2005年 04月 13日 ( 2 )
和魂のフタオヤ
犬も食わない


 記事を読んだ。

 二つほど。

 





 今尚健在な、親父とお袋の顔が浮かんだ。

 




 何を隠そう、

 和魂要塞は、和魂ママも読者だったりする。

 和魂パパが読んでいるかどうかは微妙だが、多分読んでねえだろうと思う。

 すくなくとも息子が中越に飛ぶ前までは読者ではなった。

 




 親父とお袋あっての自分だと、

 骨に染みて思う。

 ずっとである。





 生みや育ての親うんぬんの話ではなく、

 過去のいずれの時点でも、

 現時点でも、

 俺ぁこの2人に、

 活かしてもらっている。




 が為に、

 毎度毎度、無茶苦茶な生き方を選択しても、

 やおら口笛吹きながら、

 血反吐を吐けるんである。







 激突もあった。

 俺ぁ、俗に言うところの「 グレる 」という過程なくして、

 成人の仲間入りを果たした手合いであり、

 道理の通じない「 反抗期 」みたいなものもなかったが、

 納得がいかなければ、

 たとえ親・兄弟といえども容赦なく捻って差し支えのない凶暴な心の持ち主だったので、

 なんだかんだで24歳くらいまでに、

 母親の胸倉を一度、

 親父の胸倉を一度、

 「 了見を聞かせてもらおうか 」という趣旨で、

 無体にも掴んで引き寄せたことがある。

 物凄い表情で。( すまん






 まぁ、なんというか、

 其の時は、

 全面的に、

 彼らに非があった。( 断言するな





 しかしながら、

 あの程度のことを「 非 」と言うならば、

 俺が重ねてきた彼らに対する「 非 」の数々は、

 それこそ天文学的な数字になること、

 うけあいである。

 銀河が間違いなく破裂する。





 にもかかわらず、である。





 常軌を逸することが生甲斐のような、

 この様な馬鹿息子に対して、

 彼らは一貫して、

 真っ向勝負の人間付き合いを継続してきた。





 
 モノホンの親子の関係のような気もするし、

 親子というには、

 あまりに互いを「 人間 」として評価する傾向が強すぎる気配もしないでもない。






 親父とお袋の、

 息子に対する姿勢は、

 徹底して、

 「 それなら手伝わせろ 」

 である。





 何を基準に「 それなら 」なのか、

 向こうさんも、

 流石は俺の親だけあって、

 複雑怪奇な行動原理で生きているため、

 言語化は極めて困難だが、

 厳密性を度外視して表現すれば、

 「 価値があること 」ならば、

 あの2人は算盤を放り投げて、

 「 手伝わせろ 」と、

 腹をくくった面魂で吼えるんである。

 





 馬鹿だ。( 親を馬鹿とか言うな






 まぁ、

 冷静に考えて、

 彼らが「 誇りの息子 」と感じてくれること意外には、

 たぶん俺ぁ親孝行ができないと思われる。

 帰納法に基づいても、

 演繹によってはじき出しても、

 俺ぁきっと孝行できん。









 けれども、

 これだけは約束できる。









 人の寿命が、

 これからどれくらい伸ばせられるのか知らないが、

 俺ぁたとえ、

 1000年経っても、

 貴方たちが親であったことを、

 忘れないと思う。







 願わくば、

 次の世でも、

 俺を生んでくれ。






 おふた方にとっては、

 もう一度、

 いまの相手と連れ添い、

 そのうえ息子がまたこの馬鹿であることは、

 想像するだけで魂が抜ける事態であるかも知れないが、

 何卒、

 頼む。








 で、

 次回はなんとか、

 酒乱とヒステリーだけ治しておけ。

 迷惑だから。( 何様だお前は







 俺もこの次は、

 ちゃんと孝行するから。





























 


 息子より。



 父と母へ。

 
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by 201V1 | 2005-04-13 23:50 | カテゴライズ前・生ログ
すべての隊員を一定期間で、一定レベルまで押し上げる。

 

 軍隊の基本である。

 



 派遣会社奉公時代、

 俺ぁ柄にもなく、人を鍛えるポジションにいた。

 我が事ながら、全体何様のつもりだったのかと思うが、

 突き詰めたところで、行き着く先は、銭ずくの仕事であり、

 それ以上でも以下でもない、生業であり、稼業である。

 要するに、業なんである。(完結

 




 しかしながら、

 およそ人を育てるという行為において、

 「 学校 」ほど手を抜いている機関もないだろうと、

 人を全霊を投じて育てねばならぬ立場に経った自分は、

 ほとほと呆れた。






 比較論として、

 抜き差しならない状態にある中小企業の人材育成担当者(おれ)と、

 自分自身の出会ってきた数多のコンニャク教育者たちの、

 「 鍛えるのだコイツラを 」という人材育成の気概には、

 もの凄まじい温度差がある。




 限られた時間と、

 絶望的に足りない期間と、

 逸材の真逆みたいな素材たちという、

 三重苦まんまの大制約の中で、

 人を鍛えるのは、実際大変な難儀である。

 しかしながら、

 給金と場を、

 ひとたび貰ったからには、

 人間、死ぬ気にならねばならぬ。( 極端





 まぁ、なんというか、

 死ぬ気になる必要なんぞ実際には絶無なんだが、

 せめて役に付随する機能に関しては、

 水準以上の性能の確保に血眼になって当然と思う。

 一人前の人間を名乗りたいならば。である。






 軍隊は、この意味において、まず手を抜かない。

 容赦もしない。

 素晴らしいと思う。




 そこには、

 昨今巷に氾濫している、

 「 個性重視の教育 」なんていう、

 身の毛のよだつ化け物の温床となる発想は、微塵もない。




 徹底した「 機能重視の教育 」がそこにはある。




 身体能力の高低や、

 精神的強度の優劣や、

 嗜好の傾向なんぞという、

 個人の都合が、

 所詮は個人の都合であって、

 危機や窮地は一切考慮などしてくれないという、

 圧倒的な現実を大前提に、

 軍隊は人を鍛える。




 生き残る力をつけさせるために。




 なんて優しいのかと思う。




 






 個性なんてのは、

 教育なんてものを振りかざさなくても、

 勝手に伸びるもんである。

 邪魔さえせずに、

 機会ときっかけさえ与えれば、

 人の個性は勝手に育つ。
















 
 思想は、それぞれが血反吐を飲み込みながら練ればいい。




 個性は、機会だけ与えてやれば、そいつ自身さえ気づかぬうちに顕れる。




 機能は、叩き込んでやれるものだ。




 仕込む側の仕事ってのは、

 まさにその、

 機能の追加と強化なのだ。

 思想を注入することでも、

 個性を助長することでもない。

 それを意識して行うのは、

 侵略であり、

 蹂躙だ。







 そんなことも解らないまま、

 得意顔で鞭を振るう人々。





 この国の為に、去んでくれ。





 餓鬼どもの明日を奪う、悪意なき簒奪者。





  


















 どうか、僕たちの子供に、本物の教育者と出会える幸運を。




 生き残る力を叩き込んでくれる、本物の先生に出会える機会を。



 どうか。
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by 201V1 | 2005-04-13 13:23 | カテゴライズ前・生ログ