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はないちもんめ

 手前の原体験てやつを、

 探っていくと、

 たまに奇天烈なものに、

 ぶっつかる。



 人間てやつは、

 相当に長じても、

 行動様式や行動原理の背景に、

 餓鬼の時分の記憶ってのが寝そべっていやがるもんだ。



 小生にとっては、

 「 はないちもんめ 」がそれだ。

 あの、

 「 欲しい人材 」がどんどん引っこ抜かれ、

 最後に、

 「 皆に必要とされていない奴 」が、

 取り残されるっつー、

 凶悪な遊びである。



 












 「 ○○ちゃんが欲っしい♪ 」











 黄色っぽい金属と、

 白っぽい金属の、

 どっちが金で、

 どっちが銀なのか、

 イマイチ区別が怪しい程に、

 幼かったあのころ、

 小生が、

 一番嫌いだった瞬間が、

 あの恐ろしい台詞を、

 敵チームが声を揃えて叫ぶ、

 あの時だった。





 まぁ、

 昔の記憶が確かなら、

 俺ぁ、

 予想にもれることなく、

 最後まで、

 残ってたわけよ。

 ぽつんとな。




 有難い原体験だと思う。



 
 餓鬼ってなあ、

 ほとんど本能が剥き出しで生きているようなもんだから、

 その生態には、

 大人が建前で隠している社会の本音が、

 そのままブチまけられている。

 容赦がなくていい。

 どっかの腐った教育者がお膳立てした、

 手をつないでゴールなんて嘘は、

 子供の世界にはなく、

 あるのは本能剥き出しの、

 血も涙もない、

 適者適存と要不要説だ。









 「 はないちもんめ 」












 あの記憶がなかったら、

 大事なことを知らぬまま、

 手前を磨くだけの動機を待たぬまま、 

 無駄に年月を重ねてただろう。




 人生ってなあ、

 「 はないちもんめ 」だ。



 

 






 



 

 





 


 泣こうが喚こうが、

 引く手数多の人気者と、

 誰も見向きもしねえ三品の、

 二つの極を持つ棒の上に、

 人は立って生きなきゃならねえ。

 花一匁ってなあ、

 それを示唆する最初に触れるもんなのだ。







 頑張れってな。



 
























 人間万事花一匁。






 花たちへ。


 
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by 201V1 | 2005-10-25 14:00 | カテゴライズ前・生ログ
才能と才覚と

 世の中に、

 天才ってのは、

 確かにいる。



 毛色はふたつ。



 偶然か、

 必然か、

 兎にも角にも、

 滅法、

 手前の血に向いた、

 具合のすこぶるいい世界で、

 戦うことになり、

 20馬身のアドバンテージで、

 ゴールまで突っ走るもの。

 人様ってなあ、
 
 そういう、

 宝くじを握り締めた人間を指して、

 天才という。





 もう一種類は、

 方々で、

 無駄骨を折りながら、

 血を流し、

 手前の血と骨肉の造りを身体で知り、

 手前の体が活きる蹄鉄を履き、

 命を懸けた末足で、

 横に誰も並ばせないもの。

 そういう、

 血まみれのプラチナチケットを手にしている奴のことも、

 人様は、

 天才という。




 天才ってなあ、

 実力に対してしか、

 使われない。





 その意味では、

 確かに天才ってなぁ、

 一種類だが、

 毛色はちゃぁんと、

 二つある。

 

 
 才能がグンバツな野郎と、

 才覚を伸ばしてきた野郎だ。




 餓鬼の時分は、

 才能のある奴にゃあ、

 滅多なことでは敵わない。

 決定的な資質における差が、

 あらゆる分野で幅を利かせるからである。

 才覚が入り込む余地は、

 そこにはない。

 その意味で、

 若い頃の努力は、

 若い頃には、

 実り難くて然るべきものと言える。

 

 



 これを覆すものが、

 年月って奴である。

 猛火の中の栗みてえな酷暑の夏と、

 氷柱が脳天に突き刺さるかのような極寒の冬を、

 いくつも越えることで磨かれ続けてきた才覚が、

 才能を、

 いつしか、

 凌駕する。




 努力を知る人間は、

 若年の頃、

 眩いばかりの才能を前にして、

 絶望的な隔たりを実感し、

 心をくじく。

 それでいいのだ。



 そこからが、

 才覚を武器に挑む人間の闘いなんである。



 
 

   


 才覚は、

 才能を凌駕する。







 才に目覚める才覚ってなあ、

 平たく言えば、

 世の中の仕組みを解き明かし、

 鍵となるもんを、

 いっこずつ、

 手前のもんにしていくって仕事である。

 

 


 歳を得るごとに、

 才能はどんどん錆びつき、

 才覚が頭角を現し始める。

 


 努の一文字が、

 人生の表舞台に躍り出る。

 


 序盤だけさ、才能なんてな。

 中盤からは、そんなもんは黒子にすぎん。






 


















 だから人生ってなあ、面白い。

 





 正しく努力した人間に、

 勝利の女神は微笑む。

 たとえ死神が隣で鎌を振り上げていても、

 勝利の女神は微笑んでくれる。






 よくぞ、生きたと。




 
















































 





 
 

 よくぞ、生き切ったと。






 







 才能と、才覚のお話。















 天才にゃ、どっこい毛色が二つある。
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by 201V1 | 2005-10-24 07:11 | カテゴライズ前・生ログ
ねっとわあく

 仕事の元同僚から、

 ちょっと会って話がしたいとの、

 申し出があり、

 よろよろ、

 街へ出た。




 会ってみれば、

 なんてことぁ、

 ない。




 いわゆる、

 ネズミ溝であり、

 今風にいうと、

 ネットワークビジネスという奴であり、

 そのお誘いであった。



 会員拡大の為の、

 新規会員開拓要員として、

 仲間に入っちゃくれないかっつー、

 お誘いだ。

 あーはん。






 気は、確かですか。

 



 俺ぁ、

 和魂要塞ですよ?





 かつて、

 地元の村に、

 ハチヨウからの大攻勢があった際、

 資料を偽造をして、

 信徒と化した村人を奪回させ、

 300万円くらい取り返した過去をもつ、

 アンチネットワーカーですぜ、俺ぁ。




 馬鹿も休み休みに言え。





 というわけで、

 まぁ、

 この話を俺が呑む道理はねぇんだが、

 ここでその理由を明確にしておく。





 まずですな、

 労せずして金銭を得んとするその姿勢に、

 まずもって悪寒が立ち、

 虫唾が走るんだが、

 それはまぁいい。

 置いておく。

 魂の色についての相違に関しては、

 こちとら日常茶飯事だ。

 もう慣れた。




 問題はだな、

 この手のビジネスが、

 ぶっちゃけると、

 商品はどうでもよくて、

 兎に角、

 手前の下に、

 子ネズミ孫ネズミを増やすと、

 ディベートが貰えるとゆー、

 いわゆる「 権利 」を目玉に、

 ネズミが増えていくところにある。





 おかしかねえか商売として?




 ぶっちゃければ、

 媒体になる「 商品 」なんて、

 この機構を開発した奴等にとっちゃ、

 どうでもいいのである。




 うまそうな儲け話をでっちあげるのが、

 彼らの仕事であり、

 純粋にその商品で商いをする気概ならば、

 ネットワークビズなんていう、

 奇怪な形態をとる必要はもともと絶無です。




 つまるところ、

 連中が企画した試みってなあ、

 欲に目のくらんだ連中を巻き込んで、

 ネットワークをつくり、

 一儲けしようって作戦であり、

 ハナから商品なんかどうでもいい作戦なんであり、

 それはつまるところ、

 商いではねえ。





 ほかのなんかだ。




 
 そういうのはな、

 欲に目のくらんだ連中同士でやってくれ。



 俺ぁ人生を、

 銭ずくとは思っちゃいない。



 金ってなあ、

 目の端において、

 命がけで働いて、

 あとから追っついてきて、

 初めて価値があるもんだ。



 違うかね。



 

 そう思っちゃいない人間と、

 俺が、

 この俺が、

 共同戦線を張るのかね。

 


 死んだって嫌だぜ。













 アディオス、ネットワークビズ。

 そんなにその商品とやらが、

 「 いいもの 」ならば、

 道端で売れ。




 馬鹿野郎ども。
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by 201V1 | 2005-10-19 17:34 | カテゴライズ前・生ログ
お電話来る

 さて、

 何か巨大な勘違いがあったらしく、

 講演依頼の電話が来た。




 出身都道府県の某高校からである。




 どうやら、

 中越時代に、

 毎日の記者がでっち上げた、

 小生のプロフィールを読んでいいる模様であり、

 「 生き方 」の講演をしろとか言っていた。




 高校の、

 年に一度の、

 なんかの行事で。



 正気かいな。

 おっさん。




 というわけで、

 まぁ、

 俺が高校時代、

 どんなで、

 どのよーな非道な処置を、

 教師陣に喰らわし、

 鬼子扱いされていたかを伝え、

 講演には、

 行ってもいいが、

 呼ぶ貴方には、

 相当の覚悟が必要な事を、

 告げた。





 あと、

 毎日の記事なんか、

 ほぼ全部記者の妄想で、

 全体的に出鱈目なことも伝え、

 とりあえず、

 俺を呼ぶとか言う前に、

 1993年から1996年前後に、

 伊豆あたりにいた教師の誰かを使い、

 講演を依頼しようとしている相手の正体を、

 まず確認するように、

 念を押した。






 メディアの怪情報で、

 小生とからみ、

 破滅する必要は、

 この善良そうな先生には、

 たぶん、

 ない。





 まぁ、

 なんというか、

 あの頃のことを述べると、

 必然、

 集団リンチとか、

 教師による生徒の過失致死とか、

 それらの学校側による執拗な隠ぺい工作とか、

 校長への弾劾とか、

 いろいろ出てくるわけで、

 一般の方は、

 どんびきする。





 魔界の話ですから。





 俺ぁそういう世界の育ちです。

 そういう風に、

 伝えました。

 


 先生は、

 調べてみますと、

 仰った。




 教員の世界は狭い。

 同じ都道府県ともなれば、

 尚更である。




 彼は調べるだろう。

 そして、

 きっと、

 だいたいのことを掴む。
























 一週間後に、

 それでも呼ぶのかどうか、

 決めてくれと丁寧に伝えた。












 答えは一週間後である。








 それでも先生が、

 来いというなら、

 行こうと思う。






 まぁ、

 多分、

 餓鬼ともは、

 結構いそがしいので、

 小生の話なんぞ、

 糞喰らえで当然だが、

 まぁ、

 行く理由はある。







 腹を決めた男が、

 来いというのだ。





 行くしかあるまい。

 ワトソン君。



































 

 



 




 




 











 

 




 話そう。







 俺達が、

 たとえ人生を選べずとも、

 生き方だけは、

 選べることを。 







 大切なものを守る力を、

 備える、

 努力が、

 俺達には、

 要る事を。







 世界は糞だが、

 介入が、

 可能な事を。





 命が振り絞るためにあることを。
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by 201V1 | 2005-10-17 03:30 | カテゴライズ前・生ログ
インド

 昔、印度にいたことがある。

 半年くらい、あの辺りをふらふらしていた。


 まだ20歳になる前のことであるから、

 あれから10年近い歳月が経過した勘定になる。


 まさに光陰矢の如しとは、このことだろう。








 不思議な土地であった。

 それまで暗黒大陸を彷徨ってきた自分にとっては、

 印度という極彩色の神々が巷に氾濫する光景は、

 天国のように映ったのを覚えている。

 そして何より、

 人々の気風と、

 それを育てた風土が、

 涼しかった。



 
 まぁ、

 人間てのは、

 不思議な生き物である。

 遥か昔、

 東アフリカで発祥し、

 ヨーロッパを経由してアジアに到達すると、

 わずかな期間で、

 その分布図を南アメリカまで拡大した。

 で、

 そういうことを全部忘れ、

 やれ肌の色が違うだの、

 信じる神が違うだので、

 気が遠くなるような間、

 互いに殺し合い、

 今日に至っている。





 巨視的にみると、

 人類てな、

 まるで道化だ。

 痴呆でボケた、

 猿の親玉みてえなザマである。





 世界を旅して思ったこと。

 それは、

 記憶が次第に忘れられていく事実に対する、

 恐怖だった。




 


 改竄された歴史が、

 真実を闇に葬り、

 かすかに残された希望の光を握り潰す。





 
 


















 





 あれから、

 たまに、

 思い出そうとすることを、

 している。







 何をって、

 何かをだ。







 それだけで、

 かなり人生が違ってくる事を、

 最近、

 ようやく知った気がする。





 思い出そうとしてきたのは、

 無駄ではなかったようである。




 まだ、思い出せてはいないけれども。





 さてさて、

 なんと人生の、

 面妖なることよ。




 

 世界は、痛快だ。
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by 201V1 | 2005-10-14 15:14 | カテゴライズ前・生ログ
基礎

 まぁ、

 なんつうか、

 未熟な小娘たちを率いて、

 キャンペーンなんていう、

 意味のわからねえ、

 腐れ仕事を、

 やっていると、

 往々にして、

 理解を超える局面に当たる。




 スタッフの、
 
 イージーミスが元で、

 客からのクレームが入ることは、

 それほど珍しいことではない。

 どの派遣元も、

 いい加減な研修でスタッフを現場に突っ込んできやがるので、

 起きて当たり前の展開である。

 

 まぁ、

 小生の仕事ってのは、

 そういう複数の派遣元から、

 まともな研修を受けずに現場に突っ込まれてくる、

 小娘の群れを、

 ぶっつけ本番で実戦に投入し、

 一定の成果を上げつつ、

 強引に一日を終わらせるという、

 埒のない、

 あまり心臓によくない稼業なんだが、

 たまに本当に心の臓が止まりそうになる事がある。





 スタッフのイージーミスがもとで、

 お客様が恥をかく羽目になり、

 結果、

 激怒され、

 クレームを直接持ち込んでくれた。

 まぁ、

 大変っちゃあ、

 大変だが、

 ちゃんと謝れば、

 問題の解決はチョロイ。




 しかしながら、

 ミスをかました小娘本人が、

 謝り方を知らなかったため、

 お客様はさらにヒートアップし、

 まぁ、

 マジキレ一歩手前までいってしまった。



 最終的には、

 小生の「 ミラクル御免なさいモード 」の炸裂により、

 事なきを得たんだが、

 正直、

 小娘の常識の欠如の程度の非道さには、

 眩暈を覚えた。













 こいつらは、謝り方を、しらねえ。









 恐るべきことだと、思う。

 頭の下げ方を知らない人間が、

 会釈と謝罪のための辞儀の区別がつかない手合いが、

 下げた頭は上げないという鉄則を知らぬ阿呆が、

 ついにこの国には、

 現れはじめている。





 かつてこの国には、

 謝罪を、

 腹を切ることで顕すほど、

 苛烈な礼儀の文化があった。




 正直、

 同じ国かと思う。




 20歳を過ぎた人間が、

 謝り方すら知らない文化圏。




 

 









 激怒する客を前にし、

 頭を垂れながら思ったのは、

 不快な思いをさせてしまったお客様への謝罪の念と、

 この国をどんどん駄目にしていく、

 なにものかへの怒りだった。





 俺の生まれた国は、

 俺の育った国は、

 どこまで堕ちていくのか。




 





 誰の所為とはいわない。






 










 




 全部は、

 きっと、

 俺達の所為である。







 二次大戦から60年、

 わが民族は、

 多くのものを失った。






 










 取り戻す闘いの狼煙は、

 未だ上がらず、

 小生は、

 己を恥じている。







 




 恥じている。
 
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by 201V1 | 2005-10-10 15:05 | カテゴライズ前・生ログ
人が理論武装をする理由

 
 小生は、

 15歳くらいで、

 突如として、

 理論武装に目覚めた。



 理由は単純であり、

 買った喧嘩に、

 刺し違えても勝ちたかったからである。

 



 「 負けるわけにはいかねえ 」

 それが初めの理由なのだ。




 理屈をひねるのに、

 初めにあったのは、

 煮えるような熱い手前の感情だったというのが、

 小生にとっては救いになった。




 お陰様で、

 世にはびこる糞のような理屈に関しては、

 いまもって従順性が絶無のまま、

 反骨の出刃の切れ味を、

 磨き続ける事が出来ている。





 人は、

 往々にして、

 糞のような理屈によって、

 へこたれる。

 どっかの誰かが勝手に決めた、

 論理的に不可能って結論に、

 気概が折られて、

 人は負けるのだ。



 理論とは、

 論理力とは、

 既存の理屈をぶち壊すためのものであり、

 判例を覆すために、

 人が世界に挑む時、

 磨き始めるものだ。




 最高裁の判例に、

 挑む気概がないならば、

 理論なんぞ、

 手前でひねる必要は無い。

 世界の理屈に従って、

 奴隷みたいに生きりゃいい。

 


 






 俺ぁ、

 そんなのは御免だ。






 なにがどうあっても、

 裁くのは俺である。

 




 





 判例を木っ端微塵にするだけの、

 コトワリを、

 ひねり出す力が欲しかった。

 それが始まりである。
















 理論てなあ、

 点と点を、

 繋いで造った一本の鉄線をより合わせた、

 鉄の織物でこしらえた、

 攻性のある鎧である。

 この鎧を着て、

 人は、

 世界の理屈に挑むのだ。

 



 屈しないためにである。


















 小生は、

 人に、

 物を読み理論のつむぎ方を学ぶ事と、

 物を書いて理論を現に紡ぐ事を、

 よく薦める。



 鎧さえあれば、

 押し通ることの出来る突破口が、

 人生の局面に無数にあることを知っているからである。




 若い時分にしか、

 てめえの中の熱で、

 鉄線を鍛える事はできない。

 

 てめえの熱で、

 鍛えられた事の無い鉄線でできた鎧は、

 世間の風にまじる瘴気ですぐに駄目になる。




















 鍛えるのは今。

 


 最も激しい炎でしか、

 鍛えられない芯の部分が、

 鉄線にはある。

 若い時分にしか、

 火を通せない場所がある。









 アルデンテの鎧なんて、

 洒落にもならねえんだぜ。






 皿の上に盛り付けられてからでも、

 味付けを誤魔化す術はある。

 だがね、

 二度とは茹でられん。




 











 今を。


 ただ今を。










 屈せぬ大人になるために。

  
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by 201V1 | 2005-10-05 04:02 | カテゴライズ前・生ログ
チャーリーとチョコレート工場の秘密(あらすじ)
教えて!チョコレート工場の秘密!


 いやぁ、

 チャーリーっていう犬がいてね、

 まぁ背中にチャックがあって、

 ここが年に何度か痒くなるわけよ。

 


 で、

 いい加減、

 チャーリーは思った。

 犬の浅知恵ってやつで、

 「 毛皮を脱げばいいだワホ。 」



 
 で、チョコレート工場に向かうのだよ。

 脈絡は無いけど、

 兎に角行く。

 匂いに惹かれて。

 犬だから。



 でもね、

 そのチョコレート工場は、

 ウィリー・ワンってゆう、

 華僑の大悪人が仕切っていて、

 虎とか飼ってるの。



 で、チャーリーは戦う。

 チョコの為に。

 虎と。



 でもね、

 相手は流石に虎なので、

 犬のチャーリーはピンチ。

 そのとき背中のジッパーが開いて、

 全ての犬の守護精霊「 ワンダフル・イヌラエル 」が現れ、

 チャーリーの背中を、

 無言で掻いてあげるの。



 無論、チャーリーはご機嫌。

 


 めでたしめでたし。




 物語は大団円を迎える。

 あと、

 ウィリー・ワンと虎は、隕石に当たって死んだ。





 

■□■□■【教えて!チョコ工場の秘密!】■□■□■
【ルール】
 『チョコレート工場の秘密』のあらすじを教えて下さい。
 読んでないのに読んだ風に適当に物語を作って、
 嘘のあらすじを教えるのだけはやめてください。
 純粋な人間なのでTBされたら絶対に信じてしまいます。
 それから、レビューコンテストには秘密でお願いします。
 締め切りは2005年10月10日まで。

 ※たくさんの人が教えてくれるように
  文末にこのテンプレをコピペお願いします。

 企画元 毎日が送りバント http://earll73.exblog.jp/
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
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by 201V1 | 2005-10-04 20:07 | カテゴライズ前・生ログ
軍鶏への便り

 ご存知の通り、

 当該ブログは、

 「 なしのつぶて 」がアタリキの、

 ブログらしからぬ、

 ブログである。




 小生は、

 滅多やたらに、

 返信をしない。




 さしたる理由も信条もなく、

 気がつけば、

 ここはそういうブログになっていた。




 しかしながら、

 小生は、

 どこかで、

 これがデフォルトの形態なのだと、

 考えている。












 自分が、

 物言わぬ書物と向かい合い、

 人生の指針を、

 必死で模索していた頃、

 自身が抱いた多くの疑問や迷いに、

 すべて書物は、

 ただ黙するのみであり、

 決して返事をしてはくれなかったが、

 突きつけられた文章と、

 反吐を撒き散らしながら戦う日々には、

 確かな意味が、

 あったからだ。




 文章それ自体には、

 答えは無い。





 他人の書いた文章に、

 答えを求めるのは、

 経典の中に、

 真理を見つけ出そうとする事と、

 本質的に同じである。




 読み手に要求されるのは、

 その文章によって、

 自らの中に生じた波紋が、

 実は文字というひとつの意思によって生まれたのではなく、

 自らの心という水自体に、

 石によって波紋が生まれる性質があったことに気づき、

 手前の心と向き合い、

 掴み、

 戦う事にある。




 でなければ、

 文字なんぞを読むことで、

 真に得られるものなど皆無だ。





 すべては付け焼刃で終わっちまう。

 まがい物の刃は、

 実戦では役に立たない事は勿論、

 根元からヘシ折れて、

 使い手の喉笛に切っ先を向ける。





 

 苛烈な精神によって紡がれた、

 数多くの書物が、

 世界には歴然と存在し、

 その発行部数が如何に天文学的な数字を誇ろうとも、

 人類の大多数が依然として腑抜けなのには、

 こういう道理がある。





 書物や、

 文章は、

 それ自体には、

 意味がない。




 それがどんな意味を持つかは、

 捉える側の心が決めることだ。





 答えは、

 結論は、

 読み手が、

 己の魂魄に賭けて、

 ひねりだすもんである。



 
 俺がいちいち答えていいような問いではないのだ。




 魂魄は、

 誰のものでもない。

 そいつのもんである。




 


























 にもかかわらず、

 俺ぁ、

 たまに、

 返事をする。

 





 それは、

 そいつの魂魄に、

 触れたいと、

 思うからだ。









 返信を、

 まともに書くのは、

 だからだ。





 絶縁状を叩きつけるのは、

 二度と再び、

 その魂魄に、

 触れたくないからである。













 


 だから小生は、

 軍鶏に返信をする。

 ただ、

 触りたいからだ。














 















































 さて、

 どこから話そうか。

 




 まずだな、

 筆を取った貴兄に、

 心からの敬意を表そう。

 鐙があったら外したいくらいだぜ。





 だがね、

 貴兄は、

 巨大な勘違いをしている。





 人間てな、

 手前の食い扶持を手前で稼いでいるとか、

 愛するものを守ろうとしているだとか、

 していないだとか、

 そんな瑣末な違いで、

 資格が奪われたり、

 与えられるもんじゃねえんだよ。




 資格なんて概念は、

 失ってから吐くもんだ。

 若い身空で何を寝言をほざいてやがる。

 資格ってのは、

 何かをやり遂げられなかった奴が、

 「 ない 」と、

 涙を流しながら、

 天を仰いで叫ぶもんだ。

 



 俺達に、

 問われるのは、

 断じて資格なんかじゃねえ。

 気概があるかどうかなんだ。






 貴兄には、

 今、

 その気概があるだろうが。




 若輩のぬかす「 資格がない 」なんてのは、

 俺に言わせりゃ、

 乳歯の生え変わらねえ赤ん坊の言い草だ。

 失った事の無い人間が、

 「 資格 」なんぞを持ち出して、

 手前を縛ってなんとするんだ馬鹿ったれ。






 そんなハートで、

 これから先を、

 戦い抜けると思ってんのか。




 なめるんじゃあ、

 ねえぜ。




 俺が歩いてきた道は、

 そんな思いで分け入れるほど、

 簡単に入り口が開けるほど、

 甘いつくりにゃ出来てなかった。




 あの時も、

 どの時も、

 必要なのは、

 資格でも理屈でもなく、

 全部を背負う覚悟と気概だったぜ。





 貴兄にゃ、

 それがあるんだろう。





 見てみぬ振りをしちまえば、

 どうでもいいやと納得しちまえば、

 それで済む出来事を、

 果てのねえ悪夢に変えてでも、

 貫きたい道が、

 想いが、

 あるんだろうがよ。 




 

 




 今はただ、

 突っ走っていい頃だ。

 そうじゃなきゃ駄目かも知れねえ。

 モノホンの迷惑が、

 どれほど贖いきれないものかを知るまでは、

 人は、

 突っ走らなきゃ始まらねえ。

 皮の剥けようがねえからだ。

 




 だがね、

 まぁ、

 なんつうか、

 このブログを読んでいる奴の大半は、

 俺がどれだけ書いても、

 和魂要塞って人間が、

 「 己の一念を貫くためにはもとより生死は問うところではない 」

 ってのを地でやりやがり、

 その煽りがどんな理不尽な形で周囲の友人達に及んだか、

 知り様もないだろうが、

 実際爆発の余波を喰らいまくってたジルなんかは、

 俺の言わんとしていることも、

 俺が負う訳にはいかないリスクも、

 知悉している。




 その意味で、

 俺の言う「 迷惑 」ってのが、

 どんな意味か、

 貴兄はおそらくわかっちゃいねえ。



 出していい、

 友の犠牲なんか、

 この世にあるわけが、

 ねえだろうが。





 でなければ、

 ここまで気概ひとつで生きてきた俺が、

 今更、

 リスクなんぞを考慮する道理があるわけはねえだろう。




 
 自分にコントロール可能な事柄に注力し、

 自分にはコントロール不可能な事柄を切り捨てることでしか、

 「 己の一念を貫きながら周囲への被害をゼロで抑える 」

 なんて離れ業は、

 人間にゃあ、

 できやしねえんだ。




 
 貴兄は、

 まだ、

 身体で味わっていないんだろう。

 コントロール可能な事柄とそうでないものってのは、

 確かに流動的なもんに過ぎねえ側面がある。

 だがね、

 そんなもんは、

 あくまでも長期的に見た場合に限定した話だ。

 地道に勢力を拡大し、

 コントロール可能な版図を広げる努力は、

 机上でもできる。

 戦略なんては、

 銃火をしらねえ連中が暖炉の前でやる仕事であり、

 俺達にゃ、

 手前の都合で配属を選べる自由は無い。

 いつか必ず、

 砲弾の飛び交うところで剣を抜かなきゃならねえ。

 

 

 わかるか。

 危機ってなあ、

 突如として現れるんだよ。

 抜き差しなら無い状況が、

 人生には、

 何の前触れもなくやってくる。



 そういうときに、

 コントロール不可能な事柄に執着して、

 コントロール可能な事柄に注力する事を怠ればどうなるか。

 人の一人や二人は簡単にくたばる。

 首をくくらにゃならなくなる。

 俺が先に上げた記事は、

 そういう犠牲を未然に防ぐための、

 戦術クラスの肝の命じ方だ。




 待っちゃあくれないんだぜ。

 時間は。

 賽が振られたら、

 どんな馬鹿な敵も、

 こっちの版図が広がるまで待ってはくれん。






 実戦には、

 時間軸はない。








 あるのは、

 まっちゃぁくれない、

 今だけだ。



 

 世の中の、

 おっさん達は知っているぜ。

 命のやり取りの瞬間に必要なのが、

 勢力拡大の為の戦略ではなく、

 生存のための戦術であることを。










 白黒のどこで戦がおきるかなんざ、

 俺達には選べない。

 いずれにせよ、

 大切なものを守るために、

 命を尽くすんだ。

 大切なものを守る事が可能か不可能かなんて議論は、

 歴戦の猛者どもにしてみれば、

 もとより問うような問題じゃねえ。




 俺ぁ、

 自ら選んで黒いところで、

 戦争をおっぱじめたコタァ、

 ただの一度もねえぜ。

 ただ戦わねばならない場所が、

 たまたま他人から見て黒く見え、

 俺にとっちゃ問うところではなかっただけだ。







 成すべき事を成し、

 成されるべき事が成されない世の中に挑むのに、

 理由はいらねえ。

 今も昔も、

 俺ぁ火の玉になるだけだ。





















 
 




 人の心を打つのは、

 それが頑張ったからだとか、

 無駄な事だったからとかじゃあ、

 断じてねえ。






 そんなものは戦う理由にはならん。






 わかるか小僧。







 成されるべき事を成そうとする人の心に、

 人の心は打たれるんだ。





 

 そのための闘争を、

 時に人は、

 誇りをもって戦いと呼び、

 時に俺は、

 世界と喧嘩だと吼えるんである。












 そうでなければ、

 嘘だろ。

 







 












 戦え。

 成されるべき事が、

 成される世界に変えるために。








 それがお前の夢ならば。
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by 201V1 | 2005-10-04 02:28 | カテゴライズ前・生ログ
機会は巡らぬ

 まぁ、

 なんというか、

 法治国家なんていう概念が蔓延し、

 個体同士の殺し合いが困難にされちまう、

 生温い社会基盤が整備された後、

 人間にゃ、

 規格外の不覚悟者が増えた。




 

 





 で、

 ここにきて、

 電脳世界の幕開けである。









 そこで跳梁するのは、

 かつては、

 発言の機会すら与えられなかったであろう、

 矮小な手合いの、

 卑しい精神構造の、

 恥を知らぬ披露である。











 正直、吐き気がするんである。

 こういう、

 魂が穢れきった手合いには。

 






 小生が、

 電脳世界で出刃を抜くのは、

 そういう相手の居所が、

 現実の世界で確定した際、

 間違いなくズタボロになるまでボコボコに殴るケースに限る。

 まぁ、

 なんというか、

 小生がこんななので、

 まずもって、

 吐き気を催すような心根の持ち主は、

 その気骨の生来の腐敗具合から、

 絶対に手前の居所を吐かない。

 ようするに、

 本当の意味で殴る甲斐の無い、

 殺すか放っておくかしか処置の無い連中なんである。





 でだ、

 問題は、

 果たして、

 出刃に二度目があるかってことである。

 




 出刃にもいろいろあり、

 同じ初太刀でも、

 ハナっからぶち殺すのだけを目的に振るう出刃と、

 そうでないものがある。

 が、

 両方共に、

 二度目は無い。






 機会ってなあ、

 そう何度与えても、

 無駄なんである。





 小生は、

 そんなに甘くねえ。




 かつて土俵を途中で降りた前科のある人間に対する、

 人が寄せうるあらゆる種類の信頼は、

 最早絶無であり、

 そのような男の風上にも置けぬ手合いに、

 二度も三度も、

 大人が出刃を抜いてくれる程、

 そうそう世界は甘くはないんである。




 


 甘くないんだぜ。

 世の中は。







 今日びの餓鬼ってなあ、

 機会は無限にあると考え、

 それがただ一度のもので、

 選択を誤れば二度と機会は与えられぬ事を、

 知らないまま、

 馬鹿面をぶらさげ、

 腐臭を撒き散らす。







 よほど生温い教育と、

 環境の中で、

 自堕落に育ってこなければ、

 かように無様な人間には、

 決してならないだろう。






 こういう、

 ふんどしの締め方すら、

 一から教えても途中で投げ出す青瓢箪に、

 そう何度も振るう出刃は、

 小生の刀箪笥にはない。






 機会は、

 二度とは巡らぬ。






 













 



 

 



 

 

 

 
 
 

 

 

 遥か格下の、

 覚悟も定まっていない、

 一切の自己証明も完遂したことのない、

 塵芥のような小僧に、

 二度も抜く出刃は、

 土台ねえんである。








 セメントの土俵の上で喧嘩をおっぱじめるには、

 それが茶番で終わらないという、

 大前提がいる。

 劣勢だからと言って、

 途中で土俵からケツをまくった相手との、

 二度目の相撲はない。





 



 

















































 さらば、へなちょこ。

 









 俺の相手にゃ、不足も不足。











 

 





 

 生まれ変わって出直しな。










 機会は一度。







 二度も三度も巡ってくるほど、

 人生甘くはねえんだぜ。





 「 ま、いいんじゃね。どうでも 」の

 代償は、

 大人の男の世界じゃあ、

 これが相場だ。




 相場の不文律を、

 今ようやく知ったような餓鬼が、

 大人の土俵に上げてくれなんざ、

 笑い話にもならん。




 
 

 他の大人がどうだかは知らねえが、

 俺ぁ、

 貴兄を、

 蔑視する。



 くだらん若者だぜ。

 


 埒もねえ。 
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by 201V1 | 2005-10-03 00:57 | カテゴライズ前・生ログ