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スタンドプレー

 俺ぁ、元来は生粋のスタンドプレイヤーでした。


 意識が、きっかけでそうなったわけではなく、


 気づいた時には、


 地平線まで、


 独り。







 そういうのがとても多くて、


 そのうち、


 歩調やペースに関心を払うことの、


 効果に可能性を見出せなくなり、


 アクセルを踏み込むときに、


 前以外は決して振り向かなくなった。


 








 「 何人たりとも、どのみち併走できまいて 」









 まぁ、

 なんというか、

 突入していく角度と速度とタイミングが、

 いずれも非常識に「 急 」なので、

 論理的には「 当然 」の話なのだけれど、

 いつのまにか、

 俺ぁ、そういう風になってました。





 「 この世界に、この俺に、無関係な事なんぞなにもない 」

 「 けれど 」

 「 突入の時の頭数は、考慮しない 」

 「 要は、一騎の火力で勝負は決する 」





 でもね、

 実際には、

 なかなか、

 思い通りにはいかないもの。





 思い通りに生きるために、生まれたのにね。










 歩調を合わせることが出来ない種類の人間は、

 長い時間をかけて、

 出来ない自分を認めた上で、

 それぞれが、

 それぞれの解決策をひり出します。





 俺が選んだのは「 意思確認 」です。




 結構うまくいきます。



 
 でもね、人間の意思ってやつは、変わるのです。




 表明したその意思が、


 持って育てた土性骨に、

 
 合っていなければ、


 合っていないほどに。







 そのうちね、


 僕達は、


 人の意思表明よりも、


 その人自体を


 観るようになる。







 確実なものを求めて。




















 そうなるとね、





 意思確認を必要としない地平が開けてしまう。

















 でもね、

 それではうまくいかない場合があるの。









 相手によっては。










 でもそれは、きっと悪い失敗では、ないのだよ。









 思い通りに生きれるようになる過程には、

 意思確認を必要としない地平での、

 スタンドプレーという儀式が、

 必ず要る。










 自由の代償を知るために。












 思い通りに生きられなかった人々と、

 心を通わす為に。










 どんな失敗も、

 どんな挫折も、

 いつか開く、

 望んでいた明日の扉を開く為の、

 鍵なのです。







 
 大事なのは、

 鍵の形を、

 忘れないこと。







 そうすれば、

 きっと、

 いつか、

 どんな扉も開けられる時代の朝が、

 きっと明ける。







 夜明けの空を、

 いつか。











 


 スタンドプレーヤーであった頃の、自分と一緒に。






 万感の想いと共に。





 誇らしく。






 高らかに。






 祝える日は、きっと来ます。





 








 ~ すべてのスタンドプレーヤーに ~






 












 
by 201V1 | 2005-04-11 12:55 | カテゴライズ前・生ログ
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