦地に赴く事で失う事 」に対し、

 かつてない程、

 大変な恐れを抱いている自身に、

 先の文章の行間で

 あれほど明確な「 恐れ 」の表現をもって自身が語っているのにもかかわらず、

 「 失ったものがなにか? 」をコメント欄にて改めて問われるまで、

 全く意識をしておりませんでした。

 




 端的に言うと、

 恐れている自分に、

 気がつかなかったワケです。






 はて面妖な。






 で、考えた。

 何を恐れているのか?と。

 ようやくにして出た結論は、

 久方ぶりに胸のすくものでした。

 考える機会をくれたことに感謝します。





 確かに小生は、

 彼の地において経験したあれこれによって、

 相当に変わりました。





 まぁ

 大雑把に言えば、

 伸びしろに余りがあったとゆー、

 めでたい話なんですが、

 人間てやつは、

 変わる際に、

 場合によってちゃあ、

 いろんなものを捨てたり、

 拾ったり、

 壊したり、

 取り替えたり、

 投げ出したりするわけで、

 その意味では小生は、

 確かに色んなものを捨てて、

 一皮剥けた次第になります。




 問題は、

 そういった意味合いでの「 捨てる 」ことをして、

 自身が「 失う 」と述べたわけではないことが、

 考えるに従いやおら明確になってきた点にあります。




 小生は、

 全体、

 変化を恐れていないようです。

 


 恐れているのは、自己を捨てるという行為そのもののようでございます。




 
 ご存知の通り、

 小生は生来、

 自分の魂に正直に生きて参りました。

 大げさに言うならば、

 自らの魂魄に、

 尋常ならざる忠誠をもって、

 浮世を渡ってきたわけです。

 そういう人間にとって、

 「 化身 」となることの代償はすなわち、

 自らの本性を放棄する事に、

 極めて近い意味を持つ事になります。





 少々話が複雑になりますが、

 ここから先、

 自身の言わんとしていることを伝えるには、

 民間における災害復興支援の実態を語らねばならず、

 本人大変にめんどいのですが、

 とりあえず書き殴るので、

 心臓の弱い方は、

 すっ飛ばしながら読んでください。






 まずですね、

 初めから終わりまで、

 いちいち言っても埒が開かないので、

 いちいち言わないとわかんねえ馬鹿に薬をつける労力が惜しいので、

 一気に述べると、

 民間の災害復興支援に関わる人間、

 特にその執行部に凡人が携わる場合、

 そいつは個人であることをやめ、

 「 義勇 」の「 化身 」にならねばなりません。

 骨の髄まで。

 コレに関して異論があるド阿呆は、

 被災地ではなく遊園地へ行け。(そして死ね





 で、小生は凡人であります。

 ところどころ飛び抜けた能力は有していますが、

 ところどころどころか全体的にヌケ作でもあり、

 まぁ、

 およそ人を導くに足る資質は備えちゃいない。




 そういう手合いが、

 凡人が、

 民間の災害復興支援団体なんてゆー、

 実態の怪しげな集団の執行部に食い込んで、

 何かを成さんとするなら、

 もう、

 「 化身 」になるしかねえんだよ。




 よーするに、

 人間をやめるわけです。





 それが、

 災害復興支援の中枢に入るってことなのよ。





 



























 俺ぁ一度やりました。


 筆舌に尽くし難い苦痛を伴う徒労がそこにはあります。


 粉飾の通用しない、


 屈辱感に塗れた自失の覚悟なくしては、


 それは完遂することができません。


 自身を見失わねば、


 遂げられぬ役目です。


 







 再び、

 災害が起きたとき、

 再び、

 あの局面と向き合い、

 ベストの結論を、

 忘我の立場で求めれば、

 必然、

 小生は執行部に入る事になるでしょう。




 問題なのは、

 小生がどう変化しようが、

 小生を取り巻く環境がどう変化していようが、

 ベストの道は変わらないという点であり、

 その道は「 化身となる 」ことに他ならぬという事実なのです。




 自失という代償を払って、

 機能という報酬を得、

 実現力を手にするのが、

 化身という選択なのです。



 
 自失によって、

 失われたものは、

 2度と同じ姿では手に入る事がありません。

 これはそういう代償です。

























 小生は、これを恐れます。

 そして、

 これを恐れる自身を恐れています。

 








 しかしながら、

 恐れる自身を恐れる心と向き合う事に

 恐れはありません。





 それだけで、

 自分の人生を掌握できるのが、

 人間が人間たるゆえんであり、

 自分が自分である証明であることを、

 小生は多くの経験から知っているからです。









 

















 にひ。

 




 

 重要なのは、

 常に怯むか否かにあり、

 恐怖に駆られることそのものにはない。

 


 





 僕たちは、

 真剣に生きようとすればするほど、

 沢山の恐怖と向き合わねばなりません。

 そのなかには、

 掘り起こさねばならないものもあります。

 捨てておけば永久に気がつかないでいられるほど、

 遥か深部にくすぶる恐怖とも対決せねば進めない歩みもあります。

 しかしながら、

 勝負は恐怖によってはじまりはしても、

 勝敗を決すのは、

 それに怯むか否かという一点にあります。

 その意味で、

 希望は常にそばにある。






 
























 









 怯まぬ心を。


 恐怖と共に。






























 光は、闇の中ほど強く瞬く。





 そりゃあもう、新月の夜の鬼火のように。
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by 201V1 | 2005-09-26 03:14
災害復興支援という徒花

 うい、和魂です。

 先日、1泊2日の強行軍で中越に行ってまいりました。

 8月末日をもって解散した団体の残骸の始末が理由であり、

 これが終了したことで、

 名実共に中越元気村は消滅したことに相成ります。



 
 2004年10月24日、

 震災が中越を襲った翌日に自然発生した、

 この奇妙な民間の災害復興支援団体は、

 およそ10ヶ月間活動しました。



 元・副代表として、

 団体の活動を支援してくれた皆様に、

 改めて感謝致します。

 真にもって有難うございました。






















 さて、

 今は既になき中越元気村でありますが、

 振り返れば、

 振り返るほど、

 かの団体は、

 その存在自体が、

 怪態を通り越して、

 奇跡みたいな、

 徒花の花壇のような、

 集団でありました。




 

 それ自身は決して実をつけることなく散っていく。





 徒花の言葉とおりの結末が、

 花壇に訪れたといえます。




 かつて花壇に狂い咲いていた、

 復興支援という名の大輪は、

 植え込みが消えた今、

 もう見ることは出来ません。




 それぞれに出来る、

 もてる力の全てを尽くして、

 咲いた花々は、

 既に全国に散りました。



 実を結ぶ事を、

 度外視して咲いた花達が、

 辿る運命は、

 必然、

 過酷なものになります。

 

 
 その意味で、

 災害復興支援は、

 被災地の復興がたとえ完遂されようと、

 これからも続くと言えます。



 
 ボランティアという言葉の、

 語源のひとつとされる、

 義勇兵に照らし合わせれば、

 この有様こそ、

 正にボランティアの真髄であり、

 骨頂と言えます。



 小生は、

 この顛末に関しては、

 一切の不満を持ちません。

 

 傷痍軍人への恩給が、

 義勇兵にまで適用された事例が、

 ほとんどないように、

 義の旗の下で戦うことを選んだ人間は、

 その旗から離れた時、

 天下の孤児となるからです。















 「 天下の孤児 」












 長期間に渡り、

 団体の存続を実現するべく、

 心身を中越に捧げた者を待つ結末は、

 その魂が清廉であればあるほど、

 その魂が潔白であればあるほど、

 過酷に満ちています。

 それを乗り越えた先にしか、

 災害復興支援に関わったものたちの未来は、

 決して開かれる事はありません。







 


 微力を承知で、

 義の一文字が染め抜かれた旗が翻る、

 砦を死守せんと、

 戦い抜いた、

 天下の孤児達へ。






 覚悟を有難う。






 諸君の健闘に感謝する。


 



 

 































 いつか、

 再び脅威が、

 同胞の身に降りかかる時、

 僕達は、

 もう一度、

 覚悟を試されるだろう。

 もう一度、覚悟できるかどうかを。















 すべてを捨てる覚悟を。









 




 あそこに行く前に、

 持っていたものの、

 多くが、

 既に失われいることを、

 自覚している、

 今日と明日、

 僕達は、

 もう一度、

 全部を失う覚悟ができるんだろうか?






 誰かの為に。







 






















 小生は思う。

 



















 二度とできるかと。




















 















 また、失えと言うのか。

 また全部捨てろというのか。

 









 




 大切なものを。

 確かだと思える希望を。

 また失えと言うのか。














 多くの仲間たちが、

 同じ想いで、

 これから多くの夜を過ごしていく。










 災害は、決してなくならない。

 必ず試される明日が来る。






 

 人として、

 生き続けることの難しさ。








 恐怖に満ちた夜は、

 否応なく、

 恐れ続けるものたちの心を、

 試し続けるだろう。




 




 「 やれんのか? 」
















 「 俺はまた、旗の下に集えるだろうか? 」

















 「 あの、旗の下に。 」















 














 





 ただ今は、

 あの旗の下で感じた風が、

 無性に懐かしい。











 






 さらば、闘いの記憶。














 いつか、また。












 旗の下で。



 
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by 201V1 | 2005-09-13 00:22 | カテゴライズ前・生ログ
最後の北伐

 ちょいと一泊中越へ。

 あとかたずけに。
 
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by 201V1 | 2005-09-08 15:25 | カテゴライズ前・生ログ
視覚的じんぐり
a0013690_0363655.jpg



爆発三秒前。






























導火線つき。
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by 201V1 | 2005-09-08 00:38 | カテゴライズ前・生ログ
視覚的和魂要塞

 今なら、赤カブトだって素手で屠れる。

 一撃だァ!

 被災地で換装された筋骨の、マリアナ海溝を凌駕するキレを身晒せ。

 力の加減がわからんくなり、職場で物を壊しまくりだ!( 大損害をこうむるクライアント

 ざまあみろ。( ←相変わらず





a0013690_03027.jpg



期間限定衝撃映像( 未加工




 
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by 201V1 | 2005-09-08 00:19 | カテゴライズ前・生ログ
お電話の相手

 最近、よく、お電話がかかってくる。

 俺ぁ基本的に、

 電話に出ないが、(どっかーん

 この稀有な24歳からの、

 電話は、

 必ずでる。








 本日は2時間もお話をした。

 内容はかなり濃い。

 そして面白い。

 彼の質問が、

 ケッタイなんである。





 「 鰐口さんは、何を目指しているんでっか? 」



 
 ほう。

 ケッタイだが、

 それ以上に、

 面妖な。







 質問にではない。

 手前の口から即答された文句にである。






 「 俺ぁ、関与されなくなるために、今を生きている 」





 そうなんである。

 軽輩が求めるものは、自在なのだ。

 だから今、

 俺ぁ頑張っているらしい。





 社会という、

 気の触れた猿の芋洗いの、

 只中に在ってなお、

 自らの人生を自ら掌握せしめんが為、

 俺ぁ、

 気の触れた猿の芋洗いの、

 只中に、

 身を投じようとしておるんである。




 不細工な自由人となることを徹底拒否しつつ、

 その上で、

 自在たらんとすれば、

 地獄の業火を

 「 ぬるい 」

 と断じうる、

 豪壮なる精神の充実を図らねばならぬからだ。



 人間は、

 成長の方法論として、

 有史以来、

 百練自得以外の術を、

 知らぬ。



 実体験の伴わぬ如何なる論理にも、

 実現力は絶無である。



 俺ぁそのことを知っている。



 










 



 捨てるために目指すのだよ。


 要らなくなるために必要なのだよ。


 関与されなくなるために、関与せねばならぬのだよ。









 そういう話が通じる年下の若者を、俺は彼以外に知らない。




 通じるとは、

 相通じるということである。




 宙に浮かない言葉。



 そういう言葉を吐ける24歳がいるとは、夢想だにしなかった。



 かつて、

 24歳の俺は、

 こんな意識を、

 もてたであろうか。



 否である。




 











 破格の24歳、ようも現れた。







 





 
 4年後の自分と、

 8年後の彼を思い、

 少し笑う。







 面白そうな、

 32歳となった、

 二人の男の子の比較の絵である。





 

 こいつと一緒に喧嘩をしてみたいと思った。





 敵でも味方でも、

 きっと俺の限界が試される。




 敵も味方も、手強いほどに、面白い。




 敵を薙ぎ倒す光景も、

 矢玉を喰らう瞬間も、

 視界の中に、

 こういう奴が必ずいれば、

 命はもっと輝くからだ。




 



 いよいよ面白くなってきたじゃないか。

 


 やはり男は戦である。






 


 魂の質量をぶつけ合うほど、

 命を実感できる、

 冥利なんぞ、

 世界にはねえ。




 比べられる相手が現れた時ほどに、

 魂が震える瞬間はない。





 



 今夜の電話のお相手は、そういう年下の男の子である。






 




 こういう奴となら、

 敵でも味方でも、

 なんだっていい。






 喧嘩をしてえと心から思う。



 

 
 こういう奴になら、関与されてもかまわねえ。
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by 201V1 | 2005-09-07 02:26 | カテゴライズ前・生ログ
 じんぐり 近況

 中越で被災(俺自身が)していた8ヶ月の間、

 当方の愛鼠である、

 リチャードソンジリスのジングリは、

 和魂の婆の処に預けていた訳だが、

 先日中越から帰還し、

 返してもらったまではいいんだが、

 これが尋常ならざる肥満具合を呈しており、

 ところどころ毛が禿げたその容貌は、

 怪異極まり、

 まるで化け物まるだしの様相で、

 俺は、

 心底たまげた。

 毛饅頭の化け物が、そこに居た。

 




 リチャードソンジリス(オス)の平均的質量は、

 400グラムである。

 しかしながら、

 ジングリの質量は、

 この時、

 1000グラムを越えており、
 
 単位がキロに変じており、

 まるで達磨である。




 性格も豹変しており、

 凶暴温和うんぬん以前に、

 終日、

 意識不明の爆睡。

 寝ても覚めても寝っぱなし。

 夏なのに冬眠。

 



 この豚のように肥満した愛鼠に対して、

 急遽敢行されたのは、

 隙あらばバターとかチーズとかを配給する、

 婆という凶悪な兵站部隊と、

 なんでもかんでも与えられるだけ食べるという、

 加減を知らない馬鹿鼠との補給線を、

 「 別居 」という物理的手段によって断絶させ、

 質量を減少せしめようとする計画である。





 この計画によって、

 婆と隔離され、

 和魂の直轄下において補給の制限を受けたジングリは、

 およそ70日の比較的貧しい配給が幸いし、

 ようやく770グラムまで体重の減少に成功。

 歩行困難な状態まで低下していた機動性が、

 ようやく、

 「 散歩 」という日常生活が可能な状態まで回復。

 



 補給線の凍結という、

 人間・鼠双方にとって、

 精神的苦痛の大きいこの計画は、

 結果的に双方の信頼関係が深まるという副次的効果も生み、

 最近のジングリは比較的スマートになった上、

 「 呼ぶと来る 」などという画期的な作戦行動も展開できるまでに成長していた。





 当然、油断が生じる。




 先日、

 職場に転がっていたカブトムシが、

 今回の犠牲者である。



 ウチに持って帰っていた和魂は、

 生来の杜撰さから、

 この甲虫をトートバックで飼育していた。






 必然、逃げる。( 上が開いているからな )






 まぁ、

 それは、いい。





 カブトムシとて、生き物である。

 たとえ背骨はなくても、

 自由を標榜する心根は理解できないでもない。

 実害もなかろう。

 ちっちゃいから。




 というわけで、

 毎夜ごそごそお出かけするカブトムシを、

 小生はそのまま放置していた。



 で、喰われた。

 ジングリに。


 
 しかも半分だけである。(どかん



 哀れ。

 半身不随ならぬ半身なしとなったカブチョン。(カブチョンは個体名)



 硬いほうの羽のカタッポをもぎ取られ、

 飛ぶ用の薄い羽も引きちぎられ、

 背中のあたりを広範囲に渡って摘み食いされ、

 文字通りのぼろぼろ。

 それでも生きようと、

 半死半生の呈で、

 必死に足を動かし、

 ジングリの住まう金網のゲージから逃れんと足掻く。

 自分で入ったくせに。( ←自己責任論




 片や、

 傷害致死の有力な容疑者であるジングリはと言えば、

 傲然と達磨座りでニンジンを齧っている。



 どうやら、

 ケージに迷い込んだカブチョンを、

 やおら乱暴に味見してみたところ、

 かなりの時を経て

 齧っている物体が、

 さして美味しくもなく、

 第一に、

 あまり自分が空腹でもないことを思い出したらしく、

 全力で対象を半殺しにした途中で、

 無体にも放置プレイに移行したと、

 俺は見た。(←冷静かつ冷淡



 非道である。( お前が言うな

 この鼠は、

 あろうことか、

 同衾者を食した。

 家族を食べた。

 共食いである。( うるさい



 

 やおら帰宅した我が家において、

 かように凄惨な食物連鎖が起こっていようとは、

 夢想だにしていなかった小生、

 さっそくカブチョンを摘み取り、

 全体この生き物、

 なぜゆえに体の半分を失いながら、

 未だ生命活動を停止していないのか興味を満たそうと、

 拝見。






 ぐろい。

 えぐい。

 逆眼福である。( そんな日本語はねえ






 二目と見れたものではない。

 なんだこれは。

 内臓がないぞう。( 不謹慎爆発




 とゆー次第で、

 今や可愛らしい甲虫から一転、

 えぐいゾンビ虫と化したカブチョンは、

 これ以上苦しませるのも無体といえば無体なので、

 リードペーパータオルに包み、

 冥土へとリードすべく、

 手ごろな革靴で殴打。

 カブチョン・ぺちゃんこ。

 玄関前の名前の分からない植木の横に葬り、

 殺害の下手人たる小さな猛獣の現状を確認する。























 寝てる。





 

 仰向けで鼻呼吸。






 ジングリは、とても気持ちよさげである。






 








 弱肉強食の世界を、

 飼い主に再認識させてくれるペットは、

 そうそう居まい。






 大事にせねば。





 しかしながら、

 実家で飼っていた犬といい、

 この鼠といい、

 何故小生が飼育する生き物は、

 猫を食ったり、
 
 カブトムシを食ったり、

 無茶を好んで行うのだろうか?




 なぜかなあと、

 俺ぁ考えたが、

 よくよく考えると、

 小生自身が、

 蛇を捕って喰ったり、

 蜂の子を捕って喰ったり、

 いろいろ余計なものに蛋白源を求めている。








 ふむ。












 確かに、グルメに罪はない。






 あるのは原罪であり、

 悪いのはキリストであるという帰結を得、

 やっぱり宗教が全部悪いのが分かり、

 ようやく責任の所在があやふやになった。




 これで筆が置ける。




 宗教は便利である。



 やはり必要悪であるといえよう。




 カブチョンに合唱。




 ジングリは元気です。
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by 201V1 | 2005-09-07 01:02 | カテゴライズ前・生ログ