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半年前速報~


約半年前に家に届いた実父からの年賀状。














半年前速報~_a0013690_22341243.jpg































正月早々から大躍進な父。








脳内文革漸進中。













将来、どの時点で奴がボケ始めたのか、最早ぜんぜんわかんないと思う。













また、

さっき婆さんのところにいったら、

10年くらい前に20年飼ってた猫が逝った後、

後継機として買い入れた「オムロン製ロボットキャット」が、

実に10年ぶりに物置から発掘され、(婆は買って3日で飽きた)

うちの餓鬼の相手をさせられてましたが、

息子は迷わずロボキャットの義眼にサミングを行っており、

才能の片鱗を見せており、

先々は少年院確定です。






ロボキャットの所有者の婆で思い出しましたが、

奴は確か今年で82歳の筈なんだが、

この間小生が十八番のかくし芸「 亀の産卵 」を、

ピンポン玉と全裸をもってして一族郎党の前でシラフで疲労という離れ業をやった時、

1才8ヶ月の小生の餓鬼の教育上最悪との判断から、

投げてはいけない硬度の玉を、

小生の顔面に高速で放るという確信的危険球に及びやがり、

あの鉄砲肩なら22世紀まで生きるとのは確実かと思われ、

高齢化社会による治安の悪化が懸念されます。






小生の「亀の産卵」という感動的シーンの形態模写は、

感性の愚鈍な和魂一族郎党におおむね例外なく不評なネタですが、

妻にも俄然不評なわけですが、

妻は妻で小生のもうひとつのフェイバレット技「 桶マン 」のファンです。







これは小生が15歳くらいのときに流行った、

少年ジャンプの「変態仮面」からヒントを得た荒業で、

エレクトした男性自身で桶の落下を防ぎつつ猥褻物の陳列を阻むヒーローの形態模写であり、

善悪の自己完結と人の矛盾を体現する陰陽の化身たらんとする気概を世に問う構えであり、

尊崇の対象となりえる仏性を秘めたダンスであり戯曲なのですが、

小生が、真剣な面魂で「桶マン!参上!」とか決めポーズをとると、

妻は腹をかかえて笑います。









また、

彼女はこの間のGWに小生の実家に行ったとき、

小生秘蔵の劣情系レア同人誌(まんだらけにて購入)を、

閲覧させよと迫った挙句、

いやだと小生がい言うと、

「どんな感じかだけでいいから教えて」というので、

これっきり訊くなという条件で、

小生が「 羽根が生えてる女の子が後背位で年上の男性にみたいな展開の漫画 」というと、

奴は、

「 デビルマンレディが趣味なのか 」とガチで訊いてきました。

どんだけ変態なんだ俺は。










ちなみに、

この間、

というか昨日、

妻が「 ゴルゴ13なら上手に描けるから思い出し描き勝負しよう 」と、

無謀にも小生に戦いを挑んで来たために一蹴しておきましたが、

念のため、

彼女の描いたゴルゴ13をアップしておくと、

こんなんであり、












思い出し描きという以上は、

記憶に頼って描いている(出力)しているはずなので、

脳の拡張子が完全無欠にオカシイか、

ミラクルに低画質(200キロピクセルとか)で保存されてるかなので、

ついては「 ちょっとまて、過去の記憶ってマジでこんな感じで記憶されてるの?」と訊くと、

「 ちゃんと思い出せるがそのとおりに描けないのだ 」という返答であり、

「 自分の最大の描画技術を駆使して描いた結果がこれなのだ 」という主張であり、

小生は、

「 ならば描いてる途中でこの絵には再現性が絶無である事になぜ気がつかないのだ 」

と問いましたが、

彼女は「 途中で?????とは思ったが、最後まで描いた 」とか、

蛮勇的発言に及び、

毛沢東みたいだった。



































尚、予断だが、

今日久々に、

実母のヒステリー爆発の瞬間を見てしまったが、

平時のご機嫌メタボリックモードから、

ひとり戦時体制にあたる虐待系アトミックモードへの蒸着(赤射・焼結)までに要した時間は、

実に0.2秒くらいであり、

絶対に彼女は脊髄反射でキレてる事が判明。(大脳経由では0.37秒を要する)















しかも一旦スイッチが入ると2週間位継続確定という傾店の爆裂機なので、

小生の子供時代はまぁ、

楽園7のゲットー3という感じであり、

風塵雷神2金属疲労のジェットコースターみたいでした。

ぶっちゃけ、すげえストレスでした。(和魂ストレス耐性UPの背景)






































・・・・・過去に実母になにがあったのだろう?(お前だお前)













というわけで、

和魂要塞は元気です。












皆様も、いく久しゅう。














でわでわ。
# by 201v1 | 2008-05-14 23:58 | カテゴライズ前・生ログ
幸せになるために。
オプティミスト(楽観主義)とぺシミスト(悲観主義)。

ポジティブ思考とネガティブ思考。





ポジティブ思考のオプティミストは迷惑千万であり、

ネガティブ思考のペシミストは実用に耐えず、

ネガティブ思考のオプティミストに生産性はない。






というわけで、

小生は、

「 なにより不愉快でない 」という意味で、

悲観主義的観点に立って、

具体的打開策を探るポジティブ系の人材に、

有用性を認めている。







言い換えるなら小生は、

大前提として楽観主義者を全体的に憎悪しており、

ネガティブな発想でしかモノを考えられん手合いを、

用を成さぬあんぽんつくと、

断じているわけだが、

この結論に至るまでには、

人間を始めてから25年以上の歳月がかかっており、

膨大な労力を、

オプティミストとネガティビアンによって、

無駄にされた経験によるもんなので、

一切の異論反論は却下する。







世界を支えているのは、

ポジティブなペシミストたちだ。









オプティミストとペシミスト、

ポジティブ思考とネガティブ思考を考えるとき、

重要なのは、

やはりその「 ククラレタコトバ 」の再定義であり、

馬鹿でこの世が満ち溢れている最大の原因は、

「 ククラレタコトバ 」をてめえなりに紐解かずに使う阿呆の絶対数が、

大分に多い為であり、

不幸の源は馬鹿に尽きるわけで、

小生は不幸と戦うことにした。









まず、

楽観主義とは、

「 うまくいく事 」を前提にスタートする連中であり、

「 手前が絡む限りうまくはいかんのだよワトソン君 」という一般常識を知らぬ、

「 こうなったらいいなあ 」という希望的観測に人格を侵食された

メルヘン世界の住人であり、悪夢のドリーマーである。


彼らの最大の特徴は、

ほとんどの全てのトラブルに対する備えと覚悟がねえ点であり、

それが為に緊急時において入力できるコマンドがパニックしかなく、

混乱の中で思いつくアイデアの悉くに、

ナウマン象も即死するクラスの大穴があるとゆー、

「 バーサクとのメダパニ和え 」的症状が恒常的に見られることに尽きる。

その言動は軽挙妄動の権化そのもので、

結果、経営者・トップに多いという恐ろしいオマケがつく。




これに対して、

悲観主義とは、

「 うまくはいかねえ事 」を前提に、

「 どんなまずいことが起きる可能性(回避不可能なものも含め)があるのか? 」

「 まずくしないにはどうするべきか(事前策の有無)? 」

「 まずくなってから巻き返す手はあるか(対処策の有無)? 」と考え、

起こりうる問題を想定しその解決に対する手配を先回りする、

リアルな戦場に生きるサバイバーである。


連中の特質は、

自分でコントロールできない範囲と、

できる範囲を色分けし、

できない範囲で起き得る問題と逆風を可能な限り想定し、

できる範囲で問題解決の具体策と逆風の利用方法を模索する準備を、

事を始める前に進める点であり、

敗北しないための勝利条件を事前に設定して初めて、

事に当たる点であろう。





ポジティブ思考とは、
# by 201V1 | 2008-01-15 01:56
人々と世界と君と

 年が明け、

 いいかげん今年は、

 週一くらいのペースで更新することにしようと、

 小生は初日の出に誓った。(古来、熟睡しながら天才は誓う)



 問題は、

 職場の健全さが度を越している点であり、

 アニマルランド系社員が中核を成す会社だというのに、

 ノー残業の定時上がりの休日完全取得フルスロットルという、

 アドレナリンのまるで出ない状況のため、

 「地獄の沙汰も肝次第・度胸千両・一人火の玉 」的話題に欠けるので、

 かつてのような鬼気迫る社畜生活の暴露ができねえ次第であり、

 何を書けばいいのだという事になるが、

 過去の与太話を今さらつづったところで埒もねえし、

 じゃあ何だ、

 何を書くんぜよと考えれば、

 帰結するところは、

 やはり手堅い「 テラ妄言 」という、

 得意の駄法螺に落ち着くので、

 その路線で攻めることで大本営は方針を決め、

 ここに今年度中の、

 大東亜共栄圏の実現を、

 確信するに朕は至った。(至ってしまった馬鹿)






 というわけで、
 
 凡百諸君、

 皇紀2668年、明けまして。

 革命的ニートの魔窟・和魂要塞・城代・201V1です。

 小生は、過去に丸4年ニートでした。(赤裸々





 えー、去年丸ごと一年あまり、

 小生は当該ブログの更新をさぼり疎かにしておりましたが、

 実は去る皇紀2666年の7月に、

 当要塞の侍大将であった「 音隅 陣愚郎 」というゲッシメが、

 老衰と不断の食べすぎで身罷ったため、

 1年喪に服していた為であり、

 まぁそんなこんなで、

 こんなこともあろうかと、

 小生は事前に喪に入るという蛮行に及んで、

 今日まで凡そ、月日にして3年半くらい、

 泣き暮らしていたわけです。はい。( 恐ろしいすり替え )





 今回の本格的再開の背景はそんな感じで、

 まぁ全部が全部、うそなんだけど、(うそなんだけど?
 
 気にしない小生は豪胆。(←ほめちゃった馬鹿





 というわけで、始める。

 なにがって、

 馬鹿が聴いてなかったらしいので、

 念のため、

 形而上学的寝言である。(新年早々犬も食わない企画がスタート←しかも4クール保障)






 記念すべき初回は、

 「 自己完結 」についてである。

 さぁ、金にならない匂いが猛然とする感じだが、

 安心しろ!

 このブログは昔から、

 読めば読むだけ、丸ごと全部、

 暴走する狂気侠気の突き進むその先は、

 特急で貧に繋がり、漏れなく鈍して万人が窮する仕組みであり、

 そーゆー未知のメカニズムが備わっているんである。(有害図書万歳







 

 小生は、

 まぁ、

 端的にいって、

 人付き合いが嫌いなわけだが、

 珍獣ゆえの悲しさか、

 単純に貴重という属性のために、

 もろもろの人々の友人リストにおいて、

 「 大事ではないがキープする知人 」というカテゴリに登録されているため、

 歩く音信普通と認められている割には、

 人に会う機会がままある。(普通の人の2割程度は






 で、

 人に会うにつけ、小生はふと思い至った。

 人々との団欒のヒトトキに対する「 めんどうくさい度 」が、

 卓を囲む相手の自己完結の程度に多大な影響を受ける事実に関する、

 核心についての興味である。




 平たく言えばだ。

 「 自己完結 」って何?ってことである。





 「 自己完結 」の程度が、

 どんな感じかは、

 30年も苦界を彷徨っていればサルでもできるようになるわけだが、

 そもそもこの「 自己完結 」って何ってのが味噌なんであり、

 再定義なくしては、

 人は永遠に知恵を知らぬサルで終わる。




 さて、

 賢明な読者諸兄のうち、

 何割かは、

 現段階ないし、

 当該記事の読後に、

 改めて「 自己完結 」に関して辞書るかウィキるか考えておられると思うが、

 フツーに調べたんでは、

 「 プチ自閉・没交渉 」的なネガティブ解説しか、

 「 自己完結 」という言葉には注釈がない。



 そもそもが、

 個人主義を歌いながら、

 一方ではブログだミクシィだなんだと、

 人との繋がりを求めて止まぬ時代において、

 「 自己完結 」なんて形骸の権化みたいな言葉が、

 セメントで議論されるワケがねえわけで、

 個々人が好き勝手に解釈している事例の最たるのが、

 この「 自己完結 」なる言葉であろう。



 
 それぞれが今、

 「 自己完結 」ってなんですか?と自問したとき、

 イメージするものはまるで違うものになる。




 それほど、

 言葉というのは、

 不安定で、

 信用ならん、

 相互コミュニケーションツールなわけで、

 言霊を扱うには、

 厳密には個々人が言葉を再定義した上で、

 定義の差異を認めなけりゃならんが、

 実際には、

 人は、

 漫然と喋るし書くのが常態なので、

 コミュニケーションは言葉に頼ると成立しない。






 突き詰めれば、

 言葉より行動が全てになってくるわけだが、

 詰めまくるとまた、

 和魂要塞が再び3年ほど放置されるのが目に見えているので、

 ここでは事実から目をそむけ生暖かい視点で人生を俯瞰し、

 自己完結について言及する。



 

 実際問題として、

 「 自己完結性 」に関し、

 真面目に考えて何者かは、

 憂うべくことに「 軍隊 」しかない。





 極限まで平たく言えば、

 自己完結性とは、

 「 インフラが断絶した中で戦闘行為を継続できる 」性質を指すんであり、

 個人レベルに置き換えた場合のそれは、

 「 単独での生存競争の継続 」を意味する。






 よーするに、

 バイタリティ=生命力であり、

 最後まで突き詰めれば「 戦場の根性論 」である。






 自己完結性の高低は、

 つまるところは、

 そこなのだ。








 我々の人生には、

 実際問題、

 「 一切のインフラねえな 」という、

 気を抜くと死ぬか、

 再起不能のダメージを蒙る局面がある。






 言い換えれば、

 「 丸腰で助けを呼べない状況 」で、

 「 踏み間違えてはいけない階段 」を、

 「 満身創痍に近い体調・精神状態 」で、

 登らなきゃいけない瞬間があるということであり、

 ここで試されるのが、

 「 自己完結性 = バイタリティ = 戦場の根性論 」であり、

 生還できる兵士としての資質なわけだ。










 いろいろあり、

 小生は、

 このあたりをもって、

 「 自己完結性 」を定義し、

 個々人の中のその程度を、

 見極め、

 その人の根っこを診ている。






 

 生まれて死ぬまでの、

 半世紀と少しの間。





 人は多くの人と関わりを持ち、

 そのうちの幾人かと、

 深い繋がりを持って、

 生きて、

 死ぬ。




 
 その関わり合いの、

 ほとんどは、

 反応に過ぎないが、

 それ以上の関係=繋がりを作ることが人間にはできる。






 その繋がりが意味を持つのは、

 日々と、

 危機においてだ。





 問題は、

 誰と繋がるのか?という点であり、

 生存競争からの脱落を拒否して天命のマットウを望むなら、

 希望の無い表現を恐れずに行うならば、

 戦場の根性論的見地における弱者との繋がりは、

 自身の生存に関し不利に働くことが自明となる。






 なぜならば、

 我々は、

 愛するものを、

 切り捨てることはできても、

 見捨てることができないからだ。





 その意味で、

 バイタリティの不足は、

 不幸の源泉に他ならない。






 
































 生まれて、

 生きて、

 死ぬのは、

 なんて難しいのだろうか。








 人の親になって1年半が経とうとしている今日まで、

 息子の中の何を育ててやれるのかを考えてきた。






 優しさか、

 慈しみか、

 違うと直感は告げている。





 それは、1番大事なものではないと。




 とても大事なものだが、それが全てではないと。

 そんなに世界は甘くなかった。




















 一番大切なのは、不幸の元と戦う力だ。









 人生には、

 自分の命そのものを、

 試される瞬間がある。







 息子よ、

 そのとき、

 君は、

 ひょっとすると、

 ひとりではないかもしれない。






 そのためにこそ、戦う力を持っておけ。

 愛する人を、不幸から守るために。





 この世界と、戦う力を。

 
# by 201V1 | 2008-01-06 03:30 | カテゴライズ前・生ログ
オクトーバー

さて、

小生は、

まぁ、

なんつうか、

ミナマデ言うな的な、

スチャラカ人生をこれまで、

捨て鉢万歳的な無策のもと、

ヘラヘラやっつけてきた訳なんだが、

ここんとこは割かし、

なんつーか、

女房子供に容赦せず、

国替え(引越し)・主替え(転職)とかを、

躊躇なく連打してる分際で我ながらどうかとも思うが、

それは置いとくとして、

ここ数年は、

まんざら真面目であったと思う。(死ね
































何より働いてた。(だいたいは←どかん



















というわけで、

この間、

女房に、

「 振り返らないのが男だと小生は解っちゃった遂に! 」とか、

ギャバンの影響で、

OP見て泣いた直後に宣誓した矢先に、

全体どうかとも思うが、

土台これまでの生き様がどうかってのが全体的に破綻全開なので、

まぁもうこの際、

そういうことを振り返るのは抜きに、

ここ数年の総括が行われつつある当該ブログ。







はっはっは。

読者諸君。

油断するなよ。

もう始まってるんだぞ。

許可とか、もぉ、全部無視で!(いつも

振り返るんだよ人生を!( ギャバン教・脱退

男なんだろ!?

ぐずぐずとか、

いうな!









というわけでだ。

もういいからついて来い。(無理矢理

大事な話なんだから。(嘘をつけ







で、

まぁ、

平たく言うと、

小生は、

ぶっちゃけちゃうと、

中越における、

ビバ・人柱!

猫、火柱!的、

青春の大噴火を満喫し、

燃え尽きちゃってた。(2005年夏)


















魂を灼熱に焦がす、

最深部の火種が、

やるだけ全部やって、

2005年の春に、

霧散したんであり、

見事消えたんである。

















15歳から実に、

27歳まで、

12年間ずっと、

身を焦がしてきた、

「 火達磨になって炸裂したい 」という、

防性の自殺衝動が、

ようやく消えたわけで、

小生はつまるところ、

やっと自由になったんであった。





それは、

まさに、

恐怖からの解放そのものといえる、

本当の意味での自由といえた。











振り返れば、

小生の、

「 燃え尽きるんだ絶対に! 」という衝動および行動は、

自殺をも辞さぬ「 同化 」への断固たる拒絶であり、

実に少年らしい自衛の一手段であったわけだが、

文字通り、

火事場同然の戦場で、

目的を同じにする仲間達と、

最後(小生にとっての)までやった挙句の果てに待っていたのが、

やっぱり「 小生 」であったことで、

最早、

自衛の意味がない自身に気がついたというのが、

小生の中で起きた変化の実態で、

つまるところは、

小生は、

12年をかけ、

どうやら、

メッキの狂気がムクの狂気になってた模様で、

要するにもう、

同化の余地がナッシングな地平まで、

まるごと和魂要塞その人であったんである。











賢明というか、

無駄にコアな読者諸兄は、

死ぬほどご存知の事と思うが、

小生の夢は、

15歳の頃から、

少年の頃に憧れた、

物語の中のヒーローそのまんまの、

魂の色で自らが染まることであり、

ただそれだけが、

望みだった。








で、

全体どうしたかといえば、

小生は、

物凄い怖がりだったくせに、

ヒーローとしての振る舞いを演じ、

信じた偶像ならば選ぶであろう道のことごとくを、

遮二無二に突き進み、

どんどん歳を重ね、

12年間そのままいっちゃったわけで、

馬鹿を通り越してテスラ馬鹿の領域に達するに至るんである。





すなわち、

歴史上の英雄が手にしていた気概であり、

成されるべき事の為に命を投げ出す、

算段を度外視したムクの闘士の精神である。






現場が、

被災地(災禍がすぎた場所)であったのが、

生還の主たる要因だが、

小生はぶっちゃけ、

生きて中越から戻るつもりが、

まるでなかった。





まぁ実際、

最初の任務からして、

余震が続く中で倒壊家屋の深部に潜るなんていう、

自殺志願まるだしの離れ業を繰り出してるので、

あとの7ヶ月とかはオマケみたいなもんなんだが、

あの期間、

小生は、

自分の命の使い場所は、

ここでいいと、

納得していたのであった。










で、

春が来て、

自分の戦場は、

雪溶けとともになくなった。









死に損ねるまでやった自分が、

2005年の春の小生がいた、

境涯である。







見渡せば、

1億2000万の人間が住むこの島で、

そんな気持ちで中越の春を迎える人は、

仲間達の中にさえいなかったんである。











小生は、

まさしく、

このとき、

同化の余地の残っていない自分を発見し、

自衛の妄執から解放されたといえる。








メッキで臨んだ戦いが終わったとき、

立っていた自分はムクで、

削られようが、

割られようが、

砕かれようが、

恐れ知らずの和魂要塞であり、

メッキの下にいたはずの、

14歳の臆病者は、

どこかにいってしまっていた。








いざというとき、

真っ先に同化を始めるはずの、

弱点が、

いつのまにやらなくなっていたんである。






 「 どうやら小生には、

   『 奴等 』のようにはなる余地は、

   最早微塵もないらしい。 」






 

中越が終わったとき、

小生には、

守るべきものがなく、

恐れるものもなかった。






春が、

自由を運び、

風が、

火を消した。














その意味で小生は、

2005年の春以降、

守らなければならないものがない。








あるのは、

守りたいものであり、

どうでもよかった手前の身の上は、

守りたいものを守りきるための、

たった一つの武器であり盾になった。




















































































人生には、

自分はこのために生まれ、

遣わされたのだと、

信じるに足る瞬間がある。






そのどれもがきっと正しくて、

どれもが間違っているのだろうが、

その判断があってるか否かは、

生涯においては瑣末なことであり、

問題は、

信じられる瞬間そのものに、

価値があるのかという問いだと思う。






小生は、

そこには確かに価値があると信ずる。






手前が、

何の為に生まれたのか、

何のために遣わされたのか、

信じられる瞬間は、

人を確信へと導く。







たとえ裏切られても、

間違いだったとしても、

人は信じた分だけ、

確信へと進むのだ。








自分が自分であることへの確信に。

























僕達だけの生涯が。
# by 201v1 | 2007-10-01 01:43 | カテゴライズ前・生ログ
この間のお話

 ご豚さです。

 和魂です。

 











 もはや更新の気配が微塵もねえ当該ブログですが、

 いろいろあって、

 そろそろブロがる暮らしが復活の兆しな昨今、

 新妻とミツケンが鶏八とともに我が家に来ました。





 うち、

 y染色体の含有率が50パセントの2人は、

 24時間以上いました。(どかん





 というか、

 そのうちの妖精に近い方に至っては、

 6・7月における延べ要塞逗留時間が300時間以上であり、

 ガスとかも含め、

 うちの家計に甚大な被害がでているのにも関わらず、

 あろうことか、

 飯を毎回馬鹿みたいに食べやがり、

 さしあたって、

 親ァ、出て来い。















 







 ボランティアじゃねぇんだぞ。(←重くて暗い



 

























 しかしながら、である。






 相手は未成年の不労者であるし、

 大体にして地球規模の浮浪者でもあるし、

 畳み掛けに現役の性的不能者でもあるしだしで、

 まぁ、

 なんというか、

 ぶっちゃけ駄目の三重苦であり、

 彼の基本コマンドの、

 居候とかキセルとかは、

 相対的には瑣末な不埒なので、

 最早全体的に親の責任とかいう次元ではない感じで、

 鶏八は、そういう感じでした。(報告終わり)














 ミツケンとは、

 そういえば会うのは2度目とかなんですが、

 まぁ、

 普段、

 近所に住んでる感があるのが違和感のしねえ、

 爽快な男児でした。






 多分、

 双方ともに、

 彼も小生も、

 それぞれに、
 
 地雷系ロマンスを経て、

 28と29になってるからなんでしょうなあ。(しみじみ























 ミツケンよぉ、






















「 悪夢とか見ねえ? 」




 











 新妻さんとは3度目の邂逅なわけだが、
 
 小生の記憶が正しければ、

 電脳上では、
 
 ヨル・ミツケン・鶏の3人より、

 出会いは古いんだったはずで、

 全体、

 いつぐらいから、

 うちらがツガイになるのを予測していたのか、

 毎回聞きそびれていることに、

 毎回嗚呼と唸るわし。









 なんつうか、












 三人が三人、

 また近いうち会いたい面子で、

 飲めてよかったと思う今日。























 伝説の㈱アニマルランド(社畜の王国 の意)から3年前に分派した、

 ㈱デスコム(デス・コマンド=死兵 の意)に移り、

 再びコンクリートジャングルに戻るまえに、

 古都鎌倉の緩い空の下、

 彼らと飲めていい思い出ができた。



















 さらば鎌倉。











 いざ、故郷の戦場へ。


















 ビバ・決戦販売!







   前傾姿勢で三十路を攻めろ  

 

 
 
















 カーブミラーなんてのは、

 曲がった後での見るもんだ 。
# by 201V1 | 2007-07-24 01:23 | カテゴライズ前・生ログ