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デスマなう
こちらサポセン管理人とデスマなう。

3年間、ずっとこんな感じ。

いつ寝てるのか怪しい感じは
10年前から10年間、
まるで変わってねえ。

この程度のハゲ加速度で
済んでいるのが不思議すぐる。
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by 201V1 | 2013-12-26 04:41 | カテゴライズ前・生ログ
浦島ショックの解決
~ 久しぶりのスキン編集 ~

で、困った。

素材画像のアップロード(投稿ではない)が、
無料版ユーザーだとできなくなってる!!!!!

まじですかー!!!
10年前はできたのに!!!!!


ヘッダデザインを編集してて気がついた。

というわけで、クラック。


ステップ1>
非公開記事の画像つき記事という方式で、
とりあえず画像をアップする。

ステップ2>
アップした記事内の画像URLをコピペ

ステップ3>
1の記事を目障りなので削除

ステップ4>
スキンのCSS編集で2のURLを使う。


黎明期から復帰組にとっては、
「あれ?素材アップロードできなくね?」な現状を
上記方式で
各個打開していただければ幸いです!!!!!!!!!!
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by 201V1 | 2013-12-25 23:16 | カテゴライズ前・生ログ
触媒としての何か
触媒としての作用の宿る文章に
出会った事があるかないかは、
他の様々な巡り合わせ以上の
目覚めを与えてくれる。

私には、ある。

そんな経験が。

訪れた幸運によって開いた目で
かつての自分が埋め立てて
慌てて隠し込んだ
真っ暗い井戸の蓋をこじ開けて
中身をちゃんと確かめようとするかどうかは
それぞれの選択だけど
どちらを選ぶかのこのそれぞれは
当人の意思や心じゃなくて
ただ時による
人の理の外で起きる出来事だと思う。

つまりはそれは、
触媒としての作用が一度働いた時、
蓋を開ける開けないは
本人の意思とは関係なくやってくるという事だ。

蓋を開ける機会が
永遠に訪れない人もいるし
望まないのに開けざるを得ない局面に
度々出会う人もいるだろう。

幾度か蓋を開けて
中身を確かめる体験を経て思うのは
穴の中から引っ張り出した後の始末は
実のところはさして重要ではなくて
片付けようとする意思にこそ
別の価値あるものを掴んで帰ってくる
機会が隠されているという事実に
実は大きな意味があるという大事だったりする。

蓋を開けて穴の中身に手を伸ばし
その結果得られる「穴の底」を見たという経験によって
「その底には何もなかった」とことを
知って送る10年と
知らずに送る10年とでは
見える世界の
過去と今と未来の解像感は
確かに変わる。


「なにもない底」が
それにタッチして帰ってきた者に
なんの祝いか授けてくれるものは
きっと人に応じて千差万別なんだろうけど
私が貰ったお土産は
人の手の届く世界と
人の手で包める世界は
目で見えるよりずっと狭く
ずっと深いという
この先を生きる道標だった。

道標は静かに告げる。

手から零れ落ちるものを
選択し続けるのが人生で
手の中に掴むことを選ばなかったものが
失われることを嘆くのは
今その手の中にあるものを
握り潰したいならやればいい。

全能とはかけ離れた不完全性を本質として
この世に生を受ける僕たちには
全てを手の中に包み
生きていくことは出来ないわけで
仮にそれを行えると信じるとき
人は足元では誰を踏みにじりながら
歩くことになる。

道標は、
それぞれの囚われから
その人を放つ為に在り
それが故にその標識は
見るもの望むものによって姿を変える。

道標すら符合しないまま、
僕たちは同じ道を行く。

なればこそ、足掻くだけの価値はある。


触媒を通じて、10年間そう信じて続けることができた。


触媒としての何かの正体は、
10年を経た今もはっきりしない。

ただ1つ確かなことは
人は10年を経て尚不確かなものでさえ
確かに信じることができるということで
それは時に文章との出会いによって始まる。

人が筆をとる価値は、
文章そのものではなく
それが果たす触媒としての作用が
その人にもたらす
道標を介した継続的効果にこそあるのだ。




筆跡は、残る。

それを読んだ人の心より、その読んだ人の歩みにこそ。

それを書いた人の歩みより、その書いた人の心にこそ。
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by 201V1 | 2013-12-24 02:23
10周年・前夜祭

エキサイトブログβ版、
つまりは遡ること10年前、
日本のブログ文化黎明期に
この電子文壇にデビューした
古参ブロガーとして
エキブロへの恩返し宜しく
暫くの間
ブログを再開してみようと思う。

エキサイトブログとの出会いは
比喩でも誇張でもなく
小生のその後の人生を
決定付けた出来事だったと言える。

仕事のパートナーも
生涯の伴侶も
忘れえぬ友人も
このエキブロを通じて得たからだ。

アクティブなブロガーであった期間は
実質的には半年くらいしかない。

にもかかわらず、
それによって得たものは
それ以前と以後の全部を合わせても
釣り合いがとれるかどうかという
形容しがたい「何か」の凝縮だった。

当時の「ブログ」は、
文字通り「これから」始まる文字媒体で
無限の可能性を秘めていて
それまで自分との折り合いをなんとかつけながら
声にならない悲鳴をあげていた
我々にとっては
正に「憑代」みたいに遣われた。

恐らくはこの先、
当時のように
気力を尽くして一文字を書くことや
赤心を投じて文章を紡ぐ事や
泣きながら筆をとる事は
たとえ望んでも
叶えられないと思う。

自分を知りたいなら
まず自分を
知られなければならないなんて事は
それまでの道程のどこでも知る機会がない災難だったし
書き続けて思い知るその時までは、
それはいつも
予測できない不意打ち同然の気づきだった。

自分を知る以前の世界と
自分を知る以後の世界の間で
苦悩の内に振るわれる筆の切っ先には
書き手と読み手の文才の有無すらを問わず
その人の人生とそれ以外の人の人生に
関与を許すだけの力が宿る。

その意味で、
あの半年間は、
人生で2度と訪れることのない
奇跡の時間だった。

狭間で何故を叫んだあの頃から
10年を経た今
魔法の解けた手で握る筆には
自らの人生を変える力は残っておらず
ここから先は
自前の筆力で文を紡ぐしかない。

つまりは果たして、状況は最悪。

けれどもきっと
これはこれで、
10年後に控える息子との決戦の
模擬戦としては
なかなか意味のある戦いだと思う。



和魂×要塞 第三部 集中連載

[ 馬力×本願 ~ 老いたる馬は道を忘れず  ~ ]


今度は、神がかりなしでキーボードに向かう。
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by 201V1 | 2013-12-23 09:55
やあやあ
この10年で変わったこと。

結婚して父になった。(息子7歳)
脱サラして独立した(年が明ければ起業5年目)

されど、性格も信条も変わらず。

世間の荒波は、
10代のころの方がシビアだったなあ。笑
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by 201V1 | 2013-12-19 06:14 | @ぷち妄言集