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戦争と兵

 さて、

 まずは前回の記事の、

 意味不明なトラックバック、

 馬房生活のインデントについてだが、

 ジルの野郎が、

 「 インデントの宗派 」について語っておいたので、

 小生が帰依している宗教、

 猪木ないしバズリクソンについて、

 一筆書こうと筆を執ったんだが、

 フライトジャケットの歴史を書いているうちに、

 やおら目頭が熱くなり、

 バズリクソン派とか、

 途中からどうでもよくなってきて、

 兵士達に挽歌を捧げるに至った次第である。(滅茶苦茶





 
 で、28からの布告文が届き、

 小生は再び筆を取る。





 「戦争の美化」という言葉で、

 英霊達を讃える歌を世界から奪う、

 妄信的反戦論を、

 木っ端微塵に粉砕する為に。
























 戦争の美化と、

 兵士への挽歌を、

 明確に隔てる、

 名もなき戦士達の墓標を、

 徴兵から免れた世代による罵詈雑言から守るための、

 論理による万里の長城を、

 今日、

 言霊をもって、

 ここに築かんとす。










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 戦争は、

 民族や血族の、

 生存の為の、

 外交手段であり、

 有史以来継続して維持されてきた、

 人類の常態である。(異論がある方、人類史の再確認ドゾ





 したがって、

 まず第一に、

 平穏な状態が実現される為には、

 その背景に、

 何者かの努力がある。(自然休戦なんてのは妄想だ。





 平穏は、

 互いに様々なカードを切り合いという、

 外交上の協調の賜物であるかもしれないし、

 戦えば得るものよりも失うもののほうが大きいという、

 予想される対抗暴力が生む抑止力の産物かもしれない。





 いずれにせよ、

 自分達の帰属するコミニティに、

 利益をもたらさないものの全ては、

 結論的には、

 その生死は問うところではないのだから、

 平穏という状態を成しえるためには、

 自身の帰属するコミニティの存続(個人から果ては全人類)の為に、

 戦争状態への投入を阻止しようと言う、

 並々ならぬ努力が要る。

 


 それでも戦争は起こる。

 ずっとである。




 人類の常態である戦争においては、

 それに参加する人間の多くが、

 平時に自分を縛っている、

 社会性というタガを、

 外すことで、

 自身の帰属するコミニティの存続のために、

 脅威となる敵対者を殲滅・無力化し、

 異なるコミニティに帰属するものから富を初めとした様々なものを奪う。






 人類の常態である戦争状態においては、

 全人類史を通じ、

 如何なる文明にかかわらず、

 原則、

 我々は、

 容赦をしない。







 無抵抗の者の殺害。

 弱者からの略奪。

 尊厳の蹂躙。

 あらゆる行為が、

 自身のコミニティの存続と言う、

 大義の名の下に、

 原則、
 
 肯定される。







 人類の常態とは、

 そういう、

 地獄のような絵なのである。




 こんな世界は、

 誰も望んじゃあ、

 いない。




 だからこそ、

 人類史は今日まで発展を遂げてきた。



 
 地獄のような常態という、

 獣の業から開放されようと、

 あがき続けてきたのが、

 人類の歴史なのだ。








 古くは、

 公然と人権が無視され、

 奴隷売買が横行した時代があった。

 奴隷と聞けば、

 アフリカ黒人しか思いつかない人々も多いだろうが、

 日本でも、

 ユーラシア大陸でも、

 アメリカ大陸でも、

 どこの国にも奴隷制度ってなあ、あったのだ。

 



 身分上の差別が厳然と存在し、

 覆すことが不可能な、

 出自による貴賎が運命を決する時代があった。

 

 



 強者による、

 弱者からの搾取が、

 傲然と行われた時代があった。

 その時代、

 弱き民族は、

 言語や文化まで、

 根こそぎ奪い取られ、

 文字通り殲滅されたのだ。









 寝ぼけてもらっちゃあ、困るぜ馬鹿共。

 世界史勉強してんのか??

 ほんの少し前までは、

 平時もまた、

 この星丸ごとが、

 地獄だったんだ。






 戦争の結果としての、

 地獄みたいな世界が広がっていたんだ。







 まぁ、

 なんつうかよ、

 反吐の出る話だが、

 核家族化がここまで進んじまってな、

 親子の会話も殆ど世間じゃねえっつー時代だ。





 日露・日中戦争や、

 1次大戦や、

 2次大戦や、

 それぞれの戦中と、

 戦前・戦後の、
 
 いろんな国が、

 どんなだったかを、

 一族の歴史として知らねえ昨今じゃあ、

 今日の日本と、

 今日の世界が、

 どんな犠牲の上に立っているかを、

 気にもしねえでいられるのも、

 仕方ねえのかも知れねえ。

 




 世界が、

 何によって大きく変わり、

 変えたものが起きたのが、

 何故だったかを。






 戦争で世界は覆る。

 時により最悪に。

 時に少しだけマシな世界に。

 てんで見合わない犠牲を払って。

 


 


 最初ッから、

 今の世界があったかのような、

 うすら寝ぼけた感覚で、

 世界をひっくり返す為の戦に、

 命を散らした軍人達への、

 感謝の「 カ 」の字もありゃしねえ。

 世も末だぜ。

 





 戦争ってなあ、

 人間を、

 悪鬼羅刹の常態に還らせる、

 狂気の渦潮みたいな局地である。





 当然、

 それ自体が無数の惨劇と不幸を生み、

 悪の塊みたいなもんだ。





 それでも戦争は、

 確かにそれによって、

 世界を大きく還る。





 昨日まで、

 平穏に暮らしていた人々から全てを奪う一方で、

 長きに渡り、

 権力に簒奪された自由を人々に取り戻すこともある。

 よきに転ぼうと、

 あしきに転ぼうと、

 その過程には、

 戻ってこない億千万の犠牲がある。







 戦争には、

 侵略・敵対・抵抗の3種類があるが、

 これを全部一緒くたにして「 反戦 」を叫ぶことほど、

 馬鹿で醜く腐った性根の振る舞いはねえ。






 そんな奴は、

 空前のお調子者である。




 奪われたこともねえやつが、

 得意顔で反戦を口にするんじゃねえよ。






 全ての戦争は、

 その規模の大小や、

 時代や状況に関わらず、

 自身の帰属するコミニティの保護を目的に計画され、

 実行に移される。





 はっきり言っておくが、

 反戦を、

 漠然と叫ぶことは、

 まったくの無意味であり、

 小生の価値観から言えば、

 その茫漠な意識は、

 ナンセンスの一言に尽きる。




 人類の常態たる戦争を、

 その原因の追究をせずして、

 平穏な世界から、

 賢者面して「 反戦 」を喚くのは、

 破廉恥を通り越して醜悪ですらある。





 どんな時代でも、

 どんな国でも、

 どんな事情でも、

 戦争を実際にやる連中は、

 やるだけの理由があってやるんである。

 判断上のミスだとか、

 元首の無能だとか、

 そんな瑣末な問題を超えたところで、

 戦争はいつだって、

 守る為に始まり、

 滅ぼすことが優先される。

 エゴしかないのが人間の常態なんだ。






 戦争ってなあ、

 そういうもんなのだ。(理解できなければよい。





 精々、

 安全な時代と、

 安全な国から、

 戦火の只中にある人々へ、

 反戦を叫べばよかろう。






 戦うには、理由があるんである。

 



 

 人間はいつだって、

 狂気と戦っている。

 




 理性と狂気のハザマでしか、

 俺達は決断をできない。





 完全な正気なんてのは、

 この世界にゃあ、

 あいにく存在しない。

 だからこそ、

 人は戦争をこれからもずっと続けるのだ。

 




 累々たる屍の果てに、

 つかの間の平和は築かれても、

 いつかまた、

 地獄の常態へ還っていく。




 次に進む為に。

 約束の時代を取り戻す為に。

 それが人類史だ。

 歴史の転換点においては、

 大地は必ず流血を欲する。






 反戦を叫ぶのは、

 テメエが戦火に巻き込まれて叫んで、

 ようやく意味を持つ。

 もっともね、

 遠く離れた異国の人々と、

 意識を共有できて、

 自分も戦火に晒されていると、

 微塵の欺瞞もなく感じれるようなら、

 平和な国から叫べばいい。

 聖人を名のったっていいぜ?

 いつだって、

 聖人たちは銃をとらねえ。

 

 

 

 反戦ってなあ、

 便利な言葉だよ。

 叫べばただそれだけで、

 道徳人だ。

 だがね、

 あいにく俺ぁ、

 儒学者なんざ屁とも思ってねえ人間だ。

 言葉なんぞじゃだまされねえ。

 



 本物の反戦主義ってなあ、

 クソみたいな侵略や、

 侵犯をしてきやがった、

 始めやがったクソ野郎の、

 息の根を止めて帳尻を合わせてやるために、

 「 戦争なんて馬鹿げてるぜ 」と叫びながら、

 銃を手に、

 その戦争を終わらせるのに手伝うことだ。

 戦争ってなあ、

 そういうもんだ。

 安全圏から、

 したり顔で、

 「 反戦 」なんて叫んでも、

 うすら寒くて吐き気がするぜ。








 戦争さんざ、クソ喰らえだよ。

 だがね、

 俺ぁ、
 
 戦争は最低だとは思うが、

 反戦なんてなぁ、

 絶対に叫ばん。

 反戦なんざぁ、

 口に出して言うほどのもんじゃねえからだ。

 


 あんなもんを望んでやる馬鹿は、

 餓鬼を除いてそうそういねえ。

 まともなら、だれも行きたくねえトコだ。







 だがね、

 いざ戦争が始まれば、

 狩り出されるのは、

 どこにでもいる若者なんだよ。





 

 若者達が狩り出される戦場は、

 歴史とともに変容してきた。

 



 古くは白兵戦。

 銃の登場による銃撃戦。

 南北戦争に見られる阿呆みたいな撃ち合い。

 長く続いた熾烈を極める塹壕戦。

 拠点を奪い合う戦闘。

 洋上の艦隊戦。

 戦闘機による空戦と爆撃機による空爆。




 犠牲者は、

 軍人はもちろん、

 民間人も含まれる。




 条約なんざ、

 あってないようなもんである。




 銃弾や爆薬で粉微塵になるだけが、

 戦争の死に方じゃあない。




 文字にしたくねえような方法で女子供が殺され、

 無抵抗の捕虜が私刑によって死んでいく。

 無力化した後は、

 敵に生殺与奪権のすべてがある。



 当たり前だ。

 戦争ってなあ、そういうもんなのだ。

 互いが無慈悲に殺し合い、

 奪い合う。

 殺し合いってなあ、

 そういうもんだ。

 食い止めるには、

 相手を根絶やしにするしかない。

 だからこそ、

 人は、

 恐怖にかられ、

 家族と、

 祖国のために、

 銃を取る。

 戦争が、

 どういうものか、

 知っているからだ。

 知っているものは、

 必ず銃に手を伸ばす。






 失われた誇りを取り戻す為に、

 未来のために、

 犠牲を承知で、

 自らの今日と明日を売る。

 次代を信じて。

 


 銃を手に取った人間は、

 兵隊になる。

 侵略と支配に抵抗する者達。

 レジスタンス。

 ナチスドイツ占領下のフランスで、

 祖国奪還のために、

 地下運動を継続した人々がそれであり、

 大英帝国の支配と搾取に抵抗したのが、

 アイルランドのIRAである。




 長き屈辱の歴史に、

 終止符を打つ為に立ち上がろうとする人々もいた。

 解放戦線である。

 西欧列強の支配から脱却する為に、

 一斉に独立闘争を開始したアフリカの人々がそれであった。





 故郷を守る為、

 極東の島国の蛮族から、

 大陸を守ろうとした人々もいる。

 軍人が、

 民兵が、

 女子供が銃を取り、

 彼らは抗日戦を戦った。




 ヒトラーが権力を掌握するドイツにて、

 ナチに属さず、

 ドイツ軍人として、

 苦悩の中で戦いを続け、

 チャーチルの暗殺のために海を渡り、

 全滅した、

 誇り高き空挺部隊があった。




 世界最強を誇った、

 戦艦大和に補足された米海軍には、

 味方艦を逃す為、

 自らが囮になり、

 最後には盾となって海に消えた、

 220人の乗員と、

 忠国の巡洋戦艦があった。




 米国に移住した日系二世達は、

 強制収容所に収容された家族達の地位の回復を信じて、

 自ら志願してヨーロッパ戦線へ赴き、

 損耗率320パーセントという桁外れの犠牲を出しながら、

 日系人部隊という差別を乗り越え、

 二次大戦において全米軍最大個数の勲章を獲得した。

 渡欧した日系2世たちの半数が、

 対ドイツ戦で帰らぬ人となっている。



 そして彼らの両親の故郷である極東の島国には、

 絶望的な情勢下において、

 敗戦が確定化していくなか、

 すこしでも有利な講和が結ばれることを信じ、

 松から抽出された油で飛ぶ鉄の棺桶に爆弾をぶら下げ、

 太平洋に散っていった、

 大空の侍達がいた。




 エリトリアのエチオピアからの、

 30年に及ぶ独立戦争では、

 エリトリアの兵士達はラクダに乗って戦車と戦い、

 ラクダとともに砲弾の雨の中を駆け、

 敵陣地に肉薄し、

 倒れていった。




 イラク戦争では、

 圧倒的な戦闘能力を誇る米軍を相手に、

 旧式戦車に乗り込んだ多くのイラクの若者が、

 その命を砂嵐の中に散らせた。



 


 戦争は、

 最悪の、

 世界を変える手段である。





 これほど尊い精神をもった男達が、

 涙を呑んで死んでいく。

 罪もない老人や女子供が、

 屈辱にまみれた最後を遂げる。







 それが戦争である。

 そして、

 反戦なんて言葉が塵芥のように吹き飛ぶ、

 戦うだけの理由を男達は背負い、

 家族を守る為に死んだのだ。






 これが戦争を美化する、

 抽出された美談だと思うならば、

 勝手に思えばよかろう。

 ここに書かれた男達の結末の背景には、

 戦争という回避不可能な絶望がある。

 何世代も残された家族が背負っていかねばならない傷と、

 男達が死ぬまでに犯した殺人による犠牲者が、

 戦争にまつわる全てのエピソードに付随するのだ。





 ひとりの英雄の死には、

 億千万の名もなき兵士の慟哭と悲鳴がある。






 戦争という、

 狂気の支配する空間で、

 人が戦うとき、

 人としての理性を保ちながら、

 殺戮を継続することが、

 非常な困難を伴うことであることは明白であろう。





 殺人者としての使命を帯びながら、

 尚、

 人間として生きようとした多くの兵士を、

 どうして罵倒することができようか。

 一部の兵士が、

 軍人としての誇りを喪失し、

 単なる快楽殺人者と化すことが、

 あまねく全ての兵士達から、

 勇者の尊厳を剥奪するのに、

 果たして正当な理由になるのか。





 戦争は、

 狂気の開放を是認する。

 快楽殺人の傾向を持つものが、

 その性向を爆発させ、

 非戦闘員や捕虜を陵辱する化け物に化すことは、

 ほとんどすべての戦争がそうである。



 しかしながら、

 それでも、

 戦争という最悪の手段の実行者として、

 その身を戦場に投じ、

 人間として生きて、

 人間たらんとして死んでいった人間に対し、

 次代の礎としての誉れを、

 謳うことが、

 果たして過剰な賛美であろうか?




 小生は、

 断じて、

 彼らの名誉を守る。




 戦争という狂気の中で、

 人間として生き、

 死ぬということは、

 生きて帰るということは、

 奇跡だ。





 彼らのような、

 人間のまま、

 戦争を行う偉大な精神の男達がいなければ、

 すべての戦争は、

 さらに凄惨な様相を呈する、

 この世の地獄と化したに違いない。





 全ての戦争は、

 兵士達の保ちえた人間としての最後の良心と、

 軍属としての誇りによって、

 民族浄化の悪夢から逃れたと、

 小生は信じている。




 でなければ、

 歴史上の全ての敗戦国の文明と民族は、

 この世界から消滅していたに相違ない。

 ナチスがそれをユダヤ人に対して行ったように。




 
 戦争は、

 多くのものを闇に葬り、

 事実を捏造し、

 後世においては、

 さらにそれらは情報操作されて変質していく。





 なにが真実であるかは、

 多くの場合、

 起きた時点で判らなくなっている。

 それが戦争なのだ。






 現代の日本人は、

 太平洋戦争敗戦にいたる侵略15年戦争の罪の記憶と、

 戦後GHQによって捏造された多くの戦争犯罪と、

 赤系メディアの作為的な情報操作の影響で、

 世界的にみて異常に発達した軍人蔑視の感性を保有していると断言できる。




 全共闘時代には、

 多くの自衛官が外出の際に、

 私服を着ることを上官から命令されていた。

 制服では、

 民間人(過激派学生)に襲われる危険があったからである。






 なんたることかと思う。

 世も末だ。




 多少でも論理的思考ができる人間ならば、

 「 軍備 」というものが、

 国家の屋台骨の中核であることは明白なことだ。




 冷戦下の当時は、

 ソ連が極めて現実的な脅威であったし、

 その世界情勢下で米国との蜜月を破棄し、

 ベトナム戦争への間接的な協力を停止すれば、

 安保条約は失効し、

 日本は世界的に完全に孤立することになる。

 憲法上軍隊を保有できない国家が、

 超国家との同盟関係を破棄すれば生存の道は絶たれたも同然であろう。

 ならばあくまで反戦を徹底するべく、

 安保条約を破棄した後に憲法を変更し軍隊を再配備するか?

 再び軍隊を持ち、

 軍役につく覚悟を、

 国民はできまい。





 

 真っ先に死ななければいけないのは、

 いつだって軍人だ。

 戦争さえなければ、

 民間の人々と同じように、

 笑い、

 泣き、
 
 悲しみ、

 喜びを覚えながら、

 日々を暮らしている若者達である。





 知っているとは思うが、

 日本政府は米国に請われ、

 ベトナム戦争に自衛隊員を派遣し、

 死者が現に出ている。

 彼らは、

 日米安保条約の維持の為、

 一般の国民が再び兵役を強いられることを防ぐ為に、

 べトナムへ飛び、

 戦い、

 死んだのだ。

 制服を着て、

 外出することがはばかられるような母国のために。








 真っ先に死ぬ連中は、

 戦争で死んでいく兵達は、

 様々な理由で戦い、

 致命傷という同じ理由で死んでいく。





 兵士を讃えるのは、

 我々民間人の務めだ。






 彼らは、俺達の代わりに死んだのだ。






 彼らは、我々の世代のために、

 次の世界のために、

 戦い、

 死んだのである。






 戦争と、

 兵士達を語るならば、

 まず、

 彼らの生と死の先に、

 手前の命が結実している事実を見据えることだ。






 軍人が、

 身体を張って弾丸を身に受けていなければ、

 今日の世界はない。





 



 人間のまま、

 戦い、

 散っていった兵士達へ。



 戦争の最前線で、

 真っ先に死んでいった男達へ。




 




 
 その尊厳に満ちた生と死を

 万感の想いを乗せて讃えよう。








 よくぞ戦った。

 ありがとう。
by 201V1 | 2005-12-09 00:14 | カテゴライズ前・生ログ
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