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血と水と



とゆーわけで、親知らずもなんのその。

俄然、飲酒。

ビールうまい!



歯医者は飲酒は控えるようにとか言ってました。

運動も控えるようにとか言ってましたね。



ぬははははははは。

ビール片手にボッケン振ってやるぜえええええ。

おらおら。( マラリアの薬を飲まずに捨てた蛮勇健在 )



とゆーわけで、鍛えまくってる201V1。

最近ボッケンの速度が上がってきました。

まぁ腕が野太くなってきたので当たり前といえば当たり前ですね。

風斬り音がすごい良き響き。

誰か何かを叩きたい。( やめろ )





せっかくなので駄文をひとつ。












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えー300年くらい遡ってですね、

そのとき御先祖様が何人くらいいたのか考えて見ます。



300年ってゆーと約10世代です。

ここでは10世代って大雑把に決めちゃいます。

するとですね、

なんと300年前の直系の御先祖様の人数は1024人。





わお。





なまら多いです。





さらに100年ほど逆行し、14世代遡ると御先祖は16000人を越えます。

町民総出で「 貴方 」を作ったワケですね。

NASAのロケットなみのエネルギーが注がれて今貴方はここにいるわけです。




lこれが20世代遡ると御先祖は100万人を突破する。

わずか600年前に過ぎません。

鎌倉幕府の時代です。

600年前、100万の御先祖の誰か1人が子孫を残す前に死んでいたら、

貴方はココにはいません。

受精の確率以前の段階から、貴方の存在はこの世の奇跡と断言できる。




こーやって考えるとですね、

我々の遺伝子に発現せずに眠ってる幾千万の可能性が、ひしひし伝わってきます。




100万人の「 性質 」すべてを発揮できるよーな器用な人間は、この世界にはいません。

ですが遺伝子情報は100万なんかじゃ全然効かない。

よーするにですね、

親ぁ見ただけじゃ、何もわかんないワケよ。

我々がどんな人間かは。

サラブレッドが兄弟でもスゲエのと普通なのがいるみたいにね。




で、考える。

親子の絆ってなによって。




「 親 」って概念を考える。

なんぞや?ってね。




あと100年か200年かしたら、

試験管ベイビーが締める人口シェアは相当なものになってるでしょう。

もちろんキリスト教のオカシイ奴等は比喩抜きで「 イエスの子供 」とか造り始めます。

坂本竜馬のクローンだって作れるでしょう。

「設計の親」「遺伝情報の親」「培養の親」「育ての親」が全部違う人だって現れる。

「親」の概念はもうすぐぶっ壊れる。

そのとき我々昭和の生まれの人間とは、まったく異なる「 親 」の概念をもつ世代が現れる。





これを踏まえて考える「 親 」の概念。

かなり興味深い思索です。




単純にね、遺伝子のプールって考えた場合、

「 二親 」ってのはイマイチ参考にならない。

発現してない素養が多すぎる。

じゃあ御先祖は?っていってもそんなもんは死んじまってて見当たらない。

現実には、自分の遺伝情報に関する信頼性の高い標本はこの世界にはないのである。




「 その血に乞食の血と王の血を持たぬものはいない 」とはどっかの格言にあったが、

これは正しく言いえて妙である。




御先祖にはいろんな奴がいる。




快楽殺人犯だっている。

誰かの為に命を捨てた勇者だっている。

なんてったって高々600年前で100万人である。

世の中の全部の職業を洗ったってそんな数にはならない。




「 親 」ってなんですか?



まぁ、昭和世代の我々には難しい問いではある。



けれども200年後の人類はあっけらかんと答えるはずだ、

「 ただの概念です 」

「 形骸化した概念です 」ってね。

そーゆー世界の寸前に我々は生きているのである。

彼らは言うでしょう。

「  誰を「 親 」として認めるかは我々の決めることです 」ってね。

奴等は真実に到達する。

俺たち昭和の人間がなかなか掴めない真実をいともカンタンに掴む。






よーするに今日の「 親子の絆 」って概念は、実はかなりキナクサイものがあるのである。




集団で生活する人類にとって、「 団結 」ってなあ生存の為の重要なファクターである。

村単位では「 寄り合い 」で結束し、互いを助け合い束縛しあう。

家族単位では「 血の絆 」ってやつで、互いを補助し同時に縛る。

これはおよそ全ての文化圏に共通する「 やり方 」であり、

日本の場合は「 儒教 」の「 考 」の倫理がこのシバリの任を仰せつかった。






「 親孝行しなさい 」

儒の考の教えである。

クソクラエである。

孝行するかどうかは「 親 」の質を見てキメりゃあいいんだ。

手前がどのように育てられたかで決めて当然の始末だ。

親と仲良くするも仲たがいするかも、人間には選択する自由がある。




人として惚れれるなら命をかければいい。

尊敬できないなら捨てちまっていいんである。

生んだからって一時で、甘ったれてもらっちゃ困る。

親子の絆なんざ、社会が植えつけたクソみてな呪いなんだよ。







社会にはびこるクソみてえな儒教の教えが、人の自由を縛り付けているのが日本だ。

日本人の多くは、この呪詛に深層意識を毒されて育てられている。

「考」

社会通念による人の奴隷化がずーっと行なわれてきたわけだ。






ふざけるんじゃねえよ、社会通念。

どれだけ人間を虚仮にすりゃ気が済むんだ。

俺らは選択する。

俺たちは、誰の子供に生まれちまうかは選べねえが、

誰を「 親 」として付き合うかは選べるんだぜ。





「 親と子 」の間の絆ってなあ、

親が子に愛を与えることで育む種類の「 繋がり 」である。

子が親に感じる絆は「 繋がり 」か「 呪い 」の二つに一つだ。

くそったれの社会通念が、一体何代祟れば気が済むってんだ。

ふざけやがって。

























「 血は水よりも濃い 」。好きな言葉だ。

この一節の「水」は、「土地の水」をあらわしている。

帰属する集団からの影響より、親からの愛のほうが、強く子には現れるといった意味だ。


これは正しい。







だがね、一方にゃあ、こうゆう格言もある。

「 水は血よりも濃い 」

日本語の妙ってやつで、このときの「 水 」は「 カタメの盃 」のことを指してる。

よーするに、義兄弟の契りであって、友人や恋人との「 結ばれた絆 」のことだ。


これは真に正しいといえるだろう。









俺らは選択できる生き物である。

儒の考による呪いがそれを阻む。

与えられなかったものを欲求する生理が判断を曇らす。



確かにね、血は水よりも濃い。

愛を沢山もらって育つ人もいれば、

痛え傷を沢山こしらえて大人にならなきゃいけねえ人だっている。

これは選べない。

誰の子供として生まれるか選べない限りは。






でもね、水ってなあ血より濃いんだ。

勝ち取った盃の水は、血より濃く、深く、身体に流れる可能性がある。

盃を捨てなければ、水は血を越える。





俺らはね、友人を選ぶのと同じ気持ちで、親を選ぶ権利がある。

それを阻むのが儒と生理の呪いだ。





断ち切るには勇気がいる。




だがね、人が愛する人を幸せにするんだって決めたなら、

なにがどうあったって呪いは断ち切らなきゃいけない。




呪いを断ち切らず、クソみてえなキナクサイ「 親子の縁 」を引きずれば、

自分がかつて喰らったダメージを、愛する人まで一緒に喰らうハメになる。

業ってなあ、断ち切らなければならないんだ。

100万の御先祖の生んだ奇跡にかけて。



100万の慈しみを受けて生まれた君は、絶対に幸せにならなくっちゃいけない。




~   血に流れる唯一のオキテは、盃の水に生きて幸せになることだ。  ~




断ち切るんだぜ。呪詛を。



愛する人と共に幸せになることは、人の務めです。




今はいなくとも、今は必要がなくても、

時が満ちれば必ず現れる貴方の半身に出会う日に、

貴方は呪いを断ち切って望まなきゃいけない。

盃の水に生きるのが人のツトメだからだ。








水は血より濃い。





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和魂要塞・城代201V1。

祈りを込めて駄文をつづる。
# by 201V1 | 2004-08-05 05:50 | カテゴライズ前・生ログ
ともだちへ
おれの脱皮


はっぴーばーすでい。

お誕生日おめでとうでございまする。

さあ、もうすぐ三十路ですね。爆




さて、まぁ60でボケるとして、(オィ

いよいよジキュッパ殿も小生も、

そろそろターニングポイントが近づいてまいりました。



一般的には十分オッサンで通用する年頃です。

ちなみに小生の同級生で、腹が割れてるのは自分以外に誰もいません。

すでに皆ブヨブヨです。

腹だけ団塊の世代です。( 物凄い比喩)



で、やおらオッサンになりつつある今、

30までに「 成し遂げること 」掲げるってのもオツですね。



ちなみに小生、先日酔うと自失するダメな親父に、

「 60までに一流の酒客になれ! 」と命じ、

これを承諾させました。

ほぼアル中であるこの親父には丁度いい頃合でしょう。

ぶっちゃけ「 ボケた上に酒乱 」なんてことになれば、

小生は多分に殺人犯になってしまう公算が高く、

この野郎にはなんとしてもマトモな酒飲みになってもらわねばなりません。




で、ですね、うちの馬鹿親父はどうでもいいとして、

小生の30歳までの目標はですね。

ズバリ「 漫画で飯を食う 」です。



小生は、30の時には漫画で飯を食う。

で、即・夫婦になる。( 即効カヨ )

35~40歳で海外に移住する。

いろいろ余計なことをする。(大事)

45~50歳で断筆・リタイヤして刀鍛冶になる。( 漫画家の寿命は20年だ )

爺になりかけの頃から後進の指導を開始、

以降、エッセイとか書きながら、死ぬまで刀を作りまくる。( 長すぎる余生 )





これでどおだ!( もっとリアルに考えてください )




兎に角だ。

小生は漫画を一生懸命書いてだな、海外に移住してだな、外の空気を吸ってだな、

筆に冴えがなくなったら、セメントで刀鍛冶に移し身の術。

以降は火花散らしながら、素敵な婆さんと共に老いる。

いろいろ余計なことを並列して行ないながら断固やる。



これが小生の人生である。



素晴らしい。



満足だ。



とゆーわけで、未来の為に頑張った今夜。



プロットのトリートメント終了。

あとはダイアローグをちまちま作っていよいよネームである。

問題はページ数だが、まあなんとかなるんじゃねえの?

仇討ち物語のハズが、いつの間にか世紀の大撤退戦に変わってしまったが、

まあよかろう。

こっちの方が俄然燃えるストーリーなのでヨイ。




うし、ダイアローグ固めてみよっかねー!




こっからが面白いんだよ。創作は!
























ジキュッパ殿。誕生日おめでとう。

貴兄の望む未来もまた、どしどし実現することを願っています。





でわでわ。





かしこ。
# by 201V1 | 2004-08-05 03:43 | カテゴライズ前・生ログ
ワレ・テキ・クウボ・ハッケンセリ



えー。

エキサイトブログ掲示板にて、匿名で「 違法ブログ通報スレッド 」を設立し

卑劣な告発行為を行なっていた痴れ者のブログを、

本日ついに発見しました。( 執念←見つけれるか?普通。 )





ふっふっふ。

この和魂要塞に喧嘩を売っておいてだな、無傷で帰れると思うなよ。( 物凄く嬉しそう )






さて、どーしてくれようか。

新型木馬でもぶっ放すか。( やめろ )





ロンドベル隊!全力出撃!敵PCを破壊セヨ!( やめなさい )





まぁなんだ。

ここでID晒すなり、URL晒すなり、PC壊すなり、なんなりするのは簡単だが、

それでは当方まで下賎の輩と同じになっちまう。

したがって口惜しいが捨てて置いてやる。

ありがたく思え、下郎。




まぁ、マジで射程内に入れたことを下郎が理解できるようにだな、

ちょっとだけ書いといてやる。

下郎のブログ名は3文字!ラスト1文字は「 ャ 」だ。

貴様は射程に収めた。

いーかげんフザケタ真似をやめねえとトラバルぜ?




とゆーワケで、

なめた真似をやらかすのは、恥を知らぬ愚昧共の自由である。




しかしながら、安全圏にはいさせねえ。



かならず内蔵ぶちまけてもらう。



それが侠の喧嘩である。



容赦はしねえ。
# by 201V1 | 2004-08-05 03:07 | カテゴライズ前・生ログ
物語のテーマ


景気つけに物語のテーマ、ちょっとぶっこ抜いて書いてみませう。

物語の根幹には「 正義 」の2文字があります。

正義!

少年漫画の王道を貫きながら、要塞魂を炸裂させるこの強引。創作の醍醐味。

灼熱の出血漫画。

ああ、早く小生も読みたい。(はやく完成させろ)






で、馬鹿は放っておき、

簡潔に「 正義論 」を論じてみましょう。

焦点を、正義感に当てて正義論を進めてみます。





「 正義感 」。

この言葉、世間では、陳腐な響きととられる場面が結構あります。

でもね、これを「「 偽善 」だなんだと物知り顔で嘯けるのは、

「 正義感 」の再定義を血反吐を吐きながら試みたことのない人だけです。

いわゆる勉強不足の書生しか、こんな見解はもてません。






「 正義感 」と「 慈愛 」は根本的には同じものです。

双方ともに、その根っこに在るのは「 奪う力に対抗する意思 」であります。






「 奪う力 」とは何か?

それはですね、

「 誰もが何も奪われていない世界へ進むエネルギー」を「 奪う力 」のことを指します。





「 正義感 」と「 慈愛 」の根源には、この「 奪う力に対抗する意思 」があるのです。





で、こっからが大事なんですが、

この「 意思 」の大小と言うか堅固さにはですね、

皆様御承知の通り、大きな個人差があります。




小生は、この意思の突出して大きい人物をですね、「 魂の質量の巨大な人 」と定義してます。




魂の質量には個人差があるんですね。

和魂的世界観では。( こわい世界)




小生が、真に興味のある人間が、この種の「 巨大な人々 」です。

「 対抗する意思 」に小生は魅入られ続けています。




当該ブログ、和魂要塞の世界においては、

実は、

「 夢 」も「 生き方 」も「 存在理由 」も「 愛 」も「 勇気 」も「 健気 」も

「 自由 」も「 正義 」も「 慈愛 」も「 芸術 」も「 歌 」もなにもかも、

突き詰めていくと「 同じもの 」になります。

これらの根源にあるものは、すべからく「 対抗する意思 」です。

すべては同義です。







よーするに、

和魂的世界観においては、「 対抗する意思 」ってのがカナメになっているわけです。

で、この発想の前ではあらゆる「 悲観的卑下 」に傾向した哲学は無力になります。

「 影 」を駆逐する能力が、この世界観にはあるわけです。








小生もかつて見事にとり憑かれた経験がありますが、

「 人間とは何か? 」という問いの入り口には、

必ず「 我々は欲求を満たす為に生きている 」という、

悲観的な「 人間卑下 」の「 利 」に根ざした人間観が出現し、我々を苛みます。

これは自己も含めた「 人間不信 」に直結しうる虚無の眷族です。







人間の生というものは、

孤独とそれの生む虚無感との、生涯を通じた戦いといえます。







ひとりで生まれてくる我々は、

「 自分とは何か? 」という問いを発する能力を獲得した代償に、

「 私は孤独である 」という事実認識と戦う運命にあります。






この孤独感が虚無と無力感の苗床となります。

これこそが「 奪う力 」です。

この力に飲み込まれ、自失するとき、

人は「 誰もが何も奪われていない世界へ進むエネルギー 」から完全に孤立し、

絶望し、無力化し、自ら命を絶つか、獣へと堕落します。



そしてこの絶望への流れに対抗する為に、

人に先天的に備わった能力こそが

前述の「 対抗する意思 」なのです。(和魂的世界では)

「 欲求 」てのは、つまるところこれです。「 対抗する意思 」の表れです。

そうじゃないのは孤独に飲まれた上での混乱です。(断言)







巨大な質量・対抗する意思を備えた「 突出した魂 」は、

我々凡俗と異なり、

「 孤独 」に屈することがありません。

すべての「 奪う力 」を粉砕し漸進する底力を「 対抗する巨大な意思・突出した魂 」は有しています。




ぶっちゃけてしまうと、小生の興味の対象は、この無敵の突進力をもつ「 巨大質量の魂 」に尽きます。




そして、描きたいのは、この力の片鱗が超人だけのものではないという幻想です。




小生はこの幻想を描ききる為に、筆をとっています。




そこに人間の正義があるからです。( こわい )




とゆーわけで、不肖201V1。

創作活動、明け方までがんがります。

でわでわ。















「 一千の狂気のうち、突出した狂気だけが常軌を逸して奇跡を起こす。逸脱こそが勝機を生む。王道にて尚暴走・漸進せよ。されば道は開かれん。 」


 by バルタン伯爵
# by 201V1 | 2004-08-04 21:09 | カテゴライズ前・生ログ
1本でけた


はい、いつも蛮勇・201V1です。

えー、2日間、オヤシラズと格闘しつつ、

画用紙とデスマッチ。( 小生は画用紙の上で物語を作ります。)




1本、プロット完成しました。





大まかなキャスティングと物語の流れはキマリましたね。

あとは細部のトリートメントですな。

こまかな設定(人物相関)を弄って、キャラクタをベストの関係にもってきます。

物語を推し進める相関が熱と勢いを生むのです。




こっからが難所。

まぁ感触はグッドですね。

いーかんじの導入部。

燃えます。




あとはプロットにダイアローグをぶち込んでく工程ですね、

その過程で設定や流れもちょいと弄ります。

よーするに今晩が山。

いちばんウザくて楽しい作業です。




でわでわ。



これより修羅に入りまする。
# by 201V1 | 2004-08-04 20:04 | カテゴライズ前・生ログ